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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
34/50

不幸の折り紙 3

「ダーリン、どしたの?」

 彼女は振り向きもせず、去ってしまった。

 表情一つ変えずに……。

「え……あぁ、なんでもないです……」

「あたしね、はんぺんと大根にしよっかなー!」

「じゃ、じゃあぼく買って来ます……」

「あたしも行くー!」

 桃子先輩は彼女の存在にも、ぼくの気まずさも気づいていないのか、相変わらず楽しそうに絡みついている。

「おいしい?」

「あつっ!は、はい……」

「ダーリンは猫舌なんだねー。かわいい!あ、かわいいって言っちゃいけないのか!ごめん!」

 ごめんとか謝られても……。

 でも、ぼくのことをかわいいと言うのは彼女くらいか。

 かっこいいとか素敵とかは言われるけど、かっこつけてもいないし、かわいこぶってもいないんだけどな。

 コンビニの前でおでんを食べた後、やっと電車に乗り桃子先輩の家があるという、駅前の白井不動産まで来た。

 さすがに駅前すぎて「ここ」と言われても知らないわけがなかった。

 買い物する店ならともかく、不動産屋なんて物件探し以外に必要ないからスルーしてた。

 まぁ視界には入っていたから店名くらいは聞いたことあるような気がしてたけど。

「すごいですね。本当に不動産屋さんの娘さんなんですね」

「すごくないよー?不動産屋って金持ちのイメージあるけど、最近はネットでも住宅情報見れるし、大手のチェーンには勝てないからねぇ。いろいろ大変な世の中なわけよー」

「そうなんですか……」

 外に向かって貼りだされている物件情報を見てみると、条件によって家賃がさまざまなんだなぁって思った。

 駅近くとか、築年数とか、ペット可とか……。

 ぼくの住んでいるアパートは特別駅に近いわけでもないし、特別新しいわけでもない。

 ただ、たまたま安かったから借りているだけなんだけど。

「蒼くんはさぁ……」

「はい?」

「何で一人暮らしなの?」

 不動産屋のお嬢さんとはいえ、さすがにぼくが何で一人で住んでいるかは知らないんだ。

 まぁ、個人情報が厳しい時代だし、それもそうか。

「親と住めない事情があって……。親って言っても、もう一緒に住むような親はいないんですけど」

「そうなの?ごめん……。変なこと聞いちゃったね」

「別に大したことじゃないんで気にしないでください。昔から一人なの、結構慣れてるんで気楽ですよ」

「慣れてるって言っても、寂しくなる時くらいはあるでしょ?」

 ない……と言ったら嘘になる。

 彼女に出会うまでは自分が寂しいんだなんて気づきもしなかった。

 気付かないようにごまかしてきたのかもしれない。

 彼女に出会って凍っていた心を溶かされて、ようやく自分の気持ちに気付いたんだ。

「ありますよ。たまに、ですけどね」

「ふぅーん」

 桃子先輩は心配そうに口を尖らせていたけれど、しばらくぼくの顔を覗いて目を見開いた。

「それで風原さんと?」

「……え?」

「寂しかったところに風原さん登場ってわけ?」

「いや、寂しかったからじゃないですよ。ぼくはそんなことで人を好きになれるほど器用じゃないんで」

「好き、なの?やっぱ風原さんのこと好きなの?」

 一瞬、時が止まったかのように桃子先輩もぼくも固まった。

 それから「じぃー」と言う桃子先輩の言葉が出てきてからあわてて目を逸らした。

 自分でも何でさらりと言ってしまったのか分からないけれど、こんなことを学校で広められたら最悪だ。

「せ、せんぱ……桃子先輩?」

「約束だから黙っててあげるけどぉ……やっぱ羨ましすぎるなぁー!どうやって蒼くんを落としたんだろ?今度風原さんに聞いてみたいなぁ!」

 そ、それはぼくも聞きたい。

 逆に何でぼくだったのかも聞きたい。

 まぁ、彼女のことだから「分かるでしょう?何を今更」とか言って教えてくれないんだろうけど。

「あれ?ももちゃんじゃーん!」

 振り返ると、背の高い男の人が立っていた。

 かっこいい人だ……この人が桃子先輩の言ってた人?

