第三章 第五話
「お待ちなさい。
そんなことをしても、無意味ですわよ?」
背後からそんな声が俺へとかけられていた。
振り返ると、ミーティアが表情に慈悲の色すら出さずに、ただ面倒そうな表情で立っていた。
「どういう、意味だ?」
流石に腑に落ちず、俺は尋ね返す。
少なくともコイツは俺たちの命を奪おうとした。
──殺そうとした以上、殺されるかもしれないのは当然だ。
爺さんもそれを分かっているからこそ、無駄に騒がず俺の魔術が放たれるのを待っているのだろうから。
だが、俺の問いかけに対し、ミーティアは口を開こうとせず、周囲は沈黙に包まれる。
その空気に耐えられなかったのは……俺の方だった。
「だから、何故だ?」
俺は同じ問いをもう一度問い正す。
俺の視線と彼女と視線が絡み合い……結局、最初に目を逸らしたのはミーティアの方だった。
「ですから、言葉どおりですわ。
一人を殺したとしても、十月十日で新たな契約が為されるのが、このゲームのルールですの」
彼女の言葉は考えてみれば当たり前のことだった。
数日前に俺が四番目の戦士に選ばれたというのに、ミーティアは数十年もの間戦い続けている。
その間、四人目の座がずっと空白だった訳もないだろう。
それは恐らく……俺の前任者がいたということを意味する。
──そして、その前任者が既にこの戦いの舞台から退場しているということも。
「百年に一度、魔界の覇者を決めるこのゲーム。
四度目の敗北を迎えそうな破壊神ンディアナガルが特別に設けたのが、この追加ルールだったのです」
「何じゃそりゃ」
負けそうだからルールを変えるって。
……無茶苦茶にも程がある。
「だが、その十ヶ月以内に敵全てを殲滅すれば」
「ですがその上、新たに投入された『敵の一』は……絶対に勝てないほど相手が悪いのです。
つまり……どう足掻いてもこの戦い、終わらせられないのですわ」
そう言って微妙に言葉を濁すミーティア。
だが、その時点で俺は理解出来た。
要するに、『敵の一』という存在が強大過ぎるのだろう。
だからこそ、こちらからは手を出せず……この戦いは俺たちカンディオナの使徒からは終わらせることが出来ない。
そして、敵はたったの十ヶ月で復活してしまう。
だったら下手に殺してしまうより、手の内を理解している相手を泳がした方が、遥かに賢明という訳だ。
「だが、ライは?」
アイツは戦う気満々だったようだが。
「彼女の目的は剣術を極めること。
生き延びることではありませんもの。
剣士同士の果し合いが出来れば満足なのでしょう」
「あ~」
仲間に向けて暗に「剣術バカ」と言っているミーティアに対し、俺は否定する言葉を持たなかった。
まぁ、ここ数日間でライが行っていたのは、戦いか稽古か、太刀の手入れだけ。
食事は体力になりそうなボリュームの多いヤツ。
どこまでも色気の欠片も無いアイツは……まぁ、剣術以外の全てに興味などないのだろう。
「しかし、最悪だな」
「ええ、最悪ですわ。
そもそも、邪神カンディオナでは破壊神ンディアナガルに勝てないのです。
ですから、一度の戦いを百年と区切り、相手方のルール変更を呑んでまで、何とか破壊神が実力行使に出ないように抑えているのが現状ですの」
その話は……本当に最悪だった。
──こちらは一方的に殺される。
──なのに絶対に勝利は出来ない。
つまり、俺たちに出来るのは……ただ襲い掛かってくる相手から逃げ回るだけ。
「ふん。ワシを殺さねば、いずれ貴様らに牙を剥くぞ?」
俺たちの話が不殺の方へ転がって行くのを理解したのか、爺さんはそんな挑発をしてくる。
その表情に浮かぶのは、屈辱の色か。
(ま、俺だってこんなふざけたルールに助けられるのは屈辱以外の何でもないわな)
そう考えた俺は、ちょっとだけ爺さんに同情する。
その所為、だろう。
「殺すには、あんたの腕、惜しいからな」
「……何だと?」
気付けば俺は、そんなことを口走っていた。
「あんたの魔術、それほどまでに極めるのに、どれだけの時間を要した?
どれだけの労苦を費やした?
それを知るから、俺は……あんたを殺すのが惜しいんだ」
そんな言葉が普通に俺の口から湧き出てくる。
何かを企むでもなく、何かを考えている訳でもなく、ただ自然と。
──多分、それは、俺の本心そのもの。
その個人が積み上げてきた長い学習と思索、経験が無と帰す「死」という存在は、俺自身が最も忌み嫌う存在なのだ。
この無意味な戦いに意味があったとしたら……幾度となく我が身が危険に晒されたお蔭で、そんな信念を抱くようになったこと、だろうか?
