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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第十二話 WIZARDに花束を
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第十二話 WIZARDに花束を

 泣いている少女がいる。


 薄暗い部屋の中、膝を抱え、顔を埋め、耳を塞ぎ、声を零さぬように泣いている。


 何故、その少女は泣いているのだろう。何が悲しくてそんなに泣いているのだろう。誰かに助けを求める事もせず、ただただ独り部屋の片隅で泣き続けるのは何故なのだろう。助けを呼べば良い。わめけば良い。けれど、その子はそうしなかった。ただただ独り、少女は泣いていた。


 どれだけ考えても私には分からなかった。


 だから、せめてどうすればその少女が泣きやむのかを、どうやって慰めれば良いのかを考えた。


 でも、それも同じ。


 どれだけ悩んでもその答えは見つからなかった。


 随分と長いこと悩んで分かった事がある。


 私にはこの少女は救えないのだ、と。


 『生まれ変わっても私たちの子供でいてちょうだい』、産まれた瞬間にそんななまえいをかけられた少女を救う事は、私にはできないのだ。


 けれど、私にも出来る事がある。


 この少女の代わりになる事ぐらいは……それぐらいは私にもできるだろう、そう思った。


 だって、その少女は私なのだから。


 その少女が泣きやむまで私が代わりをしていれば良い。


 それでその少女が泣きやんだら返せば良い。


 そこは少女の場所で、私の場所じゃないのだから。


 私は消えてしまえば良いのだ。


 別に悲しいことはない。寂しい事はない。


 その少女は私なのだから。


 




―――


 




 両親は私の名前を付けた次の日に亡くなった。


 音だけで言えばリンネ。


 生まれ変わっても私達の子供でいて欲しい、そんな想いを託された名前。漢字で書くと『輪廻』なのだろう。或いは漢字だけは女の子に適した形に変えて『凛音』かもしれないし、『鈴音』なのかもしれない。私としては『鈴音』がとても可愛らしくて良いと思う。


 けれど、その形も定まらぬ内に両親は死んだ。


 殺人だった。


 無差別殺人の被害者。


 何の思想もなく、何の意義もなく、両親はただただ無意味に殺された。犯人はたまたま通りすがりだった両親を殺した、らしい。恨み辛みの犯行ではなかったというのに、死体は酷く損壊していたという。現場を見た者達は軒並み、その場で胃の中身を吐き出した……という事を割と大きくなってから、親戚に聞いた。


 厭らしく下卑た笑みを浮かべながら言っていた事を思えば、その事で私が傷付くと思ったのだろう。その人間の思い通りになるのは癪ではあったけれど、その事で私は随分傷付いたように思う。古傷が痛む様な、かさぶたの内側を抉られた様な感じだった。もっとも、それを顔に出すことは無かった。


 そんな私の表情を見て、その人間が酷く残念そうだったのを覚えている。


 顔に出ないからといって傷付いていない、というわけではないのに。


 私の周りはそんな人ばかりだった。


 悪意を持って私に対する人ばかり。


 産まれてからずっと、そんな人達ばかりと過ごしてきた。


 父は純粋な日本人、母はロシアとどこかの国のハーフ。大層、綺麗な人だったという事を姉達が言っていた。嫉妬交じりにそう言っていた。


 両親の事で覚えている事はない。知っている事も少ない。


 子供は四人。ただし、一人わたしを除いて全て前妻の子供。


 そう。


 私には姉がいる。時系列を何処に置くかによるが『いる』。


 姉は……姉達は私の事が大層気に喰わなかったらしい。


 そんな事を言われても、私の両親が愛しあった結果、私は産まれて来たのだ。私には、私自身が産まれて来た事への責任はない。けれど、私は酷く悪い事をしたような気がして、私は産まれて来ては行けなかったのだと、幼心にそう思った。


 そう思って生きて来た。


 人間としての最初の記憶……自我の芽生えが何か?を覚えている人はほとんどいない。


 けれど、私は明確に覚えている。


『産まれてきて、ごめんなさい』


 人間失格、そんなタイトルの小説に出ているというその台詞。私はその小説を読む機会はなかったけれど、きっと私のように産まれた瞬間から悪意を与えられたのだろう。タイトルからすればきっとそうだ。そう思う。そんな人が物語とはいえ、いるかもしれないと言う事に少なからず嬉しさを覚えた辺り、私はやっぱり失格なんじゃないかな、と思う。


 自我の芽生えより先、それからの記憶は記録と呼びたいと思うものだった。


 他人の記録であれば、あぁそんな人がいるんだねと同情も出来たのだろう。けれど、生憎とそれは私の記憶であり、記録ではなかった。


 よく……という程、人と会話をした事はないけれど、人の死ぬ物語に感動するという人がいる。姉の内の一人が特にそんな物語が好きだった。死病に侵された女の子が好きな人と死別するという話。言葉にするとただそれだけのどうしようもない話。ただただ悲しいだけの話を、とっても感動したとその姉は言っていた。私には全く分からなかった。だって、悲しい話は悲しい話であって、感動するものとは違う。人の死はただ悲しいだけのものであって、感動できるなんて他人事だからでしかない。きっと、多分、そうなんだと思う。


 だから、他人事のように『私』を語ろう。そうすれば少しぐらい自分に同情できるかもしれない。感動する事ができるかもしれない。


 まぁ……そんな事あるわけがないのだけれど。


 でも、どうせこれで最後なのだ。


 自分を振り返るのも悪くない。


 




―――






 私は人形だった。


 姉達の玩具だった。


 姉達は自分達と異なる母から産まれた、異なる世界くにの容姿をした妹が嫌いだった。大事にされた事なんて一度たりともない。いや、厳密に言えばあるといえばある。その後に必ず落とされるというおまけがついているが……。玩具には丁度良いのかもしれない。


 そんな酷い姉達だったけれど、私は姉達を愛していた。


 だから、何度騙されようとも、時折感じられる小さな優しさに酷く感動したものだった。とはいえ、それは自己欺瞞的心理操作による自己の適合でしかなかった。……勿論、その頃の私にはそんな知識むずかしいことばはなく、そんな風に自分を客観的に見る事なんてできなかったのだけれども。


 その時も部屋から出してくれるという小さな、ほんの小さな優しさにも満たないソレを信じて連れて行かれた。


 結果、落とされた。


 ……姉達に連れて行かれた場所で私はその少年と出会った。


 場所と大げさに言っても家の中。


 私の家は他の家に比べてとても大きい物だと、比較的大きくなってから知った。それよりも大きくて広い世界というモノへの憧れは、多分その頃に浮かべたものだと思う。


 いつか日本を、世界というものを旅してみたいと思った。


 夢は見るものであって、叶えるのは願いなのだと知ったのはその数日後だったと思う。


 閑話休題。


 シャンデリアの光に照らされたその少年は、春先の太陽のように明るく、とても溌剌としていた。真面目な印象を受ける話口。でも、堅苦しいわけではなく、生真面目な感じもしなかった。時折冗談を交えては姉達を笑わせていた。私にも声を掛けてくれたが、会話に慣れていない私は酷く拙い返答しか出来なかったように思う。それを見て、少年が気遣う様な優しげな笑みを浮かべた。


 姉達はその少年の事が気に入ったらしい。特に上から2番目の姉がその少年を気に入ったようだった。人形のように可愛らしい少年だと、目をキラキラさせて言っていた。指先で触れられただけで恋しちゃいそうなんてそんな事を言っていたような記憶がある。きっとあの腕に抱きしめられたらお姫様気分になれるわよね、そんな事も言っていたように思う。


 けれど。


 その少年は私の事を気に入ったそうだった。


 灰色の髪をした私の事を、少年はさながら人形を愛でるように褒め称えていた。白い肌も褒められた。無垢な……拙い言葉遣いも可愛らしいと褒めてくれた。まるで王子様のように私を褒めてくれた。姉達が好きだったシンデレラという物語に出て来る王子様のように少年は私を褒めてくれた。


 でも、その時の私にはその言葉の意味が十全には分からなかった。


 けれど、それでも分かった事があった。その言葉がウソ臭いものだと。そう感じていた。


 私を褒める言葉も、気遣った笑みも、姉達を笑わせようする仕草も、どこかウソ臭く、張り付けたような何かを感じた。


 私自身が姉達の人形だったからかもしれない、と今になって思う。私とは違うけれど、少年の事も人形みたいだと感じたのだろう。人形が無理して人間の真似をしているような、そんな印象。だから、


『また、君と会って話をしたいね』


 そんな『優しげな言葉』を告げる少年とは二度と会いたくないと思った。鏡を見ているようで、酷く気持ち悪かった。そして、同時に……私は、優しさが悪意を呼ぶという事を知った。だから、尚更……そんな『優しい言葉』を吐く少年とは会いたくないと思った。


 その日の夜、私は部屋で吊るされた。


 縄が二本。脇の下を通って体重を支える。首にも縄が巻かれていた。死なないように、けれど傷付けよう。そんな悪意を私は受けた。何も分からず、ただただ姉達に与えられる痛みから、助けてと叫んだ。何度も、何度も許してと叫んだ。ごめんなさいと謝っていた。


 当然、許しは得られなかった。


 月のように歪んだ姉達の唇だけが酷く印象に残っていた。


 それからその少年が家に来た時は、姉達は私が体調を悪くしているので会えないと言ったそうだった。毎回、毎回、私が少年の事を嫌っているかのように思わせ、会わせないようにした。私自身、会いたくなかったので、姉達の心遣いに小さな優しさを感じた。


 二回目の時、少年は残念そうにしていたらしい。三回目の時、少年は違和感を覚えていたらしい。四回目の時、少年は何も言わなくなった。それ以降、少年の口から私の事が出る事はなくなったという。毎回、姉達と楽しく会話をして帰って行くらしい。その事を逐一報告しながら姉達は私を縄で縛り、ナイフで躰を傷付けた。


 痛みに叫びをあげ、その叫びを怒られ、痛みに声を出さないように耐える事を覚えていった。それがまたつまらないと姉達の行為はエスカレートしていく。


 その頃に何をされていたのだったか。確か、身体の中を弄ばれていたように思う。人形のドレスを直すような感覚で針を刺された事もある。刺されその先端で抉られた。他に特に覚えているのは一番上の……年頃の姉が興味深そうに私の身体をまさぐっていた事だった。姉の指が身体の中に入って来た時、強烈な痛みを感じた。その私の姿を見て、そんなに痛いの?と青ざめていた。当然、私の心配をしたわけではない。近い将来自分に訪れるソレを私の姿から想像して青ざめていたに過ぎない。


 もっとも、その時は姉が何をしたかったのかは分からなかった。


 後になって知った。


 私は幼子の頃に『女』になったのだ、と。






―――






 あの少年の事をもう少しだけ語るとしよう。


 三人の姉の内の一人があの少年と許嫁になるらしい。私の家はそういう家だった。両親がいないからこそ、尚更、力を持った他者を求めたようだった。


 力のある家の子供。それを王子様のメタファーとして語る姉達のシンデレラ物語。聞きたくなくても毎日聞かされた。興味なさそうな顔をすれば怒られ、興味があるような顔をしても怒られる。無反応もまた怒られる。


 そんな姉達の怒りは痛みそのものだった。理不尽だと思う判断力もない私はただただそれを恐れ、姉達の玩具にんぎょうである事を選んだ。


 結局、姉達にとっては私という存在自体が気に喰わないのだ。自分達の母が、父というものがありながら、あろうことか精力の強そうな年下の無職少年の下へと出て行った事が原因だというのに。


 元より無垢な御嬢様だったが故に起こった事なのだろうと思う。良く物語で王女様は城から抜けだして、自分を城から連れ出してくれる者に憧れる。けれど、その行きつく先は地獄だろう。霞を食んで生きる仙人でもあるまいし。勿論、姉達の母を外に連れ出したのは仙人ではなく、無職の少年だった。たまたま姉達の母が外に出た時に、声を掛けたのがその男だった。男にとっては母の容姿と肉体、そして金目当てだったのだろう。男は見事に姫様を連れ出して、その身を弄び、金をせしめて優雅に暮らしたことだろう。優雅に暮らして、使い道のなくなった姫を捨てたのだ。その後、姉達の母がどうなったかは知らない。


 自分達の母の事を棚にあげ、失意の父を慰め、慈しんだ母……父の後妻となった母の事を姉達は嫌う。父が死んだのも母と一緒にいたからとまで言う程だった。だから、その母から産まれた私が嫌いなのも当然だった。私が人形のような、壊れたら元に戻らない素材で出来ていれば、私という存在はもうとっくに無くなっていた事だろう。


 ともあれ、姉達はその少年との恋の始まりを感じていたのだ。


 ちなみに、姉妹全てがライバルだという事は、姉達にとって、酷く都合良く解釈されていたようだった。すなわち、自分こそがシンデレラだと思っているようだった。


 でも、シンデレラは一人だけ。


 あの少年が選ぶのは一人だけ。


 選ばれた者は私の様に虐められるのだろうか。姉達の事が好きだった私は、そうならないように願っていた。姉達が仲違いするのを見たくはなかった。


 しかし、それにしてもおかしな話だと思う。シンデレラの物語がいつ頃できたものかは知らないけれど、王子様に妃が一人という時代ではなかったはずだ。何人もの妃と子を成し、その内の一人でも成長して次世代の王子になれば良い。現代ほど医療が発達しているわけもなく、出生率自体もそれほど高いわけではない。そんな時代の物語。けれど、選ばれるのはシンデレラ一人だけ。王子様も王子様だ。優しい王子様だというのならば、全員に優しくすれば良かったのに。等しく愛せば良かったのに。それが出来ないなら、最初から誰も選ばなければ良かったのだ。選ばなかった者が不幸になるのは構わないと言う事だろうか。嫌だな、そんな王子様。どうせなら全員選んで欲しい。そう思った。


 姉達に王子様扱いされるその少年。その人が本当に『優しい』少年だというのならば、姉達皆を幸せにして、私のこの現状も救って欲しいと、そう思った。そんな事ができるはずもないのだけれども……。


 もっとも、やっぱりその頃の私は思考能力なんてないに等しかった。『私が母から産まれてきたのが悪い』『痛いのは嫌』と、そんな事を考えられるぐらいのものでしかなかった。


 私が曲がりなりにも自分の考えを理解できるようになったのは、世間でいう所の小学校時分である。






―――






 ストックホルム症候群。


 自己欺瞞的心理操作による自己の適合。


 私が、私自身の置かれた状況に気付いたのは小学生の頃だった。


 もっとも、私は小学校へ通った事がない。理由は簡単である。姉達が私を閉じ込めていた。時系列を現代にしたとしても、私が家の外に出た事など片手の指の数程しかない。中学というものに通った数日間。それ以外にはただの一度だけ屋敷から逃げ出した時だけ。逃げ出して、連れ戻されて……。それ以外に外に出た事はない。


 それ以外の時は、私の人生は私の部屋と共にあった。


 そこから出る事は許されなかった。


 正確にいえば、少年と出会った時の様に姉達が一緒であれば出る事は許された。そうでなければ……部屋から勝手に出た日には数日は酷い目に合わされた。


 酷い部屋だった。


 糞尿は部屋に垂れ流され、それを自分の手で掃除する。食事は残飯のようなものが提供され、あまりのまずさに吐き、自分でそれを掃除する。衣服なんて襤褸を纏わされただけ。そんな中でも布団だけは割とまともな物だった。風邪を引かれると困るからという理由だった。そんな事にも優しさを感じるぐらいだった。二日に一回、一番上の姉に連れられて風呂へ入れられた。シャワーで熱湯を掛けられた。肌に火傷が出来た事は何度もある。けれど、清潔にしないと病気になると言われれば、それも優しさだと感じていた。だから、私は熱いシャワーは苦手だけれど、嫌いになれなかった。


 そんな風に家畜の方がまだましと言える生活をしていた私だったが、一つ、楽しみがあった。


 テレビを見ることだった。


 勿論、姉達の、テレビ番組への苛立ちを解消する役割を担った上で、だが。


 映画、ドラマ、コメディ、クイズ番組、教育番組、旅番組などなど。色々な物を見た。そのどれもが私には新鮮で、その何もかもが私にとっては未知の事で、とても楽しく思えた。思えたと同時に、どうして私はこうなんだろうと疑問に思うようになって来た。


 ストックホルム症候群、その言葉を知ったのもその頃だった。


 テレビの意図は分からないけれど、世紀の犯罪者を紹介する番組があった。そんな中で紹介されていた事例の一つがそうだった。酷く端的に言えば、自分が害されないように、犯人に媚を売ると云うものだった。なるほどな、と私は他人事のように理解した。


 そういえば、その番組では他にも日本の犯罪も例にあげられていた。その内一つに両親が殺された事件があげられていた。最初、私は分からなかったけれど、不機嫌そうな姉達の様子でそれを知った。そして、その時、産まれて初めて両親の顔を見た。