 軽そうだけど、見た目はかっこいいからモテそうだな。

「あれ?じゃないでしょー!わざとあたしんちの周りうろうろしてるくせにー!」

「デートしてくれるってゆーから約束してもらおうと思っててさぁ」

「しつこいなぁ!うちの年下彼氏くん紹介するよ!」

 半ば桃子先輩に引きずられるようにその人の前に差し出されると、その人はぼくをじろじろ見てからぼそっとつぶやいた。

「ヤサいな」

 やさい……?

「ヤサくなんかないもん!うちの学校で一番人気なんだからね!男子なんかよりめっちゃかっこいいし!」

「男子より?」

 桃子先輩、暴露してますけど……。

 ぼくは彼氏って設定じゃ?

「だ、男子の中でよりかっこいいって意味よ!ね、蒼くん!」

 ね、ってぼくに振られても……はいと言えと?

「へーぇ?お前、ほんとにももちゃんの彼氏なわけ?」

「……」

 黙って桃子先輩のほうをちらりと見ると、ちょんちょんと背中を指でつついてきた。

「はい……」

 彼氏役といえど、所詮見た目がちょっと男っぽいってだけで、声だけはどうにも作りようがない。

 ハスキーだし低いほうだとは言われるけど、さすがに男の人にはバレるんじゃないかと冷や冷やしながら、精一杯の低い声で答えた。

 これじゃあんまりしゃべれないんだけど……。

「やっぱヤサいなぁ。ももちゃんって俺みたいなワイルド系がいいんだと思ってたんだけどなぁ」

 やさいって何……?

「町コンの時はノリで言っただけだもん!あたしはこーゆー人が好きなの!分かったらもう諦めてウロウロすんのやめてよねー!」

「あっそ。じゃあ俺もさっき吊ったかわいい子紹介するかな?」

 諦めて帰るのかと思いきや、その人は後ろから女の子を連れてきて肩に手を回した。

「かわいいだろ?さっき口説いたんだよ。なぁ茜ちゃん!」

「……」

 茜って……。

 確かにかわいいよ。

 ぼくの彼女だからな。

「駅前で引っかけたんだよ。こんなにかわいいのに彼氏いないんだってさー!」

 彼氏はいないよ。

 ぼくの彼女だからな。

「もったいないしかわいそうだから俺が彼氏になってやろうと思ってさぁ、これから茶ぁしに行くんだよ、いいだろー!」

「彼氏いないのー?茜ちゃん、かわいいのにねー!でも変なお兄さんに捕まっちゃダメだよー?」

 桃子先輩、彼女がそんな人に捕まると思ってるのか?

 ていうか、何でそんな人といるんだよ。

 ぼくが言えることじゃないけど、何で軽そうな人についていくんだよ。

「あたしとデートできなくてよかったじゃーん!そんなかわいい子とお茶できることになって」

「だろー?じゃあなももちゃん!」

 桃子先輩!止めないのかよ!

 桃子先輩がつきまとわれてた人に、今度はぼくの彼女がつきまとわれることになるんだぞ!

 ぼくを出汁にして追っ払っておきながら、彼女を餌食に出すのは平気なのか?

 許せない!

