落っこちそうな雲の下 5
寒いのは苦手だけど、暖かいのにしんどいところにいるのも苦手だ。
だいたい、女の子が好きそうなところにぼくを連れていくこと自体がおかしい。
首を絞められて苦しくないはずがないのだから。
だけど、このまま彼女を置いて帰るわけにはいかないし、かといって女の子だらけでにぎわっている店内に入るのも、差し入れのケーキに対してどうしたら彼女のご機嫌をそらさずにいられるのかも微妙なあの空間に戻るのも藍と勇気と元気がいる。
どうしたもんかな……、体はどんどん冷えてくるし、距離を取ればとるほど気まずくなる。
せっかく彼女の念願の店に来たんだから、やっぱりぼくが気持ちを切り替えるべきなんだよな。
大きく深呼吸すると、冬の冷たい空気が体に入ってきて、余計に冷える。
軽く咳払いをして気持ちを整えて、店に戻ろうとしたそこに、さきほどの女の子たちが立っていた。
「せ、先輩!あの……」
「あぁ、さっきは差し入れありがとうね」
「い、いえっ!……嫌いじゃなかったですか?ミルフィーユ……」
「うん、好きだよ。これから頂くけど……」
「キャー!好きって言われちゃったー!やー!」
その好きじゃなくて……、ミルフィーユの話だよな?
「あ、だけどさ、気持ちは嬉しいんだけど……、その……、あんまり差し入れとかプレゼントとかは……」
「うざかったですか!キモかったですか?ごめんなさい!」
「いやぁ、そうじゃなくてさ、お返しに困るっていうか……」
「喜んでくれるだけでいいんです!でも、困らせてるならやめます!すみません……」
「困るって言うか……。気持ちだけでありがたいからさ」
「先輩が嬉しそうに笑ってくれるだけで嬉しいんで!でも、今度からは気をつけます!」
「あー……、うん。でも今日はありがとう。気を付けて帰りなね」
「は、はい!ありがとうございます!さよなら!」
「うん、ばいばい……」
ぎこちないけど、こんな笑顔でいいならわざわざ物をくれなくても……。
笑顔ねぇ……、もらってももらわなくても、嬉しい時は嬉しいし、そうじゃない時はすぐ顔にでちゃうからなぁ。
そういえば前にも後輩に、笑って手を振るファンサービスしてくれとか言われたけど……、それがないから物で釣ろうとされてんのかな?
だったらぼくがいつも暗い表情してるってことか。
彼女もそう思っているんだろうか。
楽しそうにとか嬉しそうにって、作るものではないけど、少しは必要なのかな。
後輩たちが駅に消えていくのを見届けて、今度こそ店内に戻った。
相変わらずにぎわっているけれど、ぼくが空けた席にはぽつりと彼女が座っていた。
やっぱり席を立ったこと、怒ってるかな……。
「茜、……ただいま」
「おかえりなさい」
意外にも、何事もなかったかのような笑顔で答えてくれた。
作り笑顔なんかじゃなくて、ちゃんと嬉しさが伝わってくる。
「ごめん、……うまく言えなくて」
「いいのよ。座って?」
「あぁ、うん」
ぼくがもといた席に座ると、そこにはもうぼくのカップがなかった。
いなくなったからさげられたのだろうか。
でも、飲んでないに等しい量が残っているカップを片付けるかなと不思議に思った。
「ねぇ、ぼくのカップ……」
「ちょっと待ってね」
そう言うと、彼女は店員さんをつかまえて何やら話している。
「冷めてしまったからさげて頂いたのよ」
「あぁ、そう……だよな」
「新しいものを注文したから、少し待ちましょ?」
見ると彼女のカップはさげられておらず、まだ半分ほど入っている。
ケーキはというと、ベイクドチーズもミルフィーユもそのまま置いてあった。
「……食べててよかったのに」
「私にひとりで食べていろと言うの?そんなことできるわけがないじゃない」
やっぱり怒ってる……。
そりゃそうだよな。
彼女が楽しみにしていたことを台無しにしてしまったんだから。
「ごめん。……なんて謝ったらいいか分かんないや」
「……」
彼女は黙ってぼくを見つめていた。
謝る言葉も出てこないし、メモ合わせられないぼくは、ひたすら彼女からなにか切り出してくれないかと待つしかなかった。
「お待たせ致しました」
見ると店員がぼくの前に新しいカップを置いていた。
それも、さっきとは違う香りの飲み物。
「頼んで……くれたの?」
「えぇ、こっちのほうがケーキにあうと思うわ。……さすがに緑茶はなかったけれどね」
