怒ってる!
ぺしっ!
「い……ってぇ……」
春の日差しが柔らかい昼休み、ぼくは今日の昼寝の場所を探して音楽室にたどり着いた。
音楽室は本校舎とは少し離れているから人気もあまりないし、なにより防音が効いているから静かでいい。
校庭で体育の授業があろうが、部活の掛け声がデカかろうが、ほぼ聞こえないに等しい。
そんな快適な教室の片隅にイスを並べて横たわって昼寝をしていた。
日なたが暖かくて寝付くのには時間がかからない。
うとうとどころか爆睡していたぼくの頭に彼女の平手打ちが炸裂する。
「……いってぇなぁ、なんだよいきなり……」
「こんなところで寝ていたのね」
「起こすならもうちょっと優しくしてほしいんだけど……」
「あら、私はいつも優しいけれど?」
「その威力が優しいレベルなら、かなり手加減してよ……はぁ」
まだ微睡んでいて起き上がれないぼくの顔を不機嫌そうに見下ろす彼女。
ぼく、何かしただろうか……?
「あの……茜?なんか機嫌悪そうだけど……なにかあった……?」
おずおずとぼくが尋ねると、しばらく彼女の沈黙が続く。
「あ……昼休み、あと何分?茜そろそろ戻らなきゃじゃないか?」
「授業ならとっくに終わってるわよ」
「え?そんな時間?かなり寝ちゃってたか……ははっ」
「今日は午後の授業ないの、知らなかったの?」
「え?あ、うん、知らなかった……は、ははは」
な、なんで怒ってるのか分からないんだけど、あからさまに不服といった表情で見下ろしている。
とりあえず起き上がって彼女を見つめると、彼女は呆れたようにため息をついた。
「私になにか隠し事してない?」
「隠し事?いや……してないけど」
「してないのね?」
「……うん、してないよ」
「今の間はなあに?」
「いや、だってそんなに突き詰めて聞かれるとなんかあったっけなと思って……。でもなにもないよ」
「……そう」
彼女は立ち上がって教室を出ようとしたが、ドアの前で振り返ってぼくを見た。
「帰らないの?」
「え、あぁ帰る帰る。バッグ取ってくるから先に帰ってていいよ」
ぼくはベッド代わりに並べていたイスをいそいそと元に戻して音楽室をあとにした。
先に出た彼女が廊下の奥に見えたけど、足取りがいかにもせかせかしている。
ぼくは彼女がなんで怒っているのかを必死で考えながら自分のバッグを取りに教室へ戻った。
本当に午後の授業はなかったらしく、クラスメイトもほとんど残っていなかった。
「成海蒼って……」
ふと名前を呼ばれた気がしたので振り返ると、クラスの女の子たちがあわてて目をそらした。
え、なに?なんか噂話されてるみたいだけど、悪そうな話題っぽい空気……。
いくら鈍感なぼくでも、明らかにそんな空気だと分かった。
授業さぼって抜け出したりしてても先生もみんなも別になにも言わないし、学校内でなるべく目立たないようにしているのに、なんだろうこの感じ……。
でも、なるべく自分の悪い噂なんて聞きたくないから、バッグをしょってそっと教室を出た。
教室のドアを閉めると、さっきの女の子たちが中でまたひそひそと話していたけど、なにを言われようが噂話なんて出所も分からないし、こういう学校内では超高速で伝わっていくからいちいち否定も肯定もできない。
めんどくさいことになってるなと思いながら下駄箱にたどり着くと、それまできゃっきゃと話していた後輩の女の子たちもぼくを見て固まっている。
あえて気付かないふりをしているけど、内心とても不愉快だ。
まぁ、だいたい噂なんて不確かなことが多いし、時間が経ったらすぐ忘れてしまうもんだ。
そう言い聞かせてさっさと学校を出ようとすると、一人の後輩が近づいてきた。
さっき硬直していた女の子たちの中の一人、他の子たちはそれを必死に止めようとしているようだ。
めんどくさいのは嫌いだけど、彼女の怒っている原因となにか関係があるかもしれない、そう思って近づこうとしている後輩に声をかけてみた。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど……」
「せ、先輩!あたしたちも聞きたいことがあるんですけど……いいですか!」
「え……?いいけど、なに?」
なにかを聞こうとしている子を、他の子たちが食い止めようとごたごたしている。
そんなに聞きにくいことなのか?