「茜!」

 一瞬、三人ともびくっとして振り返ったが、ぼくが彼女の腕を引き寄せると、彼女は少し困ったような顔をした。

「何すんだよ!お前、ももちゃんの彼氏なんだろ?俺の女に手ぇ出すんじゃねぇよ!」

「茜はぼくの彼女だ!」

 怪訝そうな顔で睨む男の人に、ぼくはうろたえることなく睨み返した。

 ここで引いてしまっては、本当に彼女は男の人について行ってしまう。

 しばらく沈黙が続いた後、その人は呆れた顔をして背中を向けた。

「ガキが!これだから高校生はめんどくせーんだよ!勝手にやってな!」

 駅のほうに消えていく背中を見届けると、つかんでいた彼女の腕を少し緩めた。

 ぼくが言えた義理じゃないんだ。

 桃子先輩とデートみたいなことしておきながら、彼女が連れて行こうとされるのがいたたまれなくて引き止めてしまって……。

 彼女にも、桃子先輩にも合わせる顔がない。

 ぼくが俯いて言葉を探していると、後ろから桃子先輩が口を開いた。

「あーぁ、結局熱々なとこ見せ付けられただけで終わっちゃったなー!」

「……桃子先輩、すみません」

「もうちょっと蒼くん貸してもらいたかったけど、追っ払ってもらうのが条件だったんだもんなー!あーぁ、なごりおしーい!」

 振り返ると、桃子先輩はしょんぼりと首を落とした。

 そして少しだけ彼女のほうへ視線をずらし、彼女に声をかけた。

「風原さん、蒼くん借りてごめんね?でもやっぱ悔しいなぁ!学校の王子様を独り占めしている現場を見てしまったあたしとしては、さっきのデートはつかの間の夢だったなぁ」

 桃子先輩の視線の先の彼女をたどると、彼女はにっこりと微笑んだ。

「白井先輩、いいんですよ。蒼さえよければいつでも、ねぇ?」

 彼女はぼくにも微笑んで見せた。

 怒っているのか?嫌味なのか?おしおきなのか?試されてるのか?

 いや、今は関係ない。

「ほんと?蒼くん、またデートしてくれるの?」

「ないです」

「えー?風原さんはいいって言ってんじゃーん!」

「すみません、ないです。ぼくは楽しませるデートとか器用なことできないので……」

「楽しませるとか別にいーよー!一緒にいるだけで幸せだもーん!」

「すみません……」

 幸せって、一方通行でも幸せって呼べるのかな。

 ぼくには分からない。

 一緒にいるだけで幸せという気持ちは分かる。

 でもそれはきっと、隣にお互いがいるから幸せを感じられるんだと思う。

 ぼくが深々と頭を下げると、桃子先輩はため息をついてぼくの肩をどんと押した。

「王子様が頭を下げるとか似合わないよ!まるでお姫様をぼくにください!って言われてる国王様な気分なんだけどー!ほらっ、顔上げてよー!」

「……はい」

「じゃあ約束通り、蒼くん返すね!」

 彼女が黙ってぼくの手を取ると、桃子先輩はまたため息をついてしょんぼりした。

「白井先輩、蒼がお世話になりました。蒼、行きましょう?」

「え……あぁ、うん」

 振り返ると、桃子先輩は俯いたまま小さく手を振っていた。

 左手に持っていたバッグの違和感に気付いたのは、彼女がいつもの左隣に着てからだった。

 彼女の定位置であるぼくの左手ではバッグは持たない。

 手を繋げないから。

 ぼくはバッグを右手に持ち替えると、彼女の指先にそっと触れた。

「蒼?」

 ぺしっとぼくの手を叩き、ゆっくりと彼女がこちらを見る。

「私に何か言うことはないの?」

「え……。あ、あの……」

 勢いで二人きりになれたと思ったら、急にいつもの彼女の姿になった。

 いや、それもそうだ。

 ぼくはここまでの経緯を何一つ話してないのだから。

「あのさ、話すと長いんだけど……」

「ないのね?」

「いや、あの……ごめん。何も相談なしにこんなことになって……」

「それだけ?」

 彼女は歩幅を大きくして、足を速めた。

 それに食いつくようにぼくが追いかける。

「それだけじゃないんだけどさ、とりあえず謝らせてくれないかな……」

「何を謝るの?」

「その……もも……白井先輩と帰ることになってさ、彼氏のふりしてほしいって言われて……だからその……」

「ふぅん。じゃあずっと彼氏のふりしてあげてたらよかったじゃない」

「違うよ!茜とぼくの関係をバラさない代わりに、あの男の人を追っ払うから彼氏のふりをしてほしいって頼まれたんだ。バラされたくなかったんだよ!茜が学校に居づらくなるのが嫌だったし……」

