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4.
東北。
北海道から南下しようとすれば最初に思い浮かぶ土地は当然そこである。
ターミナルを使って仲魔達を全国各地に送り込む事も出来るのだが、それは流石に控えている。千の仲魔がいるので多方面への同時攻勢も可能とは思うが、北海道という地の利を考えれば良い手段とは言えない。ただでさえ、この地は広くターミナルの数も多い。逆に複数都市を責められてじり貧になる可能性もある。結局俺がとった行動といえば、ターミナルのある都市に出現する悪魔のレベルを強化し、簡単には北海道の地に足を踏み入れられないようにして、その間に陸海空から東北を攻めるというものだ。
ちなみに、出現悪魔の強化をした結果、ターミナルを使ってこの地に訪れた者はその殆どがその悪魔達に殺されている。一部は仲魔達に殺されているが、殆どは野良だ。そして人間を殺した野良悪魔を俺とキリエがレべリングのために殺している。城の悪魔達の経験値が多かった事という事実から類推した結果であり、事実、功を奏している。殺人数まで継承されるとは思わなかったが……まぁ、今更だし、それはどうでも良かった。
そして現在俺達は東北の地へと向かうべく北海道最南端の都市まで来ていた。
今は夜明けに近い時間。体感的には深夜4時とかそれぐらいだろうか。穏やかな海の遥か遠くに幽かに陽光が見えるような、そんな時間帯だった。
朝と夜の境界線。
太陽の光と月の光が入り混じった海は、平時ならばきっと綺麗なのだと思う。が、現在その海は何ともコメントに困る状況になっていた。
数時間前に露払いとばかりにキリエの産み出した青い炎によって凍死させられた低レベルの海洋悪魔が今もなおぷかぷかと水面に浮いている所為である。
『主様の邪魔をする者は私が全て切り伏せます』
口元に手を宛て、上品に笑いながらそんな事を言っていた。そんな彼女に向かって流石に切って無いじゃんという突っ込みを入れる勇気はなかった。
さておき。
キリエがそんな事を言っていたのを遠い昔のように思い出しながら、現在は対岸―――精々数百m程度―――で行われている仲魔達と人間との戦闘を眺めている彼女に目を向ける。
兜の内側に見える彼女の表情には嘲笑染みた笑みが浮かんでいた。あるいはそれは不遜というべきか。私ならばものの数分なのにとでも言わんばかりだった。事実、彼女が出ればそれぐらいで終わるだろう。そう思う。
リディスが鬱屈とした感情を浮かべる一方、キリエは増長していると言って良かった。レベルが上がるという彼女の特性は他の悪魔達がどれだけ強かろうがそれを覆す程のものである。彼女が一体どこまでレベルがあがるかは定かではないが、まだ止まる様子はなかった。
彼女は仲魔達から嫉妬され、嫌味を言われる事もあるようだった。けれど、彼女はそれを苦にしない。自分が固定レベルの悪魔達には絶対に辿りつけない領域に存在する事を彼女は十全に理解している。理解して行動をしている。嫌味だろうと嫉妬だろうと、所詮、彼女がレベルを上げてしまえばそんなものは負け犬の遠吠えみたいなものだ。いずれ使い捨てられる者達の言葉に耳を貸す必要もなし、と。そうやって耳を貸さず、彼女は地道に殺戮を繰り返してつい先日、それまで最高レベルであったニアのレベルを超えた。そして、名実共にキリエはレギオンの長となった。もはや誰が何を言おうと彼女は気にしないだろう。
レベルではどうしようもないセンスや経験に関しては武芸達者な仲魔達に色々と教えを請うている―――オブラートに包んだ言い方である―――ものの、そういう言葉もそれも請う必要がなくなった時には彼女はそれを簡単に切り捨てる事だろう。その内、私以外の悪魔は全て捨てて下さい、私一人で十分ですとか言いそうで……正直な事を言えば、俺は恐ろしかった。
そんなキリエではあるが、ニアだけに限った話をすれば一見、そんな事とは関係なしに仲が良いように見える。つい先日まで同レベルだったからというのもあるかもしれないが……
気付けば今も何か話をしているようだった。呆と考え込んでいた所為だろう。いつの間にかニアがキリエに声を掛けていたらしい。
仲魔内プリティランキングNo.2の座に君臨しているフォックスツーテールを撫でつつ浜辺に座り、2人の様子に目を向ける。
「でしたら、そちらを優先しましょうか。後顧の憂いは絶った方が良いでしょう」
少し丁寧なキリエの喋り方。いつだかリディスに向かって使っていたような皮肉交じりの丁寧語ではなく、純粋にニアを尊敬しているかのような語り口だった。