「バカか、お前は」
「ああ。そうかもな」
爺さんの言葉を俺は笑い飛ばす。
隣ではミーティアも笑みを浮かべていた。
でもソレは嘲笑や苦笑ではなく、何処か嬉しそうな、同類を見つけたような笑みで。
……そう。
俺は「死」が嫌いだ。
才能と蓄積による過去があり、現在努力を重ねた先の未来には栄光が待っている。
──そんな俺自身が死ぬかもしれない状況に身を置くなんて、本当に冗談じゃない。
同時に殺すのも嫌いだった。
自分以外の誰かの経験を奪ってしまうのも、俺が将来学ぶ筈だった知識が失われる可能性がある以上、膨大な損失以外の何物でもないのだから。
だからこそ、こんな殺し合いなんかから外れる道を探さなければならない。
……敵の一とやらがどんなに強大で、絶対に勝てない相手でも。
(……待てよ?)
──だが、本当に?
……本当に、絶対に勝てない相手なんて存在するのだろうか?
その問いに、俺は首を傾げていた。
どんな最強の魔術師でも寝込みを襲うことで魔術を使わさなければ、所詮それはただの人でしかない。
……楽勝で勝てるだろう。
最強の戦士だろうと無敵の戦士だろうと不死身の戦士だろうと……その能力さえ見切ったのなら、何らかの手段で殺すことは可能のハズだ。
──現に、不死のトントロールとかいう化け物は、俺が粉々に砕いて……
……そう。
今、向こう側の路地で大斧を振るっているような、あんなヤツだろうと。
「……へ?」
何処かで見たような豚面を目にした俺は、一瞬自分の目を疑い、目をこすり瞬きを繰り返す。
だが、ソイツはどう見ても……先日吹き飛ばしたハズのトントロールとかいう化け物だった。
──どうやら、粉々に砕いた程度ではヤツを殺すには至らなかったらしい。
そのトントロールと戦っているのは、身体のラインを隠す役割を果たしているとは言い難い、真紅の衣装を捲きつけただけのような、手足のすらりと長い美女だった。
髪の色は赤褐色。
肌は少しだけ褐色の入った、シューレヒムの東に位置する砂漠の国に住む民族の特長が色濃い。
「やっ!」
武器は手にしていない。
完全に無手だというのにも関わらず、あのトントロールを圧倒している。
斧を避けつつも殴る・蹴る・投げると……豚悪魔が一度の斧を振るう間に二度・三度の攻撃を仕掛けているのだ。
凄まじい使い手と言わざるを得ない。
「いや、違うっ」
……彼女が相手をしているのはトントロールだけではない。
遠かったので気付かなかったが、首のない黒衣の騎士もが彼女に向けて長剣を振るっている。
にも関わらず、二体の魔物の攻撃は武器すら持っていない彼女の動きを捉えきれない。
彼女はもはや「化け物」以外に表現する言葉が見当たらないほどの強さだった。
「ナーナ!」
その赤褐色の美女を見たミーティアがそう叫ぶ。
その名前は聞いたことがあった。
──ナーナ=ナインブルグ。
ライの口から出たこともあるその名前。
賞金首のランキングでもトップに位置していたと記憶している。
気付けば、彼女の左太股に巻かれてある黄色い布は俺の右手に巻かれてあるのと同じ邪神カンディオナとの契約の証のようで。
どうやら彼女は俺たちの仲間、らしい。
……そう思って見ると、二人の魔物を圧倒しているあの戦闘能力は非常に心強い。
と、俺が安堵したその時だった。
「くあっ!」
突然、近くにあった建物の二階の壁が吹き飛んだかと思うと、ライが空から降ってきた。
そのままレンガ張りの路面に叩きつけられた彼女だったが、すぐに跳ね起きる。
「ナーナ姉っ! 悪いっ!
あたしじゃ抑え切れない!」
「ちっ!」
ライの叫びを聞いた途端、褐色の美女は首なし騎士をトントロールに向けて背負い投げたかと思うと、そのまま彼女は壁を難なく走り、音も無く俺のすぐ側に着地する。
その身体能力に俺が驚く暇すらなかった。
ライが飛び出てきた穴から、一人の少女がゆらりと舞い降りたのだ。
「ふふん。もう棒遊びは御終い?」
その少女を一言で言い表すならば、白、だった。
腰まで伸びた白銀の髪に、透き通るような真っ白な肌をしている。
身体を覆っているのも白の長いドレスだった。
その純白のドレスは金糸によって彩られており、質感の上質さも相まって高貴さを演出している。
真白を意識したその少女の姿に、唯一異質なところがあるとすれば、それは彼女の真紅の瞳だろう。
まるで紅玉のように輝く真紅の瞳は、その少女を人間とは全く違う、異質な存在であることを印象付けていた。
そんな少女の左の額には小さな白い角が一本突き出ている。
もう五年もすれば絶世の美女となるだろうその容姿と、細身でありながら随所で確実に存在感を示している身体つきは、異性から見ても同性から見ても、まるで至高の芸術品の如く映るだろう。
……だけど。
(何だ、アレは?)
