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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
4/50

潮風の音 3

「お腹減ったね」

真夜中の宿をこっそり抜け出して買い物に出かけたけれど…。

そこにはたくさんの買い物よりも手におさまりきれないものがあった。

 すっかり髪を乾かした後、やっと一息ついたぼくらは、安心と同時にお腹が減っていることに気付いた。そういや何も食べていなかったな。


「お腹減った?」


「私も今聞こうと思っていたの」


「コンビニならここに来る途中にあったけど、どうする?」


「コンビニでもいいけど……服が乾いてないじゃない」


「浴衣で行こうよ」


「浴衣って言っても……宿の浴衣で出歩いている人なんていないわよ」


「うん。でも、ぼくと一緒ならいいだろ?おそろい!」


「ふふっ、そんなこと言ったら、ここの宿の人みんなおそろいよ?」


 ぼくらは宿の人たちに見つからないようにこっそり抜け出した。彼女は普段は優等生をきどっているけど、授業を抜け出してみるようなスリルを味わったみたいだと笑っていた。


「授業を抜ける時は、あなたもこんなにドキドキするような気持ちだったの?」


「最初の頃はね。でも今は堂々と抜けているよ」


「悪い子ね」


「ぼくがいないほうがましなんじゃないかと思う瞬間があるんだ。そんな時は授業を受けるよりも、校庭のベンチで考え事していたい」


「またそんなこと言って……」


 続きを言いたいのも分かってるし、その続きが毎回同じ言葉だというのも分かっている。「あなたがいないほうがいいなんてどうして思うの?」ってね。人の思考なんてそう簡単に変えられるものではない。だから彼女も続きを飲み込んだんだ。


 夜風にひらひらと浴衣の裾がなびいている。波の音だけが聞こえる真っ暗な道を、ぺたりぺたりと不揃いのぞうりの音を刻ませながら、ぽちぽちと照らす街灯を頼りに歩いて行く。