ニア以上のレベルで悪魔達を従える事の出来るスキルの持ち主が現れない限り、キリエはニアを無下にする事はない。……もっとも、そんな悪魔が現れた時はきっとばっさりと関係を切るに違いない。だからこそ『一見』であり『仲が良いように見える』なのだ。そも、キリエはデュラハンの生贄だったのだから尚更……切り捨てる時は早いだろう。
あるいはキリエのような性質を持つ悪魔がもう1体でもいれば話は違ったのかもしれない。だが無い物をねだっても仕方がない。だからといってキリエを排除する気もない。キリエの存在によって確かに仲魔達の中に不協和音が聞こえているが、目的達成のためにはキリエという強力な仲魔を失うわけにもいかない。
「どうでしょう?憂いを断つのは良いかと思いますが、キリエ様が出るほどですかね。このタイミングで指揮官であるキリエ様が前線から抜けるのは流石に士気に関りますので出来ればご遠慮願いたいです」
ふわふわとキリエの前に浮かびながらニアが語る。
「それは……確かにそうですね。でしたら暫くは都市防衛部隊に任せます。いくらアレでもそれぐらいはやってくれるでしょう。……では、空挺部隊には変わらぬ情報収集を。先遣隊は変わらず東北の人間を相手するよう連絡願います」
考えるように顎に骨の手をあてながらキリエが語る。
「承知しましたわ。しかと伝えておきます」
それにしても何の話だろうか。
詳しい事はさっぱり分からなかった。
レギオンの長はキリエであり、東北方面侵攻部隊のリーダーも勿論キリエである。俺の役目といえば、御印というか、偶像というか……有体に言えば緊急時に肉壁に使われるぐらいのものだった。そんな役割しかないとはいえ、俺がこの場にいる事でキリエのやる気が増すというのだから参加せざるをえない。ないのだが……いかんせん、リディスが近くにいない日々を過ごすのは―――格好付けて出発したものの―――正直、なんとも言えない気分だった。我儘だとか色ボケだとか罵られてもおかしくないが、それでも彼女には傍に居て欲しかった。
まぁとはいえ、今更強引にこの場にリディスを呼んでキリエに白い目を向けられるのもあれなのだが……それこそ士気に関る。
キリエのリディスに対する態度は城を得てから日に日に悪くなっていった。それはすなわち、キリエのレベルがあがれば上がるほどという意味でもあった。今ではリディスに向ける視線はそれこそ蟲や何かを見るが如くであり、言葉もまたかなり辛辣になっている。それだけに留まらず俺がリディスの所に行くたびに不機嫌な様相を見せたり、リディスを仲魔達の前で公然と罵倒したりする事もあった。『可愛いだけが取り柄のリディスさん?貴女いつまで主様の仲魔の枠に収まっているのかしら?』とか『死にたくないなら主様のストレージの中にでも隠れていれば良いんじゃない?』とか。酷い言い様にも程があった。そういう台詞をキリエが口にした時には俺からも文句は言っているのだが……それが逆に良くないと言う事に最近気付いて来た。
例えば同級生の女子達の虐めというのが近いだろうか。男である俺が彼女を庇えば尚更陰で何か言われたり、されたりするだろう。そう思い、最近は正直、口を出しかねている。
その行動もそうだが、NPCと同程度の経験しかないにも関らず彼女らのこの感情豊かさ。本当、人間より人間くさいと思う。
ハァとため息一つ。フォックスツーテールの首の後ろをカリカリと撫でながら更に2人の様子を見ていれば、ニアが鳥型の仲魔を呼びつけ、二、三言葉を伝える。そして、その言葉を受けて鳥型の仲魔が飛んで行った。それに釣られるように空を舞っていたスカベンジャーが彼と並走して飛んで行く。ちなみに彼はスカベンジャー3匹分ぐらいの大きさであるのでお父さんとかお兄さんといった感じだった。
さておき。
しばらくして、キリエが何とも良い笑顔を浮かべながらこちらに歩いて来た。先程まで真剣な表情で考えていたのが嘘みたいにさっぱりとした笑顔だった。
「主様。ご多忙中失礼いたします。お耳に入れたい事が」
誰がどうみても多忙ではない俺に対してそんな皮肉を言ってくれるキリエだった。なぜそんな風に?と思って彼女の視線の先を見れば……俺に喉を撫でられているフォックスツーテール。もしかして羨ましいとかだろうか。
「何かあったのか?」
「はい。どこのプレイヤーかは分かりませんが、悪魔を殺し周っている者がいるとのことです。それだけでしたら別段問題ないのですが……城に近い、と」
「あの辺りの出現悪魔レベルはかなり上げておいたはずなんだがな……悪魔の集団行動義務化レベルも最大に近いはずだぞ」
制定法令として悪魔特区、集団行動義務化のLvは共に5。これでも平均レベル30近い悪魔が集団で出現するのだ。それにも関らず、というのは僅か疑問だった。
ちなみに悪魔改造許可条例というのもレベルはあげているが、仲魔達の改造はしていない。出来ていないと言った方が正しいけれど。相変わらずやり方が分からない。あるいは……未実装なのだろうか?もし仲魔を改造できるなら、リディスも強くなれるかもしれないのだが……。
