不幸の折り紙 2
浮かない顔のぼくを悟っているかのような表情で、彼女は優しく微笑んだ。
「そんな顔をしていたら、王子様が台無しよ?」
「あぁ……うん」
彼女の目を見れなくて通り過ぎようとしたぼくに、彼女が囁いた。
「言いたくなかったら言わなくてもいいのよ?でも、もしあなたが私に話したくなったら聞かせてちょうだい」
「分かった……」
ぽつりとつぶやいて、なるべく会話をしていないように通り過ぎた。
すぐ顔に出てしまうぼくのことなんて、何かあったんだろうと彼女には手に取るように分かってしまうんだろうけど、さすがに内容までは分からないだろうな。
怒らせるか、傷つけるか、どっちもなのかもしれないけれど。
あのプードルみたいな先輩に渡された水色の折り紙には、携帯番号と「白井桃子」と名前が書いてあった。
白井桃子……はくとうってあだ名だと言っていたけれど、字で見ると本当に白桃だ。
明るくてかわいい人だったな。
弱みを握っている口止め料に「彼氏役やって」なんて交換条件を出さなければ、もっといい人なんだろうけど。
まぁでも、町コン行ってイケメン大学生に「デートしてください」って言っておきながら、付きまとわれてキモいとか言ってる時点で軽い人なんだろうなとは思う。
ぼくが一番苦手なタイプだ。
嫉妬深くて何考えてるか分からないけど、ぼくは彼女の真っ直ぐで一途なところが好きだから……。
改めて考えると恥ずかしいけれど、そう考えれば考えるほど、彼女の気持ちを踏みにじるようなことはしたくないし、ぼくだってその期待に応えたい。
でもなぁ……。
やっぱり、彼女にちゃんと話しておいたほうがいいよな。
返ってくる言葉は想像つくけれど、黙っておくわけにはいかない。
午後の授業は、いつどうやって何から話せばいいのかを考えていた。
「レンタル彼氏してくるよ」……どなたでもお気軽にどうぞみたいだから、違うな。
「ちょっとデートしてくるよ」……単なる浮気者だな。
「何もしないからさぁ」……こういうやつほど信用ならないな。
ちょっと待てよ?彼氏のふりって、デートって、手繋いだり?腕くんだり?肩抱いたりするのか?
いちゃいちゃってどうやるんだ?
男女の恋人って……何するんだ?
わ、分からない!
ものによってはお怒りだけじゃすまないぞ!
おしおきどころか「そのまま付き合ってしまえばいいじゃない」とか言われて、一生口聞いてくれないかもしれないじゃないか!
ますます何て言おうか分からなくなってきた……。
やっぱり、プードル先輩に断って、別の交換条件で口止めしてもらうしかないか。
放課後、ぼくは彼女に『遅くなるから先に帰ってて』とメールをし、水色の折り紙を取り出した。
話すにしても、あまり誰にも見られない場所に来てもらうしかないけど、どこならいいだろうか。
校内で人気のない場所といえば、ぼくの昼寝スポットがいくつか思い浮かんだ。
ぼくは屋上へと続く階段の踊り場に向かい、そこからプードル先輩に電話をかけた。
『はいはーい!』
「あ、白井先輩ですか?成海です」
『やーん!ダーリン?ちゃんと呼んでよー!照れ屋さんなんだからぁー』
めんどくさいからここはスルーで。
「今、時間ありますか?屋上の手前の階段にいるんですけど、来てもらえませんか?」
『屋上の階段?あぁ、うん分かった!一人で行くね!』
そりゃそうだろ。
「じゃあ待ってますんで」
『はいはーい!じゃーね!』
ぼくとは裏腹でテンション高いな。
電話を切ると、未読メールのランプが点滅していた。
彼女からだろうけど……恐る恐る中を見ると『分かったわ。気をつけて帰ってね』。
確かにいろいろ気をつけなきゃいけないけどさ……。
『茜もね。後で電話するよ』と返信をし、ぼくは階段の踊り場でずるずると腰かけた。
「あっおいくぅーん!おっ待たせ!」
