06
「現実では目が見えないんだよ、私」
先程のコンビニへと向かいながら言葉を交わす。
再び眼帯を巻いた少女は、しかし、少年達に襲われていた時のような大人しさはなく、先程までの彼女のままだった。
そんな今の彼女の姿といえば、裸に僕が着ていたジャケットだけを羽織るというなんとも扇情的……というには幼い躰を晒していた。
少年達に乱雑に脱がされた所為で所々が破れた初期装備は捨て、代わりに何かないかと探したものの―――少年達の着ていた防弾チョッキは仕返しとばかりに彼女に切り刻まれていた―――特に何もなく、結局そんな恰好に落ち着いた。結果、洋服が売っていると言っていたコンビニへと向っていた。
もっとも、彼女自身は肌寒いという感覚があるだけで、その事には頓着していなかった。元々現実では見えていない所為で、裸体を見られる事を恥ずかしいと思う感性が皆無のようだった。
半裸の少女と共に歩く夜道。その姿さえ気にしなければ、何とも、普通のVRMMOのような、そんな雰囲気だった。そんな雰囲気の中、彼女はぼそぼそと自らを語っていた。
「医者の先生が薦めてくれたの。この世界ならもしかしたら目が見えるかもしれないって。悪魔を倒すような殺伐としたゲームだけれどってそんな風に笑って言っていた。お母さんと一緒に喜んだ。例えゲームの世界でも世界を知る事ができるのならって。だからお母さんが無理して筐体とか揃えてくれた。βテストに当選した時は皆で喜んだ。キャラの名前入力とか設定は全部その先生がやってくれた。御蔭で目が見えない私でも簡単に参加できた」
でも、とそう言って彼女は少し言葉に詰まった。
「でも、見えたのは大量の肉の塊だった。それが肉の塊なんだって気付くのに時間が必要だったけれど……赤い、とっても赤い色に染まった肉の塊が蠢く世界だった」
「それはそれは」
是非見てみたいと思った。
彼女は一体、どんな世界を想像していたのだろう?『見える』僕には到底想像できない世界を想像していたのだろう。けれど、実際にその目で見た現実は想像とは違ったのだ。世界に忌諱を抱くほどに。狂ってしまいそうになるほどに。
「真っ赤に染まった世界だった。肉の塊が集団で蠢いたり、壊れた建物を覆う様に肉が浮いている。お母さんに聞いていたのと同じだったのは武器とか建物だけ。それと貴方。それ以外は全部、真っ赤に染まった気持ち悪い肉の塊に見える。嫌だった。こんな世界嫌だった。こんな世界に生きていた事を知って、死にたいと思った。けれど、自殺禁止だった。結果、私は気が狂ったの。耐えられなかったのね、きっと」
そう言って明るく笑う彼女が闇夜に映える。
「シズに目を潰された時、少し元に戻っていたと思う。見えない方が良いと思った事は初めてだったよ……失って初めて知る事ができるって言葉の意味をその時知った」
見える事を失うと、この少女は言った。
それが世間一般ではどれほどおかしなことか彼女は知らない。そして、その認識あるいは感覚こそが彼女の根幹なのだ。
「見えないままで死ねれば良いかなと思った。さっきの奴らに襲われた時も殺してくれるならこんな作り物の躰なんて好きにしてくれても良いと思った」
「あの場で君に死なれたら、殺さなかった意味がない。君が僕に付けた傷、それがもう見られないのは残念だ」
「貴方はとっても酷い人間ね」
「それはどうも」
苦笑する。
そして、沈黙。
他人事のように同情して、可哀そうだねと言った所で意味もない。そもそもそんな事欠片も思っていない。僕に彼女の想いが分かるわけがない。寧ろ、彼女のその境遇があんなに綺麗に人を殺せるという事に感謝すらしていた。彼女には人間認定されたけれど、僕こそが人でなしだろう。少年達の方がまだ生き汚いという点で人間らしかった。
そして、それよりも尚、人間らしい存在が居た。
またしてもスカベンジャー相手に残飯を与えているNPCの少女、アリスである。店仕舞いの時間なのか先程とは違う服を着ていた。膝まである青いニット製のワンピース姿に白い靴下にスニーカー。現実の街を歩けばどこにでもいるような女の子然とした姿だった。凝っているな、と思う。
「さっきぶり。もう店仕舞いか?」
「いえいえ、このコンビニは24時間営業ですよ!勤務時間24時間ですよ!……って、お客様!真夜中に女性を半裸で歩かせるご趣味があるだなんて!いやだ、私もその内お仲間にされるのねっ!なんて鬼畜なお客様なのっ」
酷い言われようだった。
