薔薇の箱庭
この作品は、有志企画でテーマを「狂気」と設定して書かせていただいたものです。先に後藤詩門先生ととの。先生がお話を投稿されていて、私のお話はその企画の第二弾として投稿させていただきました。
後書きにこの企画に参加して下さった先生方の小説URLを貼らせていただきますので、どうぞそちらもご覧下さい。
――薔薇の箱庭に、楽園の種が、一つ。
「ねえお兄ちゃん、それでラッキーのお家の屋根を塗り直すんだって、お父さん言ってたよ。いいの?」
くりっと丸い大きな瞳の女の子は、愛犬の頭を撫でながらそう言って兄を見上げた。彼女の視線の先には、赤いペンキを片手に立つ兄の姿。ラッキーと呼ばれた犬は彼女に同意を示すかのように、ワン、と一声力強く鳴いた。
「それに、どうしてそんなことするの? せっかく綺麗に咲いたのに……」
白く咲き乱れる薔薇たちを、一つ一つ丁寧に紅く染め上げて行く……。彼が行っていることは、彼女にあの有名な童話の一場面を思い起こさせた。白い花弁に塗られた紅い色。それは彼女の若葉色の瞳に映り込んで、鮮やかなコントラストを織りなす。
「塗らなきゃダメなんだ」
「どうして?」
立ち上がって兄の隣に並び、その手元をじっと覗き込む。白い花弁は紅く染め上げられることを拒絶して、はらりと儚く舞い落ちた。その上に、紅いペンキが一滴、落ちる。ジワリと広がるそれを眺めて、兄はとびきり嬉しそうに笑った。
「だって、紅い方が綺麗だろう? それにロゼ、前に言ってたじゃないか。紅いのが一番好きだって……」
ロゼと呼ばれた少女は白い小さな顔に満面の笑みを浮かべて、彼に笑い返す。
「うん! ロゼも紅い方が好き! 綺麗だね、お兄ちゃん!」
明るい日差し、温かな昼下がり、溢れる薔薇の芳香……。
真っ白な花弁の上に、最初の一滴が落とされた。ゆるりと広がる、深紅の色……。
そして、月日は流れる。
青く青く澄み渡った空、穏やかな風。春のうららかな一日に、少女の影が、一つ。
「ロゼ、調子はどうだ?」
やや低めのその声に呼ばれて、少女はそちらを嬉しそうに振り返った。深紅の髪、雪のように白い肌、若葉を思わせる緑の瞳……。少女は、大輪の薔薇を思わせるような艶やかな笑みで自分を呼んだ人物を迎えた。
「兄さん! お店はいいの?」
ゆっくりと近付いてきた兄、両手をそっと前に出して、彼がそこにいることを確認するように、その温もりを求める。白い手が、兄の温かい胸に触れた。そのままこの箱庭を満たす深紅の薔薇のような唇を綻ばせて、兄の胸に頬を寄せる。優しく包み込んでくれる温かな腕の感覚に限りない喜びと心地良さを感じて、彼女はゆっくりとその瞳を閉じた。
「ああ、大丈夫だよ。ロゼの様子が気になってね。ほら、薔薇の棘で怪我をしていないか、とか……」
兄を見上げてふんわりと笑みをこぼしてから、ロゼと呼ばれた少女は口を開いた。
「兄さん、心配性ね。大丈夫よ。見えなくても滅多に怪我なんかしないわ」
「……ああ、そうだったな。わかってはいても、どうしても心配になるんだよ」
若葉色の瞳が、心配性の兄さん、と言って嬉しそうに細められる。その瞳がいつまでも穢れなくあることができるのは、この世のものを何一つ映すことがないからなのかもしれない。十年前に熱病で光を失った彼女が見ているのは、闇に満たされた世界のみだった。閉ざされた世界に射す光は、ただ一つ。兄が自分に与えてくれる、優しい温もりのみ……。
「兄さん……」
彼女の瞳には、この世の理も映ることはない。深紅の花弁が、一陣の風で舞い上がる。
カラン、コロン……。
「いらっしゃいませ」
