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装備を整え、ストレージ内に大量の武器を入れての移動というのは久しぶりでした。こうやってちゃんと戦闘準備をするのはDEMON LORDとの戦い以来のようにも思います。
これを使う機会はないのだと信じています。やっぱり、私にはキョウコがネージュ君を捕えるメリットなんてないと思います。悪戯程度に、ネージュ君を捕えて、急いで駆け付ける私という図が見たいとかそんな事はあるかもしれませんが、あまりにも不謹慎です。それにそんな事をするくらいなら、キョウコは直接東北に遊びに来るでしょう。そういう性質です。
親友を疑う自分が嫌です。それを晴らすためとはいえ、こんな重装備をしている自分がとても嫌です。
疑いが晴れた時、キョウコは私を許してくれるでしょうか。ヒビの入った硝子は元には戻りません。折れ曲がった鉄は元には戻りません。戻った様に見えても、その疵はいつまで経っても残るのです。それこそ、お互いの記憶のなくならない限り。都合の良い事ですが、そんな事にならなければ良いと思います。
「……寒い、ですね」
誰にでもなく、口にします。
白い雪の大地。キョウコの収める土地。先日、教会の完成式典で訪れて以来でした。できれば、あの時のように嫌々ながらも晴れやかな気分で訪れたかったです。
吹きすさぶ風に、髪が揺れます。
身体の奥底が冷えるような寒さです。こんな所にキョウコを押しこめて、それで更に疑いを持って訪れなければならないなんて……キョウコが可哀そうです。
ざり、ざりと雪の上を歩きます。
私の後ろに続くのは先日のメンバーでした。ネージュ君の仲間です。それ以外の人は誰もいません。他の者達は北海道への移動のための準備を進めています。東北に残って準備をしている者達、北海道の地で延々と建物を作っている者達。誰にも侵されない棲み良い場所を作るために皆ががんばっています。そんな彼ら彼女らをおいて、私達はキョウコの下へと向かっていました。
何もなければ、この後私はキョウコへの謝罪と今後の打ち合わせ---表向きの理由―――をする予定です……キョウコが許してくれれば、ですが。他のメンバーはネージュ君を探しに出るとのことです。ネージュ君が見つかったらそれまでの遅れを取り戻すぐらいにがんばると言っていました。
視界を埋めるぐらいの吹雪の中。
小さな影が見えました。
悪魔でした。
キョウコの命令でNPCが巡回している場所です。あんな弱々しい悪魔が街中を、雪原を闊歩しているとは思いませんでした。
腰元からグロック17―――オーストリア、グロック社製の自動拳銃――を取り出し、狙いを付けることなく、引き金を引きました。
パァンと軽い音がなった直後、悪魔が死にました。
こんな悪魔が本当にどうやって街中まで来られたのやら、と疑問に思います。まして、キョウコのすぐそばです。あと十数分も歩けばキョウコの城です。そんな場所までよくもまぁ……と考えていれば、後ろから声がしました。
『あんな可愛い兎を……』
『躊躇なく撃ちやがったぞ……』
『いや、あんなナリでも悪魔だ。殺すのが正解だ』
『私もそう思うわ。可愛くても……悪魔だし』
そんな会話をしていました。
後者の二人は元ROUND TALBEの人達でした。好きなように殺し、好きなように生きて来た人達です。例え可愛らしくとも、例え愛らしくとも歯向かう事はあるのです。まして、私達にはDEMON LORDのような悪魔を仲魔にする能力なんてないのですから……
「---っ」
ふいに。
あの堕ちた天使とDEMON LORDの最後を思い出してしまいました。あの幸せそうな最後を。
ぎり、と歯が鳴りました。
人殺しのために用意された悪魔と悪魔のために人間を殺す人間が幸せそうな姿をしていたのに。それなのに。それなのに……どうして、私は……
「イクス様」
「………はい?」
「城です」
気が付けば、城に着いていました。
以前来た時と何も変わりません。静かに、ただ雪だけが白く、白く城を染めています。白亜の城。女の子なら誰もが一度は望んだお姫様物語。
こんな綺麗なお城だからこそ、ネージュ君が居てほしい。
少女趣味な自分の思考に苦笑が浮かびました。
「……行きましょう」
正面から。
雪を踏みしめて。
城の入り口へと。
建物の扉へと。
手を添え。
開きました。
『真っ暗だ……』
そんな声が後ろから聞こえて来ました。
けれど。
私には見えます。
夜の暗さも、夜の優しさも、暗がりも、暗闇の怖さも、私にはもうありません。
騒ぎ立てるような声を無視して、私は城へと入りました。
「キョウコ!」
声をあげればそれが響き、壁に反射して残響となってどこかに消えていきました。
人の気配が全くありませんでした。勿論、NPCの気配もありません。
