第四章 第一話
目を覚ましてから俺が最初に行ったのは、現状把握だった。
どうしようもない状況に陥った時こそ、冷静に自分の立ち位置を把握し最善手を打ち直すことが最も有効だと……俺は経験的に知っていたからだ。
(と言うよりも、現状では考える以外にすることがないのも実情だが)
仲間たち三人に気絶させられてから二日間も眠ったままだったというのに、俺は未だにベッドに寝転んだままである。
ここ数日の激戦で俺の身体は、大きな怪我こそないものの筋肉痛と魔術経路の磨耗によって全身ボロボロと言っても良い状況だったのだ。
二日間の睡眠と回復魔術の行使によって『敵の一』であるマナの魔力を浴びた両手の回復は終わり、身体も多少は回復していた。
だが、疲労は未だに抜け切っておらず、魔術経路もまだまだ万全には程遠い。
日頃から鍛えていないから……と言いたいところだが、数日前まで俺は学生だったのだ。
……突然命がけの戦いに巻き込まれるなんて想定している訳もない。
(しかし、コイツら、タフだよな)
ボロボロの自分の身体を呪いつつも俺は、この戦いに巻き込まれてから仲間として出会った三人の女性に目を向ける。
その三人はあの戦いでの疲労や怪我の様子なんて欠片も見せず……俺の寝込んでいるベッドの傍らで床に座りこんだまま、地図を広げ話し合っている。
「戦いってのは、先手必勝。
勝てないにしても、こっちから仕掛けるべきだ。
正面突破して相手の動揺を誘った方が逃げ延びる可能性が高いだろ?」
まず、一人目。
強気の言葉で何かを主張しているのは、邪神と『不死』の契約を交わしたサムライの少女ライである。
長い黒髪を頭の後ろでひとまとめにした、十代後半の外観をした黄色肌の少女で、その鍛え抜かれた身体から放たれる凄まじい剣の腕には何度も驚かされたものだ。
だが、鍛え抜かれていると言っても、その細身の身体は女性らしい丸みを失っている訳でもない。
若干の脂肪を残すことで持久力をも両立させているのだろう。
──尤もその剣技も、彼女の願いである不死の代償として、常にここ一番で失敗してしまうという最悪の呪いに縛られてしまっているのだが。
それはそうと……相変わらず色気とか男の目とかに無頓着で、薄着の癖に大きく胡坐をかいて座っているから……まぁ、見事に白い布を巻きつけただけのような下着が丸見えだった。
しかし彼女は相変わらず色気に無頓着で、全く気にした様子もない。
「だから、それは大軍同士の合戦に限りますわ。
そもそも、我々は相手に対する決定的な武器を持ってない以上、動揺を誘うことも難しいのですよ?
である以上、逃げ出すならば……」
二人目の仲間であるミーティア。
肩まで伸びた銀髪に銀の瞳、白い肌は北方の生まれであることを連想させる、十代前半にも見える小柄な少女である。
その外見とは裏腹に、彼女はこの数十年もの間、この戦いを生き抜いてきた猛者である。
彼女が願った通り、その身の内に膨大な魔力を誇りながらも、願いの対価として魔術を使えない特異体質となっている。
だが、元魔術師としての知識は俺と同等。
……もしくはそれ以上。
現在は地図に向き合いながら、都市から逃げ出すルートを指差している。
──それは良いが、何故コイツは薄いキャミソールだけしか着ていないのだろう?
──体型が体型だから注視する気にもならないが、色々と透けて見えているんだぞ?
「……全員、ばらばらに逃げるのは?」
そう語ったのはナーナという美女。
赤褐色の長い髪に、肌は少しだけ褐色の入った、絶世の美女である。
その常識外れの美貌やプロポーションとは裏腹に、彼女の戦闘能力の凄まじさはこの目で見させて貰った。
ライが一対一で苦戦する相手を二人、同時に軽くいなしていたのだ。
……まさに規格外と言う存在である。
まだ俺はしっかりと話し合ったことがないため、どういう人物かは分からないが……それほど口の多いタイプではなさそうで、取っ付き難そうな感じではある。
今は地図に向き合いながら片膝を立てた独特の座り方をしている。
そのお陰で、その身体のラインを隠そうともしていない服装が非常に目の毒だ。
──彼女がその座り方をしている以上、俺の位置からは腰に巻いた布の隙間が覗ける訳で……理性と知性を重んじる魔術師としてこの状況は、自分の存在価値との戦いであるとも言える。
(色香に騙されるな、俺!)