 被害者の人権は守られないのか!と姉の内の一人が言っていた。何の事かはさっぱり分からなかったけれど、私にとっては良かった。後で相当虐められたが、母の姿を見る事が出来て、本当に良かったと思った。


 綺麗な人だった。


 青い痣もなければ、切り傷の一つもない。ううん。そんな所ではなく、銀色に輝く髪がとても綺麗だった。きらきらとしていて、まるで他の番組で紹介されていた宝石の様に感じた。私の髪は手入れをしていない---というよりも手入れをするという事自体、知らなかった―――所為で、灰色アッシュだった。


 そして、そんな私を、キラキラとした瞳で母の姿を見る私を姉達は風呂に押し込んだ。


 熱湯の中に入れられ、頭を押さえつけられた。熱湯が痛かった。息苦しかった。辛かった。でも、脳裏に浮かぶ母の姿の御蔭で私は耐えられた。


 ともあれ、そんな風に時折テレビを見る事が許された。勿論、毎回毎回色々な事を知れて目をキラキラさせてしまう私に苛立ちを感じた姉に殴られた事は数え切れない。それでも姉達は私をその場に連れて行く。何の目的かは分からなかったけれど、それでも私はその優しさにありがたさを、楽しさに生きる喜びを感じていた。


 でも。


 知らなければ、良かったのかもしれないとも思った。


 世界は広いのだと、私は知ってしまった。この世界は部屋と家だけで構成されているわけではなく、家の外には無限にも思えるほどの広い世界が広がっている事を知ってしまった。


 それなのになぜ私はこんな狭い世界で過ごしているのだろう。どうして私はこんなにも狭く暗い部屋で過ごしていなければならないのだろう。


 鳥籠に入れられたカナリアが飼い主から逃げようと鳥籠の中で暴れている、そんなシーンをテレビで見た。


 酷く、印象的だった。






―――






 私は鳥籠の中にいる。


 そういう風に自覚出来たのはそれから一年程が経った頃だと思う。それと同時に逃げたいと願い始めたのもその頃だと思う。


 私のこの状況はおかしいのだと、客観的に理解できるようになってきた。それが目的でテレビを見させていたのだとすれば、姉達は相当に性格が悪い。


 鏡の前に立ち、姿見に映った自分とその背後。背後にはゴミと汚物にまみれた部屋が映っている。その前に立つ私は更に酷いものだった。


 死んでいるようだった。


 無邪気な赤子に弄ばれた人形のようだった。


 結果、精神が乖離したのも仕方ない事だろう。


 『あの子』はずっと泣いている。私には慰める事もできず、私の奥深くで泣き続けている。表に出る事なく、この場所よりも暗い場所で泣き続けている。


 そういう意味で、私は嘘で塗り固められた存在だ。


 元々あった私というものから『泣いている自分』が欠けたのか、あるいは全く別の者として私があるのかは定かではないし、どちらでもあるのかもしれないとも思う。少なくとも、『この私』でなければ耐えられなかったのだ。


 まぁ、私は精神学を専攻している誰ソレではないので、詳しい事は知らないし、興味もない。


 少なくとも、この私は逃げようとしたのだ。


 結果から言えば、家を出る事もできず『あの子』は更に泣いた。私は痛みと苦しみに苛まれた。


 私のような人間などどこに行っても良いだろうに、とは思うものの、自分達の所有物おもちゃが勝手に動きだせば怒るのは当然だった。私は人形なのだから。姉達の人形が勝手に判断して動く事なんてしてはならない。


 自分が人形おもちゃである事を教え込まれ、自分は人形なのだと思いこみ、さらに一年程過ぎた。


 一年程経って、自分が人間である事を思い出した。


 きっかけは二番目の姉が泣いていた事だった。


 その涙を見た時、私は……人間に戻った。戻った直後、泣き叫ぶ姉に殺されそうになって泣き叫んだのだけれども。


『あんたがいるからっ!あんたなんかがいるからよっ』


 姉はそう叫んでいた。


 その時、私は私が悪いのだと思った。産まれてきてしまってごめんなさいと口にした。その事がまた姉の癪に障ったのか、腹の上に乗られて何度も、何度も殴られた。


 姿見に映る顔が、酷い形になっていたのを覚えている。


 そして。


『死になさいよ!死んで謝りなさいよ!』


 あぁ、と気付いた。


 そうか。私が死ねば良いのだ、と酷く納得した。


 私が死ねば大好きな姉達は苦しむ事も悲しむ事もない。そんな簡単な事に気付かなかった自分が情けなくなった。


 私の腕に付いた傷痕は、その頃からつけられた。


 私は人形ではない。だから、自分を殺す事が出来る。


 最初に腕にナイフを差し込んだ時、あぁ、こんなものかと思った。どくどくと流れて行く血を感じながら、私は生きていたのだと理解した。そんな今更な事を理解しながら、意識を飛ばした。


 暫くして、腕に包帯を巻かれた状態で気が付いた。


 意識を取り戻した瞬間、『面倒をかけやがって』と一番上の姉に腹を踏みつけられた。


 曰く、医者への説明が面倒だったとか、どういう育て方をしているんですか等々、散々、問い詰められたという。


 あぁ。また私は姉達に迷惑を掛けたのだと思った。


 結果、ごめんなさい、ゆるしてください。そんな言葉を吐く人形になった。


 でも、普通の人形とは少し違う。たまに、身体が勝手に腕を切り裂くようになった。自分でも意識していないので、困った物だった。






―――






 姉達を殺したいと思った事があるか?と問われると……明確に無いといえる。


 私は姉達を愛していたのだ。シンデレラに出て来る意地悪な姉達みたいだけれど、それでも姉は姉だ。それを嫌いになるなんて私には出来なかった。これもまた、ストックホルム症候群なのかもしれないけれど、それでも私は姉達を殺したいとは思わなかった。


 それで状況は解決するかもしれないけれど。


 それでも私はそうしなかったし、そうは思わなかった。


 それに。


 私は人間なのだから、人を殺す事なんてしない。


 テレビで言っていた。


 殺人や戦争あるいは他にも。ことあるごとに人は人を殺す。でも、それはとても悪い事である。人を殺すような人間は人間じゃないとまで言っていた。ドラマか映画だったと思う。だから、私は人殺しなんて最低の行いで、絶対にやっちゃいけない事なのだと思っていた。


 ところで、何故二番目の姉が私を殺そうとしたのか、死ねと言ったのか、と言えば……


 後から聞いた話だが例の少年に未来が無いという事を知ったから、という事だった。未来が無いとはそのものつまり、死ぬと言う事である。勿論、今すぐというわけではなく、二十歳を超えるか超えないかぐらいが限界だという。


 もっとも私にとっては一度しか会った事のない少年に対して思う事はなく、寧ろ、姉達が可哀そうだと思った。それと同時に、少年が死ぬまでの間、ずっと姉にこの痛みを与えられるのならば……と考えていればまたしても腕を切り裂き、姉達に迷惑を掛けていた。申し訳なくてまた、手首を切り落とそうとした。失敗しないように姉達が寝た後に。けれど、姉達も分かっていたのかもしれない。あるいは、部屋にカメラでも付けられていたのかもしれない。いつもは縦に裂いていた腕を横に切ったその日も、結局、私は生きていた。


 深い傷痕が付いた。まるで十字架のようだと思った。産まれた事が既に罪である私にはちょうど良いのかもしれない。


 そんな事を繰り返していた私に、姉達が本を読む事を許可してくれた。


 姉達は私の相手をするのが面倒になってきていたのかもしれない。あるいは間接的とはいえ人殺しにはなりたくなかったのかもしれない。姉達との唯一の繋がりである父は、無差別殺人犯に殺されたのだから。そんな風に思っていた。けれど、そういうわけでもないようだった。


 単に医者などに色々聞かれるのが嫌だったというだけだ。医者には私が精神疾患で自傷行為を繰り返すので困っていると伝えていたとか。勿論、医者は即座に入院をさせるよう言っていたみたいだけれど、それは許されなかった。色々理由をつけて、色々お金を積んでどうにかしたらいし。具体的にどうしたかは私も知らない。少なくとも、私は病院という所に逃げる事はできないという事だけは分かった。


 色んな本を貰った。姉のお下がりを貰える事に喜びを感じ、色んな本を読んだ。ただでさえ汚い部屋が乱雑に積まれた本の所為で更に汚くなった。


 ある日、読書感想文というものを代わりに書かされた事がある。結果、賞を取った。よくやったわ、という姉の言葉がとても嬉しかった。誰かに認めてもらえるという事の嬉しさを産まれて初めて知った。その後、他の姉達にもそれらを頼まれる事になった。毎回、賞を貰ったみたいだった。


 鳥籠で過ごす私には外の世界がとても綺麗なモノに見える。だから、そんな風な事を書いただけだった。それが『外の世界』に認められた事が嬉しかった。だから、それから暫く腕を切ることはなかった。


 姉達のお下がりの本はジャンルが適当だった。とくにこれと決まったものはなく、多分、その時々で流行りだったものだろう。続きものの最初の一つだけ貰った事もあった。どうしても続きが読みたくて、けれど、姉達の迷惑になってはいけないし、それを望めば怒られると理解していた私は、それを望まなかった。


 諦め。


 姉や外の世界に認められた事に喜んだのも束の間。


 その頃の私は毎日のように諦めを覚えていた。


 不特定のジャンルの本を読んでいたからだろう。使い道のない知識が溜まった。得る知識を披露する場もなければ、得た知識を使う事もない……いや、ある。あるにはあるのだが、自己分析や現状の把握、姉達の心理を読む事にしか使えない。狭い、狭い閉じた世界。それを理解すれば理解する程、私は諦めを覚えて行った。


 外の世界を見てみたい。


 窓から見える光景。同じ年頃……よりも少し下だろうか。少年少女達が並んで歩いている姿が見えた。


 ちなみに、私の成長は食生活の所為で良いとはいえない。それでも少しずつ成長を続けているのは母の血の御蔭かもしれない。こういう場合、生命が生き延びようとするために成長を止めそうなものだが……例外というものはあるのだろう。


 さておき。


 並んで歩く少年少女達は、一体、何をしているのだろうか。考えるまでもない。遊んでいるのだろう。状況を推察する事ができる知識は既にあった。彼らは集団で下校し、これから遊ぼうという約束をしているのだと、思った。


 そんな折、少年少女達が私の方を指差した。


 怯えたような表情を浮かべて一斉に逃げて行った。一人を除いて。残ったのは女の子だった。彼らの中でも、年齢不相応に綺麗だと思える容姿だったと思う。私の方を見て、少し笑っていた。手を振ってくれた。ついつい、それに手を振り返した。


 それから、小学生や中学生の中で噂になったのだろう。時折、私の姿を見ては逃げる子の姿が見えた。やっぱり例の女の子だけは私に手を振ってくれた。


 口を三日月みたいな形にして笑う綺麗な子だった。


 それから数ヶ月間はそんな風に奇妙な関係が続いた。そしてある日を境にその女の子の姿を見る事はなくなった。残念だと思った。何かを失ったように感じた。


 その日、なぜか姉達も不機嫌で、私は久しぶりに全身から伝わる痛みで寝られない夜を過ごした。


 そして、何かを失うという事は痛みを伴うのだと理解した。


 


 


―――






 そんな痛みを感じながら、世間では小学校の卒業という歳になった頃、私の存在が明るみに出てしまった。姉達には申し訳ない事をしたと思う。


 児童なんとか、という所の人達が家を訪れ、私の事をどうのこうの言っていたというのを痛みと共に聞いた。けれど、それでも私は嬉しかった……もっとも、それが数日で終わるとは思いもしなかったけれど。


 外に出るという事で食事を与えられ、服装も整えられ、髪も綺麗にされ。汚い部屋の姿見の前で柄にもなく可愛らしくなった自分に照れて、笑った。姉達のように巧く笑えないけれど、それは間違いなく『笑み』だった。


 まるでシンデレラが舞踏会に行く時みたいだと思った。シンデレラはきっと、私みたいに希望に溢れて舞踏会へと向かったのだろう。


 最初の一日目。


 初めて見る家の外。


 道路があった。人が歩いていた。ビルがあった。電車が見えた。走っている車、乗っているかぼちゃに少しばかり恐ろしさを感じた。テレビを通してそれらの事は知っていたけれど、それを実感として理解はしていなかった。


 視界、音、匂い。テレビとは違う感覚がとても楽しく、あぁ、こんなにもテレビ(にせもの)と現実は違うのだという事が分かって、とても嬉しかった。私の人生の中でもこれ程嬉しい事は数少ない。同じ中学に通う一番下の姉が座る車の後部座席、その隣で窓に張り付きながら私は嬉しそうに笑っていたと思う。勿論、声は出していない。声を出せば姉に怒られるだろうことは想像がついた。


 姉が車の窓を少し下げた。春の匂いが車内に注がれた。その匂いと一緒に、桜の花びらが。


 わぁ、とつい声を出して姉に睨まれながら、桜というものを初めて自分の眼で見た。


 テレビで見た時も綺麗だと思ったけれど、実物はもっと綺麗だった。素敵だった。これが数日で散ってしまうという事も知識として知っていたけれど、それでも私の心はとても暖かくなった。失っても、それでもまた次の年に会える。散り逝く花は永遠の別れではなく、再会の証なのだ。……人の心も、桜のように毎年咲けば良いのに。


 そんな馬鹿な事を考えて、そんな馬鹿な発想に笑みが浮かんだように思う。


「リンネ。余計な事を言ったら分かっているわよね」


「はい。お姉様」


 けれど、姉の言葉に一瞬にして現実に引き戻され、私の表情は消え、人形のように頷いた。その頃の私はまだ背も低かったので、格好も相まって傍からみれば本物のビスクドールに見えたかもしれない。


 姉に連れられて、姉に手を引かれて校門を抜けた。


 散った桜が絨毯のように敷き詰められていた。その上を姉に引き摺られながら歩いた。私は桜の花びらを汚した。酷く気分が悪くなった。


 さっきまでは綺麗だと、嬉しくなっていた私が今は落ちた花弁をその足で踏み潰す。真新しい靴の裏には汚れた花弁がいくつも付いていた。来年咲く花は違う花なのだと気付いた。再会の証なんかじゃないのだと……気付いた。


 沈む私の耳に声が聞こえて来た。顔を上げれば大勢の人がいた。


 大勢の人達が、私を見ていた。


 気持ち悪いと感じた。好奇の視線だった。


 手を掴む力が強くなった。日頃感じる痛みよりも弱々しい。けれど、それでも姉の機嫌が悪くなったことは分かった。


 周囲の人達が私に注目し、何かを口にしている。悪意だけではなく、称賛も混じっていたのだと思う。けれど、その声の大きさと共に痛みが増して来て、私にはそれが良いものだとは思えなかった。


 遠巻きに私を見る視線を感じながら、暫く歩けば、姉が誰かに声を掛けられた。


 男の人だった。


 話の内容から姉の同級生なのだと理解した。


 そこから入学式、クラス分け。そして帰宅。帰りの車の姉の不機嫌さは酷いものだった。家に帰ってからの酷さはもっとだった。


 久しぶりに湯船に押し込まれた。息苦しさを感じながら、私は何が悪かったのだろうと思った。息苦しさに私を見て笑う姉に『ごめんなさい、ゆるして』と何度も言った。許してはくれなかった。


 二日目。


 多少の不機嫌が治った姉と共に学校へと向かい、クラスへと行けば机の中に手紙が入っていた。クラスメイト達---名前を覚える事もできなかった―――が囃し立てていた。何の事かは分からず、手紙を読めば、綺麗だとか可愛いだとかそんな言葉と共に、オリエンテーションなどが終わったら……つまり放課後に校舎裏へ来てほしいという言葉と名前が書いてあった。


 クラスメイト達曰く、この学校で一番格好良い男の人の名前だという。良く入学して一日でそこまで把握できるものだと、思った。そういう事に興味のある人だったのだろうと思う。……ともあれ、私はそんなものに興味はなく、千切ってゴミ箱に捨てようとした。そんな私を止め、『その人すっごく格好良くて、すっごく優しくて、大人気なんだよ!いかなきゃ損だよ!』などと熱に沸くクラスメイト―――名前も知らない誰かたち―――。私を褒める言葉、そして同時に感じる嫉妬に似た何か。姉達に感じるものよりは小さいけれど、それでもそんなものを感じた。


 校舎裏。


 結論だけ言えば、私は襲われそうになった。


 男が何を言いたいのか……は理解できたけれど、私にはそれを是とする言葉を告げる事はできない。まして昨日姉と話をしていた相手おとこなのだ。下手な事を言えば私は姉に前日より酷い目にあわされるのは分かっていた。だから、テレビで得た知識、本で得た知識を元に御断りの言葉を告げた。


 その瞬間、男が豹変した。なぜ俺が振られなければならないという旨だったように思う。当然だと思うのだけれど……それでも男にとってはそうではなかったみたいだった。胸倉を掴まれ、壁に叩きつけられる。服が乱れ、制服のボタンが飛んだ。


