第三章 第一話
二度目のテロが下町とは言え都市のど真ん中で生じ、しかも数百の家屋をなぎ倒す被害だったという事件は、当然の如く国家規模の事件として報道されていた。
しかも、実行犯と思われる容疑者を治安維持部隊が追跡している最中に見失い、その上で下町の一部が完全に瓦解するという事件だっただけに、治安維持部隊の指揮系統の合理性や責任問題、加えて市の安全保障問題にも発展していた。
少なくとも市長クラスの人間が退陣しなければ、世論の収まりがつかないだろう。
テロの実行犯と思われるディン=ダーダネルス及びライという犯人に関しては目下捜索中であり、市民の皆様は一人で出歩かないように。
……と、手元の新聞は締めくくってある。
「……はぁ」
その記事を読んで、俺はもうため息しか出なかった。
都市部で突如起こった大規模破壊魔術によるテロ事件。
しかもその魔術の固有因子から、この俺は関与が疑われているどころかほぼ実行犯として扱われている。
事実、俺にかかった賞金額は二百万近くまで跳ね上がっていた。
……賞金首になってからまだ一週間も経っていないというのに、既に六倍だ。
「あら。まだ落ち込んでいますの?
もう終わったことですのに」
「そうは言うが、この被害を見てみろよ」
ミーティアの問いを聞いて俺は近くの窓を開き、眼下を眺める。
目に付くのは黒。
……そして青。
黒いのは、ライの放った電撃によって壊滅した家屋の煤けた残骸だった。
青は遮蔽物が一切なくなったが故の、空の色である。
そう。
……あれから三日も経っているというのに、復旧は全く進んでいない。
かなりの人手が入り込み、色々と作業をしているのにも関わらず……だ。
早い話、被害規模が大き過ぎて市が確保出来る程度の人手では全く追いつかないのが現状らしい。
「ホテルからの見晴らしは、随分良くなったのではなくて?」
「そういう問題か、これが!」
そもそも、あの現場にこんなに近い場所に宿を取ること自体、無茶苦茶だ。
ミーティア曰く「現場に近い方が心理的盲点になりますの」とのことだが、俺の精神にダメージが大き過ぎる。
尤も、俺は目覚めた時点で既にこの宿に入らされていたのだから、俺の行動に選択の余地なんて欠片も無かったのだが。
「大体、死者も出て居ないのですから、そう目くじら立てることでもありませんわ」
「そうよ、偶然死者も出てないんだし。
……七一六! 七一七!」
「そういう問題じゃないだろう!」
暖簾に腕押しという二人に、気付けば俺は怒鳴っていた。
だが、二人とも俺の怒鳴り声なんて何処吹く風といった様子だった。
ミーティアは椅子に座ったまま足の爪にペディキュアなんて塗っているし、ライに至ってはさっきから腕立て伏せを繰り返している。
相変わらずの室内着で腕立て伏せを行っているライは、上下する度に広がって行く服の合間から色々と見えそうで、かなり危険だった。
何しろその服の合間から『男性にはない曲線』と『その先端部』が視界へと飛び込んで来ただけで、俺の怒りはあっさりと霧散してしまっていたのだから。
見るともなしに見てしまったバツの悪さに、俺は慌ててライから目を逸らす。
(……ったく)
だが、この三日間、二人から色々と話を聞いていたお陰で、何となくこの戦いとやらのルールは飲み込めてきた。
四対四で殺しあう。
敵は異形が多いが、邪神カンディオナは人間を好んで使徒とする傾向がある。
ついでに、敵側と戦う場合、偶然にも戦闘範囲から人がいなくなる。
昔は街中で延々と殺し合いをしていたのだが、いい加減治安維持部隊の介入が度重なった結果、ミーティアが邪神カンディオナに進言し、そういうことになったらしい。
だからこそ……あれだけの破壊を前にして一人の死者も出ていないのだ。
新聞にも「買い物で偶然出ていた」とか「祖父が急病で倒れたから見舞いに出ていた」とか、そういう些細な理由で影響範囲の全員が全員、あの場所に偶然にもおらず一人の死者も出ていない『奇跡のテロ』と書かれている。
(だからと言って落ち着けるものでもないのだが)
幾ら命を失わなかったとは言え、下町に住むのは庶民であり、日々の生活で精一杯の人たちだ。
そんな彼らにとって家を失うというのは人生の一大事だろう。
そう思うと、彼女たちのように楽観的に笑うなんてこと、俺には不可能だった。
……しかも、その原因の半分が自分の魔力によるものだと言うのだから。
その事実を再認識して無意識にこめかみに手を当てた俺は、不用意に腫れに触れたことでこの少女にいきなり殴られたことを思い出した。
「それと、だ。
いきなり殴りかかりやがって。
一体どういう了見だ、おい!」
「殴ったのではなく、暗器を使いましたのよ?