その無防備な連中の姿に思わず目を奪われかけた俺だったが、必死に首を振って正気を取り戻す。
こう見えて、こいつら三人の戦闘能力は……三人とも俺よりも圧倒的に上回っているのだ。
外観に誤魔化されるようでは、これから先、生き延びることはますます困難になるに違いないだろう。
何しろ敵も同じように外観から能力の計れないほどの、常識外れの連中なのだから。
(その敵も、俺たちと同じく四体)
──豚の顔をした不死身の悪魔トントロール。
──首の無い、凄腕の騎士デュノア。
──老獪にて辣腕の、人形使いピーター。
──全ての魔術や攻撃が通用しない最悪の魔力を身に纏っている、破壊神の娘マナ。
どいつもこいつも今までの俺の常識から考えると規格外の化け物であり、特に破壊神の娘であるマナは正直なところ、打つ手すら見つからないのが現状だった。
(……である以上、連中に討ち勝つのは厳しい)
いや、四体とも討ち滅ぼしたとしても、怒り狂った破壊神に殺されるのが目に見えている。
俺の目指す勝利が「自分自身の生還」である以上、元々この戦いは勝てない戦いとも言えるのだ。
結局のところ、仲間と力を合わせて敵を撃滅せば生存確率が増えるなら兎も角……勝ってしまえばこちらの命が奪われるような戦いである。
である以上……逃げるしかな手はない。
(いや、そもそも仲間と言っても……)
俺たち四人は、別に命を賭けて目的のために力を合わせるという間柄ではない。
自分自身が助かるためにこそ、寄り合うことで生存率を高めるだけの間柄でしかないのだ。
──だからこそ、協力して逃げるとか、そういう概念はない。
そんな感情、単なる足の引っ張り合いになるからだ。
……十ヶ月くらいで補充される仲間のために、己の命を捨てるバカはいないだろう。
(肝に銘じないと、な)
前回の戦いでは、何も知らない俺が「仲間同士で手を取り合って逃げる」ことを想定していた所為で、俺一人が敵前に取り残されたのだから。
尤も、彼女たちにしてみれば『どうせ偶然助かるだろう』程度の認識だったらしく、全く俺一人を敵前に置いて行ったことを気にもしていなかったのだが。
加えて、『天才であるハズの俺自身が仲間の内で最も戦力にならない』という……れっきとした事実がある。
(──くそがっ)
俺は渋々ながらも、それを認めることとする。
四人の中で俺だけが、最強であり万能であると今まで確信していた魔術を唯一使える人間であるというのに……だ。
(何とか、連中を出し抜く術を開発する。
その為には何としても生き延びないと……例え、仲間というべきこの三人を使い捨てたとしても……)
俺がそんな画策をしている間に、話はどうやらまとまったらしい。
「シューレヒム市を脱出することになった」
寝転んだままの俺に、ライがそう話しかけてくる。
「敵が四人固まっている以上、この都市に留まるのは無意味って訳ですわ」
ミーティアが俺のベッドに座り込んで、そんなことを話しかけてくる。
……まぁ、俺としても異存はない。
既に俺にかけられた賞金の額は、自分を売るだけで一生遊んで暮らせる額に達していて、一所に留まるのが得策ではないのは理解できたし。
何より……このシューレヒム市は学生生活を過ごしてそれなりに愛着のある街である。
──何度も何度も大災害クラスの打撃を与えるのは忍びない。
(防波堤大破による床上浸水。
大雷による大規模破壊。
そして、今度の魔力崩壊による家屋倒壊……か)
驚きや嘆きを通り越して既に笑える、と言うか、それら全てに自分が関わっているという真実にこそ『笑うしかない』のが現状である。
……ことここに至っては、既にどんな言い訳も通用しないだろう。
幾ら全ての行為が死に直面しての行動……即ち正当防衛であり、生存権が全てに比して優先されるとは言え……どの『事故』も少しばかり被害が大き過ぎる。
「ま、そんな訳で、取りあえず二手に分かれてシューレヒム市を脱出することになったんだけど」
ライはそう呟くと、寝たままの俺を冷めた目で見つめ……
「で、ディン。
……もうとっくに動けるんだよな?」
(ちっ。ばれてやがったか)
ライの言葉に俺は表情を変えることなく、だけど内心で舌打ちしていた。
……身体的な疲労は兎も角、筋肉痛や魔術経路の回復はまだ万全とは言い難い。
──個人的にはもう少し休んでいたかったんだがな。
ついでに言えば、寝転んでいる間に新たな術式の構想を練りたかったのだが……。
ライにそう指摘された俺は、渋々ながらも筋肉の鈍痛を堪えて起き上がる。
狸寝入りを延々と続けても、仲間の信頼を失うだけで何の意味もないと判断したからだ。
事実、四人で一番脆弱な俺は、仲間の信頼を失えばそれだけで死ぬ確率が跳ね上がってしまうのだから。
「で、どうするな?」
起き上がった俺は仲間にそう問いかけながらも、荷物を整え始めた。
と言っても、俺自身、俺様ノート以外には着替えを買う暇すら与えられないまま、この戦いに巻き込まれている。
荷物と言っても適当に近場で買った下着を詰め込むくらいのもので、身支度も二百を数える時間もかけずに終わっていた。
「……じゃ、キミは私と」
立ち上がった俺にそう語りかけてきたのはナーナだった。
(何でそうなったんだ?)