 そして、首元……ブラウスの隙間から、中が見えたのだろう。


 青痣だらけの体が。


 ソレを見て男が引き攣った表情を浮かべた……のは一瞬だった。


 次の瞬間には嗜虐的な、『私という存在は壊しても良い人形』のようなものだとでも思ったのか……情欲に塗れたような獣じみた表情を浮かべて私を襲おうとした。


 乱れた服に手を入れ、壁に擦れて傷んだ制服を無理やり脱がされる。白いブラウスのボタンが飛び、白と青に染まる肌が晒された。


 それを見て、男は更に笑みを濃くした。その男が読む雑誌にこういうのでもあったのかもしれない。縄で縛られ青痣のついた女を撮ったものが。


 男の頬が紅色に。荒々しい吐息が気持ち悪い程に耳に残る。ふいに、今朝のクラスメイトの言葉が浮かんだ。こんなモノが、こんな人が『優しい』と呼ばれるのか。だったら、やっぱり、私は優しさなんて……いらない。


 強い力で胸元を押さえつけられ、掴まれた。男の指が私の身体に沈むように、握られた。ハァハァと鳴る声が増し、腹部に股間が押しつけられた。熱の籠った感触が酷く気持ち悪かった。そして、私を覆い尽くすように、男の汗臭い身体が、男の顔が首筋に迫った。


 男の唇が、歯が私の首に辿りつこうとした時だった。


『何してるのよっ!』


 怒声が聞こえた。良く耳にする声だった。


 姉が助けてくれた。もっとも、姉にとっては助けたつもりはないのだろうけれど……。


 姉の姿を見た男は、『私に言い寄られただけだ』なんて言い訳をしながら、立ち去って行った。


 立ち去る男の後ろ姿を見ながら、姉の拳が握られるのを理解した。そして、顔面を思いっきり殴られた。土足で腹を蹴られた。起き上がろうとすれば、頭を踏みつけられ、そのままぐりぐりと地面に押し付けられた。


 中学に通う事が決まってからは、そういった人の眼に見えるような痛めつけというのはなかったけれど、でも、結局姉の機嫌次第なのだと理解できた。結局、程度の問題なのだ。


『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい』


 土に唇を奪われ、土の味を感じながら、私は姉へと許しを請うた。


 全て私が悪いのだと謝った。私という存在がいるからその男は狂ったのだと謝った。怒らせてごめんなさいと謝った。そして、私が産まれて来た事が悪なのだと謝った。


 その日も許しは得られなかった。


 三日目。


 家だった。


 四日目。


 家だった。


 あの男は転校した事になっていた。まがりなりにも良い所の娘が、男に襲われそうになる学校などもっての他であり、これを容認した学校側にも問題があるとかどうとか。詳しくは聞いていない。そして、私は『トラウマによって通学ができなくなった』事にされた。『いいわよね?』という姉の問いに頷いた。


 定期的に課題が出され、それを回答して郵送すれば良い事になった。適当だと思った。金のある家というのは意外に何でもできるらしい。


 そしてまた私はとりかごで過ごす事になった。


 姉達が学校に通っている間に、何度も教科書を読んだ。面白いと思った。なぜその教科書はそういう風なストーリーで作られているのだろうか、なんて事も考えた。自分だけで学習するので自分のペースで勉強をする事ができた。流石の姉達も学校に通っている時間は私を見張っているわけではない―――勿論、家の者に見張らせていたが……。その時間を私は有意義に使う事ができた。


 学ぶ事は好きだ。


 新しい何かを知る事はとても楽しい。未知の何かを知る事ができるのはとても楽しい。とても。とても楽しい。その内、研究者みたいなものになれたら良いかも、なんて夢を抱いたのはその頃だ。


 もっとも、やはりそれは夢でしかなく、願いではなかった。


 叶わないモノだと理解していたのだ。


 学んでも何の役にも立たない。そんな事は理解している。


 けれど、それでももっともっと知らない事を知りたい、外の世界を見てみたいという思いは消えなかった。






―――






 その想いのままに逃げ出したのはそれから更に長い年月を経た後だった。


 あれがいつだったのかはあまり覚えていない。私にとって時間という概念はあまり意味をなさない。ただ、現在を基準とすれば数年前といった所だろう。


 その頃の私は現在と大差のない身長になっていた。


 姉達より背は高く、スタイルも良い。あんな生活で良く育ったなと自分でも思う。御蔭で姉達の私を見る目は酷い。日増しに酷くなる姉達の視線がとても痛かった。それもやっぱり、『この私』という存在がいけないのだろう。


 もっとも、そんな視線も慣れたものだった。視線だけだったら、痛くない。


 ともあれ、慣れるという事は諦めなのだと、そう思う。


 私は諦めていた。


 産まれてこの方、そんな生活をしていれば諦めもする。


 これが私の人生なのだと。いいや、これを人生といって良いのだろうか。何を成す事もなく、ただただ糞尿を生産しながら死ぬだけの生を人生と言ってよいのだろうか。遊ぶために産み出され、飽きと共に打ち捨てられる人形と何が違うというのだろう?人形の方がまだ愛情を注がれている分ましなように思う。……どうだろう?一度は注いでもらった愛情を飽きと共に無かった事のようにして捨てられるのと、最初から愛情がないのと、どっちが良いかなんて終わってみないと分からない。私という人形が壊れる時、それが分かるのだろう……そう思う。


 鳥籠の外を夢見たのは、私は人形じゃないのだと思いたかったからだろうか。


 姉達に反抗する事もなく、ただただその日その日の痛みが消えるのを待っている私が、そんな事を夢見るなんてそれこそおこがましい事かもしれない。それでも……この後に待つ時間が地獄の様なものだとしても、この世界の綺麗さを、人間という物の素晴らしさを知れば、心の支えになる。私は運が悪かっただけだと、そう思える。そんな風に自分を慰めながら壊れるのを待つのだ。


 諦めて、何もかもを諦めて、心の奥深く、泣いているあの子にその光景を見せながら、世界はこんなにも綺麗なんだって伝えて、そのままいなくなるのだ。泣いているあの子が戻って来る事はないのかもしれない。けれど、それならそれで最後ぐらいは綺麗な記憶をあげたい。


 だって、シンデレラのように私を救ってくれる王子様なんていないのだから。


 その日、私は姉達のいない昼間に、椅子で窓を壊し、そこから壁伝いに降りて行った。


 広い庭だった。それを地面に立って見られた事、それだけでもとても幸せな気持ちが沸いてくる。


 風に葉が揺れ、さらさらと綺麗な音を立てる。そして伝わって来る匂い。自然、深く呼吸をしていた。あの汚い世界とは違ってとても良い匂いだった。


 見上げれば青い空。一面の青い空に輝く陽光。目に見えないそれが、とてもとても眩しくて、それでも見ようとがんばって、しばらく目が眩んだ。馬鹿だな、と思う。太陽を直接見てはいけないなんて小学生でもわかる事をしているんだから。


 眩む目にびっくりして、少し声が出た。他人事のように、とても楽しそうな声だと思った。


 そんな楽しげな私は、塀をよじ登って、道路へと。


 ぶぅんという車の煩い音も、排気ガスの匂いも、とても新鮮で何もかもが喜びだった。こんな綺麗な世界を歩くのに、私といえば汚い服だった。陽に焼け、薄れた色、汚れも目立っているように感じた。あぁ、こんな綺麗な世界でこんなにも汚い私は……駄目だ。駄目なのだ。それは姉達も私を嫌う。こんなにも汚い相手を好きになれるわけがない。


 そうだ。帰ったら……連れ戻されたら裁縫を始めよう。


 掃除も始めよう。料理も、洗濯もしてみよう。それを許してくれるかは分からないけれど、でも、姉達は面倒な事が嫌いだから、だから……少しぐらいはやらせてくれるかもしれない。今回の事で許してくれなかったら隠れてやろう……昼間だったら皆いないから。家に居る他の人達は私の事を知らない人もいれば、見ても見なかった事にするぐらいだから。お金って凄いななんて場違いな事を考えながら、宛てもなく歩いた。


 生憎と私はそのお金を持っていない。


 だからお店みたいな所にはいけないな、と思った。別にそれは構わなかった。そこまで我儘を言う気はない。私は外の世界を見たかっただけなのだから。


 思うがままに、視界に映る色んな物に興味を惹かれながら、色んな所を周った。


 小さな子が母親と思しき女の人と歩いているのを見た。私を見て、小さな子が近寄ろうとした。その瞬間、母親がその子を怒り、私から避けるようにして通り過ぎた。振り返れば、母親がその子の頭を叩いているのが見えた。私の所為でその子は叩かれた。心が少し沈んだ。


 それから暫く歩けば男の人に声を掛けられた。ドラマや映画で見るような強面の人だった。『ねぇ、君ちょっと』『今時間あるかな?』と言われた。私は全然暇じゃなかった。風景を見るのに忙しかった。だから暇じゃないです、そう言ったら手を握られそうになったので逃げた。流石の私でも知っている。映画やドラマで見た事があるのだから。ああやってどこかに連れて行こうとしたのだと思う。暫く走って振り返ったら、怒られているその男の人の姿が見えた。あぁ、私が逃げたから怒られたのだ、と思った。木の影に隠れて様子を見ていたら、何かの撮影が始まった。ドラマみたいだった。悪い事をしたと思った。撮影スタッフさんだったみたいだ。通行人に次々声をかけているのが見えた。キャストというのを集めていたみたいだった。他の人達は皆その人についていった。だったら、私がいなければあの人は怒られなかったのだろう。


 少しの消沈と共にまた歩いていたら声を掛けられた。先程の人と違って柔らかい感じの人だった。『ねぇ、彼女』と先程の人と同じような台詞を吐いた。さっきの人の事で罪悪感を覚えていたからだろうか。逃げるのに躊躇してしまった。


 『その格好、家出っしょ?わかるよー』と納得顔で言われ、気付けば強引に腕を掴まれ、今度こそ連れて行かれそうになった。強い力だった。それでも逃げようとする私の腹を、周りに見えないように男の人は殴った。身体の中から空気が抜けて行き、げほっとなってしまった。『言うこと聞けばもうしないよ』なんてそんな事を『優しそうな顔』で言っていた。でも、私は男の人の力は強いという事は知っていたし、それに何より、ナイフの方がもっと痛い事を知っている。姉達に踏まれる方が痛い事を知っている。だから、腕が折れそうなのも気にせず、私は身を翻して逃げた。


 男が追って来た。けれど、それも暫くだった。周りに目があった。通学路になっていたのだと思う。学生が一杯いた。御蔭で私は逃げられた。逃げた結果、道に迷った。元々適当に歩いていたので最初から迷子だといえばそうだけれども。


 良く知らない住宅街で、私は一息を吐きながら、案の定、変な風に曲がった腕を見ていた。ぱっと見では分からないけれど、自分の事は良く分かるもので、変な風に曲がったまま元に戻らなかった。


 痛い。


 でも、大丈夫。こんな痛み毎日感じているから大丈夫。


 それよりも、やっぱり男の人は怖いものなのだと思った。中学の時には優しいと言われていた人に襲われ、今回は優しげな顔をして怖い事をする人にも襲われ、散々だと思う。それもこれも私と云う存在が悪かったのだろうか?私が存在しなければ、あの男の人は私をどこかに連れていこうとはしなかっただろうし……。


 考えれば考えるほど、『私』が存在する事が悪い事なのだと思えて来る。折角綺麗な世界を見て楽しんでいたのに、凄く気分が沈んできた。


 そんな時だった。


 かちゃ、かちゃという不思議な音に惹かれてそちらに目を向けた。


 少し背の低い少女がいた。手に白杖を持っていた。自らの前方を右、左と動かしながら、時折確かめるように不安気に周囲を見回していた―――といっても勿論見えていないのだが―――。何度も何度も確かめるように白杖をつきながら、不安気に……。


 斜陽に何かが光った。


 それが彼女の涙なのだと、そうと気付いた瞬間、私は、私という人形は自分から動きだしていた。こんな感情は初めてだった。腕の痛みなど一切忘れて、急いで私は彼女の下へと向かい、


「お嬢さん、道に迷ったの?案内しましょうか?」


 そう口にした。


 私自身が道に迷っているというのに、何様のつもりだろう。けれど、でも、それでも……こんな綺麗な世界で寂しげに、俯きながら悲しげに涙する少女を、私はどうしても許せなかった。こんなにも綺麗な世界で悲しむ事なんてないはずなのに。


 だから、泣きやんで欲しいと、そう思った。


「あ……っ……っぁ」


 声にならない声を出す少女。ほら、泣きやんで。そう言いながら、私はしゃがみ両の手で彼女の手の平を包み、震えるその手を握った。震えが止まるまでずっと、ずっと大丈夫だよ、と声を掛けた。


 しばらくして、少女の震えが止まった。


「迷子のお嬢さん。貴女の名前は?」


「……春日かすが


 その名前を聞いた時、私はハッとして、つい彼女から手を離しそうになった。案の定、不安そうに私を見上げる春日ちゃんの顔が見えた。


 父の名字が春日だった。奇跡というか奇妙というか、そんな出会いだった。


「春日ちゃんね。覚えたよ。私はリンネっていうの。多分、鈴と音でリンネっていうの。宜しくね」


「たぶん?」


「あるいは輪廻転生うまれかわりの輪廻かな。字面が可愛くないからそっちじゃないと思いたいの」


「なにそれ、変だよ」


 悲しんでいた姿はすっかり消えて、春日ちゃんは笑ってくれた。


 心がとても暖かくなった。


 ぽかぽかとした太陽のような笑顔。彼女の笑顔はとても綺麗だった。この子の笑顔が消えないように、だから私は彼女の手を引いて、彼女の案内を買って出た。


 道すがら、色々と話をした。


 こんなに話をするのは初めての事だった。言葉を告げれば、それに返って来る言葉がある。こんな事を言ってくるのかな?と思えば違う事を言われてちょっと困惑する。そんなことの繰り返し。本で読んだだけでは、テレビで見ただけでは分からなかった。それを知れた事、そして彼女の事を知れたことがとても私は嬉しいと思った。


 だから、彼女の家の近くの公園に辿りついて、彼女が一人で帰る事ができると知った時、少し俯き寂しげにする彼女に、私は……


「お話でもしながら、あなたの家まで行きませんか?」


 そう言っていた。


 思い出してみれば、恥ずかしい台詞だと思う。作った様な台詞ことばだったと思う。けれど、春日ちゃんは笑ってくれた。喜んでくれた。白杖を使わずに私の手を握ってくれた。


「春日ちゃんって私より一つ下だったの?……そうは見えないね」


「リンネさんは背高そうですしね……私と違って」


 見えない目で、けれど見上げるという仕草が少し面白かったというのは不謹慎なのかもしれない。僅かな苦笑。でも、その見上げる仕草がどこか憤っているように感じられて、私はすぐに謝った。心から謝るというのも久しぶりだったように思う。


 謝る私を、頬を膨らませて、それでも許してくれた春日ちゃんに。


 私はなんでそんな事を言ったのだろう。


「私、鳥籠の中にいるの。鳥籠の中で鳥籠の外を夢見ているの」


「鳥籠?ここはお外だよ。私の苦手な外」


「外の世界を夢見て、夢見過ぎて、ついつい鳥籠を壊しちゃっただけ。連れ戻されてまた鳥籠の中よ。今度はもっと厳重になるかもしれないね。もう二度と出られないかもしれないね」


 それでも、外に出たかったのだ。


 諦めしかないなんて言いながらも、それでも何かが欲しかった。


 その結果、春日ちゃんと知り合えた。私の人生を照らしてくれる人に出会えた。外の世界にはそんな素敵な出会いがあるのだと知った。照らす月の輝かしさを春日ちゃんは知らないだろう。自分を照らしてくれる者の存在を彼女は知らないだろう。さながら、お城に向かうお姫様のように、彼女は月に祝福てらされていた。


 そんな彼女の姿にほんの少しだけ嫉妬した。


 そんな彼女に付き添う私は、従者なのだ。その事が少しばかり、残念だった。


 こんな感情は産まれて初めてだったかもしれない。


 妬む、羨むという感情だったのだろうか。


 いいや、きっとそれは憧れだったのだ。


 お姫様の様な彼女の姿に憧れを抱いた従者。きっと、それが私なのだ。


 でも……だからこそ、輪廻のなまえいの通り、生まれ変わったとしたら……


「ねぇ、春日ちゃん。私、生まれ変わったら……お姫様シンデレラになりたいな」


 そう告げた。


「夢は見るものだし……」


 返す言葉は呆れたような声だった。


 酷い、と思った。泣きそうになった。


「でも。夢見る事は誰にも止められないから、だから私はずっと夢を見ているの。籠の外にはもっともっと素晴らしい世界が広がっていると、そう思うの。例え飛び出してすぐに小枝にひっかかったとしても、そこからまた飛ぶ事だって出来る。だから、やっぱり外の世界はとっても綺麗だとそう思えるの。こうして春日ちゃんに会えたみたいに」