「あ、プード……桃子先輩。早かったですね。呼び出してすみませんでした」
危ない危ない!プードル先輩と言いそうになってしまったじゃないか。
でも、いつかうっかり言ってしまいそうだからちゃんと呼ばなきゃな。
「ダーリンが待ってるのに急がないわけないでしょー!こんな穴場、よく見つけたね?ほんと人気ないわぁ。ダーリンは告られる時にここに呼び出されてたとか?」
蒼くんの次はダーリンで定着してるし……。
「いや、昼寝するのにちょうどいいんです。静かだし人も来ないし」
「あらまぁ!授業サボり魔だと噂に聞いていたけど、ほんとにサボってんのね!ダメな子だなー」
余計なこと言ったかな。
本題に入ろう。
「さっきの話なんですけど、ぼくなりに考えて……」
「うんうん」
桃子先輩はぼくを覗き込むようにして一つ上の階段に座った。
そこからだとパンツ見えそうなんだが……まぁいいか、興味ないし。
「言いにくいんですけど、別のお願いにしてもらえませんか?もちろん、口止めしてくれる桃子先輩にはちゃんと恩を返すつもりはあります」
「うーん……」
桃子先輩は、少しムッとした表情でぼくを見続けた。
「別のお願いねぇ……。あたしも蒼くんを困らせたいつもりで提案してるわけじゃないから、蒼くんが嫌がるようなことはしたくはないよ?ネタバレすると、口止めってゆーのは口実で、どっちかってゆーとキモ男の排除ついでに蒼くんとデートできたらいいなぁってのが目的なんだ」
「……じゃあ」
「でもさぁ!あんな幸せそうな風原さんを見たら、あたしもやっぱ蒼くんとデートしたくなっちゃって、ちょっとだけ幸せをおすそ分けしてほしいわけよ!分かるー?」
ぼくは彼女以外の人を好きになったことがないから、羨ましいという気持ちが正直分からない。
その人にしかない幸せの形というものがあるんじゃないかと思っていた。
傍から見て彼女がそんなに幸せそうに見えるのは、ぼくにとって嬉しいことだけれど。
彼女との関係をバラされて、彼女が学校に居づらくなるよりは、たった一日の先輩のお願いを聞いてあげるのが、今後の彼女の幸せに繋がるのかもしれない。
「分かりました」
「ほんと?ありがとー!やったー!」
「その代わり、約束は守ってください」
「うん、分かってる!じゃあ一緒に帰ろ!」
「え……」
「どうせ家近いんだし、キモ男はうちの近くをうろうろしてるから、そのほうが手っ取り早くない?」
彼女に先に帰っててと言っておきながら、他の人と帰るのは後ろめたいけど……これがうまくいけば解放されるんだから仕方ないか。
ごめん、茜……。
「分かりました」
「よぉーっし!」
「えっ、あの……先輩?」
いきなり腕に絡みついてくる桃子先輩にたじろいでいると、先輩は満足気な顔でにんまりと笑った。
「だめぇ?」
「せめて学校出てからにしてください……。学校の人たちにごたごた言われるの、好きじゃないんで」
「あー、そうだよね!これじゃあ風原さんとのことを隠してる意味が……」
「こ、声大きいですよ!しーっ!」
ぼくがあわてているのを見て、一度放した腕にまたもたれてきた。
「だーれもいないってー!ねっ?」
「だ、だから……先輩!学校ではくっつかないでくださいってばっ」
「いやーん!怒られたー!」
怒られて喜んでるし……。
桃子先輩は階段を足軽に降りて行き、「校門にいるねー!」と手を振って消えて行った。
ぼくはふぅっとため息を吐いたが、まだ何も始まっていなかったんだと思い直し、先の見えない重圧に愕然となった。
彼女には後で電話すると言っておいたけれど、桃子先輩と帰るとなると、家に着くまで電話をかけられないということに気付いた。
受けてしまった以上はどうにもならないけれど、心配かけたくないしな……。
でも、このままだと事後報告になってしまうから、絶対に過ちのないようにしないと!