と、俺は目線でナーナ以外の仲間二人に問いかける。
個人的にはライかミーティアであれば、それなりに気心が知れていてありがたかったんだが……
「ま、あたしはあんたの魔術、気に入ってたんだけどね」
「私も貴方と組めばまた魔術を使えそうなのだと思ったのですけれど」
その視線に気付いた二人は、俺の方を、いや、俺の背中の後ろを見つめながら、そんな言葉を返してきた。
俺が二人の視線を辿って振り向くと……いつの間にかナーナが俺の背後に迫ってきている。
「~~~っ?」
足音一つ立てない彼女の動きに、俺は驚きを隠せない。
もしも彼女が敵だったのなら……不意を突かれた俺は魔術を使おうという考える間もなくあっさりと死んでいただろう。
「……戦力配分」
驚かされた俺は抗議の視線を向けるが……彼女が返してきた返事は、そんな簡単且つ合理的な答えただ一言だった。
……驚かせたことは悪いとも思ってないらしい。
(ま、そりゃそうだ)
彼女の無神経に少しだけ腹を立てた俺だったが……その一言には頷かざるを得ない。
ライは近接格闘の達人で黒騎士と互角に戦える。
ミーティアはその小柄さと狡猾さによって逃げることだけに関しては達人以上。
ナーナの戦闘能力は既に見せ付けられている。
である以上、最も弱い俺が最も強いナーナと組むのは当然なのだろう。
──結局、この連中とつるむことで思い知らされるのは、自分自身の非力さって訳だ。
その事実を再び思い知らされた俺は、無力感に一つため息を吐き出す。
「……ほら、行く」
だけど、俺は落ち込んでいる暇もないらしい。
ナーナという名の美女は、先を急ぐべく俺をそう急かしてくる。
「ああ。分かったよ。
……ナーナ」
結局、三人目の仲間に促されるがままに、俺は荷物を手に取り部屋の出入り口へと向かう。
「では、死なないで下さいね、ディン」
「お前が一番ヤバいだろ、ミーティア」
去り際にかけられたミーティアの本気で心配そうな声に、俺は気軽な様子を装いつつ軽口を返す。
──と言うか、二度と会えないような声で俺に声をかけるのは良いんだが、俺と同行するハズのナーナには心配そうな表情も別れの挨拶もしないってのはどういう了見だ?
「本当に死ぬなよ?
お前には貸しがあるからな?」
「……へっ。
そんな大層なモノならもっと大切に仕舞っとけ」
次に声をかけてきた、胸を指差し唇を舐めながらも悪戯っぽい笑みを浮かべるライの言葉に、俺はまたしても気軽な声を返す。
実際、彼女にはもう少しだけ慎みを覚えて欲しかった。
(まぁ、二人きりでムード満点の時なら大歓迎なんだが)
俺の基準では、ライのもそれなりに歓迎できるサイズは有しているのだ。
……勿論、本気の大人サイズであるナーナのソレとは比べ物にならないのだが。
と言うか、やはりライもナーナに対しては全く別れの挨拶もしなければ、心配そうな言葉も投げかけない。
それほど、このナーナという美女の戦闘能力は信頼されているのだろう。
(~~って、ちょっと待て?)
いつの間にやら、コイツらを信頼できる仲間だと扱ってしまっている。
──コイツらはあくまで同志であり、仲間とは言えない。
──ただ、自分が生き延びるためにお互いを利用しあう、それだけの関係。
生き延びるための鉄則とも言うべきその教訓を、俺は自らの胸へと再度刻み付ける。
「……ほら、行く」
「へいへい。じゃ、またな」
そうして俺はナーナに促されるがまま、二日ほど過ごした仮の宿から足を踏み出したのだった。