最初から、誰も居なかったかのように静かでした。
以前来た時はNPC達がいました。キョウコが不在の時でもNPCがいたはずです。あるいは、キョウコがNPCを連れてどこかへ行っているのでしょうか?もしかすると教会の方に行っているのかもしれません。
赤い炎が視界に浮かびました。
私は見えても、一緒についてきた彼らには光がないと見えません。視界のある場所でそんな炎を焚かれる事に聊か変な気分になってきました。視界の内、彼らがその炎を頼りに恐る恐る前に進んでいる姿は滑稽にすら思えます。
けれど。
それが普通なのでしょう。
普通じゃないのは私なのでしょう。
「電気、付けますね」
電源スイッチを探し、それを押します。
カチ、カチと軽い音を立てて電気が……付きませんでした。
「………付きませんね。申し訳ありませんが、皆さんはそのまま火の灯りを頼りについて来て下さい」
「いえ、人の気配も、NPCも、悪魔もいる気配がありません。分かれて捜索させて頂きます」
「……お好きなように。私も好きにさせてもらいます」
二人一組に分かれて皆が散って行きました。
それらが全て、男女のペアだったのが……何とも言えない気分にさせてくれました。幸せそうだと思いました。
キョウコを疑って。ネージュ君と一緒に居られて。
それでいて幸せを掴み取っている彼らの姿が、酷く……
「…………」
気付けば唇を噛み締めていました。ルールに則った痛みのなさ。けれど、それでもそうしてしまう自分に……まだ、外の世界の所作を覚えている事に、苦笑と共に驚きを感じてしまいました。
だとするならば、もしかして、まだ……私はまだ……戻れるのでしょうか?
この世界から外に出られたら、私は……ネージュ君と一緒に居られるのでしょうか?
いいえ。
私は。
私とキョウコは共に地獄に落ちるのです。
私達のこの現状を外の人達はどう思っているのでしょうか?
社会問題になっている可能性は高いと思います。それだけならまだましかもしれません。もしかするとこの世界の神様がこの世界の事を公開しているかもしれません。そうであれば、私達に戻るべき……いいえ、帰るべき場所はありません。
どこに行こうと指を差されるでしょう。『この人殺し』と。この世界でも言われているのです。外に出れば尚更その声は大きくなるでしょう。間違いなく事情聴取はあるでしょうから……。皆が私やキョウコの事を言うでしょう。あの人達が殺していた御蔭で私達は殺さずに外に出られたとでも言われるかもしれません。
この状況を緊急避難であると法は認めてくれるでしょうか?いいえ。認めてはくれないと、そう思います。私達はあまりにも殺し過ぎです。
分かっていたことです。分かり切っていたことです。例え助かったとしても、私はネージュ君とは一緒に居られません。
……別にそれでも構いません。
ネージュ君が生きて、この世界から出られるのならば。
そこに私がいなくても構いません。
人殺しが人並みの幸せを享受する事を許してくれる程、神様は優しくないでしょうから。
いずれにせよ。
私の願いを叶えるためにはネージュ君がいないと始まりません。
カツン、カツンと鳴る靴の響きと共に他の人達がゆっくりと怯えるようにおどおどと進んで行きます。
いくつかのペアは正面の階段を昇って二階へと向かったみたいでした。他のペアは……確か倉庫というか調理場がある正面右側にある扉の方へと。仮にネージュ君を隠す事を考えたとしたら、そちらでしょうか?
あるいは。
左手側の書庫でしょうか。
二階の居室は他の人達が向かったので私はそちらへ向かう事にしました。
カツ、カツとなるブーツの音。
書庫……あるいは小さな図書館といえば良いのでしょうか。その扉を開け、中を覗きました。
ハァ、とため息が零れました。
「……片付けは下手なんですかね?」
何冊もの本が地面に落ちていました。
それを避けながら、中を探ります。特に何があるようにも思えませんでした。しいていえば、場違いな感じの水槽が置いてあったぐらいです。魚でも飼う気だったのでしょうか?それにしても変な所に置いてありますし、魚を飼うなんてキョウコから聞いたことはありません。単にDEMON LORDが仲魔のために置いていたのをキョウコが片付けていないだけなのかもしれません。
中を一周して、何も見当たらないことを確認してから、落ちた本を一冊、一冊拾って行きます。後でキョウコには文句を言ってあげないといけないな、と思います。ちゃんと片付けはしましょう、と。イクスがやってよ、と言われそうですが。
苦笑を浮かべながら、本と本の隙間に落ちていた本を入れていきます。
一冊、一冊。
隣の棚へ移動し、一冊、一冊。
「…………?」
ふいに。
違和感を覚えました。
一体、全体、何に対してでしょうか?
