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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌
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潮風の音 1

「どこか遠くへデートに行きましょ」

誕生日プレゼントで蒼にもらったお気に入りのワンピースをクローゼットに締まったままの茜は、いつもと違うところへ行きたいと言い出した。

いつもと違う?

蒼は考えたが、茜は意外な提案をしてきた…。

「海?」


 目を丸くして聞いたぼくに、彼女は嬉しそうに答えた。


「たまには遠出もいいじゃない? だめ?」


「だめっていうか……とっくに夏は終わってるじゃないか」


 二学期も始まってやや一ヶ月、季節は少しだけ秋に向かって日照りを遠ざけている。確かに夏休みは海や山、夏らしい所へは行っていない。暑いのは苦手じゃないが、どこへ行っても人混みだろうと、彼女を説得していたのが溜まってのお願いなのだろうか?


 ぼくは少し考えたが、この時期ならもう海もすいているだろうと、想像しながら目を逸らした。


「まぁいいか、たまには」


「……嫌?」


 ぼくがちらりと目を合わせると、意外にも真顔でこちらを見ていた。いつもならすねたりごねたりするのに、真顔って…なんだか真剣さを感じる。


「嫌なんかじゃないよ。茜お嬢様のお願いだしな」


 仕方ないなとはにかむぼくを、徐々に口角を上げて微笑み返した。


「嬉しい! 蒼と海なんて初めてだもの。週末、楽しみにしてるわ」


 まったく、なんて顔するんだよ。一瞬でも躊躇していたぼくは自分を攻めた。


 彼女は頭がいい分、ぼくを試すような言葉をちらほら出すが、今の言葉と笑顔は純粋そのものだった。学校では誰にも見せないだろ、そんな顔……。イエスと言ったぼくの答えにあんなに嬉しそうにするなんて。ぼくにしか見せない笑顔に少し顔が火照った。


「どうせなら始発で行こうか。何か持って行く?」


「ううん、何もいらないわ。あなたが隣にいてくれるなら」


「おいおい、恥ずかしいことを平気で言うなよ……」


 更に火照っていくぼくは、照れ隠しに苦笑いするしかなかった。



 約束の朝、若草色のワンピースの後ろ姿ですぐに彼女だと分かった。


 楽しみのような、プレッシャーのような気持ちで、昨晩はほとんど眠れなかったぼくは、眠気を吹き飛ばすように大きく深呼吸した。


「蒼?」


 いつの間にかぼくに気付いた彼女が、こちらに向かってくる。


「おはよう、茜……」


「おはよう。随分眠たそうね」


「ふぁ……」


 始発前の駅員さんとぼくらしかいない静かなホームで、大きなあくびをひとつした。


「ふふっ、そんなふぬけたあくびしてたら校内の女の子たちに引かれちゃうわよ?」


「ほとんど寝てないんだよ。それに、女の子たちがどう思おうがぼくの知ったことじゃない」


「余裕なのね、学園の王子様は」


「……うるさいなぁ」


 今にも眠れそうなぼくを観察しながら、からかって遊んでいる。ぼくをからかう時の彼女は、いつでも生き生きしてるんだ。


 ホームにアナウンスが響くと、通学時とは打って変わってがらりと空いた電車が入ってくる。開いたドアに乗り込もうとしたぼくの左手にそっと指を絡ませて、彼女は囁いた。


「今日は一日一緒にいてね?」


「うん」


 彼女の右手を握り替えして、車内に引き寄せた。ぎゅっと握ったその手は、初秋の早朝になじんで冷えていた。


 どこでもどうぞと云わんばかりの座席の隅に座ると、ほんのり暖かい車内が心地よくて、眠気が増してきた。これから二時間以上も揺られているかと思うと、ついあくびが出てきそうになるが、ちらりと彼女を横目で見ると瞼を閉じている。眠っているのかと思ったが、こくりこくりとするわけでもなく、むしろ少し俯いたまま何か祈っているようにも見えた。


 ぼくはずるずると背もたれに身を預けて、どんどん変わる景色をぼぅっと眺めていた。本当は今にも眠りにつきそうだったが、せっかくの早朝からのお出かけだ。眠ってしまうのはもったいなくて、閉じかけた瞼をうつろに開けていた。