「リンネさんの喋り方はちょっと大仰だよ」


「そう?」


 互いにくすくすと笑い合いながら、もうほんの少しで彼女の家という所についた時。


「せっかくこうして会えたんですから、御友達になりましょう?」


 高鳴る鼓動を押さえるように胸に手を宛て、言おうと思って言葉に鳴らず、何度か口をぱくぱくとさせ……それでも告げた言葉。


 その言葉に、春日ちゃんが照れたような笑みを見せてくれた。


 手を握ってくれた。


 また会いましょう、そう約束して。


 彼女に見えていないと知りながら、大きく手を振る。痛む腕に漸く腕がおかしくなっていた事を思い出した。それぐらい、楽しかったし、嬉しかった。


 家の者に見つかり、家に連れ戻され、姉達の折檻を受けながらも、それでも私は幸せだった。


 友達が出来た。


 その事がとてもとても嬉しくて、だから、私は姉達に暴行されながらも、笑っていた。


 笑っていられた。


 何も見たくないし、何も聞きたくない。目や耳がなければ良かった。そんな事ばかりな世界だけれども、それでも素敵な物があるのだから。泣きたくなるぐらいの幸せだってあるのだと知れたから。




 でも。


 その初めての友達を、私は殺すのだ。






―――






 VRMMOという言葉を初めて聞いたのはそれから更に1年か2年ぐらい経った頃だと思う。確か窓から覗く庭の木が生い茂っていた季節だった。


 思い出せるのは照り付ける日光の熱さ。ソレに蒸されてじめじめとした部屋。換気をしようとしても、窓は開かず。寝ている時も起きている時も延々と汗が流れる。脱水にならないようにと言われ、水と塩だけは十分に補給させて貰っていた。けれど、逆に、水分があるからこそ汗がとめどなく。汗で張り付いた服が気持ち悪かった。それを少しでも解決するために私はちくちく、ちくちくと裁縫をしていた。


 その頃の私は姉達がいない時を見計らって裁縫をしていた。最初は下手くそで何も作れなかったし、布を無駄にした。けれど、ずっとやっていればいつしか服も自分で作れるようになっていた。いつか春日ちゃんに私の作った服を着て貰うんだって考えながら作っていた。姉達は当然、その出来栄えを馬鹿にしていた。破られた事もあった。でも、私は姉達の人形だから何も言えず、何も言わず、ただただ姉達の怒りが通り過ぎるのを待っていた。それが過ぎれば、いつのまにか腕を切り裂いている。そしてまた、姉達に叱責される。その繰り返し。機械のように、人形のようにそんな日々を繰り返していた。


 裁縫人形。


 そんな風に姉に言われたのを覚えている。


 ちくちくちくちく。ミシンも使わずに延々と裁縫するその姿を見て、そんな風に見えたらしい。他にも掃除や洗濯もしっかりするようになった。御蔭で部屋は綺麗になった。毎晩汚くなるので、得意といえるぐらいになった。それがまた姉達の不評を買ったみたいだけれども。


 閑話休題。


 VRMMOである。


 2番目の姉がその話を持ってきた。例の男の子からの話らしい。まだその関係が続いていた事に僅か驚いた。その男の子曰く、VRMMOというのは端的に言うと仮想現実の事であるとか。最近では匂いが搭載されているものもあるとか。そんな話を姉が聞いてきた。


 『試しに応募してみたら?仮想現実であれば何でもできるよ?』と姉はその少年に言われたらしく、結果、私もそれに応募する事になった。させられたといった方が正しいのだけれど。


 仮想現実の中でも私は虐められるのかと諦めを抱いた。


 姉達のニヤニヤした顔を思うに、きっとやりたい放題やられるのだと思う。戦うという行為もできるらしく、現実よりも酷い事になるのは容易に想像がついた。きっと私は癇癪を起こした子供が人形にそうするように、延々と姉達に殺されるという役目を果たすのだろう。


 玩具らしく。人形らしく。


 現実ほんものでも、仮想現実にせものでも同じ。


 どこに行ったって私は玩具なのだ。


 ぽんぽんと優しげに肩を叩く一番上の姉の笑顔の何と素敵な事か。二番目の姉はニヤニヤと私の全身を眺めていた。一番下の姉は、もう!駄目よ、姉妹は仲良くしないと……なんて笑いながら嘘を吐いている。あぁいや、嘘ではないのか。『姉達は』仲が良いのだから。


 その男の子に聞いたのか、ナイフや爆弾や拳銃などがあるらしい。私は何を使おうと話合う姉達を横目に、仮想とはいえ、姉達はそんなにも人を殺してみたいのだろうか?私はそんな事を考えていた。生憎とゲームというものをした事はなく、『ゲーム内でゲームキャラ殺しをする』というメンタリティが私には分からない。ストレス発散というには軽過ぎるし、代償行為と考えるべきだったのだろうか。


 話合う姉達を、私は呆と眺めていた。それで少し分かった。姉達は人を殺したいわけではなかった。人形を使ってどうやって遊ぶかを相談しているだけで、人間を殺す算段をしているわけではないのだ。


 ……その仮想現実というのは痛みもあるのだろうか。


 だったら、嫌だなと思った。


 とても、嫌だなと思った。


 仮想現実にせものだからこそ、容赦はないのだろうから。それがとても恐ろしかった。


 脳髄を拳銃で撃ち抜かれ、眼球を生きたまま引き摺り出され、頸動脈を切られ、腕を落とされ、足を切り刻まれ、焼かれ、内臓を解体され、幼い頃に膜を破られた子宮を取り出されるかもしれない。


 嫌だ、と思った。


 そんなのは流石に嫌だと思った。


 でも、それでも私は何もできないのだろう。


 私は人形だから。


 姉達の人形だから……。






 そのはずだった。






―――






「あは、アハ……アハハハハハ!」


 笑っている女がいた。


 鈍色の空。カァカァと飛ぶ黒い鳥の群れ。崩れ落ちたビル、窪み亀裂の入ったアスファルト、香る臭いは火薬と血の匂い。視界を埋めるのは花火のように弾けて行く何か。


 その中心に立ち、その女は笑っている。嘲るように嗤っている。悲しみに涙する事なく、悔む事なく、ただ笑っている。


 気が狂っていると、そう思った。


 気色悪いと、そう思った。


 こんな人間が存在して良いわけがない、そんな風に思った。


 そんな風に『嗤う私』を私は傍観者のように見ていた。


 『私はそんな事を望んでいなかった。だからこれは私の所為じゃない。それに、未来に私を殺す人がいるのならば、それを殺さないのは自殺だから、姉達を殺したのは正当防衛だ』などと、罪から逃れようと言わんばかりに。


 醜い、と思った。


 そんな自分がとてもとても醜いと思った。


 これを引き起こしたのは私なのだ。姉達を殺したのは間違いなく、私なのだ。その証拠に、さっきから苛立ちを覚える程に軽妙なファンファーレが鳴り止まない。


 それなのに『私』は嗤っている。


 目を瞑りたくなった。耳を塞ぎたくなった。


 けれど、いつまで経っても『私』は嗤ったままだった。


 どうしてこんな事になったのだろう。どうして私は姉達を殺してしまったのだろう。


 私は姉達を恨んでいたのだろうか?殺したい程怨んでいたのだろうか?


 いいや、違う。


 姉達の事は今でも愛している。私は姉達を殺したかったわけじゃない。けれど、人形の手が動いたのだ。勝手に動いたのだ。いつも自分の腕を切り裂く時のように、こわされそうになって人形はその手を動かしたのだ。


 ゲームマスターと呼ばれる『何か』からの話が終わった時、姉達は一斉にその責任を私に押し付けた。『私がいたから』こんな場所に閉じ込められた。『私がいるから』こんな事になった。『私が存在するから』不幸になったのだ。そして、『私達が生き延びるために死んで貰うわよ。ここで貴女が死んでも私の所為じゃないわよね』そう口にした。お互いにお互いを牽制しながら、そんな事を言った。私を殺した者が一歩リードできるとでも言わんばかりに。


 いつものように……いいや、私がころされる。


 そう思った瞬間、私は爆弾を手に取り、ピンを外して、姉達の前に投げ込んでいた。


 気付けば爆発し、連鎖的に姉達が装備していた爆弾や、その周囲の人が装備していた爆弾が一つ、一つ破裂していった。


 その光景はとてもゆっくりとしていた。時の流れが遅くなったかのように、姉達の肉体がゆっくりと爆弾によって引き裂かれ、驚愕と怒りの混じり合った表情を浮かべて私を睨んでいるのが見えた。最初に一番下の姉が死んだ。軽妙なファンファーレが鳴った。二番目の姉が死んだ。ファンファーレは続く。一番上の姉が死んだ。ファンファーレは鳴り止まない。次いで、周りに居た人達の肉が裂けるのが見えた。肉が飛び、血が飛び、人を形作る何もかもが飛んでいた。宙に浮かび、血の雨を降らしていた。ばしゃ、ばしゃと私の体を赤く染めて行く。


 汚れたゴミの様な色だと言われていた髪が赤く染まって行く。あぁ、これで汚い色だなんて言われなくなる。束の間、姉達とは異なる色彩の瞳が血に染まり、私に赤い世界を見せる。


 ぼた、ぼたと音がする。人だったものが、私の周りを埋めて行く。


 気持ち悪い、醜い、吐き気がする。とてもとても醜い世界だった。とても汚い世界だった。そんなにも汚い世界で、


「アハハハハッ!」


 私は笑い続けている。


 阿鼻と叫喚。驚愕の声、怯える声、恐れる声。人間の負の感情を寄せ集めた音が耳朶に響く。こんなものを聞いてなんで私は笑っているのだろう。皆が私に怯えて、逃げ惑っているのに。


 笑いながら、私は血の大地レッドカーペットを歩いていた。ぐしゃり、と足に引っ掛かるものがあった。肉片だった。踏みつぶした。ぐしゃり、と足に引っ掛かるものがある。痛みに苦しむ人間だった。踏みつぶした。


「アハハハハハハハ!」


 そんな酷い事をしているのにどうして笑っているのだろう。こんな事をしでかして何故笑っていられるのだろう。これじゃあ両親を殺した無差別殺人犯と同じだ。人を殺しておいて喜んでいるだなんてどうしようもないくずだ。


 ふいに、近くで泣いている声が聞こえた。


 耳元で囁く様な泣き声。


 笑いながら、その場所を探したけれど、でも、どこにも見当たらなかった。右へ、左へと踊るように歩き周ったけれど、どこにも誰もいない。もうここには誰も居ない。私だけのレッドカーペット。


 だったら、誰?


 ―――あぁ、私の心の奥底にいる、あの子が泣いているのだ。


 ぐすん、ぐすん、と耳鳴りのように、あの子が泣いている。


 何がそんなに悲しいの?


 そんな事聞かなくても分かる。


 私は……やっぱり、シンデレラにはなれない、その事に泣いているのだ。


 お姫様シンデレラはどんな時だって、くじけずにがんばってきたのだ。王子様に見初められるまで、辛く当たる姉達を殺したりなんかしなかった。周りに害を与える様な事はなかった。けれど、私はきっと現れない王子様を待つ事を諦め、周囲に撒き散らしたのだ。私が爆弾を投げつけたのは逃れたいという願いが産んだ行動なのだ。ただ逃げたい、と。何もかもを諦めて、心を閉ざしてしまいたいと願った行動なのだ。きっと、そうだ。


 だから、諦めこそが、この笑いの理由なのだろう。


 鳥籠の中、外の世界を夢見た鳥は諦めてしまった。広く蒼い空に飛び立つ事を諦めてしまった。他者を害した瞬間、未来の全てが閉ざされた事が分かったのだ。私はもう戻れない。元に戻る事はできない。


 何が勝手に動いた、だ。人形の手が勝手に動いたわけじゃない。単に壊れてしまっただけだ。壊れてしまった人形はもう人形なんかじゃない。勿論、人間でもない。


 何者でもない何か。


 私はそんなものに成り下がってしまったのだ。


 そして、生憎とそんなものを救ってくれる程世界は優しくない。


「…………」


 口元が僅かに弧を描いたのが分かった。


 今更だった。


 元よりこの世界に救いなんてない。


 どこに行っても私は誰かに疎まれる存在でしかない。誰かを不幸にするだけの存在でしかない。そこから抜けだそうと、そこから飛びだとしても引き摺り戻され、人形であれと望まれる。


 きっと私は世界に嫌われているのだ。


 産まれた頃からずっと、ずっと嫌われているのだ。


 ……いいや、そんな事はない。


 世界は常に平等で、世界に意志なんてない。私がこうなったのは私の責任。私の罪。逃げる事もできず、死ぬ事も出来ず、ただ流されるままに人形のように生きて来た結果。


「ふふ……ふふふふ」


 そんなもの、シンデレラになれなくて当然だ。


 目が見えなくても一生懸命、生きていた彼女とは違うのだ。


 太陽の光が綺麗だった。それに照らされる雨露は宝石のように輝いていた。沈む夕陽は幻想的なまでに綺麗だった。代わりに出て来た黄金色の月に何度感動を覚えただろう。闇夜に流れる天の河。木々の立ち並ぶ公園、人間の作り出したビル、凄い早さで走る車、何もかもが綺麗だった。春日ちゃんの輝かしい笑顔。私が見る事の出来た世界だけでも、綺麗なんだって思う。だからきっと、世界はもっともっと綺麗で、とても尊いもので、だから……だから、そんな世界を汚した私はもう人形でも人間でもいられない。


 魔法使いに……魔女になって生きよう。


 笑いながら。


 嗤いながら。


「あははははっ!」


 こうやって馬鹿みたいに笑いながら。


 泣いているあの子には悪いけれど、もうそのままずっとそこにいて欲しい。


 ごめんね、『私』。


 シンデレラになれなかったのは私の責任。


 私、悪い魔法使いだったんだ。それもシンデレラに出て来るような優しい魔法使いなんかじゃない。だから……貴女シンデレラを泣きやます事、できない。


『さようなら、私』


 呟いた声は、続く哄笑によって消されてしまった。


 舞踏会のように軽やかに笑いながら、レッドカーペットの上で踊るように。十二時の鐘が鳴るまで、きっと私は踊り続ける。誰もいない舞踏会でただ一人、いつの間にか誰も居なくなった事にも気付かないシンデレラ……いや、魔法使い。滑稽だ。舞踏会を台無しにした事にも気付かず踊り続ける道化。


 お似合いだ。


 今の私にはおあつらえ向きの舞台だ。


 気を良くしながら踊る私の耳に、音が聞こえた。


 カツン、と。


 爆風で何かが飛んだ音だろうか。


 違う。


 再びカツン、と音がした。


 聞き間違いじゃなかった。


 カラン、という音もした。


 何の音だろう。


「…………」


 レッドカーペットの上を歩くなにかがいた。


 時折しゃがみ、死体……もはや肉片となったそこに指を突っ込み、弾丸を集めていた。まるで死体喰らいのように、まるで鼠のように。


「…………あはっ」


 この光景を見ても何の感慨も沸かんでいないような表情をしながら、淡々と作業のように弾丸を拾ってはストレージに入れていた。滑稽な舞台を演じる私にも興味はなく、その人は延々と弾丸を拾っていた。


「ちょっと。ねぇ、ちょっとその変な人」


 私の声に顔を向け、『あぁ、まだいたのか』と言わんばかりの顔を見せ、すぐに肉片の隙間へと向き直る。その態度は、さながら舞台はもう終わったから私にさっさと帰れと言っているようだった。酷い人間だと思った。私よりも死体にご執心らしい。


 変な人だった。


 とても変な人だった。


「ねぇ、何しているの?」


「弾丸を集めているだけだが……」


 面倒くさそうにそれだけを口にして、作業に戻った。馬鹿な人なのではないかと思った。すくなくとも頭はおかしいのだと思う。


「私のこと怖くないの?こんなに人を殺して、レベルっていうのも一杯あがっているのよ、私。いつ殺されてもおかしくないのよ?それなのにそんな無防備で……」


 私に殺されてもおかしくない。


 もうシンデレラを夢見ていた私じゃないのだ。悪い魔法使いになった私にはそれが出来るのだ。そうやって凄んで見せてもその人の顔色は変わらなかった。


 暫く見つめ合っていれば、その人は、


「しいていえば、僕は君の殺し方が嫌いだ」


 そう言った。


 その無慈悲な言葉に、あの子が更に奥深くに沈んだような気が……


「まぁ、当然よね……って、殺し方ぁ?」


 しなかった。


 一瞬、呆然としてしまった。


 この人は私の事ではなく、私の殺し方が嫌いと言った。


 再三、変な人だと思った。さよならを告げたあの子が吃驚してその涙を弱めたような気がした。


 言葉を失っている私に、


「もう少し慎みのある殺し方をお願いしたい所だ。こんな汚い死体、僕は興味がない。しかし、よくもまぁ、ここまで散らかしたものだ。恨みでもあったかね」


「別に」


 汚い物を見せられて不愉快である、とそう言った。


 それは例えば絵画展。興味のあるジャンルの絵画を見に来たのに、幕を開ければ酷い素人以下の絵画ばかりだった、とかそんな感じだろうか?かゆい所に手が届かないもどかしさとでも言えば良いのだろうか?良く分からなかった。


