06
例えば道端に可愛らしい子犬が歩いている時、その子犬が将来凶暴になるから今の内に殺そうと考える者はいない。同じ理由でこれから先、人間を殺す可能性があるからといって人間を殺そうとする人間もいない。真っ当な倫理観においては当然、そう考えてしかるべきである。けれど中にはそう考えない者もいる。
『未来のことは誰も分からないんだから、正当防衛と主張しても良いんじゃない?』
『これは緊急避難であり、正当な防衛だと?』
『えぇ』
『過剰防衛だと思うがね』
『見解の相違ね。ところで貴方、それって死体から弾丸を掻き集めながら言う台詞ではないと思うわよ?』
それがWIZARDとの最初の会話である。
コンビニで情報を集めていた時、ふいにその事を思い出した。
そんな事を言ってのける彼女に、興味がわかなかったと言えば嘘になる。とはいえ、その時は言葉そのままに理由のある殺人を犯したのだなと思い、あまり興味を抱かなかったのも事実である。殺し方があまりにも酷かったというのもそれを助長させた。どちらかといえば、死んで躯になってくれた方が綺麗だと思えた。だから、是非彼女には死んでほしいと思った。
けれど、今は少し違う。
細く白い肌に浮かぶ醜い十字のリストカット痕。それが僕の好奇心を擽っていた。
その腕をどう切り落とせば良いのか?彼女が誰かに殺され、その腕を持ち去られたらどうだろうか?スカベンジャーに喰われ、この世界から無くなってしまうと考えるとどうだろうか?
勿体ない、というのが正直な所だった。
御蔭で彼女への興味が沸いてきたというのも、正直な気持ちだった。
「レベルが上がらない事にはどっちもできないが……いつだって選択肢は強者にしかないものだ」
呟く声は夜の駐屯地に消える。
今は一人。
そのWIZARDはこの場にはいない。コンビニで二手に分かれる時、遊んでくると言ってどこかに行ったままである。帰って来るにしても駐屯地に戻って来る事はないだろう。恐らく、戻るとすれば昨日のホテルだろう。
「クエストが終わった後にまた来ないといけないというのが、どうにもお遣い気分だ」
案の定といえば良いのだろうか。NPCのおっさんに聞いた所、クロムモリブデン鋼を手に入れるためには銃を解体するのが手っ取り早いと言う事だった。Cz75を解体する気もなく、さりとて昨日手に入れた壊れた銃は軒並み鉄となっている。御蔭で新しく銃を探す必要があった。
それを手に入れるにはそれが落ちている場所を探す他なく、こうして再び駐屯地まで戻って来た。Cz75を手に入れた時のようにヤクザ屋でも探せば良いのかもしれないが、場所が全く分からない以上、場所が分かる場所に来るのは至極当然の判断である。もっとも、例のギルドが駐屯地から軒並み拳銃を持って行っているのならば無駄足になるが……。加えて、解体した所で必ずしもクロムモリブデン鋼が手に入る可能性があるわけではない。
結局、試行回数を増やせるように大量の拳銃を手に入れる必要があった。
コンビニに売っていたペンライトの灯りを頼りに昼間通った建物の中を行く。それこそ探し物をするならば昼に行けば良いのかもしれないが……建物についたぐらいに丁度陽が沈んだ所為である。何とも間抜けな話ではある。
だから、少し探して見つからなければ帰る予定だった。別段急いで手に入れる必要もない。そんな事を考えながら、学校の校舎に似た通路を歩いている時だった。
がしゃん、という音が鳴った。
その音に反応して、装備していたMP5を前面に向ける。だが、何が襲ってくるわけでもなく、音は遠ざかって行った。
そう、遠ざかって行ったのである。
誰かが移動していると考えるべきだった。
「こんな夜中にレべリングかね」
こんな夜中に探し物をしている人間の台詞ではないが。
その音に魅かれるようにして移動する。ペンライトを消し、窓から差し込む月明かりだけを頼りに移動していく。
その音を作り出した者に追い付いたのは、2階へとあがり、そして屋上へと至る階段を抜けた先。屋上だった。
それは、奇怪な姿をしていた。
一瞬呆然とし、トリガーから指が離れたのはそれが、人ではなかったから、だろうか。
背に天使の翼を携えた人型。
