彼氏なぼくの奇妙な隣人 3
何の疑いもなく「彼氏くん」と呼ばれ続けているけど、なぜに「友達」という選択候補がないのだろうか。
初めは女の子だと気付かれ、しかし女子大生ではないと否定したことによって、そこからなぜ「男子高校生」になってるんだ?
ぼくは決して性別の話はしていないんだけどなぁ。
お隣さんが性別をどっちに誤解していようが、彼女が彼女であるという事実だけは間違いではない。
だけど、なぜ友達を通り越して恋人だという設定なのだろうか。
事実だけど、じゃあぼくが彼氏ではないと答えたら、きっと「友達だったの?」という言葉が返ってくるんだろうな。
「あたし、ほんっと田舎者だからさぁ、おしゃれなお店とか行ってみたかったのよね。でもこっち来てまだ友達いないし、一人で徘徊したらアパートまで帰って来れなくなっちゃいそうでしょ?一緒に行ってくれるだけで嬉しいのに、一緒に帰れるから心強いよ。考えてみたら一人でご飯作っても、実家の時みたいに一緒に食べる人もいないわけだし、かといって外食する人もいないし。でも自分で作ったら茜ちゃんとか彼氏くんにもおすそ分けできるし、外食する時は三人で行けるから、なーんにも心配することなくなって安心だよー!いやぁ嬉しいなぁ。茜ちゃんには英語も教えてもらえるしね!ここに引っ越してきて良かったなー。ここら辺て駅から近いから便利だよねー!田舎者のあたしが一人でも夜道が怖くないように、駅近い物件探してたんだよ。あのアパートって何であんなに安いの?別におんぼろでもないじゃんね。何か曰く付きなのか不動産屋に聞いちゃったよー。」
しかしよくしゃべるなぁ……。
歩き出してから一秒も沈黙がないというくらいしゃべってるんじゃないか?
彼女越しに見えるお隣さんの表情は、キラキラしてて眩しいくらいだ。
楽しそうなのはいいんだけど、話の中にちょこちょこ出てくる「三人で」というフレーズ、これってもはやお隣さんという域を越えてるよな。
彼女とぼくの、二人の時間はどこへやら……。
恋人という定で話しているのに、二人のお邪魔かなとは思わないんだろうか?
まぁ、最初にお邪魔じゃないとは言ったけど、まさか今後もずっと三人で……?
いやいや、それはきっと彼女が上手いこと断ってくれるだろう。
嫉妬と束縛だけは、どこの彼女さんにも負けない彼女だからな……。
そこまでぼくのことを思っていてくれるのは嬉しいけど、あらぬ誤解まで怒られることにはちょっと困ってるんだぞ。
言ってもぼくの主張はなかなか受け入れてもらえないんだけど。
「ランチって何食べる予定だったの?普段はどんなとこ行くの?行きつけのお店とかあるの?」
「特に決めてるわけではないのですが、蒼は……この子はあまりお肉類を食べないので、ハンバーグでも食べてもらおうと思ってるんです。成実さんは何か食べたい物はありますか?」
「やっぱ?彼氏くん、ちょっと細いからお肉食べたほうがいいよねー?あたしなんか贅肉分けてあげたいくらいだから、ハンバーグは遠慮しとくわー。ファミレスは?ファミレス、いいよぉ安くてドリンクバー飲み放題だよー?高校生ってファミレス行くでしょ?」
「そうですね。安くて種類豊富なので同級生はみんな行ってるみたいですよ。でも、この子は人混みと騒がしい所が苦手なので二人で行ったことはないんです。今日はファミレスにする?」
ずっとお隣さん側を向いていた彼女が、やっとこちらを向いてくれた。
せっかくのランチデートに寝坊したぼくに選ぶ権利などないんだけどな。
でも、彼女はちゃんと中立を保とうとしてくれている。
本当に器用だし、頭が切れる。
「ぼくはいいよ、ファミレスでも。」
ファミレスか……。
苦手なんだよな。
視線とか会話とか、気にしすぎなのは分かってるんだけど、ひそひそ声とか笑い声が自分に対しての悪い話なんじゃないかと居たたまれなくなるんだ。
彼女にそれを言うと「自信過剰よ」と返されたけど、悪い話をされてるんじゃないかと卑屈になることは、自信過剰に当てはまるのだろうか。
その場に溶け込むことが出来ないぼくに、彼女の適応能力を少しもらいたいくらいだよ。
店内は案の定、ファミレスというだけあって家族連れや学生で賑わっていた。
お隣さんは慣れた感じで席を選ぶと、彼女とぼくをソファー側に通し、自分は手前のイスに座った。
メニューを見ながらカロリーがどうのとか、デザートを食べたいからがっつりしてない物を食べようかとか、色々目移りしてるみたいだけど、そんな会話もファミレスならではなんだろう。