「でも……未来のことは誰も分からないんだから、正当防衛と主張しても良いんじゃない?」


 だから、適当にそんな戯言を口にした。


「これは緊急避難であり、正当な防衛だと?」


「えぇ」


「過剰防衛だと思うがね」


「見解の相違ね。……ところで貴方、それって死体から弾丸を掻き集めながら言う台詞ではないと思うわよ?」


「限りある資源を大切に、だ」


 そんな戯言を口にされた。


「……変な人ね」


 可笑しさに苦笑が浮かんだ。


「妹にもそう言われるが、僕は至って普通だ」


 これを普通と言っては他の人達が可哀そうだと思った。


「妹がいるの」


「あぁ」


「好き?」


「妹の死体を見たいとは思わない」


「よくわかんないわね」


 本当に良く分からなかった。


 姉の様に虐めるわけでもなく、外に出た時に遭遇した人達のように私の姿に何を思うでもなく、春日ちゃんのように見えないわけでもなく。この人はとてもフラットだった。とても平坦だった。どうしてこんなにも平坦なのだろう?映画やドラマなどでは殺人を侵したものは忌諱されるのだ。それは仮想現実であろうとも変わらない。まして現実世界で死んでいるというのならば、尚更忌諱されるだろうに。遠く、視界の端、逃げて行く人達の姿が見えた。逃げ遅れ、隠れてこちらを見ている視線にも気付いた。普通はそうだ。普通は。けれど、この人は私の前にいる。


 分からなかった。彼が何を考えているのかさっぱり分からなかった。


「ねぇ、貴方。名前は?」


「シズ」


「そう。覚えておくわ」


 分からないから知りたいと思った。


 気まぐれだった。他の人達と同じ様に殺してしまっても良かった。けれど、私はこの『分からなさ』が気になってしまった。


「忘れて貰っても構わないが……そうだな。君がこんな殺し方を続けるなら、いずれ僕が殺すよ」


 くすり、と笑みが零れた。


「それを本人の前でいう?やっぱり変な人よね、シズぅ」


 笑っていた。


 確かにその時、私は心の底から笑っていた。






―――






「大人しくしてりゃ、酷い事はしねぇよ。気持ち良い事はしてやるけどな!」


 げははははと男達が嗤っていた。


 十人ぐらいだろうか。見目だけで言えば良いのだろう。芸能人の誰かの姿を模したものかもしれない。


 ちなみに私は姉達によって現実と同じ姿にされていた。名前だけは自分で付けた。姉達に怒られない様な名前を考えて、考えて、『灰色アッシュ』という名前を付けた。姉達はそんな名前を付ける私を嗤っていた。ともあれ、今となってはもうちょっと可愛らしい名前を付ければ良かったと思った。そういえば、ランキングというのにWIZARDという名前が付けられていた。魔法使いにふさわしい名前だと思った。略してウィズだと可愛らしいな、と思った。


「流石にびびったのか?可愛らしい所もあるじゃねぇか。しょっぱなから大量殺人をやった奴とは思えねぇな!」


 見目だけは良い男が更にそう言った。


 鬱陶しいので、爆弾を生成してその綺麗な顔を吹き飛ばした。汚い血と肉が飛び散って私の顔に付いた。唇を汚されたのが酷く不快だった。


 その後は阿鼻と叫喚。軽妙なファンファーレが鳴り響いた。


 痛いのは嫌だから、とVITと言うステータスをあげた。器用さもあった方が裁縫は出来そうだったからDEXというのもあげた。なぜだか爆弾の威力があがったように感じた。


「……どうしようもないわねぇ」


 吐き捨てる。


 春日ちゃんに会った日を思い出す。あの時の男に連れていかれれば、今みたいな事になったのだろう。あの頃とは違って今の私にはそれに抵抗する力がある。


 男といえば、以前、父の弟と言う人が家に来た事がある。良い年をした渋い見た目の人である。姉達は歓迎していた。私は歓迎できなかった。叔父は私の母を好きだったらしい。ぬめっとした視線はあの時の男や先の男達と同じだった。肢体を舐めまわすように見るその瞳がとても気持ち悪かった。その夜、私は眠る事ができなかった。扉を背に、寝そうになる自分を押さえようと腕の傷を増やした。案の定、叔父は私を襲おうとした。がんがんと鳴る扉。暫くして一番上の姉が起きた事でそれは終わった。勿論、夜中に起こされた腹いせは受けた。色目を使いやがってと謂われの無い事も言われた。


 ハァとため息一つ。


 嫌な事を思い出した。


 気分を変えようと私は外に出る。


 それに水場を探して血を拭わないと……。


 ついさっきまで私は廃墟の中で裁縫をしていた。


 初期装備の服は可愛らしくなかった。何とも雑な感じが気に入らなくて、何か作れないかと考えて、悪魔達を倒したり、人間を倒したりして手に入れた物で試行錯誤。


 ようやく上着が出来た所だったのだ。あの時、二日だけ通った学校の制服に似た服だった。未練があったのだと思う。


 後はスカートやストッキング、靴と……ローブが欲しい。魔法使いなのだから、ローブは必要だろう。


 爆弾をばらまきながら歩けば、暫くすると水辺が見える。


 その水辺には悪魔がいる。


 毎日の様に沸くそいつら。人間の形をした全身毛むくじゃらという可愛らしくもない生き物である。ただ、服の素材にはちょうどよく、水浴びついでに毎日そいつらを倒していた。時々、なぜか天使の羽みたいなものが落ちているのでそれも回収した。


 水を浴び、血を流す。


 流す途中、腕に目がいった。


 醜い傷痕だった。


 もっとも、傷痕はそこだけではない。身体中についている。けれど、一番目に着くのはそれだ。


 十字に刻まれた傷。私が私を殺そうとして付けた痕。この世界では自殺が禁止されているので、これ以上、この傷が広がる事はない。それはそれで良いのだが…………。


「…………ハァ」


 ため息が出る。


 正直に言えば、夜が怖い。


 夢は記憶の整理。まさにその言葉を体現するように、姉達にやられてきた事が延々と映し出される。これは夢なのだと、姉達はもういないのだと夢の中で叫んでも、それが消えることはない。叫びに目を覚ました事もある。


 仮想世界なのだから、寝る時は思考を停止させて欲しい、そう思った。


 だから、極力寝ないようにしている。けれど、どうしても意識が落ちてしまう時がある。


 叔父の時のように腕を傷付けて目を覚ます事はできない。


 あるいは……ずっとずっと悪魔を殺していれば眠らずにいられるだろうか。


 全身についた血を流し終わり、私は悪魔の毛を毟りに行く。


 それが終われば廃墟に帰って裁縫。悪魔や人間プレイヤーが来れば、殺してまた裁縫。眠くなったら悪魔を探して周囲を散策する。


 それが基本的な私の、この世界での日課だった。


「シズぅ、どうしているのかしら?」


 時折、ぽつりとそんな言葉を口にする。


 服が出来たら探しに行こう。


 そう思った。






―――






 玩具を壊すという事を怒られた事のない子供は、人形を壊す事をどう思うだろう。玩具を壊した事で褒められた事のない子供は、人形を壊す事をどう思うだろう。どちらでもなかった私は何の感情も浮かべずただただ自分に似た存在ものを壊していた。


 つまり、ただの掃除だった。


 壊せば勝手にスカベンジャー達が残りを掃除してくれるので楽なものだった。これなら部屋の掃除の方が大変だった。


 東京駅だった場所―――テレビを通してしか見た事のないそれが壊れている事に何の感慨も浮かばなかった―――そこで私は延々と襲ってくる人形を壊していた。


 傾いたビル、落下したビルに囲まれた駅前の開けた場所。そこを人形だったものが埋めて行く。スカベンジャーの食事が追い付かず、一段、二段、三段……あぁ、崩れた。一段、二段……彼岸で石を積み重ねるように私は延々と人形掃除をしていた。


 暫くすれば、人形の製作者というべき人物が現れた。そういえば、『なめなしくん』がどうとかいうアナウンスが流れていたように思う。


 そのプレイヤーだろう。


 人形しかばねの山を超えて私へと近づいてくる。傲慢で傲岸で不遜な表情を浮かべながら、人形を侍らせ、さながら自らを王だと言わんばかりに私へと近づいてくる。その姿、その様に反吐が出そうになった。


 ひと目見て気に入らない人間がいるとは思わなかった。


「あら、大事な人形が壊されて怒った製作者が現れたわ」


 吐き捨てるように口を開いた。


「いきなりだね……爆弾魔ウィザード


 柔らかい声、幼ささえ感じる愛らしい顔、セミロングの黒い髪、薄紅色の唇、淡く青みがかった瞳。左目の下には泣き黒子。髪の色に合わせたように黒一色で構成されたフード付きのロングパーカー。デニムのショートパンツに黒いオーバーニーソックス。そしてハンドバッグのように肩にかけた日本刀。それらを構成するその全てが気持ち悪かった。


 可愛らしさは感じる。似合っているとも思う。


 けれど、気持ち悪かった。気に入らないと感じた。壊してしまわないと駄目な気がした。でも、何が……そう考えていた私の口を吐いて出たのは、


「『偽物』……?」


 それだった。


 この女の子の何に『偽物』を感じたのだろう。


 この可愛らしい少女の何に私は偽物を感じたのだろう。


 ……いや、別に良い。この子の事を知りたいとは思わない。理由が分かった所で私は壊したいと願うのだから。結論が同じなら考えるだけ無駄だ。


「ほぉら、大事な人形と一緒に死になさい」


 手の中に爆弾を産み出して、ぽいっと周囲にばら撒けば人形が破裂する。広場を埋め尽くす屍が更に壊れ、食事中のスカベンジャーも飛び散る。


 その影響がビルへも至ったのだろう。音を立てて、土煙をあげてビルが倒れて行く。轟々と鳴る音が煩い。びりびりと肌が震える感じがとても気持ち悪い。


「こういう奴を産まれついての殺人者ナチュラルボーンキラーっていうのかなっ!」


 土煙の中から彼女の声が聞こえた。それと共にパラパラと軽い音が響く。何発もの銃弾が私を襲う。けれど、痛みはない。それだけのレベル差があった。


 それだけのレベル差があったのならば、何故彼女は私の爆弾を耐えられたのか、といえば、簡単な話だった。確かめるように爆弾をばら撒けば、


「守れよ」


 彼女の声と共にNPCが彼女の前へと移動し、肉塊になった。なんとも酷い扱いだった。


 とはいえ、人形は元々壊す予定だったし、別に良い。どうせ全部壊すつもりだったのだ。諸共に壊し尽してしまえば良い。簡単な話だ。凄くシンプルで分かり易い話だ。


「ほぉら、カワイコちゃん、さっさと死になさぁい」


「私は男だっ」


「うわっ、VRMMOだからって女装とか気色悪っ」


「煩いよっ、この売女!」


「あらあら、愛玩人形セクサドール好きな奴に言われたくないわね……この糞餓鬼」


 彼女……彼の思う通りに動くNPC達。


 きっと私がNPCを壊したい理由は、彼ら、彼女らが私自身のように感じられたからだろう。それぐらいの自覚はある。この男の思う通りに動くNPC達が心底、気に喰わない。自分のようで。抗う事を知らず、抗う事ができずにただただ言いなりになる姿が、大層気に喰わない。この男を殺したいと願ったのは、そんな風に好き勝手に人形達を使い捨てる所に姉達の存在を感じたからだろう、そう思った。


 手の平に産み出した爆弾で人形達を壊せば次が沸く、次が沸く。


 そんな事をどれぐらいやっていただろう。今まで一度たりともなくならなかったSPというものがなくなりそうになった頃だった。


 眠気が襲って来た。


 最近寝ていないからだろう。現実とは違うのだから、眠る必要もないだろうに、そういう所だけ現実と一緒にしてこの世界の支配者様は何がしたいのかと思った。爆弾の音でも、爆発の光でも、この男の攻撃でも私の睡魔には勝てそうにない。


「ご自慢のお人形さんもそろそろ無くなるんじゃない?」


 目算であと二百。それをこわしきる事はできるだろうけれど、でも、先に睡魔に負ける。


「その前にお前が死ね」


「まったく、どれだけ人を殺したのよ」


「お前に言われたくないよっ」


 刃が首に届く。けれど、それは私の皮一枚で止まった。痛痒はない。


「ほら、これじゃあいくらやっても私は殺せないわよ。残念ねぇ……私もそろそろ飽きてきたし帰りたいんだけど?」


「……散々、散らかしておいて何て言い草だ」


 意識が沈み始めているのだろう。とても遠くで、歯が鳴る音が聞こえた。


「でも、今の私にはお前を殺しきる力が無いのも確かだ。WIZARD。関東へは来るな。そうすれば私と私のNPC達はお前に手を出さない。一時休戦と行こう」


「そっちこそ勝手な物言いねぇ。殺せないから殺さないでとか……ま、良いわ。私も飽きたし、覚えている間は来ない事にするわよ……」


 言って、私はその場を去ろうとした。


「そうしてくれ。まったく……Czといい、WIZARDといい、ナチュラルボーンな殺人者が多くて辟易するね」


 その言葉に、一瞬、意識が覚醒し、顔だけ振り向いた。


「……ねぇ、そいつ今どこにいるか知っている?」


「あぁ、知り合いだっけ?最初の時も会話していたみたいだし。ふぅん。類は友を呼ぶってね……おぉ、怖い怖い。そんな目で見るなよ。交換条件と行こう―――」


 ふんと鼻を鳴らして交換条件とやらをだらだらと述べる。どうでも良い事だったので聞き流した。流し終わり、あぁはいはい、と同意すればようやくシズの事に話が移った。


「---だよ。私自身そんなに長い事一緒にはいなかったけど……あぁそういえば、鎌を持った少女を気にしていたね。気狂いは気狂いに好かれるって事かもね―――」


 自分が知っている事を私が知らないと言う事に優越感でも感じているのだろうか。何が楽しいのかシズとその少女の話を延々としてくれた。それを聞いて嫉妬に似た何かと共に爆弾を投げつけた後、私はターミナルへと向かった。ターミナルで転送先を指定し、その街へと移動。そして、適当な廃墟に入って、壁を背に腰を下ろした。


 誰も居ない静かな場所。とても静かな場所だった。


「……ふふ」


 静かな場所に音を産み出したのが限界だった。


 瞼を閉じれば、一瞬で私の意識はどこかへと消えて行った。






―――






 息苦しさと酷い寝汗をかいたような気持ち悪さを覚えながら意識が覚醒して行く。


 最悪の目覚めだった。もっともいつもの事なので特に気にする程のものじゃない。ただ、優しげに照り付ける陽光が酷く不快だと感じた。


 壁に穴が開いていた。


 寝ている間に寝ぼけて爆弾を産み出したのだろう。


 眠りに付けば毎回のように見る夢。決して死ぬ事のない姉達に殺されそうになる夢。端的に言えばそんな所。


「もういないというのにね」


 姉達は私が殺したのだから。でも、記憶には残っている。私の記憶には鮮明に残っている。こびり付いている。決して取れる事のない汚れ……いや、きずあとのように。


 自然、傷痕の付いた腕に目を向けていた。


 腕の中央を縦に割り、それに直交するように手首に浮かぶ蚯蚓腫れ。何度も、何度も今度こそは、今度こそはと切り裂いた場所。でも、人形には自らを捨てる自由は認められていない。人形は、飼い主が飽きる事でしか殺されないのだ。それを理解できなかった私はそうやって何度も無駄な事をしたのだ。


「っ……私は……人形じゃない」


 滅入る気分と共に廃墟を出た。


 昨晩、呆とする頭で入ったその場所は、この都市の駅舎に近い場所だった。近くにコンビニがあるのが見えた。何故かコンビニ前にはスカベンジャーがたむろっていた。あれでは客も来ないだろう。あるいはスカベンジャー自体が客なのだろうか。


 変な可笑しさを感じて、笑ってしまった。


 それから適当に歩く。


 どこにいるのやら、と思いながらてくてくと廃墟を一人歩く。こうやって誰かを探して歩くには広すぎるけれど、それがなんだか楽しかった。広い世界を歩く事を夢見ていた。ここが鳥籠の外かと言えば違うのだけれど、それでも、こうやって思うがままに歩けるのは楽しさを覚える。