「こんな暗い道は王子様なしでは歩けないわね」


「ぼくはいざという時に頼りにならないから、王子様なんかじゃないよ」


「あら、あなたはいつでも頼りになるわよ」


「ならないよ、ぼくは。いざという時は茜のほうが王子様じゃないか」


「王子様は一人でいいわよ」


「ははっ、じゃあ王子様の冠は茜のものだな」


 ぼくらが歩いて行くと、何本目かの街灯を過ぎた所で、一段と辺りを照らす店にたどり着いた。



「そんなに買うのか?」


「前に美味しかったって言ってたじゃない?」


「そうだけど……」


「あなたが美味しいと思ったものを食べて共感したいの」


「じゃあ夜食代わりにお菓子も買おうか。茜が中学の時にハマってたって言ってたチョコチップクッキー」


「あれは徹夜で受験勉強してた時に、眠くならないようにチョコレートを食べていたって話よ?」


「そうか? クッキーだと思ってたよ。あてにならないな、ぼくの記憶は」


「ふふっ、半分正解よ。受験が終わってもチョコレートが食べたくなって買っていたのがチョコチップクッキーだもの」


「満点にはしてくれないんだな……。厳しいなぁ、茜先生は」


 篭いっぱいに買った食料をぶら下げ、元来た道をぺたりぺたりと進んだ。


「お腹がすいていたのを忘れてたとはいえ、食料を前にすると急に食欲がわくな」


「そうね。宿まで十五分くらいかかったかしら?」


「あぁ、それまでおあずけだな」


「一つ貸して?私も持つわ」


「いいよ、これくらい。それに、茜が怪力になったら鬼に金棒だからな」


「ならないわよ。だから貸して」


 彼女はぼくから強引にビニール袋を取ると、両手で持ち始めた。


「ほら、重いだろ? そっちはペットボトルが入ってるんだから」


 これくらい!と言いたげなむっすりとした顔でぼくを無視している。頑固だなぁ。


「じゃあ、こっち持って。こっちのほうが軽いし」


「いいの」


「かわいくないな。両手で持ってたら手、繋げないだろ?」


 彼女はぴたりと立ち止まり、はいっ、と素直に袋を差し出した。


「ははっ、いい子いい子」


「そうよ?」


 自慢げな言葉とはうらはらに、細い指をそっと絡ませてくる。


「冷たいな、寒い?」


「少しね」


「さすがに夜は潮風が厳しいな」


「そうね」


「部屋に戻ったら、温かい紅茶を入れような。珈琲がいい?」


「そうね……」


 彼女はどこかぼんやりしているようにみえる。口数が減ると同時に歩幅も狭くなっていき、やがてぴたりと歩くのを止めてしまった。


「どうした?」


 振り返ると、一歩前にいるぼくを追い越す勢いで駆け寄ってきた。


「ねぇっ!」


「うん?」


「バッグの中に、レジャーシート入れてきたって言ってたじゃない?」


「あぁ、あるよ?」


「砂浜、行きたいの。いい?」


「何時だと思ってるんだよ。真っ暗だし、足下だって危ないだろ」


「大丈夫よ、波打ち際まで行かないわ」


 そういう問題じゃ……と思ったが、彼女の足はもう砂浜のほうへ向かっている。宿から借りてるぞうりだぞ。また砂まみれになって……とか先のことは考えていないんだろうな。そんなことを考えてるぼくを、お構いなしにぐいぐいと波の音のほうへ引っ張って行く。


「ここでいいわ」


 彼女が選んだ場所は、きちんと平らに広がった砂の上だった。案の定、すでに砂まみれにになってるじゃないかと冷静に思うぼくに、早くレジャーシートを出してとねだる彼女の顔は、まるで遠足に来た少女のようだ。平たい砂浜にきちんと広げると、我先に彼女は寝ころんで言った。


「蒼、来て!」


 仰向けになって嬉しそうにぼくを呼んでいる。


「あぁ、うん」


 言われるがまま隣に寝ころぶと、そこには満天の星空が広がっていた。今にも降ってきそうな数えきれない星……。


「ね?」


「……うん」


 言葉にならなかった。いや、言葉はいらなかった。赤や青やオレンジの光が輝く夜空は、今までに見たこともない何より美しい世界だった。


 あの星ひとつひとつに歴史があり物語があり、あちらからもこちらを見ている。この砂浜の砂よりも宇宙にはたくさんの星があるんだろう。こちらから見えなくても、きっとどこかで光っているに違いない。


 あんなにたくさんの星があるのに、ぼくらは地球に生まれて、そして出会った。何十億という中で出会ったのは奇跡なんだろうか。それとも運命?


 運命なんて言葉は何の裏付けもないぼんやりとした結果論だと思っているが、あながち結果論だけだとも言えないのかもしれない。ぼくが生まれてきた時間の中でのすべてが運命という歯車に回されているのだとしたら、逆らうことのできないちっぽけな砂のようだ。波にさらわれたり海底に沈んだり、また陸に押し戻されたり。そんなことを繰り返しているうちに、あの日、あの時、彼女と出会えたんだとしたら……。


 それが、ぼくの運命だと言ってもいい。


「……すごいな」


 やっと言葉を発したのは、どれくらい経ってからだろうか。吸い込まれるように見とれていた間、ぼくの耳から波の音は消えていた。


「来てよかったでしょ?」


「うん……」


「あなたと見てみたかったの、こうして」


「うん……」


 しっかりと受け止めて返事をしようとしたが、胸にこみ上げるものがあって何も思い付かなかった。


「くしゅんっ!」


 彼女のくしゃみで我に返った。


「ごめん、冷えちゃったな。早く帰ろう」


 起き上がろうとしたぼくの肩にそっと触れ真っ直ぐに見つめられたので、彼女の前髪をかきあげておでこに軽くキスをした。


「さぁ、帰りますよ?お嬢様」


 何も言わなくても気持ちは同じだった。


「違うでしょ?」


 臆病なぼくがもどかしかったのだろう。冷たい手が両頬を包み、彼女の柔らかい唇が重なった。


 やがてどちらからというわけでもなく唇が放れると、お互いに切なくなったのか、ぼくらは動こうとしなかった。二人でいる時間がこんなにも愛おしいなんて……。時が流れていくことが恨めしく藻なり、だから切なくもなったんだ。


「もう少し……こうしてようか……」


「ううん、帰りましょ」


 あれ? あっさりと答えられた。いいムードだったんじゃないのか?


 さっきとは立場が逆転になり、彼女はすくっと立ち上がった。


「……はいはい」


 なんだかなぁと思いながら立ち上がって、砂のついたレジャーシートをぱたぱたと払い、ふたりでぴったりとたたみ終わると、ぼくの手を取ってにっこり笑った。


「続きは部屋で、ね!」

 

「え……?はは……」


 どっちなんだよ。おそらくぼくの顔はひきつっていただろうな。


 そっと手を繋いで、満天の星空を見上げながら、ゆっくりと宿へと足を進める。ぺたりぺたりという足音は少しずつ重なり、波の音の中に混じっていった。


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