カロリーを気にしているわりに、デザートも食べるのかと突っ込みたいのはぼくだけだろうか。
食べたい物よりも、カロリーよりも、他人の視線と会話が気になって仕方ないのもぼくだけだろうか……。
「あなたは?」
がやがやで耳が塞がれそうなぼくに、メニューを広げた彼女が近付く。
居心地悪いのが顔に出てしまっていたのか、彼女はぼくに寄り添うようにメニューを覗かせた。
「ぼくは……うどん。」
「あなたはいつもおうどんばかり食べているのだから、ここに来てまで食べることないじゃない。お肉食べなさいよ。ハンバーグでいいでしょう?」
最初からハンバーグ決定なら、いちいちぼくに聞くなよな。
何種類かある中から、彼女が選んだのは、キノコのデミグラスソースがかかっているハンバーグだった。
ぼくがキノコ類嫌いなの、知ってるくせに……。
嫌だと言っても、却下されるんだろうから黙っておくしかない。
「あたしはやっぱ、パスタにしよっかなー。でも写真見ちゃうとドリアとかも気になるんだよねー。茜ちゃんは?」
「私は……ヒレカツ定食にします。」
「えー!定食?しかもとんかつとか、茜ちゃんのイメージじゃないんだけど……。結構がっつりいくんだね?デザートはいかないんだね?」
「デザートも食べますよ。せっかくおいしそうな物が並んでいるのですし、ファミレスなんて滅多に来れないので、色々楽しみたいんです。」
「いいねー!こんなに食べれなーいとか言う女子みたいにうざくないね!そうこなくっちゃ!じゃああたしも……どれにしよっかなー?」
ヒレカツ……。
そう来るとは、ぼくもびっくりした。
カロリーを気にするようなことは一度も聞いたことないけれど、それにしてもファミレスでヒレカツ定食……。
いや、別に何を食べようとチャチャを入れるつもりはないけど、意外すぎる選択だったな。
お隣さんがテーブルの隅に備え付けられたボタンを押すと、しばらくして店員さんがやってきた。
滑らかに注文していく中に、ぼくが食べさせられるキノコハンバーグの名前があって、余計にテンションが下がる。
「茜ちゃん、ドリンクバー行かない?飲み放題なんだから元取らなきゃだよー!」
「はい、行きます。私、紅茶が好きなので、おかわりしますよ。」
「そうだよそうだよ。ファミレスとはいえ、紅茶だけでも三種類くらいあるからさ、制覇するべきだよ!彼氏くんは?ドリンクバー頼まなかったの?」
「あお……この子はお水が好きなので、あまり色々飲まないんですよ。ね?」
立ち上がろうとした彼女が優しく振り返る。
お隣さんの波長に合わせつつも、ぼくのフォローも欠かさない。
気を遣わせてしまっていることに申し訳なさを感じるけど、ここは甘えていいのだろうか……。
ぼくがこくりと頷くと、彼女とお隣さんはドリンクバーへと消えて行った。
初対面の人と食事をするというだけで落ち着かないのに、この混雑した店内の雑音に気持ちが縮んでいくような感覚がする。
楽しそうに食事や会話をしている人たちを見ると、複数人で食事をしたことがない自分の生い立ちと比べてしまう。
小さい頃の夕飯といえば、母さんが作り置きしてくれた物を温めて食べるか、母さんの帰りを待って、買ってきたお惣菜を二人で食べるかという思い出しかない。
大勢で食べたのは、給食くらいだったかもしれない。
空腹に慣れていくうちに、いつの間にか食事自体が楽しいものではないという感情になっていた。
スーパーは混んでいるから苦手だし、コンビニがあれば全て用が足せる。
そんなぼくの食生活に、彼女はいつも気を配ってくれる。
有難いけど、ぼくにとってそれがちょっと負担になることもある。
食べなくてもどうにかなる、それじゃだめなのかな。
「はい、お水。」
「あぁ、うん。ありがとう……。」
「アップルティーもあったのだけれど、食事の前だから、私はアイスティーを持ってきたの。」
彼女はぼくの前に水を置くと、ぼくの手にグラスを当てた。
冷たくて気持ちいい。
これも、浮かない表情のぼくへの気遣いなのだろうか。
彼女は隣に座り直すと、ぼくの膝にそっと手を添えてきた。
落ち着けってこと?楽しそうにしろってこと?
どっちか分からないけど、キノコハンバーグを注文されたことを思い出すと、後者なのかと勘ぐってしまう。
状況に応じなさい、と。
「彼氏くんておとなしいんだね?いつも無口なの?緊張してるの?人見知りしてるの?あたしには気使わなくていいからね?」
「この子は人見知りするんですよ。それに、私がキノコのハンバーグを注文したので、すねているんです、きっと。ね?」
やっぱりわざとか!
