彼女の部屋 4
「はい、あーん」
「……あーん」
やっぱり逆転だった。
彼女のために用意したはずなのに、食べさせられてるぼく……。
悪い気はしないけれど、微妙な感じだった。
看病するつもりが飼育されてるみたいで……。
「ねぇ、蒼?」
「うん?」
「私とどっちがおいしい?」
「え?な、なに聞くんだよ」
「どっち?」
密着している距離をさらに縮めようと、今にも重なりそうな唇が近付いてくる。
「そりゃ……決まってるだろ?ぼくに言わせたいの?」
「言わせたいわ」
即答すると、彼女の口角が上がっていく。
言わせたいから聞いているのに、言わせたいのかと尋ねるのは愚問だったな。
「茜の……ほうかな?」
「……かな?とは微妙な結論のようね」
「あぁ、茜お嬢様の……でございます」
気恥ずかしいことを言うまいと、ご機嫌取りと反抗の間をすり抜けたつもりだった。
「ふふっ、またそんな臆病な目をして……、取って食べたりしないわよ?」
「ぼくにはいまにも食べられそうな目に見えるんだけれど……」
「あら、違うでしょ?あなたが私を食べるのだから」
「あー……、そっち……?」
なんとなくそうくるかとは思ったが、裏の裏までを考えるだけ無駄な気がしてきた……。
アイスのカップが空になると、満足したのか少し落ち着いたように見える。
「茜、体温計る?」
「大丈夫よ。もう熱はないもの」
「うーん、それならいいんだけど……じゃあ今日はもう横になりなよ」
「汗を流したいからシャワーを浴びてくるわ」
「あぁ、うん。分かった」
「どうしたの?他人事のような顔をしているけれど、あなたも入るでしょ?」
ぼくが当たり前のように他人事顔をしていたけれど、彼女は当たり前のように事を運んでいく……。
「え、一緒に?それはちょっと……」
「あら、どうして?」
「どうしてって……、断る要素しか思いつかないな」
「遠慮はいらないのよ?」
「ち、違うよ。その……家の人が帰ってきたりとかさ……。いくら女友達に見えるとはいえ、ふつうは一緒にシャワーは入らないだろ?」
「帰って来ないから平気だもの」
「もしかしたらってこともあるじゃないか……」
「あなたは本当に臆病ね。そんなことばかり言って、私と入るのがそんなにいやなの?」
「そういう問題じゃないよ。それにほら、部屋着とシャワーなんてさ、ぼくが泊まっていくみたいじゃないか」
「あら?泊まってくれないとは聞いてないわよ?」
「……どっちも言ってないよ。明日も学校なんだから、泊まれないだろ」
「あなたが積極的に学校に行きたがってるようには見えないけれど?」
「じゃなくてさ、ぼくは行っても行かなくてもいいんだけどさ、茜は熱が下がったなら行ったほうがいいだろ?行かないとだしさ」
「……」
「なんだよ……」
「……明日になったらまた熱が出ると思うわ」
よくもまあ次から次へと……。
あの手この手を尽くしても、片っ端から引き落とされてたらかなわないな。
嬉しそうに微笑みながらこちらを見ているけれど、あの微笑みにはいくつもの仕掛けがあるんだろうな。
どう転んでも、これはお泊まりコースに決定らしい。
初めからぼくには決定権などなかったと思うのは考えないことにする。
諦めた様子を察知したのか、彼女はいそいそとバスタオルと下着を抱えてぼくの手を引いた。
下着……?
それってもしかして……ぼくにはかせるつもりなのか?
いくらなんでも茜の下着はさすがにはけないだろー!
