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短編小説

鮮明に 精彩に

 まず、きゅうりのヘタを切り落とす。

 極力可食部分を残すように慎重に。

 次は包丁を使って薄くスライスをしていく。

 スライサーを使えば綺麗に出来るだろうが、どうしても最後までスライスするのが難しいし、そして何より包丁でやった方が断然早い。

 いざ包丁を入れればきゅうり独特の瑞々しく少し青臭い匂いがする。

 このきゅうりをはじめ、素材の香りを嗅いで思い出されるのは母の背中と古びた台所。

 すっかり日も暮れ真っ暗な窓の下で、包丁はリズミカルな音を立て、小柄な母はせっせと台所中を動き回り料理をしている。

 流し台の隣の勝手口は大きく開け放たれ、スズムシの鳴き声と夜の気持ちの良い山風が入ってくる。

 勿論巨大な蚊取り線香は勝手口の守護神の如く君臨し、虫どころか人の出入りすら阻止している。

 最近自分が料理を始めると、野菜の香りと共に季節ごとのそんな情景を鮮明に思い出す。

 今にして思えば季節の物を上手に組み込んだ、質素ながらも贅沢な暮らしをしていたようだ。

 父の作った野菜は不格好ながらも色も味も香りも格別濃い。

 普段スーパーなんかで買ってくる野菜は少し時間が経っているからか、父の野菜の様に香ってくる事はほぼ無い。

 それでも、今日のきゅうりの様に旬の野菜はたまに香る事があったりもする。

 ただいまと玄関を開けて、ネギやミョウガ、ショウガや大葉の匂いがすれば今日はそうめんだと喜び、柔らかい出汁と灯油囲炉裏の匂いがすればおでんだと喜ぶ。

 人の記憶は視覚情報だけに依存しない。だから勉強をする時は体を動かしながらだとか、曲をかけながらだとかと言われているが、嗅覚もあながち馬鹿に出来ないと思い知らされる。

 匂いと連動し母の手仕事を思い出しながら、あれはどう作るんだろうと母に電話をかける事もある。

 そんな時の電話口の母は大概突然何を言い出すんだと心底迷惑そうな声色だが、結局詳しく教えてくれ更にメールもくれるあたり、満更でも無いんじゃないかと思っている。

 そうして何も考えずだらだらと過ごしていた実家の事を、家を出てから一つ一つ大切に拾い上げていく。

 今日はきゅうりの塩揉みでは無く、梅干し用の赤紫蘇で漬けてみようか。

 じゃあ明日はきゅうりの種を取って塩と熱湯で漬け込むアレをやってみようか。

 いや、待てよ。折角赤紫蘇で漬け込むならミョウガとナスも入れようか。

 そうしてこうして消えていくものと受け継がれる物がある。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 歯触りが柔らかくて美味しい。 そんな感じの作品でした。 [一言] 家を出てから一つ一つ大切に拾い上げていく。 この表現がとても好きです。
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