家庭教師の秘密 1
テストで赤点を取って居残り補修……。最悪だ。
まぁ勉強してないぼくが悪いんだけど、みっちり残されてすっかり陽が傾いてしまっている。
さすがに彼女も帰ってしまっただろうと思って携帯を見ると、未読メールが二件。
『遅くなるようね。先に帰るわね。』
『まだ居残りさんかしら?帰ったら電話してね。』
居残りなのバレてたか。
これは早く帰って電話しないと、先生以上に嫌味を言われそうだなぁ。
ため息をついて携帯をしまい、バッグを担ぎ直して校門をくぐった。
「成海蒼ってあんた?」
「え?」
突然の呼びかけに、ぼくは急がせていた足を止めて後ろを振り返った。
声の主は首をかしげてじっとこちらを見ている。
見慣れない制服の、でも、どこかで見かけたことがあるような男の子だった。
「成海蒼、だよね?違う?」
「いや、そうだけど……?」
「やっぱそうか。なるほどねぇ……。」
じろじろと見られて眉を潜めるぼくを、横目で足元から頭まで一通り見終えると、男の子は言葉通り「なるほど」といった表情をした。
唐突に、しかも知らない人から呼び捨てで聞かれて、何か嫌な気分にしかならないんだけど……。
ぼくの内心とは裏腹に、男の子は涼しい顔で笑顔を見せてきた。
いわゆるイケメンといったタイプの、さわやかな王子様みたいな甘い笑顔……。
ぼくのあだ名なんかとは違う、本物の王子様とはこういう男の子のことを差すんだろう。
「急いでるんだけど、何?」
「何って、用があるから呼び止めてるんだけど?」
「用があるなら早く言ってくれない?ぼくも用があるんだからさ……。」
ぼくがいかにも急いでるというアピールでバッグを持ち替えると、男の子はあわてた様子で覗き込んできた。
「噂通りのクールな人だな。あんたの学校の人に聞いたけど、近寄りがたいってみんな言ってたよ?」
別にクールなんかじゃなくて、人付き合いが下手だから関わらないようにしてるだけなんだけど……。
そんなことより、うちの学校でぼくのことを聞いてきたということにますます気分が悪くなる。
「何が知りたいのか分かんないけど、ぼくはみんなが思ってるような人間じゃないよ。」
「まぁそうかもな。少なくとも男の俺から見ても、一見かっこいいとは思うけど、近くで見ると綺麗なお姉さんって感じだし?ぼくだとか言わずに口調も服装も女らしくすれば充分普通の女子高生だもんな。」
「……何が言いたい?」
「そんな怖い顔しないでよ。あんたのこと褒めてんだよ?」
褒めてるとか言いながらさっきから呼び捨てとかあんた呼ばわりされて、ちっともいい気分じゃないんだけど。
それに、ぼくがどんな格好してようが、初対面の男の子にとやかく言われる筋合いはない。
「悪いけど、ぼくをからかうのが目的ならここで失礼するよ。」
「からかってなんかないよ。俺、あんたの……じゃなくて成海蒼さんのこと知りたくて聞き回ってたんだけど、思ったより素敵な人だなって俺なりの意見を言わせてもらっただけ。気分を害したなら謝るよ。それと、あんたとか言ってごめんなさい。」
ごめんなさいだなんて、急にしおらしくなっても調子狂うんだけど……。
さわやかイケメンスマイルで「許して?」って顔をしているけど、これは普通の女の子なら鼻血が出るくらい甘い。
ぼくには通用しないのが申し訳ないけどね。
日焼けした肌にさらさらヘア……。
一見ちゃらちゃらして見えるけれど、身長の高さとがっちりした肩が、スポーツマンだと物語っている。
男女共に憧れるような容姿だ。
「あんたのその白さ、ほんとに部活は一切やってませんって感じだな。」
あんたって……謝ったくせにまた言ってるし。
「部活なんてやってないよ。見ての通りの帰宅部。それが何?」