そんなテンションの高い彼女の声にびくりっと身体を震わせてスカベンジャー達が逃げるように黒い羽をはばたかせて飛び立っていった。そして、先程のようにアリスが頭をぽりぽりと掻きながらしまったという表情をしていた。
「違う。寧ろ襲われていた女の子を助けた善良な人間だ」
「そんな腐った魚のような目で言われても信じられません……そちらのお客様?本当でしょうか?」
酷いNPCである。
「……肉の塊が人の言葉を話さないで」
何かを期待したのだろう。眼帯をずらし、アリスに目を向けたと同時に、嫌悪感を浮かべた後に眼帯を元に戻し、そう口にした。
「確かにお肉の塊ですけど!自慢のお肉ですけれど!」
胸を張り、ワンピースの内側に隠されたそれを自慢気にGOTHICに向ける愉快なNPCがいた。アリスだった。
さておき。
世間一般の普通の男性や女性ならば確かにアリスのような豊満な、と言っても良い見目の良い乳房に見惚れるかもしれない。が、GOTHICにとってはNPCも肉塊に見える、か。本当、面白い目だ。
ちなみにGOTHICのそれは、擬音で表すならばツルッとかペタンッである。
「不穏な視線を感じる……」
「どうでも良い事さ。僕は肉の塊に興味はないんでね。それが作り出す女という造詣には興味がなくもないけれど……ま、それよりもアリス、この子に服を見繕ってあげてくれ。あと、買い取りをお願いしたい」
言って、先程の少年達から剥いだ装備をアリスへと引き渡す。もっとも大したものはない。大したものである所の弾丸やサブマシンガンに関しては僕が頂いた。例の鎌は当然の如くGOTHICへと渡した。
一度確認させて貰ったが、割と業物であり、攻撃力はサバイバルナイフの5倍ほどあった。これを彼女が使えばこの辺りの悪魔など一撃でいける事だろう。
しかし、サブマシンガンならば自衛隊基地などで手に入れたと分かるが、こんな武器をどこで彼らは手に入れたのだろうか。件の設計図という奴だろうか。そこは少し気になるが、考えた所で分かるはずもなかった。ちなみに、加えて言えば、STRに関する装備制限がかなり高く、僕らのレベルではGOTHICのようなSTR-AGIの二極でもぎりぎりらしかった。とはいえ、装備制限と言ってもステータスが満足していないと持てない、というわけではない。あまりにも重い武器などはまた別だろうけれど、行動時にペナルティが掛るだけだ。御蔭で鎌を確認しようと手にした時、僕の動きが大層鈍った。さておき。彼女でぎりぎりなのだから、あの少年の場合は、ペナルティのある状態だったのだろう。馬鹿だと思った。身の丈に合わない武器など邪魔でしかない。
「お客様?設計図もありますが、こちらも売却なのでしょうか?勿体なくありません?」
考えていた所為だろう。一瞬、アリスの言葉の意味を理解できなかった。そして、理解できたと同時に、苦笑する。
「NPCの言う台詞かね……」
眼前に浮かぶ取引画面の完了ボタンがNPC側から押されないというのは面白い。
「勿体ない物を勿体ないと言って何が悪いんですか、鬼畜様」
ちなみに、そのイントネーションは『おきゃくさま』と同じだった。ほんと、凝ったNPCである。こんな学習機能を持ったNPCを何体も稼働させているこのゲームのサーバーの負荷はどれぐらいのものなのだろう。そんな現実的な事が気になった。自宅の部屋に置いてある専用筺体から僕の発言がデータとしてサーバー側に受信され、それを解釈し、NPCに学習と返答をさせる。まったくどんな処理をしているのやら。正直、こんな状況で現実の話などどうでも良い事だが、少し気になった。
「酷い言われ様だ。ちなみに何の設計図だったんだ?大したものが無いと思って適当に扱っていたから確認してないな」
「シズ、貴方わりと抜けているというか、思いの外適当よね」
ぼそっと呟いたGOTHICの言葉に、確かに、と納得せざるを得なかった。
「ナイフの類ですね。作ってみないと実際にどのナイフが出来あがるかは分かりません。レア度はC相当です。Cというのは鬼畜様のサバイバルナイフの一つ上です。もちろん、Cの中でも上位、中位、下位が御座いますので当たれば儲けものです」
「Dが最低ランクと言う事ね。GOTHIC、君が持つかい?」
「いらない。それより服。その肉塊に見繕わせないで。殺したくなる」
「じゃあ、どうぞご自由に。君からだと左手奥だ。好きに探すと良い」
そんな、僕のすげない返事にハァと一つため息を吐き、そうするわ、そう言ってGOTHICが手探りで店の奥へと向かう。そんな彼女を見送りながら、手探りというのには頓着しないのだな、と苦笑する。その手はどんな感触を彼女に伝えているのだろう。やはり肉のような柔らかい感触なのだろうか。いや、違うか。
