第三章 第二話
「これ以上経路に負担をかけると俺が自滅する。
だが、求める威力はこの二倍。
なら、強化呪を……って、うわっ!」
拒絶反応を消し去る術式は多難を極め、結局俺が敵に相対するための魔術を幾つか練っていた時だった。
ふと気付くと、俺に息がかかるほどの位置にミーティアがやってきていて、俺様ノート9thに目を通している。
「なんだ?」
「いえ、面白そうなことをやっているな、と」
「あ~。魔術理論を新たに構築しているんだよ。
そんなに面白いものじゃ……」
「ふふ。でも、【氷結呪】と【爆裂呪】を組み合わせるなんて発想、普通はしませんから、面白そうだと申し上げたのですわ」
「──っ!」
ミーティアのその一言で、俺は目を見開く。
いや、彼女にしてみれば何気なく放った一言なのだろう。
少なくとも彼女は俺の驚いた視線をまっすぐ受けても動揺一つしておらず、逆に俺の反応が理解出来ないとばかりに首を傾げているのだ。
──だが、彼女の何気ない一言は、俺にとっては価値観が揺るぐほどの一言だった。
何しろ、俺は天才魔術師だ。
シューレヒムにある大陸最高峰の魔術学園においても、史上最高と言われた男である。
その俺が必死に構築した魔術公式を……しかも、暗号と見紛うばかりの汚い俺の字で描かれた魔術理論に基づいた公式を、ミーティアは一目で解読したのだ。
少なくともあの魔術学園では、俺の理論について来られる人間は一人もいなかった。
……そう、教師ですら。
「……分かるのか?」
「ま、この程度でしたら」
俺の問いかけに微笑むミーティア。
俺はその答えに笑みを返しそうになった。
だが……瞬間で思いとどまる。
昔、俺の理論を分かっている素振りをして近づいてきた同級生がいたからだ。
そいつはものの三日で化けの皮が剥がれ、俺の報復によって醜態を晒すことになったのだが……ああいうぬか喜びをもう一度するのは御免だった。
だからこそ、この一〇歳程度にしか見えない彼女に本当に俺と比肩するほどの魔術的教養があるのか、俺は少しだけ試したくなった。
「なら、この術式は分かるか?」
「ええ。どれどれ……」
俺が手元のノートに描く魔術公式を、少女は傍らから覗き込む。
その顔が真剣な表情になり、訝しげな表情になり、そして真っ赤に染まっていく。
「あほか~~っっ!」
そして次の瞬間、俺の側頭部に凄まじい衝撃が走っていた。
今度は歯を食いしばって打撃に耐えたため、彼女がどういう攻撃をして来たのかを理解出来た。
ミーティアの袖口から瞬くほどの間にブラックジャック──皮袋に砂を詰めた鈍器──が現れ、俺を強打したのだ。
恐らく、三日前に昏倒させられたのもコレだろう。
「……いてぇ」
「当然の報いですわよ!
こ、こ、こここここここ、こ、これ!
男女の、その、はしたないことばかりを書いているでしょう!」
顔を真っ赤にしたまま、ミーティアは凄まじい剣幕で俺に詰め寄る。
だが、その反応で彼女が魔術公式の意味を完全に理解しているのが確定した。
さっきの俺が描いた魔術公式は、俺が学園に在籍している間に思いついた悪戯公式だった。
──基本的に、『男女が絡んでナニをする様式』を魔術言語で扇情的に描いてある。
以前に俺が論文提出時に『コレ』を立案し、出鱈目な解説を書いて論文として出したのだ。
決まりきった順序でしか魔術言語を解読できない無能な教師どもは、天才の描いた新たな公式だと騒ぎまくり、学校をあげた騒ぎになって……三ヵ月後に教師どもがようやく公式を解読した結果、俺が大目玉を喰らったのも、今となっては良い思い出である。
その、学園中の教師が三ヶ月かかって解いた俺の公式を、この一〇歳程度の外見をした少女は、あっさりと解き明かしたのだ。
……この僅かな時間で。
「ど、どういうつもりですの!」
「いや、悪かった。
昔いろいろあったんでな。
……ちょっと試してみたんだ」
まだ顔の赤いミーティアを何とか宥めると、俺は俺様9thを開く。
これには俺が編み出した幾つもの未完成魔術が記されており……
俺と並び立つ天才が本当にいるならば、少しは手助けになると期待したのだった。
「だから、強化呪なんて使えば、威力が衰えてしまうでしょう!」
「だが、フィードバックの危険を考えないと!」
……結論として。
ミーティア=ミッドガルドは俺の理論の手助けになった。
少なくとも、彼女が提案してきた理論の半分くらいは。
──確かに彼女の才能・知性ともに俺と並び立つとも劣らない素晴らしいものだったのだ。
間違いなく、幼子にも見える外見をしていつつも彼女は以前、魔術師として生きていたのだと確信できるほどに。
……だけど。
「危険を考えていて、魔術師が務まるものですか!」
「アホか~~っ!
