第四章 第二話
俺とナーナの二人はレンガ張りの路地を歩いていた。
取りあえず、さっきの打ち合わせで決めたのは二手に分かれて移動する。
俺たちは運河に沿うように東へ進み、運河を中心に円形に立ち並ぶシューレヒム市の外れを沿うように北に歩く。
ライとミーティアは直接北へ。
……そして、シューレヒム市の外にある村で合流する。
俺たちの間で決まったのは、ただそれだけだった。
酷く大雑把な意見に俺は首を傾げたものだが、その程度で問題はないらしい。
逆に細々とした取り決めがあると、イレギュラーが生じたときに反応し難いのだとか。
しかも、歩いているのは表通りの人ごみの中。
……「なるべく裏道を」という俺の提案はナーナによって一蹴された。
(それにしても)
俺たちはもの凄く注目を浴びている。
……特にナーナ。
ただでさえ魔術師文化の中心地であるシューレヒム市内において異国の衣装は珍しい。
その上、彼女の格好は動きやすさを最優先しているのか……その凄まじい身体のラインを隠そうともしていない。
「……なぁ、ナーナ。
変装とかしなくても良いのか?」
「……何故?」
衆目に耐えかねた俺が隣を歩く相棒に問いかけたが、彼女は聞く耳すら持たない様子だった。
──いや、注目されていることにすら気付いていないのか?
「だから、目立っているだろ?
その……俺たちは賞金首だし」
「……必要ない」
俺は自分の居心地の悪さをどう説明しようかと、取りあえず至極当たり前のことを言ってみたのだが、ナーナにとって……それは当たり前ではなかったらしい。
たった一言で俺の提案は却下されていた。
「必要ないって」
「……変装するだけ無駄。
見つかるときには見つかる」
(……いや、そりゃそうだが)
普通の人間というのはそこまで達観できるものじゃない。
なるべく安全に安全に進もうとするのが常識だろう。
「賞金稼ぎとか治安維持の連中とか、鬱陶しくないか?」
「……足止めにもならない」
何とかその衣装を変えさせようという俺の言葉は、またも一蹴される。
そのまま俺たちの間に沈黙が降りる。
そんな会話をしてすぐ、ただの百歩も歩かない内に……
「お、おいお前っ!
もしや、手配書の!」
ほら、見つかった。
治安維持部隊の三人はそう叫びながら、手配書にあったらしい俺の肩を掴み──
「……邪魔」
──ほんの一瞬で、彼ら三人はその場に崩れ落ちる。
──悲鳴も上がらなければ、打撃音すら響かずに。
俺からも、何が起こったかすら理解出来なかった。
耳元で風を切るような音が幽かに聞こえたのと、いつの間にか俺の方を向いていたナーナの、腰に捲いている布が少しだけ浮き上がり、適度に引き締まったその太股が露になったくらいしか知覚出来なかった。
状況証拠だけで推測すると、一瞬で三人の顎先か水月か……大の男を一撃で昏倒させ得る人体の急所を最低限の力で蹴り抜き、物も言わせず気絶させたのだろうけれど。
「……ほら、問題ない」
「あ、ああ。
畜生……問題ない、な」
何気なく言う相棒の言葉に、俺は頷くしか出来ない。
──と言うか、このナーナという美女、俺と会話するのが嫌なのだろうか?
さっきから片言片言で全て片付けられている気がする。
会話が続かない以前に、その糸口さえ見えない有様である。
だけど……ナーナの顔を見る限り、完全に無表情で嫌そうな気配すらない。
……なら、嫌われている訳ではない、だろう。
それに、ちょっとばかり無理をしてでも親密な関係をある程度構築しておかないと……いざと言うときには助けて貰えるくらいには。
(正直、情けないことこの上ないが……)
……それでも、死ぬよりはマシである。
「いつも、ああやって切り抜けているのか?」
「……普段なら、声一つ漏らさない」
俺の問いかけはまたしてもあっさりと潰されるが、俺は挫けるつもりはなかった。
何しろ……強盗に遭った時に一番生存率を上げる方法は「強盗と話すこと」らしい。
言葉を交わすことによって、情が移るからだ。
(である以上、この女と会話を交わすことは、俺にとっては『命綱を確かめる行為』に等しい訳だ)
俺はそう判断すると、隣を歩く相棒に向けて問いかけを続けてみる。
「敵にも見つかりやすいだろ?」
「……気にするだけ、無駄」
「おいおい。無駄ってそりゃ」
「……この戦いは、そういうもの」
ナーナの言葉で、俺はようやくこの戦いの本質に気付いていた。
(……結局、そういうことか)
この戦いを主催しているのが『偶然』を司る邪神カンディオナである以上……敵と出会うときも『偶然』、戦うときも『偶然』決まるのだろう。
アレだけ膨大な魔力を撒き散らしているミーティアと同じ宿にいたというのに、敵からの刺客は三日間も訪れなかった。
──相手にはピーターという魔術師がいて、魔力探知が可能だと言うのに、だ。
……多分、敵が何らかの理由で『偶然』俺たちを見つけられないのか、それとも何らかの理由で『偶然』捜す気にならなかったのか。
結局、俺たちは『偶然』を操る邪神カンディオナの掌の上から逃れる術はないということだ。
──恐らくは、今、この瞬間でさえ。
そうなると……俺にかかった賞金自体、気にしても仕方ないのではないだろうか?