武器や防具、建物に関しては真っ当に見えると言っていた。ナイフを扱えたのも鎌を使えたのもそれが理由だ。反面、悪魔やNPC、僕以外の人間……生きている物は肉塊にしか見えないようだった。御蔭でNPCや人間は服を着た肉の塊に見えるわけだ。それは、それは気持ち悪い事だろう。ちなみに、先程の彼女の発言から、廃墟を覆うように生えている草木も彼女にとっては肉塗れに見えるらしい事が分かった。生きているという意味で草花も同じなのだろう。まったく、興味が惹かれる目だ。
しかし、そうなると彼女が真っ当に見える僕は『生きているもの』ではないのだろうか……。実は僕は自分がNPCだと知らないNPCだとかいう事はあるだろうか?いや、まぁ、例えそうだとしてもアリスが肉塊に見えるのだから、NPC云々は関係ないか。
「肉塊……そんなに胸が気になるのでしょうか。あの方もまだまだこれからでしょうに」
そんな事を考えている僕の傍にアリスが寄って来て耳打ちしてくる。
「そういう意味では……いや、何でもない。ところでアリス」
自分の人間性という考えても仕方の無い事を考えるのを止め、どうせGOTHICが戻って来るまで暇なので、時間を有効に使うためにも情報収集といこう。
そう考えて、少年達から奪ったサブマシンガンを仮想ストレージから取り出し、アリスに見せる。
一瞬、びくっとした表情を浮かべたものの、銃口を下げれば、ほっとように胸を撫で下ろした。そして、次の瞬間、じとーっと睨まれた。
「流石、鬼畜様です。か弱いコンビニ店員に銃を見せびらかして脅す気ですか?脅す気なんですね?狙いはなんですか?もしかして、私のお肉ですか!?私の貞操ですか!?」
鬱陶しいNPCだった。
「違う」
「……では、なんでしょう鬼畜様?お帰りはあちらですが」
「それも違う。……銃のメンテナンスというのはどこかで出来るのか?」
少年達から手に入れたサブマシンガン、戦闘行為の所為か少し表面が傷付いていた。使う分には問題ないが、表面が傷付くと言う事は当然、その内部も傷付くという事だ。これから先、中身が壊れた時にはどうすれば良いのか、それが疑問だった。捨てれば良いのか、後生大事に持っていれば良いのか、それとも修理できるのか。サブマシンガンの方は大した想い入れもないので良いが、Cz75には最後まで付き合って貰いたいので直せるなら直したい。
「東京に行けば専門の鍛冶屋がおりますのでそちらにお越しいただければメンテナンスが可能です」
必然、東京に人が集まるような形になっているわけか。何とも、厭らしい世界設定だ。
「自分で修理はできないのか?」
「専用のキットがあればある程度は可能です。ですが、修理スキルがないと難しいですね」
アリスのその言葉は思いの外示唆に富んだ言葉だった。良い情報を得たと思った。修理スキルは武器を自分で治そうとすれば取れるという事だろう。
「簡易なもので良い。あれば売ってくれ」
「ありません♪」
ふふん、という得意げな顔が大変不愉快だった。
「街が発展しない限り、そういうのは無理です」
「発展……」
「はい。そうすればNPCの人口も増えますので、こちらの地方にもスミスが配置されます。修理道具はスミスから購入可能です」
「どうすればそれができる?」
「城主になればできます。城主になるためには城に攻め込んでそこにいるボスを倒す必要があります」
初耳の情報だった。ヘルプにも書いてはいなかった。
とはいえ、どちらにせよ、ソロでは無理な話であり、僕には関係のない話だった。そして、なるほどと納得した。ギルドというものが一応設定されているわけだ。ギルド単位、あるいはギルド同士でレイドを組んで城に攻め込み自分の領土を作れば過ごしやすくなるという事だ。もっとも……最終的な結果が仲違いなのは変わらないのだけれども。寧ろそれを意図しての事だろうか。
「城主権限として法令設定や都市の発展などがありますので、是非ご活用ください。なお、北海道、東北、関東、北陸、中部、四国、中国、九州、各地方に1つずつしか配置されておりませんので、必要な方はお早めに。なお、城主が誕生した場合、皆さまの視界に案内が表示されます」
そんな風にNPC然と説明してくれているアリスの言葉を聞いていれば……噂をすれば影であった。突如として視界の隅に文字が映る。
『 なめなし君 が 関東 の城主となりました。以後、 関東 は城主の設定した法令に従い運営されます』
