第四章 第六話
翌朝。
俺は生まれてきたことを後悔するような頭痛と不快に襲われていた。
「……いてぇ。
これが、二日酔いというものか」
ズキズキと頭が痛む。
平衡感覚がまとまらない。
思考回路は不愉快という一色にのみ染め上げられ、まともな理論すら立てられない。
(何故、こんなになるのが分かっているのに、酒なんて呑むんだ?)
頭を抑えながら、俺は脳裏でそう呟いた。
「……はい、水」
そんな俺に水を運んでくれたのは、ナーナだった。
間違いなく俺以上に酒を体内に入れていたハズだというのに、欠片も二日酔いの様相を見せないのが何となく腹立たしい。
尤も、そんな苛立ちよりも気分の悪さの方が圧倒的に大きく、俺は差し出された水を枯死寸前の人間の如く、貪るように口へと運んだのだが。
だが、その口に含んだ水の美味さは……さっきまで腹立たしく思っていたナーナ=ナインブルグ相手に思わず愛を囁きそうになる。
──それくらい、その水は今の俺にはありがたかった。
(……かなり、ヤバいな)
小指に巻き付いたのが『婚姻の標』というのは……昨晩交わした会話の、記憶に残って居る断片的な部分から理解している。
つまり、今俺がナーナに何か仕出かすということは、『既成事実が成立する』以外の何物でもない。
先に断っておくが、別に婚姻関係を結ぶ相手としてナーナ=ナインブルグという女性が適していない訳ではない。
彼女の容姿は「美女」と表現しても足りないほど美しく、スタイルはモデルが逆立ちして逃げていくほど素晴らしいと言える。
──欠点にもなり得るようなその無口さも、魔術研究の邪魔にならないことを考えると生涯のパートナーとしては大歓迎である。
「……あれ?」
そう考えた時、俺は自分の中で『魔術が全て』という価値観がいつの間にか薄まっていることに気付かされる。
俺自身は確かに魔術以外に取り得のない人間ではあるが、魔術が出来ない人間が魔術師に劣るという考えはいつの間にか無くなっていた。
──以前は俺と比類するレベルの魔術師以外、恋人にも友人にもするつもりなんてなかったのにな。
その所為で学園では孤立していたものだが……この数日間の戦いで、そんな偏見は吹き飛んでしまっていた。
だから、ナーナ=ナインブルグという女性自体にそう不満がある訳ではないのだが。
(……だが、それでも)
それでも、俺は魔術に専念したいのだ。
せめてこの戦いを無事に切り抜けた後で、最低でも俺がそれなりに満足できる領域へ達するまでは魔術のみを考え魔術のみの生活をして……他の些事に時間を割きたくない。
……という建前はまぁ置いておくにしても。
同級生の馬鹿どもが異性にうつつを抜かしているのを冷め切った目で見てきた俺が、学園を追い出されてから十日も経たない内に嫁を貰うとかって、何と言うか、昔は学園生活の楽しみを無駄に捨てていたような、負けたような感じがして悔しいってのもある。
(でも、現状でそんなことを話して、この美女の機嫌を損ねた場合、俺のこの身が危ういのもまた事実)
だから結局、情けないのを承知の上で……俺は彼女に、この小指の赤い糸の話を振るどころか、水をくれた感謝の言葉さえも言えず……
結局、俺は頭が痛む振りをして枕に顔を埋めたまま、何も出来なかったのだ。
「……大丈夫になったら、言って」
ナーナは気遣うような言葉をかけると、俺の演技に気付いているのかいないのか、そのまま俺のベッドに腰掛ける。
──気配りはありがたいし、嬉しい。
これほど素直に色々尽くしてもらうと、この期に及んでも自分のことしか考えていない俺が情けなくなるくらいに。
結局、俺が頭痛から回復し、ナーナに対しては現状維持を貫こうという情けない結論を出した時には、もう太陽は頭上に昇っていた。
そして、俺たちはシューレヒム市から外へと続く街道を一路歩く。
その先には、俺たちが二手に分かれた後に合流しようとしていたシャンテア村があった。
この不毛極まりない神々の賭けに、完全なる決着がつくその運命の場所に……俺たちは何も知らずに向かっていったのだった。