ほやほやと湯気を出しているカップからは、先程の甘い香りとは違って、さわやかな香りがした。
「これ……、紅茶?」
「ハーブティーよ。あなたがケーキの時はお茶がいいって言ってたから、甘くないものを頼んだの」
「……でも、いくら冷めたからってさっきのをさげてもらったのはもったいなかったから、あれでよかったのに」
「あれは私が頂いたから、もったいなくはないでしょう?」
だからコーヒーが半分も残っているのか……。
それにしても彼女のコーヒーは冷めてしまっている。
「茜も暖かいのを頼み直したら?」
「私はいいわ、冷めてもおいしいもの。それにあなたの分を飲んでしまったから、もうそんなに飲めないわ」
ぼくがいない間、冷めてしまった分を代わりに飲んでくれて、暖かいものを注文し直してくれたなんて……。
それも、さっきぼくが緑茶だなんて言ったから、甘くないものにしてくれたんだ……。
ようやく気付いた彼女の計らいに、申し訳ない気持ちと、心から嬉しいという思いになった。
「茜、ありがとう」
たぶん今、心から笑えていると思う。
初めはコーヒーの飲めないぼくに彼女のチョイスで注文してくれたけど、それはケーキを食べない前提で注文してたから、差し入れのケーキが届いたから甘くないものを注文してくれた。
こんなにぼくのことを考えてくれていたなんて嬉しくないはずがない。
「半分食べなよ、ミルフィーユ。食べてみたいって言ってたろ?」
「いいの?お貢物を」
「ぼくから茜への貢物だから遠慮なく食べていいんだよ」
「……あなた、反省してるの?」
「え?」
「あなたがもらったものを、また私に?」
「あー……、うーん、これは半分こだから、いいだろ?せっかくだからぼくだって食べるよ?でもひとつは食べきれないから茜に手伝ってもらおうと……」
「……」
「……だめ?」
「取ってつけた言い訳だけど、今後はそんなことしたら許さないわよ?」
「はい……」
「ふふっ、じゃあ私のチーズケーキも半分食べてくれる?」
「う、うん」
「こってり、嫌ならいいのよ?」
「いやじゃないよ。ハーブティー?があるから食べれる!たぶん……」
「私を太らせたくなかったら手伝ってね?」
「了解です」
彼女はケーキをふたつとも半分に切り、それぞれのお皿に乗せてくれた。
器用に切り分けられた二種類のケーキがひとつのお皿に乗り、ちょっと豪華で得した気分だ。
「ハーブティーって、砂糖入れて飲むの?」
「入れないわ。そのまま飲んでみて?」
「……うん、さっぱりしてる。紅茶より薄いような……」
「香りもいいでしょ?カフェインも入っていないから夜にリラックスしたい時でも飲めるわよ」
「へー、詳しいな」
「あら、女の子ですもの。ふつうよ?」
「……ふつう、なんだ。そっか」
「あなたは知らなくていいのよ。あなたは女の子じゃないんだから」
「……んー、女でも男でもないなぁ……」
「あなたがそのままでいてくれるなら、性別なんて関係ないわ。私のものには変わりないんだもの」
満面の笑みな彼女に照れくさくて顔が火照った。
「チーズケーキのどろっとした感じと、ミルフィーユのパリっとした感じが両方味わえて得した気分だな」
「あら、食感の違いをリポートするなんて生意気じゃない?」
「生意気ってなんだよー。おいしいって言ってるんだよー」
「ふふっ、お気に召してよかった。私もおいしいものを共感してくれて嬉しいわ」
「ケーキなんてめったに食べる機会がないしな」
「あなたがケーキの魅力を分かってくれたなら、機会なんてこれからいくらでもあるわよ?」
「でも、めったに食べないからおいしいんじゃないか?ありがたみっていうかさ……」
「それも一理あるわね。でも、疲れた時に食べる甘いものは特別おいしいじゃない?」
「確かに……、ケーキ食べると暖まる感じがして癒されるかも。飲み物が温かいからかな?」
「そう感じてくれたならよかったわ。今度は違うケーキを食べに行きましょうね」
「んー、しばらくはいいよ。やっぱりたまに食べるほうがいいな」
「そう?じゃあそろそろ帰りましょうか」
「そうだね」
もう夕飯はいらないやってくらいお腹いっぱいだけど、気持ちもいっぱい暖まった。
店から出るとすっかり日が暮れて、空には今にも落っこちてきそうな雲が広がっているけど、ぽかぽかの気持ちのままのぼくらは、北風で冷えないようにたくさん笑いながら駅へと向かった。