魔術師とは常に最悪の事態を想定し、それに備える者だろう!」
……ミーティアの理論は俺とは違いすぎた。
基本的に俺の魔術理論は『安全且つ最小の魔力消費で最大の効率を』というモノであるのに対し、彼女の理論を一言で言うならば『威力が全て』という、謂わば戦時の発想だったのだ。
……自分が反動で多少怪我をしても、相手を殺せればそれで良しという物騒極まりない代物で、俺とは価値観が全くかみ合わず……
当然のことながら、俺たち二人はこうして口論になっている、という訳だった。
「だから、それじゃ威力が甘くなるでしょう!
相手を一撃で屠ることこそ、魔術師が生き延びる唯一の術なんですわ!」
「あほか!
生き延びても自分に障害が残るような魔術をぶっ放してどうする!」
そうして、俺たち二人がアドレナリンを放出しながらも、それなりに楽しい一時を送っていたときのことだった。
「ミィ。
……変なの連れてきたな」
いつの間にか鍛錬も終え、着替えを済ませていたライがそう声をかけてくる。
「……そう、みたいですわね」
突然冷静に返ったようなミーティアの一言で、俺もソレに気付く。
宿周囲の崩壊した街並みから聞こえていた、復興のためのざわめきがいつの間にかすっかり消え失せ……代わりにのつもりか、硬質の幽かな音が俺の耳へと入ってきた。
同時に俺は、今まで感じたことのないような奇妙な魔力がここら一帯を覆っていることに気付いていた。
「……何だよ、こりゃ」
その不思議な魔力の感覚に俺は思わず呟く。
事実、泥の中を思わせるような粘りつく魔力は、ただでさえ苛ついていた俺の不快指数を跳ね上げた。
「くっ。この私がこんな近くに接近されるまで気が付かないとは!」
そう少女が自分の迂闊さを呪うかのように吐き捨てる。
何故か、俺の方を睨み付けながら。
──いや、悔しいのは分かるが、俺を睨むのは筋違いだろう?
……少なくともお前はお前の意志で俺と議論を重ねていたのだし。
「来るぞ!」
ライがそう叫んだときだった。
部屋のドアをぶち破って、俺の身長の倍ほどもありそうな、石で出来た人形が突然部屋に闖入してきたのだ。
「~~~っ!
ストーンゴーレム!」
その巨大で不恰好な人形を見た俺は思わず叫ぶ。
俺の身長の倍ほどあるソレにとっては、ドアなんて紙くず程度の障害にしかならなかったのだろう。
その巨大な石人形は部屋に入ってきた勢いをそのままに、一番ドアに近かったライ目がけて襲い掛かる。
(どうやって入ってきたんだっ!)
ソレを見た瞬間の俺の感想はそんな場違いなものだった。
事実、そのゴーレムは天井の梁に頭をぶつけないように屈んでいるのだ。
ここまで気配一つ感じられずに現れた訳もない。
「殺鬼流・四! 四つ鳩!」
そして、ソイツは戦場と……何より襲い掛かる相手が悪かったとしか言いようがない。
ゴーレムは屈んで素早く動けないままに、ライによってその石で出来ている筈の四肢をあっさりと切り裂かれたのだから。
「まさか、これで終わり、か?」
「バカっ!
これはヤツの駒に過ぎませんわ!」
ミーティアがそう叫んだ時だった。
「出でよっ。
【ポーン】三・【ナイト】一!」
その叫びと共に、何もなかったはずの空間から、突然、ゴーレムが四体も現れる。
今度のゴーレムは四体とも鈍く輝く金属製だった。
しかも人間大のサイズで、剣を持った三体と、ランスを抱えた一体と……数も種類もさっきとはまるで異なっている。
「ちぃっ!」
その金属製の人形の動きに反応できたのは……ライだけだった。
そして、ゴーレムたちの狙いもライだったらしい。
流石のライも多勢に無勢らしく、瞬きするほどの間に防戦一方となり、あっさりと壁際まで追い込まれていく。
「ライ!」
「まだヤツが残っていますわ!
来ますわよっ!」
慌ててライに駆け寄ろうとする俺を、ミーティアの声が止める。
「ヤツ、だと?」
「ああ。敵の四!
常識知らずの人形使い!
ピーター=パペットマスターとか名乗る大馬鹿ですわ!」
俺の問いかけに、ミーティアが叫ぶ。
「ったく。馬鹿とは失礼じゃな。
史上最弱の魔術師ミーティア=ミッドガルド嬢」
まるでミーティアの叫びに答えるかのように現れた敵の四とやらは、どう見ても戦えないような枯れた年寄りだった。
全身を黒いローブで覆ってはいるものの、奇妙な幾何学的構造をしたその杖を掴む腕はどう見ても剣一つ振るえず、全身を覆う魔力もミーティアのソレと比べると敵と認めることが憐れなほど貧弱だったのだから。