第一章 第四話
「おい、大丈夫か!」
俺を暗闇から引っ張ったのは、そんな女性の声だった。
目を開くと、そこには長い黒髪を後ろで括った、額に黄色い布を巻いた女の姿。
「ら、ライ、か?
……俺、は?」
目覚めた俺は身体を起こそうとするが……身体が重く、思い通りに動かない。
いや、それどころか、三半規管に多大なダメージを受けているようで、視界がふらふらと歪む。
開いた目に映るのは、青い空と、ライの顔だけだ。
「……ディン、あんた、なかなか無茶するわね」
その一言で、俺は自分が何をしたのかを思い出した。
──そして、何を失敗したのかも。
(……バカか、俺は)
基本的に、【爆裂呪】という魔術は、自分が衝撃波に巻き込まれないように防御魔術を併用して使う。
そして、爆発の威力と防御結界用にどれだけ魔力を配分するかは、使用する魔力量によって爆裂呪内で自動的に振り分けるような設定にしていたのだが……
(初歩的な……結界の座標固定を忘れていたとは)
……そう。
幾ら強固な結界を張っても、内部質量的には俺とライ二人分の体重分しかなかった。
そして、爆裂呪の衝撃波はそれを遥かに上回っていたようだ。
お陰で、衝撃波によって防御結界ごと吹っ飛ばされ、その時に発生したGによって俺は一瞬でブラックアウトしてしまったようだ。
──それだけ、【接合共鳴】によって発生した魔力が想像以上だったということではあるのだが……
……情けないこと、この上ない。
「ま、それくらいじゃないと、あたしらの仲間には相応しくないけどな」
そんなライの言葉を聞き流しながら、俺はふらつく身体を必死に起こし、目の前の景色を見て……
──絶句した。
全く想像していなかった光景が目の前にあったからだ。
……自分がいる場所が、屋根の上だということにも。
爆発の威力の所為で運河と街並みが吹きとび、先ほどまで逃げ回っていた周辺一体が浸水してしまっていることも。
偶然にも俺の【爆裂呪】が威力過剰だったため俺たちは対岸側まで吹っ飛んでしまったお陰で水没することこそなかったが、シューレヒム市の運河南側にある市街地の広範囲は……しばらく間浸水に悩むことだろう。
そして、爆発跡の周囲でボートを走らせているのは、民間人の犯罪を担当している治安維持部隊ではなく、国家規模の戦争・破壊活動に対処するための軍人だった。
つまり、俺の【爆裂呪】は魔術師による犯罪行為ではなく、『国家規模のテロ行為』と認定されたということに等しい。
(……終わった、完璧に)
魔術には固有因子というのがあり、あの場所に残っている因子から、あの爆発を俺が引き起こしたというのはすぐに分かるだろう。
つまり、完全に犯罪者の仲間入り。
それどころか、国家転覆を引き起こすテロリストの仲間入りだ。
エリートコースがどうのこうのという次元の問題ですらない。
「こうなるのを見越して遠くまで跳んだ、か。
……意外とやるわね、あんた」
「は、は、ははははは」
ライが買いかぶって俺に賞賛の言葉を投げかけるが、俺は曖昧に笑って誤魔化す。
……と言うか、笑うしか出来なかった。
最早、魔術で大陸中の人類を導こうという俺の野望は全て潰えたのだ。
──今さら賞賛されても、もうどうしようもない。
俺は項垂れたまま、ため息を一つ吐く。
今さら落ち込んだところで仕方ないのも事実である。
一度放ったものは、言葉でも魔術でも取り返しがつかないものなのだから。
「ところで、あんたは邪神に何を願ったの?
多分、『ろくでもない形』で願いが叶っていると思うけどさ」
(……確かに願いは、叶った、な)
そんなライの言葉を聞いて、俺は内心で呟く。
邪神カンディオナに願ったのはただ一つ。
──『俺の魔術理論を試したい』という願い。
……確かにその願いは叶ったのだろう。
刺客がアレ一匹だけとは思えない。
つまり……これから先もこのライという仲間と一緒に、あんな化け物みたいな奴らと戦っていかなければならないのだから。
──理論は好き勝手に試せるだろう。
何しろ、もう既に犯罪者となってしまった今、国家で認められた「魔術師以外は魔術を使ってはならない」という法律なんて関係すらない。
……そう。
確かに願いは叶ったのだ。
だけど、俺の願いは魔術理論を人類のために活かすことであって、戦うため、俺個人のために魔術を使いたかった訳じゃなかった。
(……やってくれる)
「ろくでもない形で願いが叶う」という、ライの言葉どおりなのだろう。
あの邪神は邪まなる神という名の通り、俺の願いを成就しながらも俺の望みを叩き潰してくれたのだ。
その瞬間、俺の視界に黄色い布が入ってきた。
ライの額に巻かれているその布を見て、俺は不意に思いつく。
(彼女も、やはり似たような境遇に叩き落されたのだろうか?)
……と。
だから俺は、そのふと浮かんだ疑問を、何の躊躇もなく口にする。
「ちなみに、お前の願いは何だったんだ?」
「え? あたしが願ったのは……」
と、ライがもう既に無い傷跡をなぞりながら、口を開いたときだった。
……俺の目に、「ソレ」が映ったのは。
恐らく、最初に放った【冷凍呪】の影響で乾いた血が、次に俺が放った【爆裂呪】によって吹っ飛んだのだろう。
……だけど、状況が状況だけに服の補修までは気が回らなかったのだと推測される。
つまり、ま、そういう訳だ。
この大陸人種よりは黄色がかったような張りのある肌と、俺たちの年代の平均値から考えると、少し控え目だろうと思われる膨らみが見えたのだ。
……その頂点にある、薄桜色の蕾までもが、視界いっぱいに。
そして、傷跡をなぞったときにライの方でもソレに気付いたのだろう。
慌ててその二つの控えめの膨らみを少女は隠す。
そしてその仕草が、記憶の関連付けというものを刺激してしまったらしい。
「そういえば、あんた……さっき」
この声は魔族が棲むという地の底から響くような声色だった。
……そして、その声色に俺は聞き覚えがあった。
──俺が追放されることになった、貴族の女に引っぱたかれる瞬間に聞いた、あの声!
顔を真っ赤にしているところも、肩を震わして怒りを溜めているところと言い、何から何まであの状況と同じなのだ。
「乙女の唇と柔肌を、一体何だと思ってるんだっ!」
「い、いや。あれは緊急避難的な、そう、救助活動と正当防衛を兼ねた……」
「問答無用!」
俺の必死の弁明は、生憎と通用しなかった。
──生命維持活動と正当防衛。
……どちらも魔術社会では最優先とされる行為だというのに、だ。
そして、顔を真っ赤に染めたライが、左腕を振りかぶったかと思うと。
俺の顔面に凄まじいまでの衝撃が走る。
その一撃によって、俺の意識は本日二度目の闇に吸い込まれていったのだった。
ま、そんなこんなで、俺の戦いが始まったのだ。
邪神カンディオナの使徒となり地上侵攻の覇権を賭けるという、地上に住む俺にとっては何の益もない戦いが……