性別は女だった。それを示すように着こんでいる西洋風の鎧は乳房の辺りで曲線を描いていた。長い金色の髪が月灯りに輝く。青い短めのスカートから覗く長い足はやはり同じく西洋風の金属製のレッグアーマに覆われていた。そして、ガントレットに包まれた腕の先には身の丈程ある両刃の剣。
天使の騎士とでも言えば良いのだろうか。
背の翼をゆっくりと仰々しく動かしながら宙に浮いて月光を浴びるその姿だけを見れば、ファンタジーで語られる戦女神のようであった。
その割には目を覆う様に機械を付けていたのが何とも違和感である。
そんな違和感を拭うためというわけでもなしにMP5の銃口を天使に向けて引き金を引く。
カキンという音と共に天使の鎧が僅か削れ、銃弾があらぬ方向へと弾かれた。ならば露出している顔を狙うまでだ。だが、それをする間もなく、その目を覆うバイザーに剣を持っていない方の手をあて、
『―――人間からの銃撃アリ……攻撃力からの推定レベル35。……了解。後退します』
そんな人の言葉を虚空に放ち、次の瞬間には背の翼を羽ばたかせて飛んで行った。
あっと言う間だった。
そして、誰もいなくなった屋上。
昼間のクエスト空間で空いた穴はなく、ただただ雑然とした空間。そこに僕一人。
「人の言葉を使える悪魔もいるのか……しかし」
何だったと言うのだろうか。
通信機と思しきバイザーを利用し、その天使は一体『誰』と連絡を取っていたというのだろうか。
「『彼』か?いや……」
それは違うだろう。この世界の外から中を俯瞰して見ている方が『彼』らしい。
今更ながらに、あの時写真としてアップされ続けていたのは『この世界』の物なのではないだろうかと考えていた。ゲーム的な事を言えば、これはオープンβテストである。つまり、αテストやクローズドβテストがあった可能性は十分に考えられる。
写真に対して、脱ぎ切れぬ違和を感じていた理由はそれなのではないだろうか。人の形をしたデジタルな存在―――恐らくNPCの死体―――。それが故に僕は不愉快に思っていたのではないだろうか。そんな風に考え始めていた。
それを証明する手立てはそれこそ最後の一人になった段階で『彼』が再びこの世界に姿を現した時に直接聞くしかない。そこでYESと聞いてしまったら僕は一体どうするだろう。そんな詰まらない物を延々と作り出していた『彼』を殺してしまうかもしれない。この世界を作り上げた事に感謝しながら、弾丸がなくなるまで引き金を引くかもしれない。
……いや、今はさておこう。
「……悪魔を使役する誰かがいると言う事か?……思い当たるとすればDEMON LORDか」
それは以前キルカウントランキングに乗っていた名前だった。
今はSCYTHEによって抜かれてその名前はランキングにはないが……運営が悪魔の王などと仰々しい二つ名を与えたのならば、それなりの意味はあるだろう。人間に使役される悪魔、悪魔を使役する人間……そんな者が本当にいるのだろうか。
「とりあえず、戻るか」
『彼』の事にしろ、DEMON LORDの事にしろ、考えても分からない事を考えるのは馬鹿らしい。ましてこんな場所で考える事でもない。銃も見つからない以上、これ以上探すには暗過ぎる。
そう考えて、時折遭遇する悪魔を殺しながら、その都度スカベンジャーと戯れながら、小一時間かけて昨日のホテルへと戻れば、昨日と同じ様にWIZARDが毛布にくるまって寝ていた。そして、12時を越えた時、彼女は再び叫びをあげた。自分を虐げる『姉』の許しを請う、それも同じだった。
「生きていれば姉に殺されそうだから、あの時、その『姉』を殺したのか?」
なるほど。それならば、確かに正当防衛だ。
未来に確実に自分を殺す相手がいるのならば、それを殺さずにいるのは自殺行為でしかない。
「折角『姉』から逃れられたのに、生き延びたのに、この世界で最強とも言える力を手に入れて、他の誰よりも現実へと帰る事が出来る可能性が高くなったとしても、それでも死にたいと願うのは何故なんだ?WIZARD」
その気持ちが僕には全く分からなかった。
きっとこれも考えても分からない事に違いない。
叫ぶ彼女の華奢な首を手の平で押さえながら、そんな事を思った。