ある平和で温かな春の日、一人の少女が母親とともに彼の店を訪れた。所狭しと並べられている色とりどりの花たちは、窓越しの燦々とした光を受けて、一斉に自己主張を始める。黄色や紫、桃色や水色、様々な色の花弁たちが、風に揺られて彼の店の中で乱舞する。むせ返る程の花の芳香に満たされた、彼の店。その中でも一際目を引くのが、燃える炎よりも紅く、落ち行く夕日よりも哀しい赤色をした、大輪の薔薇……。店の入り口にほど近い場所に置かれているそれは、母子の目を奪うには十二分の美しさだった。
しばらく声もなくその薔薇を見つめた後で、母子はカウンターにいる彼の元へ迷うことなく歩いて来る。
「何かお探しでしょうか?」
それまで深く座り込んでいた籐椅子から身を起こし、立ち上がる。母親の方が厚めの唇を持ち上げて、上品な笑みを浮かべた。ゆったりと緩慢なその動作からは、彼女が上流階級に属する人間だということがありありと見受けられる。
「うちの子が今日、十六歳の誕生日を迎えるんです。それで、何か贈物に良い花はないかと思って立ち寄ったのですが……」
それまで店の入り口の方を振り返っていた少女だったが、自分が話題に登っているのだということに気付き、慌てて彼の方を向く。金髪碧眼の少女は、白い頬をほんのりと上気させて蕩けるような笑みを浮かべた。とても華やかな雰囲気の少女で、年の割に艶めいて見える。
「そうですね……お好きな花はありますか?」
カウンターから出て店の中をぐるぐると見て歩きながら、彼はその母子に訊ねた。しばらく二人で見つめ合ってから、母親の方がひどくゆったりとした口調で答える。
「あの、その薔薇は……?」
母親のその言葉を受けて、彼はその指の先にある深紅の薔薇に目を止めた。それから、少女の年の数、十六本の薔薇を持ってカウンターへと戻って来る。
「こちらで、よろしいですか?」
母子は、目の前に差し出されたその薔薇の美しさに改めて息を飲んだ。近くで見ると、どこか禍々しさを感じさせる程の深紅の色。どこかに見た記憶がありながら、どこで見たのか思い当たらない、不思議な色……。しかも、その禍々しいまでの美しさ故に目を離せない、というのも真実であり……母子はしばらく、深紅が織りなす誘惑の渦に呑まれそうになっていた。それから、母親の方がいち早く正気に返る。
「ええ、店主。そちらの薔薇をいただけるかしら?」
「かしこまりました、少々お待ち下さい……」
彼はそう言ってから、その薔薇に金色のリボンを掛けてくれた。リボンの先には、青い硝子玉が一つずつ結ばれている……。それを受け取った少女の唇が、ふわりと綻んだ。真っ白な指先が、彼の温かい手に触れる……。
「代金はこちらに請求してちょうだい。……それにしても、不思議な色ね。どんな育て方をしたらこんなに深い赤になるのかしら?」
「うちの薔薇は、特別な肥料をやっているので……」
詳しく教えるつもりはないらしい、ということが、彼の空々しい笑みから伝わって来た。その深い色合いの秘密にはひどく魅かれたが、同時に、何か踏み込んではならない領域のような気もした。
ふと彼が、自分が抱えている深紅の花束に見とれる少女に視線を当てた。それに気が付いて、深紅に陶酔していた彼女もふと顔を上げる。その視線の先には、何か惹きつけられるものを感じる彼の微笑……。
「……しかし、本当に美しい娘さんですね。将来が楽しみでしょう?」
母親はぱっと顔を輝かせて、意気揚々と口を開く。少女の美しさは、どうやらこの母親の自慢の種らしい。
「ええ、まあ。……でも少し心配なんですの。最近、色々と物騒な事件が多いでしょう? ほら、貴族の娘ばかりが次々に行方不明になっているという事件も……」
彼はその言葉にうんうん、と頷いてやり、穏やかな笑みを浮かべて母親と娘を交互に見つめる。