「へー?百メートルで校内一の記録持ってるのに陸上とかやんないわけ?天才ってやつか……。もったいねーな。」
「別に天才なんかじゃないよ。単にめんどくさいことが嫌いなんだ。部活とか興味ないし。」
「言ってみたい台詞だね!俺はそんなあんたにめちゃめちゃ興味あるんだけど。」
もうこの時点でめんどくさいんだよな。
ぼくは一年の初めに体力測定で百メートル走の校内記録とやらを出してから、部活の勧誘とか陸上大会の進めとかされてめんどくさい思いをした。
それからは体育も運動系も適当に流してたのに、忘れた頃に他校の生徒に尋問されるなんて思ってもみなかった。
「あれはまぐれだよ。運動とか好きじゃないし、そういう類の誘いなら失礼するよ。」
ぷいと背中を向けると、大きな手がぼくの肩をつかんだ。
「男装しててもやっぱ体は女の子じゃん。私服登校じゃなければただの女子高生なのにな。」
さっきから褒められてるんだかけなされてるんだかよく分からないけど、結局何が言いたいのかと腹が立つ。
感情を表に出すのは好きじゃないけど、さすがのぼくにも限度というものがある。
「放してくれないかな。ぼくは君の話にも部活にも興味はない。」
「あっ、ごめんごめん。またご機嫌損ねさせちゃったな。」
またっていうか、ずっとだよ。
「俺、香西学院の一年なんだけど、今度あんたの学校と試合でさ、どんな学校なのかちょっと見に来たんだよ。」
話に興味ないって言ってるのに勝手にしゃべってるし……。
でも香西学院って聞いたことがある。
県内でも名門私立の男子校……、ていうか金持ちのイメージが強い。
「ちなみに俺、陸上部じゃなくて野球部ね。でも香西学院じゃ陸上部よりも記録持ってるからさ、こっちの学校の速いやつってどんな人なのか聞いてたらあんたの名前が出たわけよ。名前からして男だか女だか分かんなかったからどんなやつかって聞いてたら、そこらの男よりかっこいい男装女子だからすぐ見つかるよって言われて一瞬想像できなかったけど、あんた見たらすぐピンときたよ。」
あんたあんたってしつこいな。
それに、ちゃらちゃらはしてないけど、名門私立に通ってる金持ちってイメージはほぼない。
「野球部の偵察のつもりだけで来たんだけど、校内の記録持ってるのが一年の女子で、しかも部活は何もやってない。おまけに男装してるなんて聞いたら興味沸かないわけないじゃん?」
「大体合ってるから否定はしないけど、ぼくは一年じゃなくて二年だよ。その記録は去年の……。」
「えっ!ほんとですか?俺ずっと一年だと思ってタメ語使ってました!すんません、成海さん!」
中高生の上下関係ってこんなにも言葉使いを変えるものだろうか。
ぼくが男じゃないからってなめてるだけじゃなかったのか。
それに、運動部は特に敬語だのタメ語だの、上下関係がめんどくさいみたいだし。
「去年の記録だとはいえ、塗り替えられてないってすごいですよね!部活やってないのもったいないですよ?」
「だから……めんどくさいことは嫌いなんだよ。もういいかな?」
ぼくの肩をつかんでいる手をちらりと見ると、男の子はあわてて手を引っ込めた。
「すんません!し、失礼ついでにお願いがあるんですけど……。」
「お願い?」
こういう時のお願いって、大体些細なことなはずがない。
「今週末の試合、観に来てもらえません?」
「試合って……野球部の?悪いけどルールとかよく分かんないから遠慮させてもらうよ。」
「俺、今週末の試合で初登板なんですよ!やっと投げさせてもらえるんです!観に来てもらえませんか?」
初登板って何?
テンションが一気に野球少年なんだけど……。
ていうか、何でぼく?