「あの、ぼくなんか噂話されてる?」
「あっ、いえ!噂っていうか……」
「なに?言いたくないなら別にいいんだけど……」
「いえ、あ、その……成海先輩の恋人って……ていうかあの人と付き合ってるんですか?」
「……え?」
あの人って茜のことだよな?
でも学校では伏せているし、目立って仲いい素振りもしていないつもりなんだけど……どこでバレたんだろう……。
でも、どっちみちバレるとまずい!ぼくはともかく、茜がそういう目で見られては困るし……。
ここは絶対否定するべきだけど、なにか証拠があっての話なら、全否定しても説得力がない。
証拠……?
早く回答しなければならないのに、証拠になるようなことが思い浮かばないから否定のしようがない。
「そ、そうなんですか!」
「……え?いや、違う……と、思う……」
なにかとてつもなく挙動不審な言葉を発してしまった気がする……。
「違うんですか!その……あたしたち、見ちゃったんですけど……」
え?なにを……。
ぼくの脳裏にはもはやバレたらまずいことばかりしか思いつかなかった。
絶対に学校の人たちに出くわさないであろうところで手を繋いだり、デートでキスしたり……、それを見られてたとか?
いや、もしかしてぼくの部屋でいろいろしてることがバレてるとか!
でも、なにを観たのかなんて聞けない……!
茜はバレたことで怒ってたのか……。
それにしても、なにを見たのか気になる。
観られたくないとこを見られたからバレたんだろうけど……そりゃ怒るよな。
「付き合ってないってことですか?じゃあ……」
ぼくの挙動不審ごにょごにょ発言にも関わらず、付き合ってないって方向にとらえてくれてるならいいんだけど、なにを見られたのかによっては人格を疑われることもある。
恋人でもない人とそんなことするんですか?って展開にもなりかねないし……。
いやいや、そこら辺でだいたんなことしてるわけじゃないから心配しすぎかもしれないけど……彼女が怒るようなことを見られてるってことだよな。
「すいません、それだけです!じゃあ、失礼しますっ!」
「え?あ……うん。じゃあね」
女の子たちはそそくさと退散してしまったけど、いったいなんだったんだろうというもやもやだけが残ってしまった。
彼女を先に帰してしまったから早く追いつかなくてはいけないけど、見られたことがなんなのか、怒ってることに対して謝ればいいのか分からない……。
でも、これ以上怒らせるわけにはいかないから、とりあえず追いかけなければ!
帰り道、いつもならなんとなく落ち合う場所があるけど、それを何回か目撃されてたのなら疑われるかもしれない。
い、一応女同士だってことは前提で妄想されてるんだよな?
単に仲いい友達とかって思わないのか?
それともあからさまにいちゃいちゃラブラブに見えたのか?
あえて学校では中良さそうにしてないっていうのがぎこちなくて逆に怪しまれてたのか?