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それから数日、駐屯地で壊れた銃を手に入れたり、侵入できる民家に入ったり、ビルを昇ったり降りたりしながら銃を探し、解体しては失敗を繰り返し、漸く、クロムモリブデン鋼を手に入れた。そして、その場で設計図を元に銃を作成した。
成功だった。
「面白くない」
不貞腐れるように言うWIZARDの隣で僕は腹這いになって目標を定めていた。
出来あがった武器はBarrett XM109。25×59BmmNATO弾利用の全長約1100mm、重量15kgのセミオートマチック式のペイロードライフル。破壊力のある25mm弾を利用した重装弾狙撃銃。装弾数5発。その装弾数はあまりにも心もとないが、あり難い事に弾丸生成能力が利用できた。まぁ、もっとも品質が悪過ぎて9mmパラベラム弾よりも威力が無いのだが……。
「レベルがあがれば品質が良くなると言う事かね」
「さぁ?私は種類が増えたけど」
どこで手に入れたのか知らないが双眼鏡で隣のビルを覗きながらWIZARDがそんな事を言った。
ツインタワーの右側。以前、あのレイジングブルを持った女が居たビル。
そこに僕達はいた。
ここ2日程はこのビルの中で悪魔を殺したり、銃を探したりしていた。そして、つい先程発見した壊れた銃を解体し、クロムモリブデン鋼が得られたという話である。
「見える?」
「見える」
何がとは聞かなかった。
ここは狭い部屋だった。軒並みWIZARDにより爆破された御蔭でそこかしこが穴だらけであるのを付け加えておこう。壁は壊れ、窓も壊れ、元々置いてあった荷物はもはや影も形もない。御蔭で、狙撃するにはおあつらえ向きの場所だった。
「じゃ、がんばってね。これ終わったら関東にいってNERO狙撃しましょうNERO」
「あれには流石にダメージが通らんだろう」
「使えないわね」
「ヒモだからな」
戯言を吐きながら、スコープを覗き狙撃相手を見る。
顔が二つの獣。
顔が2つ、胴体は1つ。足は8本、尻尾は2本。
暇そうに部屋の中を闊歩する悪魔。
互いの距離は100mか200m程度。最大射程2400mを誇るXM109に届かない距離ではない。それこそ風の影響を考えるまでもない。マガジンから弾丸をチャンバーへ送り、ただ、引き金を引き絞れば銃身を通って初速425m/secの弾丸が音の壁を破りながら相手に喰らいつく。
轟。
拳銃やサブマシンガンなどとは比べ物にならない大音量と嫌になるぐらいの反動が体に響く。そして同時に派手なマズルフラッシュが室内を照らした。
瞬間、弾丸が向かい側のビルの窓を割り、暇を持て余した悪魔へと弾丸が到着し、その肉を吹き飛ばす……事なく肉を削る程度だった。
スコープから悪魔を覗けば、攻撃がどこから来たのか探すように2つある顔をそれぞれに動かしながら、あちこちウロウロとしていた。全く痛痒を感じていないようであった。
「やっぱり、あんまり効いてないわねぇ」
双眼鏡を下ろしたWIZARDが案の定とばかりにため息を吐いた。だが、勿論、想定内。それはWIZARDとて同じであり、答えを待つ事なくWIZARDが僕の隣に座り、僕は答えるように引き金を引いた。
一発。
二発。
三発。
四発。
リロード。
一発。
二発。
反動でHPが減ってしまいそうな程の痛みを感じながらも単調な作業を繰り返す。
なるほど、自殺禁止とはいえ、自らを痛める行為には痛みが伴うか。これが超長距離から攻撃するデメリットなのだろうと、そう思った。
響く痛みを無視しながら、さらに数発。その合間にも悪魔は攻撃主を探すようにうろうろ、うろうろと。身体から僅かな血を流しながらうろうろと。稚拙なAIだった。もっとも『フロア』ボスなのだから、フロア外からの攻撃には対応していないだけなのだろうけれども。
「悪魔が自動回復したらどうするのよ」
「作戦失敗というだけだ」
言ったものの、勝算はある。普通のVRMMOならば、ボス戦に負けて再度突入した場合にはHPが回復している。故に、戦闘が一度終わったと判断されればHPが回復する可能性は大いにある。だが、戦闘が延々と続いている場合ならばどうか。
轟音と閃光を撒き散らしながら、SPの管理をしつつ延々と間断なく弾丸を撃ち込んでいれば……いつか死ぬだろう。
「失敗したら諦めるだけだ。御蔭様で良い武器も手に入った事だしね」