「蒼のはこっちね、こっちは私のよ?」
「どっちも茜のじゃないか……。ぼくはどっちも……」
「あら、あなたに似合うのを選んだつもりなのだけど?お気に召さないかしら?それじゃあ……」
「いや、似合うとかそうじゃなくて……その、そういう下着はぼくは……」
「たまにはいいじゃない?あなたが私の下着を着けていたら、自分で自分をかわいがってあげているみたいで素敵じゃない」
意味が分からないんだけど……。
それは茜が着けているからかわいいんであって、ぼくにはちょっと無理がありすぎる。
そんなぼくにはお構いなしに、ぼくのほうへ下着を翳して想像しているのか……目をキラキラさせている……。
ため息もつきたくなるけれど、今の彼女にはぼくの嘆きなど伝わらないのだろうな。
半ば引きずられるように部屋を出て行き、下へと続く階段を降りると、先ほどの写真が目に止まった。
相変わらずぼくを引きずっている彼女に、話をそらすように尋ねた。
「これ、茜の写真?」
「えぇ、小さい頃のね」
「かわいいな。隣にいるのは?」
「……」
気のせいか、曇った顔をしている。
気のせいではないかもしれない。
この家に来てからというもの、不可解な点ばかりだ。
やたらと広い屋敷に部屋がたくさんあるが、その中でとても殺風景な一室が彼女の部屋で、殺風景どころか女の子が使っている部屋とは思えないインテリア……。
屋敷は全体的に生活感がないし、台所なんて使っている気配すらない。
なにより、空っぽの冷蔵庫、ここまでそろって不思議ではないとは思えない。
家の人は帰ってこないと断言しているけれど、それは確信なのか、ぼくを泊まらせるための思いつきなのかも謎になってくる。
彼女はいつもぼくのことを見透かしているようだけれど、ぼくにはあまり内側を見せない。
ぼくが見ようとしているわけじゃないが、あえて見せないようにしている。
彼女の周りがどうであれ、ぼくは今まで彼女ばかりを見てきたから今が幸せならそれでいいと思っていた。
だが、ここにきて、この違和感だらけの屋敷で、それでも彼女は彼女でいてくれるならそれだけでいい、とは言えなくなってきた。
この違和感、この空気、何度か見せた曇った表情……。
彼女は幸せに暮らしているのかと思わないはずがない。
「ねぇ、茜?」
「なあに?」
「ぼくに話したくないなら話さなくていいんだけどさ、聞いていいかな?」
「えぇ」
彼女の曇った表情は変わらずで、本当に聞いていいのかためらったが、このまま彼女のことを知らずに付き合っていくのもためらう。
ぼくは思い切って切り出した。
「茜の家族ってさ、今は帰ってこないって言ってたけど、本当は今日は帰らないってこと?」
「……そうね」
「仕事、とか?」
彼女は少し沈黙をしたが、何か言葉を選んだかのようにも見える。
「叔父様は、お仕事の出張でしばらくは帰らないわ。戻るとしても、何か月か先の話よ」
「叔父様?お父さんじゃなくて?」
「そうよ。叔父様と二人でこの家を使っているのだけれど、今は私一人ということになるわね」
彼女は、うつむくでもなく、少し遠くを見ているかのように話続けた。
「私は四年前にお婆様に引き取られたのだけれど、お婆様はちょうど二年前に亡くなったわ。それからは叔父様とふたりで暮らしているの」
「……両親は?」
「少し遠くに住んでいるのよ。……お婆様のご葬儀以来会っていないわ」
「会っていないって……、おばあさんに引き取られたのと何か関係があるの?」
遠くを見ていた視線はゆっくりとこちらに預け、まるでぼくの目の深いところを覗くようにじっと見つめた。
「聞いても、私を嫌いにならないって約束してくれる?」
その目は潤んでいたが、でもどこか芯の強いものを秘めていた。
「約束するよ。茜がぼくを受け入れてくれたように、ぼくはどんなことだって受け入れられる」
「そう……。ありがとう」
そう言うと、またぼくから視線をそらし、今度はあの写真を見上げながら話し続けた。