その少女を見た瞬間、俺の目は驚愕に見開かれていた。
──あんな存在がこの世界に存在していること自体、あり得ない。
その少女の様子を一言で言うなら……ソレは『周囲の全てを喰らい尽くす蟻の群れ』だろうか?
彼女の身体から発せられている魔力は、周囲の魔力全てが砕かれるような……凶悪で攻撃的な性質の魔力だった。
俺とミーティアが放った【魔術崩壊】術式の残り香が、彼女の身体を覆う魔力に触れただけで次々と消滅しているのが分かる。
その瞬間、二人が飛び出してきた壁が崩れ、白き少女の頭上に落ちてくる。
……だが、彼女は動きすらしない。
それもその筈だろう。
上から落ちてきた破片は、彼女に……彼女の魔力に触れたその瞬間に消滅してしまったのだから。
──勿論、その少女にはダメージなんて欠片もない。
天才魔術師たる俺の目には分かる。
……彼女の魔力が『落ちてきた破片の落下エネルギー』も『物質そのもの』さえも消滅させてしまったというのが。
「……ありえねぇ」
気付けば俺はそう呟いていた。
……そう。
どんな敵だろうと隙を突けば勝てる、なんて考えていた俺が甘かったらしい。
(……『アレ』は、確かに、どう頑張っても、勝てない)
恐らく、俺が魔術を放っても魔力そのものを消滅させられてしまうだろう。
──『アレ』は俺とは、俺たちとは次元が違う。
彼女は、そういうモノだった。
完全に俺は、自分の……いや、万能であるハズの、俺の人生の目標だったハズの魔術の限界を思い知らされていた。
──自分自身の無力さや、今まで全てを費やしてきた魔術というモノが、あっさりと価値を失うほどの、どうしようもない……絶望感。
その絶望に、俺は魔術を思い浮かべることすら出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(ライは……あいつらは平気なのか?)
一縷の望みを託して俺は仲間の方へ目を向ける。
……だけど。
──その望みも所詮は淡い望みに過ぎなかった。
剣術に関してはあれだけ自信に溢れていたライの太刀先は僅かに震えているし、ミーティアの表情からも余裕の笑みが完全に消えている。
ナーナという美女は完全に無表情で感情が窺えない。
……だが、彼女の方から感じる、この肌を刺すような緊張感は、彼女が放っているのに違いない。
──彼女達が感じているのは、恐らくは俺と同じ絶望だろう。
今までの人生で培ってきた自分自身とも言えるべき技術が、何の役にも立たないという、どうしようもない絶望。
そしてその絶望は……自らの技術に自信があればあるほど、大きなものになってしまう。
だからこそ……俺はもう抗う気すらなくしてしまっていたのだ。
「ふふふ。そちらも四人揃ったみたいね」
『ソレ』はそんな俺たちの緊張を意にも介さず、のんびりとそう話しかけてきた。
「無敵のナーナ=ナインブルグ。
無限のミーティア=ミッドガルド。
不死のライ=なんとか。
……あら、貴方は?」
「姫様、人に名を尋ねるときは、ご自分から名乗られるのが礼儀に御座いますよ?」
俺は仲間よりも前に一歩だけ踏み出すと、絶望と恐怖を悟られないように必死で演技をして誤魔化す。
その虚勢がばれたのか、それともただ滑稽だったのか。
「ふふ。面白い人間ね。
私はマナ。
マナ=ンディアナガル。
父様のゲームに参加して下さって、心から感謝申し上げますわ」
笑いながらも、俺の演技に合わせてくれたのか、妙に礼儀正しくその少女は名乗る。
(ンディアナガルって、父様って……もしかするのか?)
その名を聞いた瞬間、何故俺たちカンディオナの使徒が彼女に勝てないのか、理解してしまった。
──要は、敵のボスの娘がこのゲームに参加しているのだ。
そして、敵のボスは……俺たちのボスより遥かに強く、実力行使された場合どうしようもない。
流石の破壊神でも、娘を殺されると怒り狂うだろう。
神々に親子の情があるかどうかは微妙だが、もし親子の情なんて存在しないにしても、娘が死んだという口実を介入の理由にするに違いない。
そして、破壊神が邪神をも超える絶対強者である以上……そうなってしまった場合、俺たちに為す術はないのだ。
(こんなの、絶対に勝てる訳がねぇ!)
相手全てを殺し尽くさなければ終わらないサバイバルにおいて、敵の一人を倒せば即自らの首が文字通り飛ぶような、そんな裏ルールがあったとは。
普通に戦っても勝てない相手に、そんな裏ルールを付け加えられた以上……どう足掻いても勝てるハズがない。
ミーティアが真面目に戦う必要がないと説き、ただ必死に逃げ回る訳である。
俺も正直言って逃げたくて仕方なくなった。
……この場からでなく、この戦いそのものから。