「あら、そう」

「そうだよ!だから嫌々引き受けたんだ。言う暇がなかっただけなんだ。だからごめん……」

「それなのに、あの状況で彼氏のふりをやめてしまったの?」

「そりゃそうだろ!茜が男の人に連れて行かれそうになってるのに彼氏のふりしてられるかよ!」

「あら、そう」

「あらそう、じゃないだろ?だいたい茜だって何であんな人にほいほい引っかかってるんだよ!ぼくは茜を守るために彼氏のふりを引き受けたのにさ、それを見たからって仕返しか?浮気されたらし返すのか?」

「あらまぁ……逆ギレというやつね」

 ぴたりと彼女は足を止めて、勢い付いたぼくもあわてて振り返る。

 逆ギレと言われても仕方ないけれど、ぼくには理由があるのに彼女には理由がないことに腹が立った。

 むすっとしたぼくの顔を彼女は黙って見ていたけれど、しばらくして急に拭き出して笑った。

「な、何笑ってんだよ!」

「ごめんなさい。初めてあなたのことをかっこいいと感じてしまって……。ふふっ、思い出してもきゅんとなるわ」

「え……?」

 思い出し笑いが止まらないといったように、彼女は顔を逸らして笑っていた。

 きょとんとするぼくをちらりと見ては、また笑う。

「ぼくの彼女だなんて、あなたが人前であんなにびしっと言うとは思わなかったのよ。嬉しかったし、初めてかっこいいと思ってしまったわ」

「恥ずかしいから思い出させるなよ……。あんな状況ならぼくだって言うよ!」

 やっと笑いが収まってきたのか、息を整えるとぼくの手を握って引き寄せた。

「怒らないで?」

「……だってさ、そんなに笑うことないだろ」

「そうではなくて、私が全部知っていたということ、怒らないで?」

「……は?」

「白井先輩からお手紙を……折り紙なのだけれど、今朝頂いていたの。あなたとの関係をバラさない代わりに、彼氏のふりをしてほしいから貸してもらいたい、私に男の人について行くふりをしてほしい、とね」

「……し、知ってたのか?全部?」

「全部、だと思うけれど……あなたが全部知らないとは知らなかったわ。だからあんなに真剣に私を引き止めてくれたのね?」

 全く飲み込めない……というよりも、飲み込みたくない!

 知らなかったのはぼくだけなのか?

 彼女はわざと男の人にたぶらかされて、それをぼくが引き止めて、これって全部仕組まれてたのか?

「勘違いしないでね?あの人に連れて行かれそうになったら、私は彼が好きなんですってあなたのもとへ行くという流れになるはずだったのよ?白井先輩は私に、あの人について行かないようにと指示していたのだけれど、まさかあなたがあんなに人前で……」

 言いかけて彼女はまた笑い出した。

 握られた手がわなわなと震える。

「な、なんなんだよもー!」

 結局、ぼくが恥ずかしい思いをして終わった。

 彼女との関係の危機さえ感じていたのに、


 女の子って恐ろしい……。

 他人を簡単に騙せるのだから。

 いや、ぼくだって騙す側を頼まれたわけだけど、嘘をつかなければならないところで上手く振る舞えるのは天才的だ。

 騙されたような、安心したような、微妙な気分なんだけど……。

 でも、彼女も桃子先輩も上手く騙せたことにご満悦みたいだから、上手く騙されることも大事なのか?

 感情的になって「ぼくの彼女だ!」なんて言って恥ずかしすぎる……。

 ぼくの複雑な顔を見ては吹き出している彼女、嬉しそうだから……まぁいいか。

 たった一枚の折り紙から始まった長い一日は、彼女の嬉しそうな笑顔で終わった。

 でも、もう勘弁してくれー!

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