「彼氏くんはキノコ嫌いなのー?好き嫌いしてるから痩せてるんだよー!痩せすぎ痩せすぎ!もっと太らなきゃ女の子にモテないぞ?」
「こう見えても充分人気あるんですよ。私が嫉妬してしまうくらい……ね?」
そうですね。
自覚があるなら自粛してください。
「へー!茜ちゃんというかわいい彼女さんがいながら遊んでるのか!けしからんねー!モテるのも分かるけどさ、なんつーか……中性的な色気ってやつ?フェロモン……だっけ?あ、フェミニンか!そう、フェミニンな感じだよね!今の若い子は、がっちりした男らしい子よりも、フェミニン?みたいな……なよっとした男子が好きみたいだよね。」
問いかけなのか意見なのか……。
どっちにしても応えずらい流れに、さすがの彼女も笑顔でごまかしている。
遊んでないとの否定はしてくれないのだろうか。
「お待たせしましたー。」
このタイミングで料理を運んでくれるとは、店員さんが救いの女神とも見える。
次々と並べられた料理たちに、お隣さんも彼女も嬉しそうにしていた。
やっぱり食事って、みんなは楽しいものなんだな。
こういう場でも、自分は変わっているのだと実感させられてしまう。
「あたしも水持って来ようかなー。二人は?いるならついでに持ってくるよ?」
「私は大丈夫です。あなたは?」
小さく首を振るぼくを見て、彼女が「大丈夫です」と代弁してくれた。
料理を前にしてるんるんなお隣さんが席を外すと、膝に乗っていた彼女の手がぼくの手をそっと包む。
顔色を窺うまでもないのだろうが、気分が沈んでいることを心配してくれているのだろう。
「一口サイズに切ってあげるわね。」
「……いいよ。自分でやる。」
「あら、私のフォークとナイフの裁き方を見せたいだけよ。甘やかしているわけではないの。」
彼女はそう言って、器用にハンバーグを小さく切り出した。
甘やかしているわけじゃないと言いつつも、自慢なんてしない彼女は、きっと甘やかしてくれているんだ。
もし裁きを自慢したいだけだとしても、見事なくらい綺麗に切り分けられていく。
何でも出来るんだな……。
そしてぼくの苦手だろうことも、きっと分かってくれているからこその行いなんだろう。
「はい、あーん。」
「……。」
「あら、あーんは?」
見事に切り分けられた一つが、ぼくの口元まで押し寄せている。
甘やかされてると思ってたのは大きな勘違いだったのか?
単に羞恥プレイがしたかっただけなのか?
おずおずと彼女を見ると、にこにこしながら更にフォークを突き出してくる。
もはや断りの言葉も、突っ込みの言葉も口に出せずに仰け反ると、最悪のタイミングでお隣さんが戻ってきた。
「おやおや仲いいねー!いいね、優しい彼女を持って羨ましいくらいだよー。あたしも彼氏がいたらやってみたいな、あーんって。あぁ、あたしに気使わずにいちゃいちゃしてていいからね?遠慮しないでどうぞどうぞ!」
「すみません。この子、こうしてあげないとちゃんと食べないんですよ。緊張しているから余計に食べれないのかしら?はい、口を開けて?」
誰が口開けるもんかー!
いつものことですみたいな言い方して……初対面の人は信じちゃうだろ!
頑なに口を閉ざすぼくのことなんかお構いなしで、彼女もまた手を引こうとはしない。
これはぼくが「あーん」されない限り、永遠に続くのだろうか。
ぼくの気持ちをほぐそうとしてくれた冗談なんかじゃなさそうだ……。
「……帰る。」
「あら、どうしたの?具合でも悪いの?」
「えー!彼氏くん具合悪いのー?食べれば元気になるよ、食べよ?一緒に食べれば元気になるって!」
「すいません……。」
制止させようとする彼女の手を振りほどいて席を立った。
これ以上は耐えられない。
何もかも……。
おしおきの羞恥プレイなのか何プレイなのか知らないけど、他人に取り繕ったり、空気を読んだり、愛想笑いすら出来ないぼくに、気を使ってくれてたんじゃないのか。
初対面の人と食事、しかもファミレス、キノコのハンバーグ、これだけでも充分苦手が揃っているのに、フォローどころか追い打ちの羞恥プレイ。
我慢出来ない!
「彼氏くんて変わってるねぇ?人見知りしてるって言っても、こんな優しい彼女さんがいるのに帰ることないじゃん!さっきから色々気使ってくれてるんだし、ちょっとは茜ちゃんの気持ちも考えてあげなよ。こんな尽くしてくれる彼女、他にいないよ?大事にしたほうがいいって。あたしの彼氏だったら殴られてるよ?人の好意を無駄にしないほうがいいし、ここは普通、中良くするとこだって!」
「……茜、立て替えといて。」
何と思われてもいい。
何を言われてもいい。
変わった人間なのは事実だし、「普通」がどんなものなのか、ぼくには分からないよ。