「NERO……ソロで?」
今日少しだけ一緒に時間を過ごしたケラケラと笑う少年の姿を思い返す。次いで、別の文字が視界に浮かぶ。
『 関東 制定法令 NPCはプレイヤーキャラクターを殺害可。以降NPCのキルカウントは なめなし君 に統合されます』
何とも素敵な法令を発令するものだ。
少年達に向けた憎悪を思い出す。彼は一体、どれだけNPCを大事にしているというのだろう。人間ではなく、NPCを……。軽やかに笑いながらランキング順位を誇っていたあの少年はどれだけ……人間を殺したいのだろうか。
「NERO様……どこかで聞いたお名前ですね」
「客として来たのか?」
いや、それならばキャラ名であるなめなし君の方を名乗るか。
「いえ……どこでしょう?」
そんな僕の言葉に、アリスが不思議そうに顎に指をあてながら考え出した。んーんーと悩む愛らしい姿。これをNEROは守ろうというのだろうか。学習機能があるとはいえ、所詮、作れた者だ。僕には全く、分からなかった。だが、同時に少しは理解したいとも思った。それが彼の根幹だというのならば……。
それから暫くして、着替えを終えたGOTHICが戻って来た。眼帯を巻いたままで良く着替えまで出来るものだと素直に感心しながら彼女を見れば、あろうことか黒一色に無駄にひらひらしたゴシックロリータ姿であった。
「お母さんに聞いていたGOTHIC系の可愛い服。それを着てみたかったの。これで良いのよね?一応、眼帯外してみたから間違ってないと思うんだけど……」
「良くお似合いですよ、御嬢様!」
「煩い。肉が喋るな」
「……酷い御嬢様です」
しゅんとしているアリスはさておき。
その黒い服ひらひらとした服は彼女の小さな体躯に良く似合っていた。手に持った鎌が尚更に良く似合う。加えて眼帯姿というのも何とも淫靡な感じがして良く似合うと思った。そんな可愛らしい姿をした死神が人を殺す姿は、想像するだけで僕を昂ぶらせる。そんな昂ぶりは次の瞬間、
「……これでもう満足。だからさ、シズ。私を殺して。化け物みたいな奴らじゃなくて、人間の形をした貴方に殺されるなら本望だよ」
冷めた。
儚げに笑う彼女。
切なげに笑う彼女。
悲しげに笑う彼女。
「私ね。正直、もう何も見たくない。だから―――今、殺して」
その言葉にアリスが慌てていた。慌て、僕と彼女に視線を行き来させている。全く、ほんと人間くさい。こんな所で死を願う人間よりも。
「さっきも言ったけど、勿体ないから断る」
こんな所で彼女にもっと殺せと告げる僕よりも。
死なれては困る。僕が楽しめない。彼女の様な類まれな殺し方のできる人間を殺してしまっては勿体ない。一度見たからこそ尚更にそう思う。
「けれど、もし、最後まで残ったら、僕が君を殺してあげるよ」
だから、そう言った。
「……貴方は、とっても残酷で、とっても優しいね」
「前者は受け入れるが、後者は酷い勘違いだ。僕はただの人殺しで、ヒトデナシだよ」
自分が殺した少年達を思っても何の感慨も浮かばない。寧ろ彼女が殺すべきだったと今でも思っている。そんな人でなしだ。
「そうね。そうかもしれないね」
再びGOTHICは悲しげに笑った。
「じゃあ、がんばるから……最後の一人になったら、殺してね。私、現実になんて還りたくないから。汚い世界になんて生きていたくはないから……」
彼女が見ている光景はゲーム内での事であり、『彼』に作り出された偽物の世界だ、なんてそんな事を言った所で納得する事もないだろう。彼女は産まれて初めて『見て』しまったのだから。もう、それが記憶から消えることはない。その記憶を留めて一生を生きていけというのは酷な物言いだ。僕としては是非そうして欲しいが。
「あぁ、約束しよう。こんな世界でも破られる事のない約束をしよう」
「ありがとう……でも、その約束はいつでも破っても良いよ。途中で殺したくなったら殺しに来て」
執着。
彼女以上に綺麗な死体を作り上げる者が現れたのならばきっと僕は、その執着を捨てるだろう。
それまでは、是非、生きていて欲しいとそう思う。
生きて、その間に多くの人間を殺して、それでもなお、僕に殺されたいと願うのならば、是非、生きていて欲しいと思う。人に殺される事を諦める事なく、僕に殺されるために。
「鬼畜様は本当に……鬼畜様ですね。酷い人間さんです」
「酷い言われ様だ。傍から見れば少女が一人死なずにすんだんだ。なんて僕は優しいんだろう」
「そうですね、優しいですね」
棒読みだった。
そして、その場でGOTHICとは別れた。