「はい。私程ではありませんが、そこそこ強い……あぁ、そうですね。リディス様よりは強い悪魔達だったと思いますけれど」
態々言い直した。
「キリエ!」
どなり声にフォックスツーテールが驚いてびくりと体を跳ねあげる。
「あら、主様はまたあんな可愛いだけのレベルの低い悪魔を庇って……羨ましいですね。私も主様に庇って欲しいです。可愛らしいというのは本当……得ですね」
顔を隠すように骨で出来た手を広げ、顔に当てる。しくしくと態とらしく悲しんでいる風を見せていた。
そんなキリエにため息一つ。これ以上言った所で城に帰った時にリディスが困るだけだ。ここでキリエと問答をしていても意味はない。
頭が痛い。
頭を振りながら、キリエに話を即す。
「そのプレイヤー、特徴とかはないのか?城付近の悪魔を殺せるって事はレベル30以上のプレイヤーだろう?限られていると思うが……」
考えられるとすれば不動のキルカウントランカー達……WIZARD、NERO、SITER、Queen of Deathの4名ぐらいだろう。後は以前リディスが見たという男キャラ……あと、思いつくのは……
「話を逸らしましたね、主様。別に構いませんが……そうですね。ニアから聞いた情報によれば鎌を持っているとか」
瞬間、感情が爆発した。
熱い血がどくどくと体の中を巡って行く。次第、次第と体の中をその熱が埋め尽す。先日宣言を行った時に感じたそれよりも尚熱い。
喉が渇く。
まるで誰かの血潮を欲したいとばかりに。
その俺の変化にフォックスツーテールが慌てて俺の膝から離れて行く。それに一瞥をくれることもなく、キリエに目を向ける。
「キリエ」
自分のものとは思えないぐらいに低い声だった。
「あら、主様。怖い顔をなさってどうされたのです?」
涼しげなキリエの表情が少しばかり、紅潮しているように見えた。だが、そんな事今はどうでも良い。キリエの事を気遣うような余裕は今の俺には無い。
「今すぐにお前が行って殺せ。……いや。待て。俺も行く」
SCYTHE。
あの女。
ゴシック調の服に身を包んだ小さな死神。
アレが俺の国に来たというのか。
だったら歓迎してやらなければならない。東北侵攻などどうでも良い。ここで手を引いてLAST JUDGEMENTに攻め込まれ様と構わない。
何を置いても真っ先に彼女を歓迎してやろう。
「主様?」
「俺の客だ。国賓だよ。盛大に出迎えて殺してやらないと気が済まない。そんな相手だ」
「ふふふ。主様にそんな方がおられたのですね。それはそれはみてみたいですね。どんな方なのか私、とても気になります。……あぁ、主様?手加減はなしで良いのですよね?」
キリエがぶるり、と身を震わせて興奮でもしているかのように更に頬を紅色に染める。
「あぁ。勿論。遠慮も手加減も一切不要。あいつの肉片は一つも残すな。スカベンジャー共にもくれてやるな」
「承知。あぁ、ぞくぞくしますね。すぐに参りましょう。急いて、急いて参りましょう。……ですが、申し訳ございません主様。今しばしお待ち下さい。丁度対岸でレギオンと戦っている人間を殺してから……」
「その時間も惜しい。そんなもの後でどうとでもなる。捨てておけ」
「……そう言う訳にもまいりません。それに、それこそ時間ならリディス様が稼いでくれるでしょう?それぐらいやって頂かないと留守を任せた意味がありません」
「キリエ。今は許す。だが、少しでも遅れてみろ……」
その言葉にキリエが小さく舌打ちし、次の瞬間、嘲笑を浮かべた。そしてわかりました、わかりました、とばかりにぞんざいに骨の手を振りながら俺に背を向けた。
「30分ほど御待ちを」
「10分だ」
「悪魔遣いの荒い王様ですこと……ですが、それを叶えてこその忠臣ですね。褒美期待していますわ、主様」
言って、骨で出来た右手に青い炎を浮かべ、左手に逆手で巨大な剣を掴みながらキリエが海上を青い炎で凍らせながら駆けていく。嬉しそうに三日月のような笑みを浮かべながら。そして、少し離れた位置で俺達を見ていたニアに対し、首の振りでお前も行けと命じる。珍しく俺がそんな所作で命令をした所為だろう。ニアが慌ててキリエを追いかけて行った。
「SCYTHE……待っていろ」
恋焦がれるように言葉を紡ぐ。
「もう二度と、俺の仲魔をお前には殺させない」
苦い想い出。
ウンディーネの最後の姿を思い返す。
彼女の見たかった悪魔の王の姿を見せてやろう。彼岸にも届くように、大げさに。盛大に。仲魔達で作り上げたレギオンでSCYTHEを解体してやる。
あの日、ウンディーネ達が解体された時のように。
今度はこちらがそれを行う時だ。
「精々、無様に足掻いてみせろ」