 倒れたビルの隙間から緑色の自然が産まれているのが見える。くぼんだ道路の底にはたんぽぽの姿。風に流され、小さな瓦礫がカラカラと音を立てて落ちて来る。ころん、ころんと転がって道路の窪みに嵌まる。たんぽぽには当たらなかった。良かった。カァカァと鳴くスカベンジャー達の声。空を見上げれば眩しい太陽を背に自由気ままに空を駆けていた。カァと一際高く響く声に、もしかするとコンビニの店員が餌を与えてくれたのかもしれない、そんな事を思った。


 それから更に暫く。


 人の姿が見えた。


 ほんの数時間で見つかるとは思わなかった。もっと時間がかかってもそれはそれで良かったと思う。けれど、それはそれ、これはこれ。見つかった事に喜びを覚えながら私は彼に近づいて行った。


 彼は、何をしているのか呆と空を眺めていた。蒼い空、眩い太陽に美しさを感じ、私のようにスカベンジャーを見て何かを思ったのかもしれない。あるいは逆にまったく違うかもしれない。だって、彼だもの。


 彼のいる場所だけ淀んでいるように見える。彼という存在がこの世界に嫌われているかのようだった。死にたがりが近づけば自ら命を絶ってしまいそうな雰囲気。誰も彼もがこぞって死んでいきそうな最低で最悪な雰囲気だった。いいや、逆に、彼の様な人間にならなくて良かったという喜びを感じられるかもしれない。自分達より下の人間がいるという事で安心を得られるかもしれない。こんな人間に比べれば自分はまだましなのだ、と。


 私はどちらだろうか。どちらでもないかもしれない。あるいはどちらでもあるのかもしれない。


 手を振って、彼の意識をこちらに向けようとしたものの、反応はない。背を向けているのだから当然といえば当然だった。でも、気付いて欲しいと思った。


 全く酷い男である。


 そんな男には、と彼の背目がけてこっそりと近づいた。もっとも、隠す気もないので、足音でばればれだったようで、音に気付いた彼はこちらを振り向くと、腰元から拳銃を取り出し、一切の躊躇なく、鈍色の鉄、その引き金を引いた。


 轟音と共に顔面に衝撃を受けた。


 その容赦のなさが酷く嬉しかった。


「シズぅ?いきなり激しいわねぇ。駄目よ、女の子は繊細なのだから、もっと優しくしないと」


 ふふんと思いながら、彼を見れば、ふむ、と残念そうに拳銃を見つめていた。その仕草が癪に障って、ついつい腰に手を当て、ぷんぷんと怒っていますというポーズをする。


 そんな武骨なものを見るぐらいなら私を見れば良いのに、なんてそんな女の子らしい事を他人事のように考えながら、胸元を強調して上目遣い。


 直後、今度は額に衝撃。間断なく延々と引き金が引かれる。


 細い指だった。少し骨の浮いた細くて長い指。それが武骨なソレの引き金を引いているのが何だかとても魅力的だと思った。その指先で触れられたらと思うと、身体が疼いた。


「リロード」


 静かな声が聞こえた。低くもなく、高くもなく、とても耳触りの良い声が耳朶に響く。


 でも、そんなモノより、貴方の手で……と思っていれば、いつしか衝撃はなくなっていた。諦めたようだった。


「存外硬い」


「ちょっと、女の子を形容する上で硬いはないんじゃないの、硬いは」


「事実だろう?」


「……まぁ、そうだけど」


 確かにそうだけれど、癪だった。癪だったので爆弾を一つお見舞いした。一番弱い奴なのでシズでも死なないだろうと思ったけれど……思いの外ダメージがあったみたいだった。


 腕がなくなっていた。


「あら……華奢ねぇ」


 ぽたぽたと落ちていく血が地面を赤く染めている。


「っ……僕はか弱いんでね」


 痛そうだった。きっと私だったら絶叫しているに違いないと思えるぐらい痛そうだった。けれど、彼の表情はそれほど変わっていなかった。傍から見れば、痛痒はないと思える程の僅かな差だった。人によってはそれがまた気色悪いと感じるのだろうな、と思った。


 少しだけ歪んだ表情を浮かべながら、回復アイテムを口にし、腕を修繕する。トカゲの尻尾のように再生していく二の腕、一の腕、手首、手、そして綺麗な指先。あぁ、良かったと少しほっとする。


「久しぶりといえば良いのかね」


「そんな感じかしらね。どう?元気していた?」


「今さっき元気じゃなくなったんだが……」


 肩を竦められた。失礼な話だと思う。


 そんなどうでも良い中身の無い話、そんなものがどうしようもなく楽しくて、しばらくそんな時を過ごした。


 そして、その楽しさに、虚しさを覚えてしまった。


 帰る、と一言。シズとは別れた。


 きっと彼は鬱陶しい奴がいなくなったと喜んでいるに違いない。その事が少しばかり癪だったけれど、でも、今感じているこの虚しさ程じゃない。


 意味の無い言葉のやりとり、それが楽しいものだという事を知った。初めて知った。テレビ番組の中で芸能人達が無意味な話をしているのは見た事がある。時折、何の意味の無いシーンが入っているドラマや映画を見た事もある。それに何の意味があるのだと思った。意味のないシーンを描く事に何の意義があるというのだ。そんな風に思っていた。けれど、理解できた。


 人と人との会話は意味のある事ばかりではないのだ。


 その事を知った。


 逆に意味のある事ばかりを描いている方が不自然なのだ。不自然を自然だと勘違いしていた自分がとても馬鹿馬鹿しくて、馬鹿馬鹿しくて……嗤った。


 狂ったように嗤った。


 悪魔達が逃げて行った。それがまた可笑しくて、嗤った。誰も居なくなった。


 私の世界には誰も居ない。


 シズだって、私がいかないと近づいて来てはくれない。そんなのは当たり前で、彼にとって私は鬱陶しい、殺される可能性のある敵でしかないのだ。私が興味を持っているだけなのだから当然のこと。でも、少しばかりの寂しさを覚えた。


 この感情を何と言うのだろう。


 分からなかった。


 鬱蒼とした山の中。暗くて月の灯りさえ届かないこの場所で、私は座り、硬い木を背に虚しさと共に瞼を閉じた。


 浮かんでくる姉達の顔。


 血に塗れ、爆風で抉られた頬、空いた穴の中から歯が見えた。カタカタと動く歯、焼かれた頭皮にくっつくように他の姉の顔が繋がっている。交じりあったかおの塊。そんなものが浮かぶ。叫びたくなる私の喉を、骨の見える、あり得ない方向に折れ曲がった手が覆う。叫びをあげようにもあげられない。ただただ意識が埋没していく感覚。浴槽の中に顔を入れられ、息ができなくなり、暴れる事すらできず、酸欠で意識が遠のく感覚。その時の感覚を思い出し、身を震わせながら私の意識は沈んで行く。


 そして、次の日には悲鳴と共に目を覚ます。


 その苛立ちを抑えるかのように、人と会えば人を殺し、NPCと会えばNPCを壊す、悪魔と会えば悪魔を殺す。


 そんな日々。


 そんな日々に虚しさを覚える。


 もっと他にあったのではないか。もっと他に私の辿るべき道というのはあったのではないか。姉達に嫌だと、やめてくれと言える道はあったのではないだろうか。


 いや、無い。


 あるわけがない。


 どれだけ夢見ても、所詮夢は夢。夢は見るもので、叶えるものではない。叶えるのは希望であって、夢ではない。私には希望なんてない。糞尿を作り出し、垂れ流すだけの人形にも満たないそんな無意味な存在。


 だから……そんな私の人生に意味なんてない。


 産まれてくる必要などなかった。


 私が産まれたことで不幸になった人が大勢いるのだから尚更だと感じる。死んでいった人もいっぱいいる。


 私は罪に塗れている。その罪を十全に理解しながら、償う事もせずただただ罪を重ねる魔法使い。


 それなのに意味の無い会話に楽しさを覚えたのが……いけなかった。


 無性に春日ちゃんに会いたいと思った。


 それがいけなかった。


 春日ちゃんは今、どうしているのだろう。


 そう考える私が駄目なのだ。


 それでも望みたいと思った。


 無駄な会話をしたい、と。当たり前の人間がやる事をしたい、と。世界の広さを感じたい、と。


「もう、死んでいるくせに」






―――






 諦めに死んだ人間が、今更何をという思いはあった。


 それでも、自然と私はシズの元へと向かっていた。予想通り弾丸をお見舞いされた。無駄話をしていれば本題を忘れて帰りそうになった。そんな自分がバカっぽくて、でも、それが楽しかった。彼とPTを組んだ。PTを組むと相手にキャラクター名が伝わる。『その髪の色ならSilverじゃないのか?』そう言われた。そんな風に言われたのは初めてだったので、照れてしまった。


 お前の人生は灰色じゃないと、そんな風に言ってもらえたようで嬉しかった。その喜びはいずれ虚しさに変わるのだろう。けれど、それでもその時は嬉しかった。


 褒めてもらえた髪を見た。でも、私にはやっぱり濁った灰色に見えた。


 だから、だろう。


 彼にはどんな風に世界が見えているのかが気になった。


 NEROに転送を禁止されている事を知った。その事に憤れば、シズが笑っていた。初めて見た笑顔だった。あははっと声を大にして笑っていた。なんだかとっても意外な感じだった。泰然というか興味がないというか、世界なんかどうでも良くて死体しか興味が無い人だったけれど、なんだか……その姿だけ見ればとっても可愛らしかった。彼の話の中に良く出て来る妹さんが彼に構っている理由が少しばかり分かった気がした。普段死人のような顔しか見せないから、そういう顔を見せて欲しいと思って色々画策しているんじゃないだろうか。一度、妹さんに会いたいと思った。


 歩きで関東から北陸まで来た事に驚いた。流石に頭おかしいんじゃないかなと思った。でも、反面、歩いて行くのも良いとそう思った。私ももっと世界というのが見てみたい。荒廃した世界だったけれど、それでも見たいと思った。


 東北のある都市へ向かった。


 灰被りと呼ばれた。


 苛立ちと共に、殺した。


 その夜、シズと話をした。


 また妹さんの話だった。意外とシスコン気質のある人なのだと知った。


 カチャカチャと銃のメンテナンスをしているのを見ていたら、その音が何だか妙に心地良くてついついシズの前で私は意識を失ってしまった。


 いつものように最低な悪夢だった。


 でも、その日の夢は楽だった。私を殺そうとする姉や有象無象のプレイヤー達、叔父、公園で見た人達……何百という人が私を殺そうとする夢。身体を引き裂かれ、頭蓋に穴をあけられても死ぬことのできない地獄の夢。でも、楽だったのだ。途中で終わりがあった。


 私の腕を切り裂こうとした人。その人の頭に、パァンという軽い音と共に穴が空いた。次いで他の人達も同じ様に消えて行く。


 それを行った死人みたいな人が……夢の中でこういった。


 『WIZARD、安心しろ―――約束するよ。君は僕が殺してあげる』


 初めて私を助けてくれた人がいた事と、その言葉がとても嬉しくて、ありがとう、私は夢の中でそう言った。


 翌朝、寒そうにしているシズに毛布をかけてあげた。


 それからビルに昇ったり、犬を退治しようとしたり、駐屯地という場所に行ったり、裁縫でもしようと思い、二手に分かれてホテルに戻って毛布の隅に黒猫の刺繍を入れる作業をしていれば睡魔に襲われて気付けば昨日と同じ様に悪夢に苛まれた。けれど、その日も楽だった。


 誰かに掴まれた腕が暖かくて、少し気分が和らいだ。次いで首の辺りに指先が触れたのを感じた。とても冷たかった。それが心地よかった。


 そこから数日は眠ってもあまり辛くなかった。


 ビルでの事、SISTERという朴訥な感じの女の子をシズは殺さなかった。彼らしくない、というとこれは語弊がある。


 少し、分かってきた。


 彼は別に人殺しが好きなわけではなく、死体が好きなだけである。加えて、自分で作り出す死体は嫌いなのだ。それなら拳銃やライフルなどで攻撃しなければ良いと思うのだが、その辺りは変に固執しているというか……。だから、彼があの時SISTERを殺さなかったのは彼の範疇において、特に殺す必要もない奴だったからといえる。SISTERが彼の前で大量殺人を行っていて、しかもその死体がとても汚いとなれば即座に殺しただろう。


 傍から見れば正義の味方みたいな感じだった。それこそ彼らしくはないけれど。でも、なんだかそれもある意味彼らしいと感じていた。正義がどこにあるかなんてどうでも良いと私は思う。彼の中の基準によって彼は殺す相手を決めている。それだけの話。ただちょっと傍から見ると人殺しを殺している形になっているのが面白いというだけ。


 それから暫く彼と一緒に居た。


 彼が私の下からいなくなったのは東京での事だった。


 そして、私はまた悪夢に殺されそうになった。




 


―――






 自殺禁止ルール。


 どれだけ自分を傷付けようとしても傷一つ付かない。そのルールがなければ私はとっくにこの世界から退場していることだろう。再三、思う。


 無意識に腕を握りしめ、無意識に自らを巻き込んで爆発させる。


 私は死にたいのだろうか。


 私という存在を消してしまいたいというのは自殺なのだろうか。大好きだった姉達を殺し、のうのうと生きる私を、私は殺したいのだろうか。どうせ外の世界に戻っても鳥籠は鳥籠のままだろう。どうせ、叔父が私を囲うだろうから。今までは姉達が自分達の人形が汚される事を嫌って叔父に手を出させなかったが、その姉達もいない。だから、叔父が私を辱める事だろう。それに抵抗する力は……現実の私にはない。華奢な身体で抗える程、都合が良い事はない。刺し違える事はできるかもしれないけれど……だったら、ここで終わらせた方が良いという思いが、私の中にはあるのかもしれない。


 存在する事が罪というのならば、それを解消する事が唯一、私が許される方法なのではないだろうか。


 シズが私に何も言わずに去った。それがこれ程私の心を乱すとは思っていなかった。彼にとって私は変わらず面倒くさい奴で、鬱陶しい奴で、それでも少しは興味を持ってくれたと言っていた。けれど、その程度。しかもあんな所に置きっぱなしである。酷い話もあったものだ。


 少しは文句を言ってやらないと、とそんな事を考えていれば、少し気分が晴れた。全く……乱されてばかりだ。これも文句を言わないと。


「さてと……どこかしらねぇ」


 列島は広い。


 鳥籠だけだった私の世界が物凄く広くなった。その分、探しがいがあるというものだけれど、でも、行き当たりばったりというのも……。


「犯人は現場に戻るんだっけ?」


 ドラマで見たように思う。結果、私は北陸へと向かった。シズがいそうな場所を探していた。てくてく、とことこといるかな?いないかな?とかくれんぼをしているような気分で探していた。


 その結果見つかったのは、なんとも綺麗な女の人だった。年の頃は私とそう変わらない。あるいは私の方が下かもしれない。大人びた女の人だった。


 名前をリンカという。


 正確な名前はReincarnation。生まれ変わりや輪廻と言う意味だった。どういう気持ちでリンカはその名前を自らに課したのだろう。彼女に興味が沸いた。


 そんな彼女だけれど、最初に見た時、自慰行為に没頭していた……変態というのはいるのだな、と思った。それと同時に残念な美人というのはこういう人の事を言うのだろうと理解した。


 コンビニに寄った後、九州へと。初めて訪れた土地、どことも代わり映えしない廃墟が残念に思う。


 リンカに連れられて来た場所は彼女の城。何十というプレイヤーが私を見て怯えていた。騒ぎ、逃げて行く者もいた。


 そんな中で一人だけ。私を見ても普通の表情を浮かべている奴がいた。アルカイックといえば良いのだろうか。どこか死人のような印象を受けた。シズとはまた違う感じだった。言葉で表すのは思いの外難しいが、そんな印象だった。死相が出ているといえば良いのだろうか。そして……どこか嘘っぽい。そんな雰囲気も感じた。別人を装っているような、そんな風に感じた。


 これは他のプレイヤーにも感じる事はあった。先程逃げて行った人達の中にも何人もいた。あの糞餓鬼にも感じた事だ。作っている様な違和感……。


 その少年が声を掛けて来た。適当な戯言のやりとり。楽しくはなかった。


 何かを隠している様な違和感に、そして、何物でも見通すようなその瞳。シズの事を『見ていて面白い奴ってだけよ』などと表現した時に言われた、ダウト、という言葉が癪だった。


 相性が悪い、というのだろうか。


 糞餓鬼とはまた違う。


 そんな奴ではあったが、シズの居場所を探してくれるというのだからありがたい話だった。東北に戻ったかもしれない事を思い出させてくれたのもまたありがたい事だった。素直に感謝した。


 そして、風呂に入った。


 大きな風呂だった。リンカが大枚をはたいて作ったらしい。一緒に脱衣所に行き、服を脱ぎ、先に湯船へと向かう。その際、なぜだかリンカが私の自作ブラを見ては自分の胸元を見るという行為を繰り返していた。何がしたかったのだろう。変態だけれど、面白い人だと思った。