それに貴方の技量が分からないと戦術も組み立てられないのですから。
大体、同じ話を何度も蒸し返すのは男らしくありませんわよ?」
未だに続く即頭部の痛みに顔をしかめながらの俺の非難に、ミーティアは平然とそう答える。
生憎と回復魔術によって再生させるほどの打撲傷ではないし、現状は俺の魔術経路を回復させる方が先決で……お陰で未だに痛い思いを我慢する羽目になっていた。
まぁ、三日も休んだお蔭で俺が一番得意とする【爆裂呪】を使えるほどには回復していたが。
「俺の記憶が正しければ、あんたは何か八つ当たりみたいなことを叫びながら攻撃してきた筈なんだがな」
「昏倒直後の記憶の混乱でしょう?」
俺の言葉を聞いても悪びれた様子もない彼女の答えは、俺の気分を更に落ち込ませてくれた。
「所詮は学園を追い出された魔術師の卵。
地上の命運を賭けた私たちの足を引っ張らない程度にお願いいたしますわ」
「ぐっ!」
そこへ加えられるミーティアの丁寧な、だけど毒をたっぷりと含んだその言葉に俺は歯を食いしばる。
だが、認めたくはないが……俺の戦闘技量がこの部屋に逗留している三人の中で最も劣っているというのは事実である。
俺は確かに天才だが、どちらかと言うと理論派なのだ。
……戦闘などという野蛮な行為に向いてはいない。
いや、それ以前に……
「と言うか、人に説教するんだったら、ペディキュア塗りながらは止めろよ、せめて!」
それだけは叫びたかった。
……そう。
ミーティア=ミッドガルドと名乗ったこの十歳を僅かに超えた程度の外見をした少女は、椅子に座ってペディキュアを塗りながら、俺に向かって説教していたのだから。
しかも、片膝を立てて椅子に足を乗せながらペディキュアを塗っているものだから、スカートの中が丸見えである。
──頼むから、せめて外見に相応しい下着をつけてくれ。
──幾らなんでも、その外見で赤地に黒のレースはないだろう?
いや、勿論、俺は天才であり最高の知性を持つ大陸屈指の魔術師だ。
幼女に性的興奮を覚えるような異常な趣味は持ち合わせていない。
──だから、問題はない。
……問題はないのだが、ライ相手に落ち着かないのとは少し事情が違う。
──何と言うか、そう……居心地が悪いのだ。
こうして落ちつかないのは俺の家族に姉や妹がおらず、異性に慣れる環境ではなかった所為だけなのだろうけれど。
(この居心地の悪さには……まだ暫くは慣れそうにないな)
俺は内心でため息を吐き出す。
もう既に彼女たちとこの宿に潜伏して三日になるが……未だに俺は彼女たち『異性という存在』に慣れるどころか、ただ戸惑うばかりだった。
と言うか、彼女たちはあまりにも無防備過ぎた。
凄まじい額の賞金首だからか、それとも彼女たちの人格の方に問題があるのかは分からない。
分からないが……二人の少女は俺を異性として欠片も意識していないのが明白で、色々と見てはならないものが視界に飛び込んでくるのである。
天才の俺はそんな心の揺れなど気にするほどのこともない。
気にするほどのことはないものの、やはり心は常に平静に保たれるべきだと思うのである。
「……そう真面目に構える必要はないですわよ?
