第四章 第四話
「無理だっ!」
数多の魔術式と知りうる限りの魔術言語法則を当てはめ解読してみようとした俺だったが、神々の奇跡というのは俺の智慧が及ばぬほど難解だった。
(強いて言えば、古代神術と古代龍魔術の系統を混ぜ合わせた感じが強いが)
机に座ったままの俺は頭を抱え込む。
神術とは神の奇跡を借りて使うもので教会以外では見ることさえ出来ないし、そもそも魔術以外への信仰を持たない俺には使えない。
龍魔術とは龍が使うと言われる魔術であり、単一の魔術式の中に三重の公式をはめ込むという膨大な魔力に飽かせた強引な魔術で、人間には少しばかり敷居の高い魔術だった。
天才たる俺でさえ使おうと思ったこともない。
(……実用性、皆無だったからな)
現代魔術の基礎は、『規模』と『速度』と『正確性』だ。
威力と範囲が規模、速度は術式の展開速度を意味する。
ミーティアの年代では障壁をぶち抜くための威力を重視した傾向があるようだが……現代魔術は威力や範囲よりも正確性を重視する傾向にある。
兎に角、幾ら強大な魔術でも遅ければ実戦で使い物にならないし、幾ら早くても威力がなければ魔術障壁をぶち抜けない。
だが、幾ら早く、その上威力があったとしも……不正確ならば魔術は成立しないばかりか、訳の分からない効果を発揮する場合さえある。
である以上、自分のキャパを超える魔術を使う意味は無い訳で、魔力の総量に恵まれなかった俺は、その効率の悪い龍魔術について研究さえしていなかった。
……だが、こういう事態に陥ろうとは。
(せめて、もう二・三のサンプルがあればな……)
「……ご飯、どうします?」
そんな時だった。
俺の意識が魔術から離れたことに気付いたのだろう。
近くのベッドに座っていたナーナが俺に声をかけてきた。
「───っ!」
その瞬間、俺の視線が彼女の太股の奥を捉える。
いや、別にナーナがベッドに座っていることで、その短い腰布から股関節部を覆う衣類が覗けたのが気になった訳ではない。
そんな男性生理的な衝動よりも、遥かに強い思いが俺を支配していたのだ。
……そう。
俺の目に入ったのはナーナの左太股に巻きついた、黄色い布。
──邪神カンディオナとの契約の証。
「ナーナっ!」
「きゃっ!」
俺はその衝動に任せ、彼女の身体をベッドに押し倒す。
……抵抗は無い。
あれだけの達人の癖に、ナーナは俺の行動に疑問すら抱かず、何故か顔を赤らめたままで腕を胸の前で組んで目を閉じていた。
(何やってんだ?)
俺は少しだけ疑問を抱くものの、抵抗が無いのは好都合と判断し、無視する。
そのまま俺は彼女の太股を隠そうとするその腰布を巻き上げると、その褐色の太ももに注視する。
(やはり、基本構成は同じ!)
一つの文章だけでは分からない言語だろうとも、三つ四つを解読すれば確実に構成や文法くらいは分かる。
しかも、俺たちカンディオナの使途にかかっている『呪い』は、全て『運命を意図的に改変する』類のモノだ。
俺の予想通り、彼女の太股に巻き付いた布に描かれている魔術式そのものは俺のと大差ない。
「すると、ここが、運命改変式?
……いや、強制式が異なる以上、布の構成因子か?
よし、ここの公式は強化式っぽいな。
古代神術の癖が混じっている」
「ん。あ、や、ん、旦那、さまっ」
俺が必死に黄色い布を指でなぞりながら術式構成を解読しているというのに、ナーナは非常に非協力的で、変に動くし変な声を出して集中を乱そうとしてきた。
──非常にやり難いことこの上ない。
だが、そんな程度の妨害で俺の知的欲求が止まる筈もない。
(次は、裏側っ。
ええい! 面倒だっ!)
後ろに回る手間すら惜しかった俺は、その場でナーナを縦にひっくり返す。
「みゃっ。
や、や、や。え、え、え、え?」
何かナーナが弄ばれる子猫のような変な声を上げているが……俺は止まらない。
こんな知的欲求を満たす材料を前に……止められる訳がない。
顔をちょっと上げるだけで、目の前に肉付きの良く魅力的な、彼女の褐色の臀部があるのだが……今、俺の注意はそちらにはない。
「きゃっ!」
だが、妙に震える太股が鬱陶しくて、臀部と内股に手を差し込み、強引に彼女の脚を開かせる。
──悲鳴?