そして桃子先輩にも釘を打っておかないと。
今のぼくにはため息をつくことしかできない。
バッグをしょって学校を出ると、まだちらほらと生徒がいるにも関わらず、桃子先輩が嬉しそうに大きく手を振ってきた。
校門でね、とは言ったけれど、堂々と「一緒に帰ります!」アピールをされると、この案件は本末転倒なんだけど……。
視線が突き刺さるけれど、ぼくはなるべく気付いていないふりをしながら素通りした。
「やーぁっと来たぁ!遅いよ、もー!」
「……すみません」
そういえば朝も先生に遅いって怒られたっけな。
校門を出るな否や腕をがっしりつかまれて、たじたじするぼくとるんるんの桃子先輩。
もう、なるべく誰の目にも触れたくなくて、ずっと下を向いて歩いた。
「蒼くーん?恥ずかしいのー?照れてるとこも素敵だけどっ!」
照れてるっていうか……まぁ全く照れていないというわけでもないけれど、どうしたらいいのか分からない。
問題なのは桃子先輩の家の近くなのに、なにも学校の近くからいちゃいちゃしてこなくても……。
ていうか、世の中の恋人同士って、公然でこんなに密着するものなのか?
み、右手が重いんだけど……。
ぼくはいつも右手でバッグをしょっているから、つい癖で右手にバッグと桃子先輩をダブらせていたけれど、何か違和感があるなとも思いつつ、バッグを左手に持ち替えた。
「蒼くーん、あっちの道から帰らない?遠回りだけどコンビニとかあるから、肉まんとか食べながらハスハスしよーよー!」
「あー、はい……」
確かに遠回りだけど、ぼくはあえていつもその道を選んで帰っている。
彼女と落ち合うために……。
「え、コンビニ?いや、ち、違う道から帰りましょう!」
「えー?何でー?ゆっくりしゃべれるじゃーん?」
そういう問題ではない!
彼女との帰り道を、他の人と歩きたくなかったんだ。
「いいじゃーん!おでんでもいいよー?おごるからさー!」
半ば引きずられるようにしぶしぶ歩くと、桃子先輩もさすがにご機嫌を損ねてきたようで、ぴたりと足を止めた。
「あたしといて楽しくないの?」
「……いえ」
「せっかく一緒にいるんだから、一緒にいる時くらいは楽しもうよー!」
確かにそれはそうなんだけど……。
ぼくもいつも思う。
彼女のご機嫌を損ねた時、一緒にいる時くらい笑っててほしいのになぁって。
笑ってて……?笑っていられないのはぼくのせいだ……。
一緒にいるのに彼女のご機嫌を損なうようなことをしてるのはぼくだった。
ぼくは誰にでもそうなのか?
そんなんじゃ彼女一人笑顔に出来ないじゃないか!
「桃子先輩、ぼく何か買ってきますけど、何がいいですか?」
「えー?いいよー!じゃあ一緒に行こっ!」
桃子先輩は笑顔を取り戻してくれた。
ぼくの些細な態度で不愉快にさせてしまって申し訳ないな。
彼女もこうやっていつもぼくにしびれをきらしているんだろうか。
「蒼くんは、おでん何が好きー?」
「えーっと……がんもどきかなぁ。ちくわも捨てがたいです」
「ちくわー?ちくわぶじゃなくてー?」
「え?ちくわおいしいですよ?じゃあ桃子先輩は何が好きなんですか?」
「あたしー?あたしはねー……蒼くんかな?」
「あは……ははは」
言われると思ったけど聞いてしまった自分を悔いる。
でも、桃子先輩は嬉しそうにはしゃいでいるから、まぁいいか。
それにしても声が大きいから目立つんじゃないかとハラハラする……。
さっきからすんごいこっち見てる人いるし……。
「……」
視線の相手は、彼女だった。
遅くなるって言ったのに、こんな時間まで待っててくれたんだ。
いや、違う!そうじゃなくて……。
「ねー、蒼くん!あたしのほっぺ触ってみてー?はんぺんみたいでしょー?」
「ちょっ……先輩!」
「なーにー!ちゃんと桃子って呼んでよー!ダーリンっ」
やめてくれっ!彼女の見ている前で……。
そうじゃない!いくら見ているところじゃなくても、こんなのだめだ!
こんなに彼女が近くにいるのに、とても距離がある気がした。
桃子先輩は気付かずにはしゃいでいるけれど、ぼくは彼女から目が離せなかった。
「……」
怒るわけでもなく、悲しむわけでもなく、彼女は視線を逸らして歩き出した。
いっそ攻めてくれれば楽なのに……。