適当にやればそれで良いのですから」
「何故だ?
これは殺し合いだろ?」
ペディキュアの塗り具合を確かめながらいい加減に呟かれた彼女の声に、慌てて俺は言葉を返す。
……その言葉はどういう訳か、部屋中の空気を軋ませる一言だったようだ。
俺のその一言で何故かミーティアどころかライまでも固まってしまい、そのまま沈黙が降りる。
「ん? 何か変なこと言ったか?」
「い、いえいえ。
……何でもありませんわ」
二人の変化を察した俺は首を傾げてミーティアに問いかけるが、彼女は首を横に振るばかり。
いや、何か、二人が目配せをし合っているようにも見える。
──どうやら、この戦いが殺し合いというのはタブーらしい。
……少なくとも、さっきの問いかけは地雷だったようだし。
「で、何故適当にやるんだ?
殺しあっているんだろう?」
……だけど。
──他ならぬ自分の命がかかっているのだ。
俺は空気を読むことなく、もう一度同じ質問を口にする。
自分の命のやり取りに関することに、知らなくて良いことなんて一つも無いだろうから。
「殺し合い、だからですわ。
この戦いは死んで勝利を掴むよりも、肩の力を抜いて生き残った方が有利なのですから」
「……なるほど」
その言葉に俺は納得したふりをして、それ以上の言葉を飲み込んでいた。
勿論、ミーティアの言葉は間違いではないのだろう。
──だけど、何か隠している感じが残るのも事実である。
それでも……そんな彼女の一言は、今まで相手を如何に倒すかばかりを考えていた俺にとって、十分に考慮すべき一つの助言にも思えた。
(そういう意味では、改良の余地がまだまだあるな)
今の【接合共鳴】では、魔術を放った直後に全ての力を使い尽くし倒れてしまう。
それを改良しなくては、一人倒した直後を他の誰かに狙われた終わりになる。
(……だが、拒絶反応もある)
【接合共鳴】は確かに異性同士の魔力を共鳴させ、通常より遥かに高い魔力を生み出すというかなり無茶苦茶な魔術である。
幾らお互いの魔力を溶け合わせた上での魔術とは言え、他人の魔力を体内に入れることには違いない。
そして、その魔力が人間の身体にとって異物は毒でしかないのは、前回に実践したときに十分に思い知っていた。
そう考えると結局、【接合共鳴】はその全ての魔力を吐き出す以外、使い道がない術式でしかない……この戦いにおいては酷く使い勝手の悪い技術に思えてくる。
「いや、そんな筈はないっ!」
「わわわっ!」
──無理。
──不可能。
そんな言葉が頭に浮かんだ瞬間、歯を食いしばることで諦めという屈辱を追い払った俺は、立ち上がるや否やこの部屋に備え付けられていた机に向かう。
そして、胸元から俺様ノート9thを取り出し、最新のページを開く。
何かミーティアが驚いて椅子ごとひっくり返り、その外見不相応の下着を全開にしていたのだが、俺の注意は既に新しい魔術理論の構築のみに向かっていた。
「な、何なのですか、あの男は?」
「あ~。また魔術のお勉強だろ。
放っておけば、その内動くって。
八二六・八二七!」
「ああ。なるほど。
……そういう類の殿方ですのね」
背中でそんな声が聞こえた気がしたが、俺はもう聞いてもいなかった。
何とかして、魔力の拒絶反応を消し去る術式を考え出さなければ、本気で自分の命に関わるのだ。
尤もこの時点では既に、俺にとっては魔術公式を考えることだけが全てとなっていて、自分の命とか将来の出世などという他の些事なんて、もはや気に留める価値すら見出せなかったのだった。