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第四章 第三話



 それから先の道程はゆっくりしたものだった。

 俺の隣を歩くナーナが目にも留まらぬ速さで賞金稼ぎを十二人、治安維持部隊を六人ほど沈めたが、それ以外は特に問題もなく……俺たちは凡そ丸半日をかけてシューレヒム市の東の端まで辿りつく。

 市の周辺を覆う外壁の所為でこの辺りは非常に日当たりが悪く、その所為かどうかの学術的な因果関係は認められないものの、非常に治安が悪いことで有名な一帯だった。

 そして、俺たちが立っているのはその一帯でも更に奥深くの、薄暗い路地裏にあった寂れた宿屋だった。

 どう見ても犯罪者が根城にしていそうな、入るのに勇気の必要なボロい宿で……


(ああ、俺も犯罪者だったか)


 その事実をもう一度認識し、俺は一人で落ち込む。

 だが、隣を歩く無口な相棒は、俺の悲哀なんて気にした様子もなくその薄暗い宿に平気で入っていく。


「っと。待てって」


 こんな犯罪の多そうな路地裏に一人で置いていかれるなんて堪ったものではない。

 天才魔術師たる俺はチンピラや犯罪者に負けるほど脆弱ではないと分かっていても、こういう雰囲気はどうも苦手である。

 そして……俺はたった今日一日だけでナーナの戦闘能力が如何に卓越しているかを理解していた。

 ……彼女が隣にいるだけで、我が身がどれだけ安全になることか。


(コイツが信用出来る出来ないと、利用出来る出来ないは別だな)


 心の中でそんな言い訳をしつつも、俺はナーナとの距離を縮めるため少しだけ足を速める。


「……部屋、二つ」


「……へ?

 一つで良いだろ?」


 追いついた先では、ナーナが部屋を二つ取ろうとしていた。

 彼女の行動に俺は首を傾げる。

 何しろライとミーティアは、俺が男ということすら認識していない、非常にガサツな奴らで……この時の俺は『自分が男である』ということをすっかり忘れてしまっていた。


 ──慣れというのは、本当に恐ろしいものである。


 その所為だろう。

 そんな俺の言葉を聞いたナーナが、突然顔を赤くしたかと思うと……


「……未婚の男女が二人きり。

 夜同じ部屋、良くない」


 なんて蚊の鳴くような声で呟くのを聞いた時……

 俺は、彼女が何を言っているのか『本気で』理解出来なかった。


(……って、おいおい)