「私は何もゲットしてないんだけど。あぁ!じゃあ、ヴェーゼでいいわよ。自他共に認める安い女であるところの私はそれで満足よ!」
などと意味不明な事を言っているWIZARDはいつのまにやら毛布を取り出して包まっていた。ローブの上から毛布を被るとはこれ如何に。というか、ホテルの備品ではなく私物だったのかそれ。良く見れば毛布の端っこに愛らしい黒猫が刺繍されていた。お手製か……。やっぱり、家庭的な爆弾魔であった。
「解体時のアイテムやらドロップアイテムがあれば全部進呈するさ」
「いらないわよ、そんなもの」
高い女だった。
そうやってどれぐらいの時間弾丸を射出していただろうか。
目を閉じても瞼を通して見えるマズルフラッシュ。耳に小さな石ころを詰めてもそれを越えて伝わって来る轟音にいい加減、やる気が失せてきた頃、僕のやる気を表すように陽が沈んだ。
XM109から作り出される閃光と轟音が暗く静かな世界を汚す。
そして、真っ暗闇というわけではないが暗くなれば、当然、スコープを通して悪魔が確認し辛くなってきた。むしろ、月明かりがあるとはいえ、ほぼ見えない状態だった。御蔭で先程から1発撃ってはそれが外れ地面に接触した時に出て来る灯りを頼りに2発、3発と連続で打ち込んで漸く1発が当たるか当たらないかというペースになっていた。それもXM109がセミオートマチックだからこそできた事で、ボルトアクションだったら弾丸をチャンバーに送っている間に動かれて見失っていた事だろう。
正直、このままでは埒が明かない。
そして、この部屋もいつまでも安全というわけではない。NPCのおっさんが言っていたようにこのビルには悪魔が多い。壁を壊している御蔭で外の通路や別の部屋からは丸見えであり、さらに轟音と閃光を撒き散らしているのだ。悪魔が寄って来てもおかしくはなく、事実、何度も悪魔がこの部屋に訪れていた。WIZARDの手の振り一つで爆発音と共に悪魔がいなくなるので問題はないのだがWIZARDが寝てしまえば針の筵みたいなものだ。先程から少し眠そうな表情をしている彼女をみれば、それがそう遠くない未来だという事が分かる。まぁ、しかし、正直良くこんな轟音を撒き散らすライフルの横でそんな眠そうな顔が出来るものだ。
「どちらにせよ、なんともヒモ的思考だな」
「何?」
「いや、なんでもない」
あるいは、WIZARDが眠る事なく……12時を超えたらどうなるのだろうか。
その考えに、少し昂ぶった。
起きたままWIZARDが12時を超えたらどうなるのだろうか?
パンドラの箱を開けるかのようなそんな気分に陥って来る。開けてはならぬ箱だからこそ開けてみたいと思うのは好奇心故に、だろうか。彼女への興味がそうさせるのだろうか。
起きたまま発狂し、SCYTHEのように襲ってくるだろうか。その腕で、十字のリストカット痕がついた腕で……襲ってくるのだろうか。
ぞくり、と背筋に興奮にも似た何かを感じた。
冷めた僕の心に一瞬、熱が籠った。
『 弾丸生成能力 がレベルアップしました』
そんなテロップが視界の隅に映ったのはまさにその瞬間であり、邪魔をされたように感じ、籠った熱は急激に失われて行った。
「スキルレベルがあがったよ」
「へぇ、おめーとでも言っておけば良い?」
ぱちぱちと適当な感じの拍手と眠そうな声が部屋に響く。それを轟音で消し飛ばす。
「さて。それは次のリロードまで待ってくれると嬉しいね」
一発。
二発。
立て続けにマガジンの中を無くし、リロードと呟く。ステータスの装備覧を見れば、少し攻撃力があがっていた。
「市販の9mmパラベラムと同等ぐらいかね」
大した上がり方ではなかった。豆鉄砲が大豆になったぐらいであった。
「残念賞」
ぱちぱち、とまた鳴った拍手を再び轟音で吹き飛ばす。
「ところで、まだ死なないの?」
「さて。血みどろぐらいにはなっているが……」
「陽が昇ってから試した方が良いんじゃない?今日よりは早くダメージ与えられるでしょうし」
「それはYESだ」
「じゃ、逃避行ね~」
そう言って二人で退散した。
ここまでやったのに、などという感慨は特になく、しいて残念だったのは、WIZARDが起きたまま12時を迎えなかった事だけだった。