「私には一つ年下の弟がいるの。この写真に一緒に写っているのが弟よ。私たちは双子のように育って、とても仲が良かった。……とてもね」
「弟さんは……ご両親と?」
「えぇ、両親は弟を引き取って、私をお婆様に預けたの。この家は元々お母様の実家で、お母様が嫁いでからは、ここにはお婆様と、お母様の実の弟である私の叔父様が住んでいたのよ」
「……うん」
「お婆様はとても優しくしてくださったわ。両親から預けられた私を、とてもかわいがってくださった……。二年前、ご病気で突然亡くなるまでは、両親と合えなくても寂しくないように、いつも私に気を使って優しくしてくださっていた。こんなことを言ってはならないけれど、今では両親と暮らしていなくても、もう寂しくないわ」
「……」
「どうして私がお婆様に預けられたのか知りたい?」
「……うん」
緊張を隠すかのような彼女の口調に、ぼくの手にも緊張の汗がにじむ。
「双子のように育ったわたしたちは、成長するにつれて、お互いを男と女とみるようになってしまったの。そして禁忌を犯してしまったのよ……。肉体関係が、いつしか両親が知ってしまったの」
「……うん」
「おかしいでしょ?実の姉と弟が両親に内緒で肉体関係を繰り返していたのよ?いわゆる近親相姦というものね。でも私たちは出来心や興味本位ではなかったわ。愛していたのよ」
ぼくに申し訳なくなったのか、写真からもぼくからも視線をそらして、自分の過去をくいしばるかのようにぎゅっと手に力が入っていた。
ぼくは彼女の話を最後まで聞こうと、じっと黙っていた。
「お母様がそれを知った時、狂ったように泣いたわ。当たり前よね。私たちはいけないことだと分かってしていたけれど、だから、何も言えなかった……。お父様の耳に入ったのはそのすぐあとよ。もう二度とあやまちは繰り返さないと誓い、そして私たちは引き裂かれた。お父様もお母様も弟をかばいたかったのよ、きっとね……。姉である私がそそのかしたのだろうと、長男である弟に、罪を背負ってほしくなくて、弟を信じたかったんだと思うわ。そして四年前にお婆様に引き取られ、私はここで暮らすようになったの。あなたと同じ中学に転校したのはここに引っ越したからよ」
「……」
「見損なった?」
「そんなわけないだろ、ちょっとびっくりしたけど……見損なうとかじゃない」
「そう、じゃあもうひとつ隠していることを話すわ」
「もうひとつ?」
「そう、ここで暮らして……お婆様が亡くなってからのことだけど、叔父様のお人形にされているの。……分かる?」
「お人形……って……」
「無理もないわよね。私は弟としてしまうくらいの女と思われてるんだもの……。叔父様の手を拒むことを許されなかった……」
「それって……」
「あなたに抱かれている時が私の唯一の幸せなの。でも、この汚れた体をあなたに差し出すのもとても申し訳なくも感じているわ。誰とでも寝る女だと思われても仕方ないし、あなたを裏切っているんだもの。……嫌いにならないでなんて約束、無理なお願いだったわ。どう思われても仕方ないものね」
「汚れてるなんて思ってない。茜はいつも自分に素直だから、疑ったりしてないし、ましてや拒絶もしないよ」
「気持ち悪いわよね。あなたに抱かれていながら、家では叔父様に……」
「言わなくていいよ、そんなこと……。茜がどうしてぼくを求めるのか……、ちゃんと分かったから」
いつの間にかぼくのほうからそらしていたのだろうか、彼女は目を潤ませながらこちらを見ていた。
それに応えるように、ぼくも彼女を見つめて言った。
「茜はぼくのものだから、誰にも渡したりしない。ぼくの茜は汚れてなんかいないよ。もし汚れているというなら……、ぼくが何度でも清めてあげるから……」
きっと二人とも顔を赤らめていたと思う。
だけど、彼女はこらえていた涙が一気に流れ落ち、それと一緒にぼくに隠していたという罪悪感も流れていったに違いない。
彼女の過去を一気に聞いて、衝撃がなかったわけじゃない。
でも、ようやくすべての糸がほどけて、ちゃんと彼女にたどり着いた気がした。