「いや、だからその……野球のルールもよく分からないし、ぼくが観に行く理由がないってば。」
「俺のデビュー試合、見守っててほしいんです!うちの学校、そこそこ強いんでかっこいいとこ見せますから!」
か、かっこいいとか野球とか、全く興味がなさすぎて、誘われてることにびっくりなんだけど。
それに、そこそこ強いって言うけど、うちの県立高校が名門私立より強いなんて、情報音痴のぼくでも思ってないから大丈夫だよ。
そもそもうちの学校の野球部が強いとか聞いたことないし、デビューだって嬉しそうに張り切っているけど、弱い県立との試合だから出してもらえるとかじゃないのか?
「俺、蒼さんが観に来てくれるならめちゃがんばりますから!」
ちゃっかり下の名前で呼び出したし。
急に態度を変えてきてなんなんだよ、もぅ……。
ツンデレ攻撃なら毎日味わってるから、免疫たっぷりで間に合ってます。
「あー……デビュー試合じゃなくてもふつうがんばらなきゃだめだって。ということで、がんばってね。」
早く逃げたくて再び背中を向けるぼくを必死で追いかけてくる。
さすが野球少年、鈍いぼくとは違って俊敏だな。
ていうか、そのイケメンスマイルはぼくじゃなくて世の女の子たちに使ってあげてくれ。
「冷たいこと言わないで応援してくださいよ!」
「だから……応援してるよ。がんばってねってさ。」
「そうじゃなくて、俺を見てくださいってことです!俺、あんたの……じゃなくて、蒼さんのことすんごい気になってるんです。初対面なのに自分でもよく分かんないんですけど、俺のことも知ってほしいっていうか……。」
男の子にそんなこと言われるの、初めてなんだけど……。
イケメンに反応しないぼくに無駄なエネルギーを使わせて申し訳ないくらいだ。
「君くらいかっこいい男の子なら、普通の女の子が放っておかないでしょ?物珍しさでぼくに興味持たれるのはあんまりいい気はしないよ。」
「自分で言うのもなんですけど、ぶっちゃけモテますよ?男子校だからあんま出会いはないけど、それなりにモテてるって自覚くらいはあります!でも蒼さんと話してたら今までのどの女の子よりも愛おしくなったっていうか……変な話、運命みたいなものを感じたんですって!」
「運命……。」
男の子ってこんな口説き方をするんだな。
初めはぼくも、どこかで会ったことあるような、見かけたことあるような気がしたけれど、運命なんて大げさな言葉は簡単に使わないほうがいいのに。
運命の人がいるなら、もう間に合ってるよ。
「どっちの学校を応援しようが構わないんで、とりあえず俺のこと観に来てください!絶対全力投球しますから!」
確かに、自分の通ってる学校の試合を観に行ってるのに相手の選手を応援してるのはおかしいだろ……。
何を言ってるのかますます分からなくなっているが、これ以上引き延ばしても折れてくれる気配はないから、もうこの辺でこっちが折れるか。
真剣な顔で言われてるのに適当な返事をするのは申し訳ないと思うけれど、気持ちに応えられないのにずるずる話していても相手のためにならないとも思う。
「考えておくよ。あまり期待しないでほしいけど……。」
「ありがとうございます!これで心置きなく練習に戻れます!」
……抜け出してきたのか?
「じゃあ週末、十時からうちの学校で試合やりますんで、背番号十番を探してくださいね!」
「十番ね、はいはい。あ、名前……。」
ぼくのことを調べて、自分のこともさんざんアピールしておきながら名乗ってないって、どんだけあわててるんだか……。
「あぁっ、そうでした!俺、朱也です、風原朱也!」
「風原……あか、や……?」
「はい!覚えてくださいね!それじゃ!」
一瞬、どきっとした。
覚えられないわけがない。
彼女と一文字違いの名前なのだから……。
性格は全く違うけれど、嬉しそうにされると彼女を連想する。
これを運命と言われるのなら、そうなのかもしれないな。
初めは上から目線で何を言ってるんだと気分が悪くなったけれど、全速力で走り去っていく背中を見て何だかほっとした。
上から目線で強引でツンデレ、しかも一文字違いって……。
あれ?何課忘れてるような?
か、彼女に電話しなきゃいけないんだった!
ほっとしてる場合じゃない……。
急がなくてはっ!