考えてみたらいろいろでてくるけど、全部考えすぎ賀茂しれないし、全部ひっくるめての話かもしれないし、結局正解は分からない。
「蒼」
「わっ!」
考えごとしすぎて彼女の気配に気付かなかった。
「ごめん、ちょっと考えごとしてて気付かなかったから……」
「そう……。どんなことを考えていたの?」
「あー……うーん……」
「言うつもりないのね?」
「え、いやぁ……そういうわけじゃないんだけど……その……なんて言ったらいいのか分かんなくてさ……」
「そう、じゃあ別に言わなくてもいいわ」
「え……?あの……謝ったほうがいい……んだよね?」
「どうなのかしら。私には分からないけど」
怒ってる……!明らかにさっきより怒ってる。
「なんでバレたのか分かんないんだけどさ、見られちゃったみたいだから……ぼくが悪い……よね?」
「……見られてはまずいことをしていたのなら謝るべきじゃない?」
「……はい。ごめんなさい……」
「じゃあ、悪いことをしていたと認めるのね?」
「うん、でも……ぼくだけが悪いのか?茜だってさ……」
「私はやましいことなんてなにもないわ。あなたと一緒にしないでよ」
「いや、だって……なんでバレたのか知らないけどさ、茜と一緒にいるとこを見られたってことだろ?なんでぼくだけ悪いんだよ。やましいって表現もぼくにはあてはまらないよ、別に浮気してるわけでもあるまいし……」
ぼくの口調が強くなったせいか、彼女の目が鋭く突き刺さった。
「浮気じゃないって言いたいの?」
「え?」
「あなたが浮気じゃないと言い張るならそれでもいいけど?」
「なに?ほんとに浮気なんかしてないよ!」
「そう……。隠し通すつもりならせめて私の耳に入らないように隠しきってくれる?それこそ墓場まで持って行ってもらいたいわ」
なんかすんごい剣幕なんだけど、墓場までとか怖すぎる……。
「茜さぁ、なんか勘違いしてないか?ぼくのなにを聞いたのか知らないけど、ぼくは浮気なんかしてないし、隠しごともしてない。
隠してるのは茜と付き合ってることだけだよ。でもそれは茜のためにバラしてないんだぞ?ぼくは別に誰になにを言われようが構わない。堂々と茜と付き合ってるって言えるよ!全部茜のためなのに……それでもぼくが悪いって言えるのか?」
「……」
彼女は固まってしまった。
そして少し寂しそうな表情にも見える……。
「私のことをそれだけ思ってくれてるのに、どうして他の子とデートしたの?そんなの全然説得力ないわ」
「……デート?」
「噂になってるわよ。あなたが先輩とデートしてたって」
「先輩?誰?ぼくはデートなんかしてないよ!」
「証拠の画像だって見たわよ。携帯の待ち受け画面にしてたわ」
「え?証拠の画像って茜じゃないの?」
「とぼけても無駄よ。ちゃんと見たもの」
とぼけるどころか全く身に覚えがないんだけど……。
でもこれ、ぼくが浮気して、デートして、嘘ついて、隠して、証拠があるのにとぼけてるって展開?
「じゃあ聞きたいんだけどさ、茜はぼくが浮気してるのに嘘ついてるって思ってるのか?ぼくがそんなやつにみえてるのか?」
「そう思いたくないから隠しごとがないかと聞いたんじゃない!私だって信じてたいけど画像観たらあなたがとても嬉しそうにしてたから……」
「あのさ、さっきから画像って言ってるけど、それ本当にぼくなのか?見間違いでしたとかだったら怒るぞ?」
「私があなたを見間違えるわけないでしょ!それにみんなだって認めてるもの」
「……浮気ねぇ、したかったらとっくにしてると思うけど……。その先輩って人が合成写真を待ち受けにしてたわけじゃないよな?」
「合成じゃないわ。背景に違和感は感じなかったもの。私はそれも疑って見たわよ!」
彼女がこんなに取り乱すことなんて珍しい。
いつもなら余裕でぼくを信じてくれるのに。
それこそ「あなたに浮気するような器用さはないわ」とか自信満々に言うくせに。
でも、ここはぼくが熱くなってしまったら治るものも治らない。
かといって浮気もデートもしてないし、なんて言ったら誤解が解けるんだろうか……。