 どれくらい経っただろうか。左の膝に何かが乗った気がしてハッとした。ぼくは眠って……いたのか?我に返ってみると、背もたれにすっかり身を預けていたので、ゆるっと深く座り直した。


「起こしちゃったみたいね」


 さっと左を見ると彼女と目が合った。


「いや……眠っていな……」


「眠って、い・な……?」


 ぼくの膝に手を乗せたまま、覗き込んでオウム返し。バレてたのか…というかやはりぼくは眠っていたようだ。


「死んでしまったんじゃないかと思って、でも、触ってみたらまだ温かかったから……」


「おいおい、勝手に殺すなよ」


「死んだように眠るとは、こういうことなのね」


「…ちょっとうたた寝しただけだろ」


「そうね。でも、生きててよかったわ」


「……怒るぞ」


「冗談よ。あなたが昨晩眠れなかったくらい今日を楽しみにしていてくれたことが、とても嬉しかったの」


 その言葉で一気に目が覚めた。彼女がどれくらいこの日を楽しみにしていたか、計るのは容易だったからだ。


「ごめん……眠ってたよ」


「謝らなくていいのよ。でも、他の乗客さんに、あなたの寝顔を見られちゃったのがもったいなかったわ」


「そんなに間抜けな寝顔だったなら、もっと早く起こしてくれよ」


「間抜けどころか、眠れる電車の王子様だったわよ」


「それ、褒めてんのか?しかも、眠れる森の美女と掛けるにはイタすぎるぞ」


「褒めてるのよ?私の蒼は寝顔も素敵よって言ってるの」


 車内に人が少ないとはいえ、よく真顔で恥ずかしいことを言えるなと、こっちが恥ずかしくなるじゃないか。


「そりゃどうも。って、寝顔なんてまじまじと見るなよな」


「蒼の寝顔を見ていられるなら、終点まで行ってもいいわ」


 これは羞恥プレイなのか? 試されてるのか? それともまたからかわれているのか? いくら考えても彼女の表情からは想像がつかない……。


 ただ一つ、分かっていること、それは彼女がぼくの隣にいてくれてる。ぼくは彼女の隣にいる。今の感情がどうであれ、彼女が側にいる。それだけでいい。


 車窓の外から強く日照りが差し込んでいた。すっかり見渡せる景色には、太陽にきらきらと反射している海が見える。


「い、今何時?」


「大丈夫よ、通り越してないわ」


 寝過ごしてしまったかと一瞬焦ったが、どうやら目的地へはまだらしい。


「でも、そろそろ降りる支度をしましょうか」


「あぁ、うん」


 ぼくが棚に上げていたバッグを下ろしていると、彼女が不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「何?」


「何が?」


「バッグの中、そんなに何が入っているの?」


 どうやら不思議そうな顔をしていたのは、ぼくのバッグの中身を気にしていたらしい。


「あぁ、レジャーシートとか……。昔、遠足とかに使ったのがあったから」


「そう、準備がいいのね」


「お嬢様のドレスを汚すわけにいかないだろ?」


「あら、王子様ったら本当に紳士ね」


「その、王子様ってのやめろよ」


「蒼だって私のこと、お嬢様って呼ぶじゃない」


 目が合って、ぼくらは笑った。


 電車のドアから一歩踏み出すと、海の香りがした。ぼくらを乗せていた電車が走り去ると、潮風の音がするりと耳をかすめ、一面に広がる海が見える。


 ぼくは座り疲れた体でしょっぱいにおいを吸い込み、大きく伸びをした。


「疲れた?」


 甘い香りの髪を潮風に漂わせながら、彼女が微笑んでいる。


「いいや、今日はこれからだろ?」


 ぼくが視線を預けると、彼女はほんのり冷たい手を絡ませて言った。


「約束ね?」


「約束?」


「蒼、もう忘れたの?」


「……あぁ、今日はずっと一緒だよ」


 初秋の海はぼくらを出迎えてくれていたかのように、もうすぐそこだ。


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