02
先程の現場から少し離れた場所にあった無人のホテルの一室。
水のでない水道、割れて水を溜められない大きめの浴槽。カーテンが取り除かれた窓からは僅かばかりの星灯りが差し込んでいる。ひびが割れた壁から差し込む隙間風に、冷たさに耐えるようにWIZARDは頭から毛布を被って部屋の中央に鎮座するキングサイズのベッドに座っていた。そのベッドから少し離れた場所にある椅子とテーブル。その椅子に僕は座って武器の解体作業をしていた。
「恐らく1500m以内」
WIZARDに聞かれ、答えたのは先程のギルドLASTなんとやらの狙撃ライフル使いの事。弾丸の径でも分かればもう少し正確な値が分かるかもしれないが、そこまで厳密に距離を把握する必要もない。
「それは流石に攻撃範囲外ねぇ」
毛布に包まりながら嘆息するWIZARDを無視し、爆殺されたWIZARDの被害者達の武器を一つ、一つと解体していく。
WIZARDによる殺戮が終わり、スカベンジャーが空から降って来たのと同じくして、もはや恒例とも言うべきであるが、僕は彼らの武器を回収していた。当然、爆弾の影響で軒並み壊れていた。直せれば良いのだが、生憎と修理スキルなどはまだ手に入っていない。こうやって解体をしていれば、少しは技能取得の足しになるかと思い、弾丸回収ついでに壊れた拳銃を解体しているものの、今の所何も得られていなかった。
各技能の初期技能ぐらいは簡単に手に入れられそうなものだが……そんなゲームバランスの悪さに脳裏で悪態を吐く。きっと、僕やWIZARDが弾丸や爆弾の生成能力を得られた事が奇跡に近い話なのだろう。そう思っていれば少しは幸せに違いない。
そんな風に延々と星灯りを頼りに解体していれば、手持無沙汰だったのだろう。WIZARDが声を掛けてきた。
「ねぇ、シズぅ?作業中に悪いんだけどさぁ」
その声に振り向き、WIZARDを見れば、いつのまにか彼女の手にはマグカップがあった。暗がりに立ち昇る湯気が僅かに見え、ついで鼻を擽ったのはコーヒーの香り。こくり、こくりと小さく喉を鳴らしながらコーヒーを飲んでいた。まるで捨てられた子猫が暖かいミルクを飲んでいるような、そんな印象を覚えた。妹の愛猫、アイン・ソフ・オウルを見ているかのような気分になった。つい先程、大量殺人を行った人間に対して思う事ではないが……どうしてか、そう思えた。
「潰しちゃう?」
再びこくり、と喉を鳴らしてからほっと一息を吐き、そう口にする。
何を、とは聞かなかった。
無言のまま、解体作業を続ける。解体が終わったものは仮想ストレージへと仕舞いこむ。次いで別の拳銃を。そんな僕の態度が気に障ったわけでもないのだろう。苦笑しながら、WIZARDが言葉を続けた。
「不愉快なのよ。仲良くおままごとやっている奴らなんて死んでしまえば良いのよ。どうせ、早かれ、遅かれ死ぬんだから。それなら今死んでも良いじゃない。そういうゲームでしょう?」
『彼』と同じ言葉を口にしながら、再びマグカップに口を付ける。
「珍しく怒っているように見えるな」
「うん。そう。そうね。私、怒ってる……人の事を灰被りだなんて失礼よね?」
「灰被りと呼ばれて怒る女は初めてだな」
「シンデレラねぇ……私には似合わないわ。……それと、初めてって何よ。また浮気発言?」
「妹が文化祭の演劇でシンデレラに選ばれたといって喜んでいた記憶があるだけさ」
「シズの妹とは思えないぐらいに普通の感性を持ったお嬢ちゃんね」
「普通の子だからな。至って普通の猫好きなスポーツ少女さ。ほんと、良く出来た妹だよ。僕には勿体ない」
「最低なお兄さんだものね」
「違いない」
「ほんと、どうやったらシズみたいなのが産まれるのかしらね」
そんな不躾な物言いに苦笑する。
「僕が知りたい」
他愛も無い戯言を繰り返しながら、カチャカチャと壊れた銃のマガジンを取り外し、9mmパラベラム弾を取り出し、弾丸と解体を終えた銃を仮想ストレージの中へと入れて行く。マガジンを取り外し、弾丸を抜く、仮想ストレージに移す。マガジンを取り外し、弾丸を抜く、仮想ストレージに移す。MP5と同型のマガジンを見つけた時は弾を詰めて仮想ストレージへと。その繰り返し。目新しいものもなく、酷く詰まらない単調な作業だった。