──知ったことかっ!
「すると、これが強制式だな。
……間違いない。
運命改変の強制式解読は無理だが、これなら何とか」
「んっ!
んんん~~~っ!」
指で色々と調べ俺なりの結論が出た時点で、突然、今まで無抵抗に近かったナーナの身体に急に力が込められる。
だが、俺の意識はそんな些事には囚われることもない。
彼女の身体から放たれる花のような香りが少し強くなった気がして、妙に落ち着かない気分になったものの、それでも俺の思考は推測と魔術理論のみを追い続け、最終的な判断を下す。
(……早計は危険、か)
何しろ、相手は偶然を操る邪神カンディオナの呪いである。
──冗談抜きで己自身の運命がかかっているのだ。
『偶然』にも魔術が使えなくなるとか、『偶然』にも戦争に巻き込まれるとか、下手すると、同性愛者に好かれ続ける『偶然』に陥れられる危険性もある。
勿論、逆に金運が良くなったり、異性にもてたり、そういう可能性も考えられるのだが。
(……解読すれば意外に色々出来そうだな)
「はふっ」
自分の思考に完全に入り込んだ俺は、つい手を離してしまう。
その所為か、ナーナの身体は力なくベッドに崩れ落ちた。
だが彼女は抗議するでもなく、何故か顔を真っ赤にしたまま、ベッドに伏して起き上がろうとしない。
「……?
風邪か?」
そんなにヤワな人間にも見えないが、俺と同じ部屋で不寝番をすると言うのは、彼女なりに苦労があったのかもしれない。
(明日も早いんだ。
……ま、寝かしておいてやるか)
そのままスヤスヤと妙に安らかな寝息を立て始めたナーナの寝顔を見つつ、俺は嘆息する。
何か立場が逆になってしまい、どうやら今日は俺が不寝番をしなければならないようだが、ま、もう二・三日くらいは歩く予定だ。
──一日くらいは仕方ないだろう。
そもそも知的好奇心が満たされた俺の脳髄は、戦いの最中よりも遥かに昂ぶっていて……とてもじゃないけれど、眠れそうにない。
「さて、新型魔術の構成でも考えるかな」
さっきまでは探究心の赴くままの行動だったが、次からの……生き延びる為の新型魔術考案の方が本命である。
……何しろ命がかかっているのだ。
俺はそう呟くと、俺様ノート9thを開き、新型魔術の構成を練り始めたのだった。
「……夕べは、済みません」
「いや、別に構わないって」
翌日。
俺たち二人は街中を並んで歩いていた。
ナーナは昨日眠ったことを恥じているのか、顔を赤くしながらそんなことを呟いている。
だが、昨晩は久々に魔術だけに集中できたので、俺としては気分の良い時間だった。
……正直、不寝番のことなんて魔術の研究を始めた時点で俺の脳裏からは消え去っており、それは反省すべきだったが……
──とは言え、収穫があった訳じゃないんだよな。
昨夜は基礎構成を再度確認しただけで、新たな魔術公式を実戦投入出来る段階には至っていない。
だが、意味がなかったとは思わない。
結局のところ、魔術とは『基礎の積み重ね』がモノを言うのだ。
たかが一晩程度研究が進んだ実感がないからと言って、落ち込むような俺でもない。
少しばかり寝不足で目が痛いが、日当たりの悪いこの辺り一帯は、目を刺すような太陽光も当たらなく……今はそれが逆にありがたい。
「……今晩こそ、必ず」
「ああ、頼む」
「……はい」
昨晩の魔術理論を脳内で並べていると、ナーナがそんなことを喋っていた。
……「そんなに不寝番がしたかったのか」と俺は上の空で適当に返していたが……俺の一言で無表情なイメージが強い彼女の瞳は、妙に輝いて見えたので、多分、回答に間違いはなかったのだろう。
(……しかし)
何故か、今朝起きてからナーナが俺に寄り添ってくるのだが。
──どういう心境の変化なのだろう?
もしかしたら、近くに敵の殺気を感じているか、それとも俺の才能に気付くことで俺の重要性を理解したのか。
(ま、護衛を頑張ってくれるなら問題ないか)
体温が感じられそうな、だけど触れるほど近くは無い絶妙な距離感を保ち続けるナーナに対し、俺が出した結論はそんなもので。
そのまま俺と彼女はシューレヒム市の外壁に沿うように北西へ歩き続けたのだった。