頭を悩ませながら再び、本を拾い、本の隙間に入れます。
いえ。
それです。
本の隙間がある事が違和感だったのです。これでは整頓されていたものを態々抜いて落としたというようなものです。
それが何を意味するのかは分かりません。
ですが、違和感があるのは確かでした。
「……メッセージとか?」
とりあえず、拾った本のタイトルを見た所、性もない実用書の類でした。他も似たようなものでした。タイトルに共通点があるわけでもなく、タイトルの頭文字を並べたら何かになるわけでもなく。
再び、ため息が出ました。
「………………全く」
ため息交じりに本を片付けていれば、メンバーの一組が図書館へと現れました。他の捜索が終わったようで、声を掛けに来たようです。
彼らと共に階段前のフロアへと移動すれば、既に他のメンバーは集まっていました。
「イクス様。遅かったですね?……何かありましたか?」
「いえ、何もありません……顔色から察すると、皆さんも同じ様に思いますが」
「……仰る通りです。何もありませんでした。何も……不自然なぐらいに」
「しいておかしな事といえば、電気がつかない事ですね。ブレーカーも正常でした。……まぁ、電気がどうやって来ているかもわかりませんので何とも言えないのですけれども。突然、電気が来なくなっただけとかかもしれません」
「キッチンの方も特に。いえ。あったといえばあったのでしょうか。冷蔵庫が止まっているからかもしれませんが、何もありませんでした」
「裏庭の墓場の方、見て来ましたけど、何もありませんでした。まぁ、あるといえばあるのでしょうけど、それこそ掘り返す気はありませんし」
などなどメンバーがひとりずつ調査結果を口にしていました。しいて気になったのは冷蔵庫が空という事です。だとするならばキョウコは何を食べて過ごしていたというのでしょう。食料品は全部教会の方に移動させたとかでしょうか?まぁ、仮想ストレージ内に入れていただけなのかもしれませんけれど。
「……さて。皆さん。ここには何もなかったようですが……どうします?」
「イクス様の方、何かなかったのですか?」
「ありません。しいていえば本が散乱していたぐらいです。待たせてしまったのはそれを整理していたからです」
待たせた、と言葉にした時。
ふと、無駄な時間を使ったなという思いが脳裏に浮かびました。
無駄な時間。
そう。
ここに来たのは本当に無駄な時間でした。キョウコがいるわけでもなく、ネージュ君がいるわけでもなく。疑いが晴れるものがあるわけでもなければ、疑うに足る証拠があるわけでもありません。
まったく無意味で無駄な時間でした。
「無駄足……」
キョウコであれば、私があの本棚を見れば片付けるだろうと想像できるでしょうか?出来るようにも思います。
そもそもこのメンバーと私ではスタンスが違います。彼らにとっては一大事なことでしょう。私にとってもネージュ君を探すという意味では一大事ではありますけれど、それでもキョウコを疑いたくはありません。あくまで中立です。疑いもしないし、ここでネージュ君を探すのを止める事もありません。だから、ギルドマスターとしてここにいるだけといえば、そうです。
だから。
本棚から本が零れていれば、面倒だと思っても、キョウコは仕方ないな、と思って片付けるのです。
時間を掛けて。
「…………」
嫌な想像が浮かびました。
そもそも。
キョウコがここにいないのがおかしいのです。
一人でぶらぶら散歩する事はあるかもしれません。けれど、それでもそこまで遠くへ行く事はありません。表向きとはいえ、雪奈の件でキョウコは島流しのような状態になっているのです。ここで一人きりにされているのです。最近では教会が出来た所為で北海道の地にLAST JUDGEMENTのメンバーがいる事はありますけれど、ここには寄り付きません。いるのは彼女の世話役としてのNPCぐらいです。
そうです。
NPCがいないのは、門番のNPCすらいないのは……
「教会へ行きましょう」
「イクス様?私達はネージュの捜索に……ここにいないのなら」
「…………本当にネージュ君がここに来て、本当にキョウコが何かをしたとするならば、そしてキョウコがここにいない事を思えば……教会にいるはずです。そうです。最初からキョウコを探せば良かったんです。キョウコがいないなら、最初からこんな所捜索しなくても良かった」
そう。
私はきっとここにキョウコがいると思っていました。
キョウコが私にたまには北海道に来なさいと云っていたと聞いていたから尚更でした。
キョウコから北海道と言われれば、私が向かうのはこちらです。
教会ではありません。
最初に来るとしたら、ここです。
ここなのです。
「行きましょう」
キョウコがいるとすればそこしかありません。けれど、同時にいてほしくないと思います。思い過ごしだと思いたいです。
けれど、『キョウコ、どうして』、そんな思いが脳裏に浮かびます。
親友を疑いたくない。
疑いたくないけれど。
でも。
私は。
私は疑ってしまいました。