 まともに風呂に入るという行為自体初めてだったかもしれない。苦しくもなく、熱すぎる事もなく、身体が芯から温まって行く。心地よく、気持ち良かった。だからこそ、眠気が襲って来た。


 その後、海岸へと向かった。


 リンカ達の前で寝るわけにもいかないし、この場で寝る気もない。朝まで延々と悪魔狩りでもしていれば、睡魔には負けないだろう……そう、思いたい。何度も負けている相手である。心してかからないと負けてしまいそうだった。


 それから暫くは、眠れない夜を過ごした。


 眠れない方が良い。


 眠れない夜を過ごしながら、九州地方をめぐる。監視役なのだろうか。オッドアイの少年の姿をした女の子が私の後をちょこちょこと付いて来た。ばれていないと思っていそうなのがどこか可愛かった。まぁ、御蔭で余計眠れなくなったのだけれど、それはさておいて、九州南部で最低な物を見つけた。


 蟲溜むしだまりとでもいえば良いのだろうか。視界全てが真っ黒だった。黒いだけならまだしも、ウゾウゾと動いているのが見えた。叫び声を上げなかった自分を、発狂しなかった自分を褒めてやりたいと思った。これの死骸を何度喰わされた事か。その記憶が脳裏に浮かびあがった瞬間、延々と爆弾を作り出し、ばら撒いた。この頃になれば爆弾を生成している間にもSPが回復するようになった。御蔭でどれだけでも爆弾を作る事ができた。


 一日だったのか、二日だったのか、或いはもっとかもしれない。その地は更地になった。蟲の一匹もいなくなった。そんな頃、リンカが訪れて、ため息と共に呆れた顔をした。そんな姿も何だか絵になっているのは羨ましく思えた。


 それから数日後の事、シズの情報が手に入った。


 アリスというNPCを連れてどこかに行ったという。シズが人形遊びというのは何とも違和感があった。人間の死体にしか興味がない人間が、どうして人形を連れて回るだろう。だとすれば何か理由があって、だとすれば誰かに依頼されてと考えた所で、あぁ、あの糞餓鬼かと思い浮かんだ。


 糞餓鬼が何を思っているかは分からないけれど、多分そうだろう。そうでもなければ、シズがそんな事をする理由もない。


 そうすればこんな所に居る理由もない。


 そして関東にほど近い、私が行ける場所へと転送した。


 そんな場所に行かなければ、何かが変わっただろうか。


 いいや、きっと何も変わらない。




 私が行ける場所は、すなわち、彼女が行ける場所でもあった。






―――






 適当に移動して、適当に歩いて、適当に殺しながら、適当に進む。


 その道程。


 倒れた鉄塔、壊れた家屋、崩れた線路。河の決壊した堤防からは水が流れ続け、道路を浸す。ぴちゃぴちゃと鳴る足音。その音の可笑しさを感じながら、シズがどこにいるのかな、と僅か楽しみながら歩く。そうして足音がカツカツという硬い音になった時だった。


 ふいに、視界に人影が映った。


 体躯に似合わぬ鎌を持った少女。鎌を支えに立つ少女は酷く疲れているようだった。その少女の姿に、ランキングに名を連ねていたSCYTHEという名前ではなく、春日シンデレラという名前が先に浮かんだ。


「あら?あなた……もしかして……」


 少し足早に彼女へと近づく。


 もしかしてもなかった。


 鳥籠から逃げ出したあの日に出会った私のただ一人のお友達。所謂いわゆるゴシックロリータな服に身を包んだ春日ちゃんがそこにいた。確かお母さんがそう言う服が好きだと言っていた様に思う。折角の洋服は所々破れており、その内に隠した彼女の肌を見せていた。そんな服に身を包む彼女は、しかし、疲れたように鎌の柄で身体を支えながらも、どこか楽しそうだった。楽しい想い出でも思い出しているのかもしれない、そう思った。


 ……それにしてもどうして彼女がこの世界にいるのだろう。


 そんな疑問が浮かんだと同時だった。


 彼女の瞳が私を---見た。


 見て、見開いた。


「あぁぁぁぁぁっ!」


 瞬間、彼女の口腔から叫びが産まれる。


 その叫びが耳奥に響き、一瞬、歯を食いしばる。


 訳が分からなかった。


 例えこんな世界だとしても、それでも会えた事が嬉しいと思った。それなのにどうして彼女はサイスを手に私へと向かってくるのだ。


「何よ、突然雄叫びなんかあげて。私が何かした?」


 それに、どうして彼女の眼は見えているのだろう。あぁ、そうか。彼女はあの時、私を見ていないのだ。だから分からないのだと……そう思った。そう思って、


「―――もしかして忘れられている?私よ、リンネよ」


 慌てて、身ぶり手ぶりで彼女に私だと知らせる。


 けれど、そんな私の声も、所作も彼女には届いていないようだった。


 物凄い早さで接近し、サイスを横薙ぎに。咄嗟にそれを避けようと離れれば、更に私を追って来る。慌てるようにもっと後退すれば、サイスを振り、私を逃げられないようにする。獣の様な苛烈さだった。


 そんな彼女が私の方を向きながら……


「肉が、人間の言葉を喋るなっ」


 そう叫んだ。


 憎悪。


 彼女の瞳にはソレが浮かんでいた。現実世界では見る事の叶わなかった彼女の瞳。見える事のなかった彼女の瞳が憎悪に満ち溢れていた。初めて見たのが私への憎悪だという事に酷く悲しくなった。それと同時に、やはり見えるのだと分かった。


 けれど、彼女のその瞳には何が映っているのだろう。少なくとも……そこに映っているのは私じゃない。


「肉ぅ?……それ、もしかして私の事?」


「煩いっ。黙って大人しく私に切り刻まれろ」


 愛らしかった声が、可愛らしかった声が憎しみに染まる。私の目を見る事もなく、焦点は定まらず、私を通して何か別のモノを見ているその瞳。


 ぎり、と歯が鳴った。


 この世界の神様は、彼女に視界を与え、その代わりに何を見せた。


 憤り。


 私の友人に何をした。


 とてもふざけた話だ。彼女は見えない世界を必死に生きてきたのだ。辛い事も苦しい事もあっただろう。それでも必死に生きて、お姫様の様に輝かしく生きて来たのだ。そんな彼女が視界を得たのだ。この世界で、目が見える事にどれほどの喜びを感じただろう。想像に難くない。見えていて、逃げる事も壊す事も出来たのに、それでも鳥籠を壊す努力をしなかった私よりも尚、彼女は喜びを覚えたはずだ。


 にもかかわらず……神様は、彼女に何を見せたというのだ。


 肉の塊。


 それが何を意味するのかは分からなかった。けれど、でも、私という存在がそう見えたのだろう。向けられる憎悪に、向けられる嫌悪感に、それはとてもとても想像を絶する程の醜さなのだと理解できた。


 目の前からその存在を消してしまわなければ自分を保つ事すらできないのだと。


 その持つサイスから、彼女こそがSCYTHEと呼ばれる少女であり、一時期シズと一緒にいた少女だという事を理解したくなくても理解できた。シズの言葉からは彼女は生粋の殺人者ともいうべき技量を持っているという話だった。あの時は『へぇ、そう』と返していたけれど、でも、それが春日ちゃんだというのなら、信じがたい事だった。


 彼女がそんな恐ろしい事をするはずがない。とても優しい子なのだ。とても、とても優しい子なのだ。そんな春日ちゃんが人を殺すわけがない。ランキングに乗ったのも何かの間違いだ。彼女は私みたいな奴とは違うのだ。


 でも私がどう思おうと、現実はそうじゃない。春日ちゃんは人を殺し、ランキングに乗った。


 何故なのか?……理由があるとするならば、それは当然……その瞳だ。それ以外には考えられない。そう考えざるを得なかった。だったら、シズが無事だった理由は分からない。でも……今はそんな疑問の解を求めている暇はない。


 そんな彼女に私は何が出来るだろうか。


 考えた。


 けれど―――私はそんな友人を救えない。


 魔女に出来る事は魔法をかける事だけ。でも、私の持つ魔法は人を殺すためのものでしかない。


 苛立ちと共に春日ちゃんに声を掛ける。


「へぇ……ふぅん。そゆこと。……ハァ。そんなに私を殺したいの?全く酷い子よねぇ。でも残念。殺されてあげない。代わりに肉片一つ残らずこの世界から消してあげるわ」


 そんなわけがない。


 そんな風に思っているわけがない。けれど、でも、私に出来る事は今この瞬間、彼女が感じている何かを消してやることだけ。これから先に彼女が感じる事を消してあげる事しかできない。


 最低で、最悪な方法でそれを成すことしか出来ない。


 私は……所詮、そんなイキモノでしかない。罪しか存在しない魔法使い。生まれ変わってもシンデレラになんか絶対になれない……そんなイキモノ。


 たん、と地面を蹴り、凄い早さで私の懐に彼女が入り、サイスを振り抜き、私のローブを切り裂いた。けれど、それだけ。私の肉が裂ける事はない。


 その事に気付き、咄嗟に私から離れる彼女の姿。


 あぁ……どうして私はそうしなければいけないのだろう。


「あら、折角なんだから逃げないでよ」


 なぜ、私がそうしなければならないのだろう。


 放つ爆弾が道路を抉り、アスファルトを割り、砂埃を舞わせる。


「肉が喋るなぁぁぁ」


 砂埃の向う側、彼女がそう叫んだ。


「肉……ねぇ。こんな美人相手に酷いわねぇ。今の貴女に私がどう見えているのか気になるわ。でも、肉しか見えないならそんな目いらないでしょう?その目、頂戴?鳩より優しく刳り貫いてあげるわよ」


 私にはそれしか出来ないから。


 サイスを構え、迫り、今度は縦に私を切り裂こうとする。でも、無駄なんだよ、春日ちゃん。シンデレラは魔法使いには敵わない。


 首を傾げ、肩でそれを受ければローブが飛んで行った。


「折角のお手製が台無しじゃない」


 サイスを掴み、逃げられないようにして……私は爆弾を産み出した。


「何発、耐えられるかしら?」


 一つ。二つ。三つ。四つ。五つ。


 彼女が獣の様に叫びをあげる。


 早く。


 早く。


 六つ。七つ。八つ。九つ。十。


「春日ちゃん……私を怨みなさい」


 届かない声。


「に――――――るな」


 十一。


 十二。


 掠れた声が聞こえる。どうしてまだ、がんばろうとするのだろう。そんな目を抱えて生きる事は辛いだろうに。どうして彼女は抗おうとするのだろう。早く楽になれば良いのに。


 十三。


 そんな私の思いに応えるように。


「リンネさん……もう一度、会いたかった」


 手が止まった。


 彼女が私の事を理解してくれた……そんなわけがない。彼女の瞳は虚ろで、彼女の言葉は今際の際に零れて来たものでしかない。


 歯を食いしばる。


 涙が流れる事はない。


 悪い魔法使いはいつだって涙を流さないものだから。


「―――ごめんなさい」


『会えなくて……。』


『また会おうって約束したのに……。』


 彼女はそう言った。


「謝る必要なんてないわよ。―――ちゃんと会えた。こんな場所で、こんな状況で、それでも会えたのだから貴女は何も悪くない。何も悪くないのよ。……でも、ごめんね。貴女は変わらず私を求めてくれたけれど、……私、悪い魔法使いになってしまったのよ……」


 春日ちゃんに殺されてあげる事が、彼女のためになるのだろうか。いいや……それは違う。


 彼女はそれでもきっと私の事を求めてくれる。私に会うためにプレイヤー全員を殺してこのゲームの勝者になるつもりかもしれない。


 でも……だったら、ここで止めてあげないと……。


 これ以上、春日ちゃんに人殺しをさせるわけにはいかない。これ以上、彼女に辛い想いを抱えて欲しくない。




 だから。




 だから―――




「その不愉快な目、貰うわ」




「じゃあね―――春日ちゃん」




 その日、私は産まれて初めて出来た友人を殺した。






―――






 自己満足。


 スカベンジャー達に掘り返されないように深く、深く爆弾で穴を開け、その遺体を産め、外に出た時、いつか彼女と会えた時のために、手慰みに練習していた春日シンデレラちゃん用の服を添え、埋める。


 シンデレラに登場する魔法使いはどうして舞踏会のドレスコードを知っていたのだろう。シンデレラを着飾った魔法はどうして舞踏会のドレスコードを満たしていたのだろう。きっと魔法使いも一度ぐらいは舞踏会へ行く事に憧れたからじゃないだろうか。


 私のように。


 さようならを告げ、私はその場を離れた。


 その後、シズを見つけた。


 戯言と共に春日ちゃんを殺した事を伝えた。罰を受けたかったのだろう、とそう思う。友人を殺した私を、シズならば何も問わずに殺してくれるだろう。けれど、罰は与えられなかった。サイスを投げ捨てた時には撃たれたけれど、それだけだった。SCYTHEを殺したと伝えても何もしてこなかった。


 彼女に『肉』を見せていた瞳を、シズに見せてもそれが欲しかったなんて戯言を言う程度だった。本気だろうけれど……


 酷く怖くて、けれど同時に酷く楽だった。


 殺されても構わないと思っていた。友人を殺してまで、それでも私が生きる意味はない。そもそも、今も私が生きている事自体が自分でも疑問なのだ。


 死にたくないと願い、姉達を殺した以上簡単に死ぬわけにはいかないと、そう思っていたのだろうか。


 どうしようもないと思った。


 そして、私は依存した。


 シズという『優しくない』存在に私は依存してしまったのだと思う。最後まで一緒にいて頂戴なんてそんな事を言って。


 ホテルだった所で裁縫をした。シズが着る服を作った。ついでにお人形さんにも服を作った。人形は嫌いだったけれど。


 アリスと呼ばれる人形はとても煩い人形だった。


 でも、シズを構おうとするその姿を見ていると、私よりも、私達よりもよっぽど人間らしく思えた。だから私は人形アリスを鬱陶しいとは思っても、それでもどうこうしようともせず、服なんか作ったのだろう。


 そして、その日。


 私は、零してしまった。


 零れてしまったと言った方が良いのかもしれない。私の奥底に眠るあの子の慟哭が私の口を通して出てしまったのだと……思う。


『僕はその腕を、欲しいと思う』


 淡々と、熱の無い声でそう言われた。


 なぜだか、泣きそうになった。


 涙が流れない、そんな世界で良かったと思う。


 これが現実だったら、あの子の涙が私の眼を通して流れ落ちた事だろう。


 自らを殺す人形はいない。だからそれは私の生きていた証。人間であった事の証明。


 それを、彼は欲しいと言ってくれた。


 彼の気持ちが分かるわけではないけれど、それでも彼らしくもなく、そう言ってくれた事が嬉しかった。だから……もっと零してしまった。


 春日ちゃんにしか言った事のない言葉を告げた。


 そして。


 誰にも言った事の無い言葉も告げた。


 希望なんて一つとして見出せない。世界は真っ暗で、光がさすことなんてない、そんな場所。明けない夜はないなんて言っても、でも、閉じ込められた世界に陽光はささない。覆われた世界の外で太陽が輝いていたとしても意味なんてない。


 何もない。私には何もありはしない。言われるがままに人形だった私が今更何を願うというのだろう。私が殺すか、私が殺されるか、ただそれだけの違いしかないのに。人の理から離れた私が願える事なんて何もない。


 私は諦めている。


 だから、私はもう死んでいるのだ。


 死んだまま生きているのと同じだ。


 それでも死にたくないと願ったのは何故だろう。死にたくないと願い、姉達を殺したのは何故だろう。姉達の思う通りに私は死ねばよかったのだ。そうすれば罪は少なかったはずだ。春日ちゃんを、唯一の友人を殺す必要もなかった。


 これから先、私が生きていればもっと人は死ぬだろう。シズだって殺してしまうかもしれない。いいえ、間違いなく全部、壊してしまう。


 そして、また、鳥籠の中で過ごすのだ。


 誰も居ない、闇の中で一人、人形の様に過ごすのだ。


 嫌だ。


 そんなのは嫌だ。


 嫌だけれど、でも、私は……そうなるのだろう。


 今の楽しさを外の世界に持って行くことはできない。虚構の世界で唯一の現実である彼さえも殺して外の世界に帰るのだから。


 それでも私は死ぬことを選ばない。


 死んでいると言っているのに。死んでいると思っているのに。それでも、こんな風に思い悩んでいる。馬鹿馬鹿しくて、悲しくて、涙を流したくなってくる。私は一体何がしたいのだ。