……だって、邪神カンディオナが自分の手駒を失う真似を許すハズもない。
もし捕まりそうになったとしても、『偶然』助かるに決まっている。
──まぁ、こんなトンデモ論理、問い正す気にもならないのだが。
(いや……当たり障りのない範囲でそれを確認する必要はある、な)
何しろこれは命がかかっているのだから。
そう考えた俺は、隣を歩く相棒に向けて、何気なく尋ねてみることにした。
「なぁ、ナーナがこの戦いに参加してから、何年経った?」
「……多分、三百年以上」
気軽な俺の問いに返ってきたのは、そんな……想像を絶する答えだった。
……しかも彼女はその答えを口にすることに、何の躊躇も無かった。
つまり、ナーナはこの戦いが延々と続くことに疑問すら抱いていない。
(冗談じゃない、ぞ?)
下手したら、三百年もの間、延々と戦い続けなければならない事態を想像した俺は、顔が歪むのを止められなかった。
「今までに仲間は何人出来た?」
「……数えたこともない」
「その中で、『敵と戦わずに』死んだ人数は?」
「……多分、一〇人くらい」
──っ?
想像と違うナーナのその答えに、俺は思わず息を呑んでいた。
(……俺の想像が外れていた?)
いや、まだ俺の想像が間違っていたとは限らないだろう。
母数が分からない以上、一〇人ってのがどれだけの確率か分からない。
まだ、聞かなければならないことが……
「死因は九人が自殺。
……もう一人は、死刑になるのを望んだ」
「へ?」
「死を望まない限り、『敵』以外に殺されることはない。
……安心した?」
……しました。はい。
俺は感情の一切込められていないナーナの視線を受け、軽く頷きを返す。
しかし、流石に三百年以上も戦い続けた人間は違っていた。
天才である俺の推測速度について来られるなんて、俺は今までの人生でミーティア以外には出会ったことがない。
ナーナも俺と同じ天才の領域に達しているということか?
(……いや、違うな)
俺と同じことを推測し、尋ねた人間がいたということかもしれない。
ソイツは俺と匹敵する知性の持ち主の可能性が高く。
「昔、俺と同じことを聞いたヤツ、いたのか?」
「……ミィがそう」
(ああ、やっぱし)
単にそういうことらしい。
やはりアイツはこの俺と同じように稀代の天才であるようだ。
そして、ナーナの口ぶりから察するに……彼女が今まで出会った仲間たちの中では、俺やミーティアのような天才は他にいなかったらしい。
つまり俺は、「百五十年に一度の天才」と言っても過言ではない、ということだ。
「ぐっ!」
そんな話をしている途中で突然、ナーナの手が『ブレた』。
──かと思うと、彼女の近くにいた一人の男が倒れる。
相棒が起こした一般市民への突然の狼藉に俺は目を見開くが、ソイツの手は短刀を握り締めている。
どうやら、ナーナを狙った賞金稼ぎか何かだろう。
「お前……こんな街中で、っ?」
目立つことを恐れた俺は、倒れた賞金稼ぎを放置せず何処かに隠すように提案すべく、声を上げかけて……
……気付く。
──こんな大通りの真ん中だというのに、誰も倒れた人に気付きもしない。
……いや、もしかしたら気付いているが、短刀を握り締めたまま倒れている男に関わりたくないから、ただ無視しているだけかもしれないが。
いずれにしろ、大通りを歩く多数の人々は道のど真ん中に倒れた男がいても、誰一人として驚きもしないし、誰一人として助け起こそうともしなかった。
(ま、騒ぎにならないなら、いいか)
さっきの一幕を見た俺は、そう安堵のため息を吐いて緊張を一段和らげる。
……確かに彼女といると変装なんて無駄、らしい。
事実、賞金稼ぎも治安維持部隊も足止めにすらなっていない。
「いや、もしかしたら」
それすらも、邪神カンディオナの操る偶然なのかもしれない。
──そう考えると……この戦いから逃れるには……
俺は歩きつつも右手に巻かれてある黄色い布を睨みつけながら、俺自身が助かるための魔術について思考を巡らし始めたのだった。