「お嬢さんのような方に愛でていただければ、きっとその薔薇も喜ぶでしょう」
「ホホホ、お上手ね……」
自分の娘を褒めそやされて、母親は有頂天のようだった。娘の方は若い男性に褒められたと言うことが少々気恥ずかしいらしく、ほんのりと頬を染めてはにかんだように笑って見せる。それから母親が娘の肩を抱いて、店の入り口へと向かう。ドアノブに手を掛けてから、彼女は何かを思い出したかのように振り返った。
「そう言えば店主、この薔薇の名前をまだ聞いていなかったわ」
彼の青い瞳が、僅かに見開かれた。それから少しだけ思案するような顔を見せて、ニッコリと笑う。元々整った美しい顔立ちをしているせいだろうか、彼のその笑みは、少女の手の中にある深紅の花束のように危険で、禍々しくて、魅惑的だ……。
「紅薔薇の樹の下、と申します……」
「紅薔薇の樹の下……秘密、ね……。素敵な名前だわ、店主」
「ありがとうございます」
恭しく礼をした彼に背中を向けて、二人は店を出て行った。後には、しばらくの沈黙と静寂。
「赤が……よく似合いますね……」
口角が、不穏な三日月の形に吊り上がる。
「兄さん、どこか行くの?」
その夜、出掛ける時間とは言い難い時間に外套を着込み、鼻歌交じりに靴紐を結び直す兄を感じて、彼女はその背中に問いかけた。くるりと彼が振り返るのを、夜の寒さのせいかやや敏感になった肌が空気の流れだけで感じ取った。
「ああ。……白い薔薇を、紅く染めに。戸締りはちゃんとするんだぞ、ロゼ。先に休んでいてくれ」
温かい指が髪に絡められて、額に優しく兄の唇が押し当てられるのがわかる。それを甘えてもいい合図だと確信した彼女は、唇を尖らせた。
「だって、最近いつもこんな時間に出掛けるから、寂しいんだもの。それに、真っ暗なのに薔薇が見えるの?」
優しく頭を撫でる兄の手が、一瞬ピクリと止まった。それから再び、何事もなかったかのように彼女の髪を絡め取る。
「真っ暗な方がいいんだよ、ロゼ。ほら、色を塗り替えられるのがわかったら、薔薇だって恐ろしい思いをするだろ?」
彼はそのまま、くるりと彼女に背を向けて家を出て行った。
「……変な兄さん」
闇に満ちた世界では、「変」と「狂気」の区別は付けられない……。
夜明け前、彼は昨晩以上に上機嫌で薔薇園にいた。口からこぼれるのは、昔彼女とよく歌った、懐かしい旋律。二人で庭を駆け回り、白薔薇を赤いペンキで塗った、あの頃の歌……。そしてこれは、誓いの歌。彼女が最も愛した花を、誰よりもどこよりも美しく咲かせて見せるという……。
その約束のためならば、彼は罪など恐れなかった。天上にあるという楽園など、簡単に手放すことができた。穢れない瞳、穢れない魂が、この世でもその後でも楽園で幸福に過ごすことができれば、それで……。そしてこの世での楽園が、この箱庭なのだ。彼女のための楽園には、彼女のための花が咲いている。
彼は今日も、彼女のために穴を掘る。彼女が最も愛している花、神秘の深紅をした薔薇の根元を、慎重に掘り起こす。根を傷つけないように、ゆっくりと、深く、深く……。そう、特別な肥料をやるために……。
彼の足元には、特別な肥料。昨晩深紅に染め上げたばかりの、美しい白薔薇……。十六年もの長い月日、大切に大切に育てられたであろうその薔薇は、金のリボンと、二つのサファイアに彩られている……。
コツンと妙な手ごたえが、穴を掘る彼の手にスコップの木の柄ごしに伝わって来た。はて、何だろうか? そう不思議に思った彼は、しゃがみ込んで自らの手で異物を掘り始めた。こんなに浅い所には、肥料を埋めたりしない……。肥料の美しい深紅を根の深くから吸い上げてこそ、この二つとない禍々しい色合いになるのだから……。丹念に土を掘り、払い、探す……。そして。