 結局、俺が彼女の言葉の意味を解するまで、心臓の鼓動が七つほどの時間を要していた。

 邪神カンディオナ最強の使途であるナーナと、その生娘のような呟きの二つは、俺の頭の中でなかなか一致してくれなかったのだ。


 ──とは言え、それが女性としては当然の反応なのだろう。


 ライは剣術バカで、ミーティアはあの身体だ。

 あの二人の少女は、俺に対して貞操の危機なんてものを認識すらしていなかったに違いない。

 勿論、俺も大陸屈指の魔術師として常に理性的であると自戒している身だから、その評価は正当と言わざるを得ないのだが。


「い、いやいや。

 不寝番とかするのが普通だろ?」


「……今まで必要なかった」


 ……だけど。

 それが分かっていながらも、俺は必死に食い下がる。

 正直な話、こんな薄気味悪い宿に泊まり、しかも一人部屋で寝るなんてはっきり言って耐えられない。

 元々庶民上がりとは言えエリートコースを歩んできた俺は、この手の安宿には縁がなかったし……この戦いに巻き込まれてからはライとかミーティアとかと一緒だったし。


「……いやっ。

 俺はそれでも、お前と一緒の部屋が良いんだ」


 結局、俺は「自分が男性として無害」だとアピールするために、堂々とそう宣言していた。

 実際、男としてのプライドなんて、ナーナ=ナインブルグの戦闘能力が隣にあるというのが安心に比べれば屁みたいなものである。


 ──そもそも、いつ寝込みを襲われるか分からない状況で、これほどの存在を手放すほど俺はバカじゃない。


 基本的に俺は魔術に向かうと我を忘れる気質がある。

 文字通り『寝食を忘れる』こともしばしばだった。

 そして今、俺は魔術理論を再構築したい要求に駆られている。

 この宿へ至る道中で考え付いた様々な構想を試してみたいのだ。

 そうでなくても次に敵と相対するまでの間に、連中の動きを数日間は止められる術を……いや、最低でも上手く逃げおおせる術だけでも編み出さなければならない。

 そうしないと本当に次の戦いで命を失ってしまうだろう。

 ただ、俺という人間は魔術の研鑽中に敵に襲われたら……俺は『死んだことにすら気付かない』かもしれない。

 ……冗談抜きで。


 ──だから、真剣だった。

 ──だから、必死だった。


 俺は真剣に彼女の目を正面から見つめ、必死の気迫で彼女を必要としていたのだ。


「~~~っ!」


 そんな俺の気迫が伝わったのだろう。

 どうやら俺の気迫は予想以上の効果をあげたようで、何故かナーナは顔を真っ赤にしたかと思うと、俺から顔を微妙に逸らして……頷く。

 そして不意に、赤い糸を縒り合わせたような紐を胸元から取り出すと、自分の左手の小指に括り、俺の左手を取った。


「……良い、な?」


「……? 

 ああ」


 ──信頼できる仲間同士のまじないか何かだろうか?


 他国の風俗にはあまり詳しくなかった俺は深く考えもせず、頷く。


(ま、害にはならないだろうし……仲間と認めて貰えるなら、俺の生存率が跳ね上がる)


 それに、今現在右手首に絡みついた黄色い布ほどは鬱陶しそうにない。

 そう判断した俺は抵抗もせず、ナーナが俺の小指にそれを巻きつけるのを眺めていた。

 近づいた彼女からは、幽かに花の香り。

 ……菫か何かだろうか?

 彼女の身体を僅かに覆う服の染料か、それとも彼女自身の香りか。

 妙に落ち着かないこと、この上ない。


「……ん。じゃ、行こう」


 内心で葛藤している間に、彼女なりのまじないは終わったようだ。

 そのまま二階の一室に俺たちは入る。


「ひでぇ」


 その瞬間、俺は思わず声を洩らしていた。

 何しろその部屋は……真っ当に金を払って泊まりたいとは思えないほどの惨状だったのだ。

 蜘蛛の巣、カビの匂い、床の隅に転がるゴミ。

 ……全てが気に入らない。


「……別の部屋に、する?」


「……いや、それは構わないが」


 俺の顔色を窺うように尋ねてきたナーナの態度に、俺は何処となく違和感を覚えながらも、首を横に振る。

 事実、そこまで積極的に別の宿を探そうと思った訳じゃない。

 ただ……さっき支払った金額と、その対価たるハズの宿の状況が割に合わないと思った、ただそれだけなのだから。


 ──いや、正直に言おう。


 今の俺は、ここ数年間でもあり得ないほどの、凄まじい魔術への探求欲に駆られていたのだ。

 だからこそ、この部屋の惨状や別の部屋を取る手間暇すら……今の俺にとっては魔術から遠ざける『無駄で鬱陶しい些事』でしかなかったのだ。


「じゃ、俺は少し机に向かう」


「……え? あ。はい」


 いい加減お預けに耐えられなくなった俺は、今宵の相棒に顔を向けることもなくそう言い放つと、机に向かって俺様9thを開く。

 何となく残念そうというか期待外れに出くわしたようなナーナの頷きを背中で聞き流しながら、俺は机に向かった。


(ったく。この俺ともあろう者が、何故こんな簡単なことを思いつかなかったんだ?)


 俺はそうぼやきながら自分の右腕を眺める。

 この右手首に絡まる、黄色い布。


 この布から邪神カンディオナの操る偶然が生まれているのならば、これを解析し、破壊すれば……

そうすれば……俺はこの最悪のサバイバルから逃れられるに違いないのだから。


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