 私は、本当は何がしたいのだろう。






―――






 リンカが死んだ。


 シズに殺された。


 私が殺した数多の人達と違って、凄く嬉しそうだった。シズの事を本当は知っていたのだと今更ながらに思う。遠く、微かに聞こえた声にそれを理解した。


 長い付き合いがあったわけではないし、大して会話もしていない。でも、リンカの事はなんだかとても記憶に残っていた。名前の事もそれを助長させたのだろう。


 例えば、これが現実で、リンカと私が同級生や先輩後輩という関係にあったらどうだっただろう。シズという人でなしをめぐってドロドロとした喧嘩でもしただろうか。『なんでこんな腐った眼をした奴がいいのよ』『は?……もう一度言ってみなさい?』どちらがどちらの台詞かは分からないけれど、なんかそんな風に喧嘩しながらもお互いを認め合う親友になれたかもしれない。


 そんな他愛の無い想像をしていれば、


「殺されたくせにとってもいい笑顔だったわよね。それだけが救い……になるかな。仕方ないわね、シズぅ。今回だけは浮気認定はしないであげる」


 そんな事を口にしていた。


 そんな私に、


「SCYTHEの時もそんな感じだったな」


 いつもの温度の無い声でそう言った。いつもと同じで責めているわけでもないのに、責められているように感じた。誤魔化すように双眼鏡でリンカの死体を眺めた。


 笑みを浮かべた死体。


 スカベンジャーにやるのは勿体ないと思えるぐらいに幸せそうな顔をしていた。


 私の最後はあんな風に笑顔でいられるのだろうか。


 そんな事を思った。






―――




 


 NEROの下へ向かう事になった。


 途中、浜辺で見た夕焼けは綺麗だと思った。これが人間の手によるものだというのなら、それを作った人はとても凄い人なのだろう、とふいに思う。私みたいな裁縫しか出来ないような奴とは違ってとても凄い人なのだろう、と思う。けれど、趣味は悪い。こんな世界を作って悦に入るような人なのだから。


 その神様の名前は『春』。


 シズがそういう風に考察していた。春日ちゃんにやった事は許せないけれど、結局、春日ちゃんを殺したのは私。神様たにんに我が身の罪をかぶせる気はなかった。だから、大して神様に興味の無い私はあぁ、あいつかぁと思ったぐらいだった。


 病的な人間。ウソ臭い人間。ダウトダウトと口にしていたけれど、彼自身が一番胡散臭かった。その胡散臭さの原因は、彼が神様だったからなのだろう。他の人間プレイヤーとは異なる次元に存在するという彼自身のスタンスの違いに違和感を覚えたのだと思う。客観的というか客体というか。傍から見ているようなというか、達観というか。それが神様だからだというのならば、何とも卑怯な話だと、そう思った。


 だからといって、今更どうしようもない。


 人形アリスが彼の姿を見たという。私の視界には映っていなかったので多分そういうシステムの補助を受けた状態にあるのだろう。だったら、探しようもないし、殺しようもない。気にしても仕方の無い災害のようなものだろう。備える事は出来てもいつ起こるか分からない。


 他愛の無い事を考えながらシズと人形アリスと共に関東へと入った。


 糞餓鬼の事に関して語る事は特にない。


 自分の思い通りにならない何かを失い、その先に人形を求めた、ただそれだけの話。子供が癇癪を起しただけ。それを窘めたのが親でも大人でもなく、人形アリス自身だったというのは酷く皮肉っぽくて私は好きだったけれども。


 私達の中で一番人間の様な奴。


 アリス。


 彼女を見ていると自分の方がより人形なのだと思える。自由気ままにシズに絡んではつれない態度に騒ぐ。そんな彼女を見ていると、何故だか無性に泣きたくなってくる。私も同じ様にシズを相手にはしゃぐ事はある。けれど、それも私という表面に浮かんだ『私』であって、あの子じゃない。


 アリスとは違って、私は嘘ばかりなのだ。


 嘘を測るモノがあればきっとカウンターを振り切っているに違いない。そんな馬鹿げた事を考えるぐらいに私は嘘ばかりだ。


 魔法使いはローブで顔を隠す。


 生憎と顔を隠せるローブではないけれど、私は、存在しているだけで顔を隠している。あの子を隠している。


 いつだって助けを求めていたあの子を。


 いつだって、王子様が助けてくれる事を求めていたあの子を。






―――






 雪。


 はらはらとひらひらと降り注ぐ雪。


 これら一つ一つが美麗な形状をしているというのを私は知識として知っている。けれど、多分、この世界ではそこまで表現されていないのだろう。


 人の眼に見えるのはいつだって、そんなもの。


 そんなものでしかない。


 表面しか見えない。


 中に何が入っているかなんて、誰にも分からない。


 レンズに纏わりつく雪を指先で払い、遠くに見える白亜の教会、物語に登場するお城の様な教会の上を見る。


 瞬間、カシュン、と空気の抜ける音が私の耳を襲った。とても大きな音だった。そして、その大きな音と共に射出された金属が教会の屋根で呆然とするシスター服の少女を貫いた。


 レンズの中の少女の表情が、先刻まで張りつめていた表情がどこか柔らかくなったような感じがした。


 そして、次の瞬間、教会から少女達が落下した。


 酷いわね、と思ってもいない事を下手人に問いつめれば、


「…………殺し方が酷かったものでね」


 と。雪よりも冷たい言葉が返って来た。


 表情から感情が読み取れない。けれど、残念そうだったのは分かった。彼は死体を見るのは好きだけれど、殺すのは別に好きではない。人殺しの道具である拳銃も、ただ好きなだけだ。


 にも関らず殺さなければならないと感じ、実際に殺してしまうのだからどうしようもなく人でなしだと思う。


 優しくない。


 とても優しくない。


 けれど、その優しくなさが私は好きだった。


 その容赦の無さがとても好ましく感じられた。


 助けたいと少しでも思っていれば、リンカは苦しみの中で死んだだろう。BLACK LILIYを殺された復讐をしようと思ったらあの少女は安らぎを覚えなかっただろう。あるいは他にもそんな人はいたのかもしれない。


 私が死にたいと彼に言えば、今すぐに殺してくれるだろう。


 戸惑う事なく、けれど少し残念そうな顔をして『自分で作った死体は醜くて嫌いだ』とかなんとか言って殺してくれるだろう。


 その容赦の無さが……優しくなさが好きだった。


 


 


―――






 我儘を言った。


 世界を見たい、と。本当はこの世界の外……テレビで見た海外というのも行ってみたいと思っている。けれど、それは叶わない。どうせ外に出ても私は鳥籠の中。諦めと共に死んだまま生きる事に意味なんてない。ましてたった一人の友人を殺して幸せを掴もうなんてそんな事を神様は許してくれない。誰も許してくれない。


 そういえば、現実の私の身体はどうなっているのだろうか。


 病院にでもいるのだろうか。どうだろう。叔父の家にでも連れて行かれたのだろうか。そうだったら嫌だな、と思う。勝手気ままに身体を嬲られている可能性だってゼロじゃない。困った物だと、思う。でも、大丈夫かもしれない。最初は姉達も一緒だったのだから、流石に叔父だって警察や病院に連絡しただろう。私一人だけなら分からなかったけれど。姉達がいてくれて良かった、と思った。なんて酷い、妹だろう。


 まぁ、現実の私の身体の事なんて別に良い。


 どうせ終わる。


 私はシズに殺されて終わる。


 それで良いのだ。


 あの子を助ける事のできなかった私がこれ以上生きていても意味が無い。糞尿を垂れ流すだけの人形なんて死んでいるのと同じなのだから。諦めと共に死んでしまった『私』をちゃんと殺して貰おう。


 散々考えたあげく、そんなどうしようもない結論を導き出した。逃げと言われても仕方がない。罪をおかし、償う事すらなく殺されてしまおうというのだから。本当……私は酷い魔法使いだと思う。


 シズに殺されるなら、リンカやSISTERのような笑みを浮かべながら死ねるはずだと、そんな風に思う自分の浅ましさに辟易しながらも、私はそれを選んだ。


 でも……その前に。


 我儘を言った。


 この小さな世界を旅する事を願った。


 頷いてくれた。とても嬉しかった。


 旅の合間にどんどん人が減っていった。疑心と保身あるいはそれ以外の何か。血の繋がった存在でも自分のためであれば殺す事ができるのが人間だから、それも当然なのだと私は思う。これもまた諦めだった。シズのような人でなしでなければ私は安心できない。彼が少しでも人間らしさを見せればまた違ったのかもしれないけれど……あぁ、妹さんに対しては多少人間染みているだろうか。うちの姉達とは大違いだ。でも、妹さんが死んだりしても残念だと思う程度なのだろう。だから、やっぱり人でなし。


 そんな人間の人間らしい活動は止まる事なく、旅の途中、私達は最後の二人になってしまった。


 とはいえ、そんな事、私もシズも気にせず、二人であちらこちらへと向かった。


 北海道から最初に向かったのは、北陸。シズの産まれた場所のある都市。そこでアリスと別れた。『また二人で帰って来て下さいね?』と寂しそうな表情を浮かべるアリスに気付いたら笑っていた。アリスにそれを指摘されて、知った。待っていてくれる人がいる事を喜んだのだろうか。自分でも良く分からなかった。でも、もしかするとあの子が顔を出したのかもしれない、そう思った。


 北陸でアリスと別れて最初に向かった……というよりも戻ったのは北海道だった。綺麗だった。思い出せばすぐにでも思い浮かべる事ができる。朝もやの浮かぶ巨大な湖。静かでとても澄み切ったその光景はとてもとても綺麗だった。あの子が喜んでいたように思った。もっとも、その直後現れた恐竜みたいな悪魔が邪魔だったけれど。怒りにまかせて爆破しようとしたけれど、最後ぐらいは何も殺さない旅にしたかった。結果、二人して逃げた。前にもそんな事があったのを思い出して、それが何だか楽しかった。


 流氷のある場所へいった。テレビで見たアザラシでもいるかと思ったけれど、特に何もいなかった。ペンギンにあってみたかった。飛べない鳥を見てみたかった。代わりに見たのは世界オケアノスの果て。カンカンと音を立てる愛想のない透明な壁が世界の果てだった。この先を見る事は私には出来ない。届かないからこそ行きたいと願ってしまうのは魔法使いの性なのだろうか。そんな皮肉が思い浮かんだ。人の理の中で生きるだけでは飽き足らず、そこから出て行こうとする姿はまさにそれだろう。


 恐山と呼ばれる場所へ向かった。ホラースポットというものらしい。愛らしい狐がコンコンと悪魔を呼んだ御蔭で二人して苦労した。シズの右腕が案の定、空を舞った。彼自身思っているみたいけれど、良く飛ぶ腕だと思う。いい加減VITを上げれば良いのに、とも思った。


 それにしても、最後ぐらいは殺さない旅が良かったのだけれど、その場所の御蔭で悪魔を殺さざるを得なかった。残念だった。


 その苛立ちというか怒りは陸上を歩く鮪に向けられた。


 死んだ魚のような……というかまさに死んだ魚の眼をして二足でふらふらと歩く鮪だった。陸上なのでエラ呼吸が出来ず呼吸困難なのだろう。コンセプトエラーにも程がある鮪だった。爆破した。赤身が飛び散った。シズが少しばかり残念そうにしていた。魚、好きなのだろうか。小さく笑った。


 東北にあるタワーに上った。懐かしいと思えた。今更殺さずの旅なんて格好付けられないので以前逃げた悪魔と戦った。こんなものだったかな、と思った。強くなったという事なのだろう。虚構の強さだったけれど。


 シズと二人、山を歩いた。酷く疲れたのを覚えている。乗り物があれば良かったのに、と思う。落ち武者染みた悪魔が大量にいた。眠かったので古びた屋敷で寝た。翌朝、嫌なにおいと共に覚醒すれば、屋敷の外では落ち武者の残骸をスカベンジャーが嬉しそうに食べていた。ぶくぶく太っているスカベンジャーもいた。どこかで見た事のあるスカベンジャーのように感じた。もしかしてこの子達は私達についてきているのだろうか、とふとどうでも良い事を思った。私達に付いてくれば餌が貰えると思っているのかもしれない。そこから北陸へと……アリスのコンビニへと向かった。別段、行く必要もなかったのだけれど、なんとなく、本当になんとなく向かった。帰ったといった方がアリスは喜ぶのだろうけれど……そういえば、途中、折角なのでオブジェのように転がっている壊れたバイクを直そうとして即座に諦めた。無理だった。シズが久しぶりに解体とかいうスキルを使った。壊すのは簡単なのだな、と思った。


 アリスのコンビニで休んだ。数人泊まれるコンビニだった。アリス、シズ、そして私という部屋割。直前までアリスがごねていたけれど、そんな部屋割だった。アリスの近くで寝るつもりがなかったので、その日は結局、起きていた。こっそりシズの部屋へ行った。シズの寝顔を見た。死体のようだった。寝言の一つでも言えば可愛らしいものの、彼にそんな事を期待するのが馬鹿だと自分を笑った。そうしていると、アリスが起きて来てシズの部屋へと来た。ばったり出会ってしまった。『お姫様、夜這ですか?』『……螺子切るわよ』『どこをっ!?』そんな戯言を言った後、何故か二人で外に出て月を見ながらぼんやりとした。始終、アリスが嬉しそうだった。それが少し癪だったので、時折からかいながら過ごした。『私、メイドとか妾とかでも良いんですよ?』と阿呆な事を言うNPCの頭を叩いた。それでも嬉しそうだった。


 そんな嬉しそうなアリスの姿が癪だったのか、羨ましかったのか、はたまた別の理由だろうか。なんとなしにNEROの城を壊した。


 関西地方に向かった。そういえば、あまり此方の方には来ていなかったな、と思った。テレビで良く見る巨大な蟹のオブジェが地面に落ちていた。シズがSISTERから奪ったごつい感じの銃で撃ち抜いていた。蟹が嫌いなのだろうか。小さく笑った。


 淡路島を渡って四国へと。土地柄なのかは分からないけれど、看板が大きかった。床屋の赤と青のポールが酷く大きかった。折れて転がっていなければ多分床屋より高かったに違いない。そこからさらに適当に歩いていると温泉があった。


 二人で温泉に入った。


 我ながら大胆な事をしたな、と思う。それにしても私が入って来ても何の表情も浮かべないシズに苛立ちを感じた。爆破しようかと思ったけれど、温泉まで壊れるかもしれないので止めた。まぁ、本音を言えば、私の傷痕だらけの身体を見てもシズが何の反応しなかったのが嬉しかったからだと思う。


 背中越しにシズの華奢に思える背中を感じた。


 しばらくそのまま呆とした。湯の暖かさと背中から伝わるそれより少し冷たい体温。それが何だかおかしくてついつい笑った。


 そこから中国地方へ渡り、九州へ向かった。九州ではリンカの城に寄った。当然、誰も居なかった。この頃にはもう他のプレイヤーは誰も居ないのだから当然だった。あの時の煩さを思い出した。


 そこからさらに南下した。


 私が更地にした場所。


 そこに辿りついた。


 夜になった。


 シズと背中合わせで座って空を見上げた。


 汚れなんて一つもないからだろう。とても空が綺麗だった。吸い込まれるような空だった。落ちて行きそうにな空だった。ぽつぽつと光る星が、大きく輝く月が、まるで暗幕に穴が空いた様な感じがして、そこに吸い込まれてしまいそうだと感じる程だった。あの月に吸い込まれれば、私は違うどこかに行けるのだろうか、そんな風に思った。


 馬鹿馬鹿しい。そんな事あるわけがない。


 ここに無いのだから、どこにいってもない。私が生きていける場所なんてどこにもないのだ。探すだけ無駄で、探すだけ徒労だ。


 感傷的になっていると自分でも思った。


 最後だからこそ。


 最後の時だからこそ。


「シズぅ。現実に戻ったら何をしたい?」


「……普段通り過ごすだけだ」


「普段通りって人殺し?」


「君は僕を何だと思っているんだ」


「人殺し」


「否定はしないが……別段、現実世界でまでそれをする気はないよ。妹が悲しむ」


「シズぅは意外とシスコンよねぇ。時々出て来る妹さんの話、私結構好きよ。一度会ってみたいわ」


 そう言って笑った。


 一度ぐらい会ってみたいと思った。会って、貴方のお兄さん頭おかしいわよね?と聞きたかった。他愛もない会話をしてみたかった。それが楽しい事をもう私は知っている。けれど、それもまた夢。


 それから暫く戯言を言い合ってから、私は立ち上がった。


 楽しかった時間は終わり。


 二人で過ごした時はとても楽しかった。その想い出だけで私は十分。


 私は諦めている。


 生きる事を諦めている。だったら、死んでいるのと同じで。でも、それでも生きている。だからこそ、ちゃんと終わらせないと。


 これ以上、あの子が泣かないように。




「……じゃ、そろそろやろっか。シズぅ?」




 『私』にはあの子を救えなかった。




 『私』には出来ない事でも貴方ならやってくれるよね。


 泣いている子を泣きやますなんて、貴方なら簡単よね?




 でも、手加減はしてあげない。


 だって私は悪い魔法使いなんだもの。


 だから、がんばってね。




 『私』だけの優しくない王子様。








『パーティを解散しました』






 了




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