彼女の部屋 3
いつも思うが、帰り道って寂しいもんだな。
今まで隣にいたのに、と思ってしまう。
さっきこの道を通った時は、あんなにしんどそうだったけど……、でも、あそこまで元気になったんだから、あとは無茶さえしなければ明日には回復しているだろう。
立ち寄ったコンビニの前を通りかかると、口を小鳥のように開けてアイスを待っている彼女の顔を思い出した。
溶ける前に食べたかな……。
せっかく買ってやったんだから食べてほしいな……。
ぼくなりの食欲対策で選んだんだから、ちゃんと食べて薬飲んで寝てくれてたらいいな。
……薬?
そうだ、薬を買ってなかったじゃないか。
でも、まぁ、市販の常備薬くらいはあるだろう。
そこまで面倒みなくても、彼女はぼくよりしっかりしてるんだから心配いらないか……。
ひとりで帰る駅までの道のりは、距離は同じなはずなのに、とても遠くて長く感じて寂しくなる。
寂しいのはお互い様だよな。
彼女がぼくの部屋に来た帰りだって、さっきまでの笑い声が頭の中だけにしか残らなくて、しんとした空気に寂しくなる。
側にいてくれるだけで満たされるから、がらんとした隣がやけにぽっかりあいているような気になるんだ。
駅が近づいてくると、町ゆく人が多くなってくる。
この中に彼女の家族の人がいて、きっと薬も買って、介抱してあげるだろう。
駅前商店街のドラッグストアに寄って、おでこに貼る冷却シートも買って、それと……。
それと……。
なんでぼくがこんな心配してるんだ?
こんなに心配してるのに……。
何やってるんだ、ぼくはっ!
熱があるのに、ぼくに会いたいってだけで無茶して学校に来て、帰ろうって言ったぼくの言葉が嬉しかったって、絶対絶対元気なんかじゃないはずなのに、あんなにはしゃいでめちゃくちゃな甘え方して……。
あんなにぼくのことを必要としている彼女に、ぼくなんか必要ないだろなんて言って……。
あぁ、まただ。
またばかやってしまった。
ぼくは今来た道を全速力で戻った。
彼女の家に着く頃には、完全に息が乱れていた。
玄関前に立つと、深呼吸し、少し息を整えてからドアを開いた。
鍵がかかってないということは、ぼくが出て行ったままになっていたのか。
家族の人が帰ってきている様子もないし、勝手に侵入しているようで気が引けたが、階段を駆け上がり、彼女の部屋へ向かった。
ドアを開けると、電気は付けっぱなしになっていた。
テーブルにはさっきのアイスの残骸はない。
ちゃんと食べたようで安心した。
そっとベッドに近付くと、彼女はおとなしく寝ている。
ほっとしたのか、ぼくはまたベッドにもたれて座った。
「……誰?」
「あ……、ごめん、起こしちゃったな。……ていうか、ごめんな、茜」
「蒼……?」
「うん、そうだよ」
するりと布のすれる音がすると、彼女はゆっくりとこちらを見た。
「戻って……きてくれたの……?」
「あぁ、……ごめんな、寂しい思いさせて」
「蒼……」
こちらを向いた彼女の前髪をかきあげ、おでこに手を乗せると、汗でびっしょりと濡れていた。
違う、濡れていたのは涙で……。
枕もおでこも、彼女の涙でぐっしょりになっていた。
「茜、ごめん、ごめんなっ」
「蒼……」
ぼくらはしばらくこの台詞の繰り返ししか言葉にできなかった。
「たくさん泣かせちゃったな、ごめん」
「蒼の……ばか」
「ははっ、すぐばかって言うなよ、泣き虫茜ちゃん」
頬をつたう涙を手で拭うと、やっと笑顔を見せてくれた。
「タオル、持ってくるよ。どこにある?」
「大丈夫よ、私が持ってくるわ」
「茜は寝てなきゃだめだよ」
「……自分で取りに行くわ」
彼女は布団をはぎ、ベッドから立ち上がると、ぼくの呼び止めにも耳をかさずに部屋を出ていった。
あまりうろうろするのもなんだし、ぼくの出番じゃなかったかな。
しばらく待ったが、彼女はなかなか帰ってこない。
遅いなと心配になり、でもまたうろつくわけにもいかないし……と、ぼくはおとなしく待つことにした。
すると、廊下を歩く音が近付いてきて、がちゃりとドアが開いた。
部屋に入ってきた彼女は、着替えてきたようで、今度は黄緑色の部屋着になっていた。
そして、手には大量になにやらをかかえている。
「これ、蒼の分ね」
そう言って、テーブルに水とサラダ、ベッドに部屋着の上下を置いた。
「ぼくは……着替えいらないよ」
「あら、どうして?シャワーを浴びたら着替えが必要でしょ?」
「……お嬢さん、また何を言い出すんだい……」
彼女は自分のものであろう、おかゆをテーブルに置いてにこにこしている……。
「えーっと、これはぼくに泊まれってことなのかな……?」
言うまでもなく、笑顔でうなづいているが、ぼくには選択しはないらしい……。
なんともいえない彼女のマイペースさに苦笑いがでるよ……。
「ちっとも反省してないのな……、茜にはいつも驚かされてばかりだよ」
