010 最終目標
昼までの授業が終わると、寺田は雨野菜摘を連れ出して屋上に来ていた。ここから見せる壮大な景色を見ながら弁当を食べる目的なのは勿論、誰にも聞かれてはいけない機密を話す理由もあった。その点で言えば屋上など誰も来ないので好都合である。聞かれてはいけない会話も屋上であれば大丈夫だと、寺田は謎の確信を得ながら秘書に話しかけていた。口ではモグモグと弁当を食べているのだが、この弁当は雨野菜摘が作ってくれた手製の弁当だ。中学時代から弁当を作ってくれているので今更感もあったが、寺田はこの弁当を至極気に入っていたのだ。
「我が社を立て直すためには優秀な人材が必要だ。勿論、僕と君は優秀だけど組織はたった二人の人間では動いてくれない。僕達の手となり足となる人物を一刻も早く見つけ出さないと大変な目に遭っちゃうよ。今までは二人でも何とかなったけど、今回ばかりは乗り切れない。それだけ101回目の倒産危機は僕達の想像以上に厳しい現実のようだ。今回僕がスカウトした男……名前はなんだっけな」
寺田はスカウトした人物の名前を忘れてしまっていた。前々から人の名前や出来事を忘れっぽい性質で人の手柄を自分の手柄だと勘違いしたり、人の名前を間違えて言ってしまうのもザラだった。今回も寺田の悪い特性が出てしまったらしい。普段から自信に満ち溢れた様子で人の名前を間違えるのだから秘書の雨野菜摘はてんてこまいだ。こんな社長を持って幸せなのかどうかと尋ねると彼女は間違いなく険しい表情を浮かべるだろう。それは彼の元で働いてきた人物が物語っている。以前は発展としていたオフィスも、今では閑古鳥が鳴いている。書類の上にコーヒーをこぼして怒られる社員、やたら張り切って「この会社は俺が変えてやる」と意気込む熱血社員、その全員が寺田誠新社長の方針を気に入らず辞表を提出したのだ。組織運営がギリギリ成り立っている今が奇跡の状態である。その奇跡すら音を立てて崩れるまで至ろうとしている。さすがの寺田も父から受け継いだ会社を簡単につぶす訳にはいかない。だからこうして、必死に社員を求めて声を荒げているのだ。しかし彼は、自分が影響で新入社員が近づいてこないを分かっていない。いつも自分は運が悪いと言い聞かせてポジティブに考えているのだ。その前向きな発想が自身の評価を下げているとも知らないで。秘書の雨野菜摘も遠回しに気が付かせようとあらゆる手段を使ってきた。だが全ての方法が失敗に終わった。寺田誠という人物は皮肉も皮肉と受け取らず、冗談を本気だと信じる素直な性格だ。それが悪いとまでは言わないが、社長向きの性格では無いのは誰が見ても明らかである。そんなこんなで、寺田はいつものように自信に満ち溢れた声を出しながら平気で人の名前を忘れてしまっていた。「あーうー」と言葉が前に出てこず、イガイガとした気持ちになっていると、雨野菜摘が痺れを切らした様子で変わりに言葉を続けてきた。
「社長。彼の名前は玖雅聖人です。中学時代からのお知り合いの名前を忘れるなんて言語道断とは思いませんか?」
彼女は一変して真面目な表情をしていた。しかし一方の寺田は忘れていた名前を思い出した感触に心を打たれて、両手で拝むポーズをしていた。心の中では『雨野菜摘大明神様、教えてくれてありがとうございます』と感謝の気持ちで満ち溢れている。肝心な一言を言わず、どうでもいい事を長々と口に出すのが寺田誠の真骨頂である。だから周りの人間から不思議な子扱いされて、足若丸魔法学校のイカれた生徒の双極として認識されているのだ。寺田はそんな事もつゆ知らず、同じく双極と呼ばれている玖雅聖人について熱く語っていた。
「そうだそうだ、君のおかげで思い出したよ。彼の名前は玖雅聖人だったね。いやー実に興味深い男だと思わないか? だって彼は、聖人の名前とは名ばかりの行動ばかりが目立っているじゃないか。担任に向かって平気で暴言を吐いたり、友達をサンドバック扱いしてボコボコに殴りつける。しまいには魔法学校の生徒なのに魔法が使えないときた。他の生徒達が彼に向かって畏怖の念を飛ばすのも納得だ。しかーし、しかし、しかし。この僕だけが玖雅聖人という男に正当な評価を下せるのだよ。彼が僕達の下で働けば、全ての物事が潤滑に、そしてスピィーディーに運んでいくだろう。言わば彼こそが、僕達の救世主と成りえる人材だ。一回断られたからと言って諦めるのは男じゃない。何度も何度も玉砕覚悟でスカウティングしていくのが真のエキスパートだと思うのだが、君の意見はどうだ?」
いつもながら自分流のスタイルで会話の流れを作っていた。この独特な喋り方が嫌になって他の社員は辞めたというのに、当の本人は気が付いていない。だからこそ寺田誠の会社にはイカれた人材が求められているのだ。他の世界で厄介者扱いされた人間こそ、彼の会社には必要な人材である。類は友を呼ぶと言うが、寺田自身も自然と玖雅聖人が必要だと判断していたのだ。その点は間違っていないと言える。とは言っても玖雅聖人を社員として迎えるのはまた違う話しだ。彼を取り込むなど天地がひっくり返る確率じゃないと有り得ない。つまりは不可能という意味である。彼の元で長年秘書をやっている雨野も、無謀な挑戦とばかりに否定的な言葉を出していた。
「お言葉ですが、玖雅聖人を味方につけるのは至難の業ですよ。それよりも、無難な攻め方をして人材を確保する方がリスクも少なく、101回目の倒産を回避出来ると私は思っています」
「おいおい、君は僕を誰だと思っているんだ? 確かに雨野君の言っている事は概ね理解しているよ。理解しているからこそ、僕は玖雅聖人を最終目標として定めているのさ。今は無理かもしれないが、我が社を復興したあかつきには、必ず彼を引き入れてみせる!」
寺田は燃え上がっていた。玖雅聖人を最終目標という名の後回しにして、まずは周りを固めていく作戦なのだ。