どうやらみんなが噂してたのも、その先輩との画像が原因で、その人と付き合ってるのかという誤解みたいだし、そうなると茜と付き合ってるのはバレてないってことになるけど……。
「それ、どう見てもぼくがその人とデートしてるようにしか見えないんだよね?記憶にないからその画像見てみたいんだけど……」
「出回ってるから同級生に頼めば添付してもらえるわ。見たいの?」
「ぜひ見たい」
そう言うと彼女はバッグから携帯を取り出し、画像の添付を依頼していた。
しぶしぶというよりも、どうか間違いであってほしいと願ってくれてるように見える。
沈黙が痛い。
彼女は返事が来るまでぼくと目を合わせなかった。
ぼくもまた彼女を見続けることができずに、小さくため息をついてうなだれた。
「……これ」
返事が来るまでものすごく長い時間を過ごしたような気がした。
彼女が勢いよく差し出した携帯には、まさしくぼくの姿が映っている。
見覚えのある風景だけど……。
「ここ、私ともデートしたことがあるテーマパークよね?」
「あぁ、そうだね……。で、どの辺がデートで浮気なわけ?誰と?」
「着ぐるみのキャラクターを挟んで左にいる人、うちの先輩でしょ!あなた、とても嬉しそうにしてるのにこれでもしらばっくれるの?」
「あのさー……、ぼくの左は茜の特等席だろ?」
「そうよ!じゃあこの写真はどう説明してくれるの?テーマパークで着ぐるみと嬉しそうに記念写真を撮ってるのに、これは証拠ではないとでも言いたいの?」
「うーん、じゃあさ、これがデートの証拠写真だとして、これは誰が写したんだ?」
「それはだいたい誰かにお願いして撮ってもらうじゃない」
「うーん、じゃあさ、ぼくのこの服、覚えてる?」
「もちろんよ。私がこれを着て来てって言ったじゃない!」
「いつ?」
「このテーマパークに行った時に……」
彼女の様子が豹変した。
申し訳なさそうに、いや、厳密に言えば、自分の勘違いでぼくを攻め立てたことにぐうの音も出ないという感じだ。
その写真は、角度が違うから分からなかったのかもしれないけど、彼女がぼくとデートした時に写したものだった。
あまり写真を撮られるのを好まないぼくに、せっかく来たんだからと彼女が無理矢理撮ったのだから、ぼくは覚えている。
「で、この左の人が先輩なわけ?」
「そ、そう……。あなたと映ってるって出回ってて……」
「まぁ、確かに一緒に映ってるし、楽しそうに見えるよなぁ?」
「じゃ、じゃあ私と行った時に私が写したものと同じだってこと?」
「だから、その先輩の連れかなんかが写したんだろ?茜はその隣で撮ってたんじゃないのか?それともぼくを無理やり写しておいて、自分が撮った写真は覚えてないって言いたいのか?それはちょっとぼくがかわいそうじゃないのかなー……?」
「ご、ごめんなさい……」
「撮ったことに満足して見返してないんだな?あーっそ!着ぐるみと写真撮るなんて嫌だって言ったのに茜のお願いだから利いてやったんだけどなー?」
「だって……みんながデートだって騒いでたから……」
「しかもそれ、ずいぶん前だぞ?茜が忘れるくらいだから。なんかぼくすっごいかわいそうじゃない?今日ずっと茜に怒られて謝らせられて……」
「だから……ごめんなさい!」
「許さない!こんだけ疑われて証拠写真だとか突きつけられて、浮気だとか隠しごとだとかなんとか言ってさー!今日は絶対許さないからな!」
本当はすごくほっとしてる。
でも、疑ったおしおきに怒っているふりを続けておこう。
ぼくとのデートを忘れてたとはいえ、彼女の信頼を取り戻したのだから。
疑いも晴れたし、学校のみんなにも茜と付き合っていることがバレてなかったし。
「あの……蒼?どうしたら許してくれる?」
「えー?許さないったら許さない」
「怒ってるの?」
「怒ってるよ?」
「ごめんなさいって言っているのに……」
ちょっとかわいそうだけど、たまにはしおらしくしてもらおうかな。
怒ってるふりって難しいけど、いつもと立場が逆転してて気持ちいい!
いつもぼくがどうやって許してもらおうと考えているかを身をもって味わってくれたまえ。
こんな時くらいいじわるになってもいいよな?




