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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
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潮風の音 2

 夏は過ぎたというのに、浜辺には日差しが強く降り注いでいた。それでも秋を思わせるような風が吹いていて、それなりに心地よい。


 海に行きたいのと言われ、最初は何を言い出すのかと目を丸くしたが、遠くへ行きたいという彼女の気持ちが、少し分かったような気がする。


 ぼくがあげたワンピース、ずっと大事にしまってたんだな。誕生日から三ヶ月くらいぶりに日を浴びた若草色が、春でもないのに嬉しそうになびいている。五月生まれの君にぴったりな色だ。


「蒼も靴脱いだら?」


「茜みたいにサンダルならな」


「いいじゃない。ご愛用のスニーカーが砂まみれよ?」


 「想定内だよ。浜辺なんだし」


 波の音にかき消されているのか、はしゃいでいて聞こえないのか、彼女はスカートをぱたぱたなびかせながら浅瀬に入って行く。


「足下、気をつけろよ?」


 子供のように波に沿って歩いている、そんな無邪気なところもあるんだなと、普段見れない彼女の一面になんとなくほっとした。


 対外ぼくをからかっている時が一番楽しそうだが、それ以外にもとびきりの笑顔を見たことがある。それは、彼女の誕生日にプレゼントをあげた瞬間。見開いた目を潤ませながら……いや、あれは笑っていたのか泣いていたのか……両方だったかな。


 何で海に、しかも今更そのワンピース着て来るんだよと何度も突っ込もうと思ったが、彼女なりのメッセージなんだろうな。毒舌を吐いたり、恥ずかしいことを堂々と言ったり、何考えてんだか分からないところはたくさんあるが、自分に正直な純粋な女の子なのは確かだ。


 ぼくはそんなことを考えながら、なんとなく岩場に腰掛けた。


「あーおーいーぃ?」


 風に泳ぐ髪を押さえながら、かすかにぼくを呼んでいるが、波の音にかき消されていく。波と風が彼女の声をさらい、「ア・オ・イ」と口を動かしている姿だけを目視していた。そんなに遠くで呼んだって、ぼくには聞こえないのに……。


「……ったく、仕方ないな」


 くつろいでいた岩場から立ち上がり、彼女のほうへ行こうとした瞬間、岩から足を踏み外してしまい、ぼくはとっさに手をついた。


「痛……っ」


 手をついたが幸い、無傷ですんだが、岩場で転ぶなんて、一歩間違えれば大ケガだったな。改めて立ち上がり、砂だらけになった服をぱたぱたとはたいた。気を取り直して彼女のほうへ目をやると、サンダルを片手にこちらへ走っている。


「茜っ! 危ないから走るなよっ!」


 岩場で足を踏み外したぼくを見て、急いでいるに違いないが、波打ち際を走っている彼女こそ危なっかしい。思った矢先に言わんこっちゃないとばかりに、彼女は思いっきり転びそうになった。


「あかねっ!」


 急いで駆け寄ると彼女はゆっくりと立ち上がり、波のほうへと歩いて行った。ぎゅっぎゅっと重たい砂を踏みしめ、やっと彼女に手が届いた。


「茜っ! 大丈夫か?」


 呼びかけるぼくを背に、波のほうへずるずると歩いて行く彼女の腕を引き寄せ、必死で動きを止めた。


「放して……」


「大丈夫かっ? 怪我はっ?」


「大丈夫……。でも……」


 彼女は打ち寄せる波を見つめ、じっと固まっている。


「サンダル……」


「サンダルっ?」


 転びそうになったはずみに片方落としたのか、もう片方をギュッと握りしめて波打ち際をみつめていた。


「そこで待ってろ」


 裸足にならなかったことも、岩場で砂をはたいたことも忘れ、ぼくはなりふり構わず海へ入っていた。水を含んだスニーカーがずぶずぶと重たく沈んでいくが、ぼくはその浅い海に潜り、必死でサンダルを探した。


 日中とはいえ、水は冷たくぼくを覆う。波が押し寄せる度に足が引っ張られていくが、そう遠くへは流されていないはず、そう思いながら砂をかき分けていくとそこに埋もれているサンダルを見つけ、息が限界に達したところであわてて海面に顔を上げて、はぁ…と大きく呼吸をした。