「あら、とてもシンプルで簡単なことよ?蒼が難しく妄想しているだけよ」
「シンプルで簡単?その言葉、何回か聞いたけど、いつもしっくりこない時に使われてる気がする……」
「ううん、本当に難しいことではないわ。想定内のことじゃなくて?」
「……いや、想定内どころか想像もしていないから驚いてるんだけど……」
「恋人同士のすることくらい分かるでしょ?あなたの想定は幅がせまいのかしらね、それとも難しい妄想をしているからなのかしら……」
「ちなみに華麗にスルーされたけど、ぼくは難しい妄想も変な妄想もしてないからな」
「いただきます」
って、聞いてないし……。
自分のペースに引きずり込む天才少女と表彰してあげるよ……。
温めてきたおかゆを涼しい顔でふぅふぅと冷ましているけど、切り替えの早さも真似できないくらい天才だな。
「蒼が買ってきてくれたおかゆ、おいしいわ」
「……そりゃインスタントだからそれなりなんだろうけど」
「蒼もサラダ食べたら?」
「茜用に買ったんだけど、食べないのか?」
「あなたも少しは食べなきゃだめよ。体力がもたないわ」
「ぼくは大丈夫だから茜が食べなよ」
「あら、あとでへばっても知らないわよ?」
何のことだよ、ってつっこむまでもないんだろうな、茜の考えていることは……。
まったく、今日くらいは病人さんらしくしてくれよ。
たまにはかっこつけさせてくれてもいいのに……。
「茜、ひとりでアイス食べたんだね」
「ううん、デザートはあとだもの」
「じゃあ、おかゆだけじゃなくて水分も取らないと……」
「だから、デザートはご飯がすんでからよ」
「まぁ……そうだけど、熱がある時は多めに水分取ったほうがいいから、ちゃんとスポーツドリンクも飲むんだぞ?」
「えぇ、もちろんよ」
この笑顔はどういう意味でしょうか、当ててごらんなさい、って顔だな……。
もう、さすがのぼくでさえ、だんだん転回が分かるようになってきた。
本当に病人なのか?
まぁ、熱が下がったならいいんだけど。
「そういえば、体温計った?」
「ううん、もう平気よ」
「熱が下がってるからって油断してないで、風邪薬くらい飲んでおいたら?」
「風邪薬はないわ」
「あー、やっぱり駅前のドラッグストアで買ってくればよかったな、常備薬くらいあると思ったからさ」
「大丈夫よ、風邪薬なんてなくても……」
「あなたが薬よ、って言うんだろ」
「あら、残念ね。それはちょっと違うわ」
「なんだ……、絶対言うと思ったのに」
「おしいわね、一番が抜けてるのよ。一番のお薬、が正解よ」
「……はいはい、ぼくの負けです」
勝ったことは多分ないけどね。
でも、学校から帰ってきた時は本当に倒れてしまいそうで心配だったけど、いつもの彼女に戻って安心した。
あとは調子に乗らせないことと、無理させないこと、だな。
ぼくを沈没させて楽しんでる彼女の嬉しそうな顔を見ていると、やっぱりこうでなくちゃな、と改めて思った。
「蒼もデザート食べるでしょ?」
「アイスは茜のしかないけど、……もしかしてぼく、なんか試されてる?」
「ふふっ、また難しく妄想しているのね?」
「茜のひっかけ問題は難しいからだよ」
「そうかしら?」
彼女は不適な笑みを浮かべながら部屋を出て行った。
大概、デザートね、とか言われたら、あ・と・で・ね、みたいなこと言うんだと思ったんだけど、ぼくの読みはまだ甘いのかなあ?
心なしか、さっきより軽い足取りで廊下を歩く音がする。
何を持ってくるのやらと思っていたけど、それは……シンプルで簡単な答えだった。
「アイス、半分こしましょ?」
「あぁ、うん」
デザートって本当にアイスのことだったのか。
でもこれも難しい問題だと考えさせといて、あえて簡単な答えでした、みたいなひっかけ問題だったのか?
こういうのが難しく妄想してるんだと指摘されてるんだよな。
いや、妄想という言葉は適切でないかもしれないけど、心構えは必要だ。
そうきたか、と思う前の心構え。
でも構えすぎても、のれんに腕押しということもあるし……。
この今の状況でさえ、捉え方は何パターンかあるかもしれない。
さっきは口を開けてたから食べさせてあげようとして、まさかの口移しっておねだりだったし、隣に座るなと言っておいて膝枕するだとか、まったく想像できないパターンでくるから気を抜くわけにはいかない。
今度はぼくに食べさせてあげる、とか言い出すかもしれないし、いや、そんな甘いものではなく、もしかして……とか想像つかない……。
「何を怖い顔しているの?」
「え、いや、してないよ?」
「あら、そう?眉間にしわをよせて考え事していたみたいだけれど?もしかして蒼ったら……」
「そ、そんなこと考えてないよっ」
「そんなこと、ってなあに?」
こういう落とし穴も用意してあったのか。
いや、今のはまさに墓穴を掘った、というのが正解なのかもな……。