それが子守唄になったのだろうか。いつしかWIZARDはベッドに横になって倒れていた。相変わらず頭から毛布を被っている姿は、さながら赤ずきんのように見えた。狼に襲われても返り討ちにできそうな物騒な赤ずきんではあるが……いや、どちらかといえば眠れる森の美女か。
小さな寝息を立てながら眠る姿はまさにそんな感じだった。
生きている事を示す血色の良い白い肌が、青白くなればさぞ綺麗だろう。彼女に一番似合っている死に方は凍死だろう。想像する。氷漬けにされた彼女はさぞ美しい事だろう。氷の棺に入れられた彼女はさぞ綺麗な事だろう。まさに僕好みの死体だ。切り刻まれ、血を撒き散らすよりも、こうやって眠る様に死んでくれた方が良い。
そんな風に彼女を見ていれば、寝返りと共に毛布が外れ、その白い腕が、その手首が見えた。
その白い手首には、自らを刻んだ跡が残っていた。
歪んだ傷痕だった。古くて醜い傷痕だった。
「……十字のリストカット痕か」
手首を切り落とそうとした跡、腕を裂こうとした跡が交差し、彼女の右腕に十字架を作っていた。それは現実の彼女に残った跡なのだろう。僕と同じくキャラメイクを現実の自分をほとんどそのまま使ったに違いない。そうでもなければ、そんな見事な跡は残らない。稚拙で、がたがたとした傷。SCYTHEが僕の腕に作り出したような綺麗なものではない。けれど、それを成そうとした彼女の想いが籠った傷跡だった。
彼女の死体にしか興味はなかったが、生きている彼女に少し興味が沸いた瞬間だった。
その傷跡を成したのは包丁だろうか、ナイフだろうか、それとも……
「爆弾など使わず、その腕で殺せば良いのに」
自らを殺そうとした跡が刻まれたその腕で相手を締め殺せば良いのに。
その事に僅かな憤りを感じながら作業を続けていれば時刻は12時に差しかかっていた。
12時を過ぎれば何が起こるか。
魔法が解ける。
そう、灰被りに掛けられた魔法が解ける。
「あ……や、いやっ!」
突然、WIZARDの口から悲鳴に似た何かが産まれた。夢を見ているのだろうか。ベッドの上で毛布をかき乱しながら、己が銀髪を振り乱しながら、震えた、弱々しい声を紡ぎ出す。
「いや……もう嫌。死にたい。お願い、殺して。……私を殺して」
普段の彼女からは想像もできない程、気弱な声だった。
十字架が刻まれた腕を中空に向け、誰かを求める。死という名の助けをくれる者を求めている。そんな彼女を不憫に思ったわけではない。だが、自然、体は椅子から立ち上がり、ベッドに近づき、その手を取っていた。
「あ……ぁぁ……ゃだ。もう……やめて。やめて……姉さ」
「WIZARD、安心しろ」
冷たい、死体のような手だった。
「約束するよ。君は僕が殺してあげる」
こうやって喚き立てる事のない、永遠の眠りにつかせてあげよう。静かに、ただ静かにその美麗な姿を晒し続ける氷像を作ってあげよう。
「……」
手を握りながら、もう片方の手で彼女の白い華奢な首をゆっくりと絞める。細い首が僕の指に寄って形を変える。こんな事で彼女が殺せるわけがない。けれど、そうしていれば、その手の感触に落ち着いたのか、彼女は再び静かに小さな寝息を立てた。
それを確認した後、手を離し、落ちた毛布を拾い、ベッドの上で大人しくなった彼女に毛布を掛け、僕は再び椅子へと戻った。
すぅ、すぅという小さな寝息をBGMに暗がりの中、作業を続ける。先程より少しゆっくりと、極力音を立てないようにしながら。
それから小一時間程だっただろうか。ふいに視界にテロップが表示された。
『技能 解体 を覚えました 解体ができます』
「……覚える程の事なのか?」
手作業で出来ている事を覚えてどうするというのだろうか。まぁ、どちらにせよ今はもう解体する物が無い以上、試す事もできない。
それに……僕も少し疲れた。
今日はもう、寝るとしよう。
椅子に座ったまま、目を閉じる。
そして数分、回線が遮断されたかのように意識が落ちた。
「ありがとう」
落ちる瞬間、そんな声を聞いた気がした。