 見つけた安心感と息苦しさと疲れとで、しばらく小刻みだった呼吸を整え、水で重たくなった服や靴をまといながらざばざばと浜辺に戻っていった。


「茜……、あったよ……」


 前髪の滴がぽたぽたと落ちていき、ぼくの視界を遮るが、かき揚げた髪の間から見えた彼女は唇を噛みしめ、今にも泣き出しそうだった。


「ほら……」


 ぼくは拾った片方のサンダルを下に置き、しゃがんで泥だらけの足の前に差し出したが、彼女はぴくりとも動こうとしない。心配になって彼女の顔を見上げると、ぼくの頭をぽんっと叩いて口を開いた。


「びしょぬれじゃない。かっこ悪い王子様ね」


 そう言って涙を流しながら笑った。


「お姫様のためならかっこ悪くても何でもするよ」


 前髪の滴と同時に、彼女の涙もぽたぽたとぼくの頬を滑っていく。でも、その涙は冷たい滴とは違って、生暖かかった。


「涙は似合わないですよ、姫様」


「お姫様じゃないもの」


「じゃあ、片方なくしたシンデレラかな?」


 冗談を言って笑いながら立ち上がると、彼女はぼくをぐいっと抱き寄せ、ずぶ濡れのぼくを暖めてくれるかのように、何度も何度もぎゅっとしめつけた。


「苦しいって……。茜まで服濡れちゃうよ」


「馬鹿ね、いいのよ」


「おいおい、ガラスの靴を拾った王子様にバカはないだろ」


「あなたは王子様なんかじゃないもの」


「……はいはい」


 ぼくは彼女の背中に手を回し、頭をぽんぽんと叩き、そしてたくさん撫でた。



 落ち着きを取り戻した泥だらけのぼくらは、冷たい海にもう一度入り、泥を流して近くの民宿にたどり着いた。


 気を効かせてくれたおかみさんにタオルをもらい、玄関で粗方拭いてから部屋に案内されると、そこには浴衣も用意されていたので、先に彼女をシャワーに入れようとバスタオルを差し出した。


「お先にどうぞ、お嬢様」


「お嬢様の体は、じいやが洗ってくれるわよね?」


「……ぼく?」


 先に入ってるからよろしくねと捨て台詞を吐いて、さっさとシャワールームに入っていったが……。


 ぼくに洗えと……? 少し考えたが、これは彼女の罠かもしれない? いや、愛を確かめてるとか? でも、冷えたぼくを早くシャワーに入れようという優しさかも?


 いや、まてよ……とあれこれしているうちにシャワールームから彼女の声が響く。


「まだかしらー?」


 またからかっているのか? そんな勘ぐりばかりしているうちに、シャワーの蛇口をきゅっと閉める音が聞こえて、あわてて我に返る。


「あ、上がるか? バスタオル取ってくるよ」


 浴衣の横にきちんと折り畳まれたバスタオルを持ってドアをノックした。


「はい、お嬢様。バスタオルでございます」


 シャワーのぽたぽたという音を背に、ぴたぴたと濡れた足音がしてドアが開いていく。


「ありがとう、じいや」


 ドアの隙間から彼女の白い手が出たかと思うと、一瞬にしてぼくをシャワールームに引きずり込んだ。


「お、おいっ!」


「なあに?」


 にっこりと振り返った彼女は泡立てられたタオルをぼくに手渡し、また背中を向けた。透き通った白い肌、見慣れてないわけじゃないが、心臓の鼓動が増していく。


「御意……」


 彼女のボディラインをそっと滑らせるように洗い、なるべく何も考えないようにする。黙って背中を向けている姿は、何を言い出すか想像できないからだ。きっとぼくをからかい出すに違いない。


「ごめんなさい……」


「え?」


 背中が震えたかと思うと、彼女は急に泣き出して言った。


「こんなはずじゃなかったのに……こんなことになると思わなくて……」


 震える体をシャワーで暖めながら、ぼくは最後まで彼女の話を聞いた。


「馬鹿は私よ。馬鹿みたい……。サンダルを探しに行ってくれたあなたに馬鹿だなんて言ってしまったのに、素直に謝れなくて……ありがとうって言えなくて……。あなたがくれたワンピースも汚しちゃって……」


「……うん。でも、もういいよ。茜に怪我がなくて。それに……」


 シャワーカーテンに干されてある、綺麗に洗い上がったワンピース。


「乾くといいな、明日には」


 「蒼……」


 振り返った彼女はまたもぼくをぎゅっと抱きしめる。


「ここにいますよ、お嬢様の側に」


 でも今度は抱きしめ返さずに彼女を突き放した。


「服が冷たくて寒いんだよ。……一緒に入っていいかな?」


 彼女は少し驚いたようだったが、すぐにうなずいてくれた。


「今日はずっと一緒だものね」


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