彼が掘り当てたのは、真っ白な花だった。白く柔らかなその花は、五枚の花弁を持っている。元は薄い桃色をしていたであろう花弁の先は、今は黒ずんだ紫色に変色してしまっていた。違う、これは、自分が埋めたものではない。しかし、となると……。
「どうしたの、兄さん?」
背後からの甘い呼び声に、彼は慌てて振り返った。気付けば、彼女がすぐ後ろに立っている……。この世の穢れを映さない若葉の瞳で、無垢な笑顔を浮かべて……。それに引きずられるように、彼も咄嗟に微笑を顔に貼りつける。妹の目が見えている訳ではないけれど、それは彼の義務だった。彼女の前ではいつでも、穏やかで優しい、恋人の顔……。
「いや、今薔薇に新しい肥料をやろうと思っていたところだったんだが……」
そこで言い淀んでから彼は視線を落とし、先程掘り当ててしまったものを見つめた。白い花はほっそりとした茎まで白く、土の影から黒いリボンも覗いている……。
背筋を、冷たい何かが伝った。鼓動が、彼の耳元でうるさく響いている。嫌な予感がする。それでも彼は、確かめなければならない。若葉色の瞳は、無垢なままだと……。
「最近、ここに誰か来なかったか?」
震える体を無理に抑え込んで、彼は声の震えも消そうとした。目の前の彼女には、自分の不安など気付かせたくはない。……信じているから。
うーん、としばらく唸って首を傾げてから、彼女は何かを思い出したかのように顔を上げた。それから、箱庭の花もかくやという程の笑みを浮かべる。
「そう言えば、女の子が一人。迷い込んじゃったって言ってたけど……」
「その子は今、どこにいる……?」
早鐘を打つ心臓を抑え込み、勤めて冷静さを装いながら彼女に問う。自分の腕を、指先が白く震える程強く掴んだ。頭の隅でうるさく鳴り続ける警鐘など聞こえていないと、言い聞かせる……。
……聞きたくない。それが、彼の本心だった。
突如楽園を吹き抜けた風に、深紅の花弁たちがぶわりと舞い上がった。視界が一瞬、全て禍々しい紅に染まる……。それは彼にとって、昨晩の凶行を彷彿とさせるような光景だった。
宙に浮かんだ深紅たちは、やがてこの世の理に引きずられて地に落ち、箱庭を染め上げて行く……。色が戻った世界で彼が最初に目にしたのは、この世の理すらも映すことはない純真な若葉色の瞳が、微睡むように細められるところだった。
そして花弁のような唇が、不穏な三日月を形作る。皮肉にもそれは凶行に及ぶ前の自分にそっくりで、彼は答えを確信してしまった……。
「どこって、決まってるじゃない」
ああ、そんなはずはない……。唇が白くなる程強く噛み締めて、首を振る……。
「秘密、なんでしょ?」
どうか、夢であって欲しい……。頬を伝う冷たい滴の感覚が、彼に現実を突き付ける……。
「兄さんが教えてくれたんじゃない!」
この世に二人だけの楽園を作るための罪は、自分だけのものだと決めていたのに……。
「紅薔薇の樹の下!」
エプロンのポケットから黒く乾いた物がこびり付いた剪定鋏を取り出して、誇らしげに笑う妹……。
……崩れて行く。彼が作り上げて来た楽園の幻想が、歪に形を変えた。箱庭に満ちるのは、幻想ではなく、絶望……。
彼女だけは、天上の楽園に行けると信じていたのに……。
彼の内側で、何かが脆く砕け散る音がした。額に手を当てる。衝動のままに、喉を鳴した。それは、心からの叫びの代用品……。
「フフフフフ、ハハハハハハハハハッ!」
「……どうしたの、兄さん?」
初めに彼に問いかけて来たのと同じ口調でそう言って、彼女は突如不気味な笑い声を上げ始めた兄に首を傾げた。その問いかけを受けても、彼はまだ、狂ったように笑い続けている……。
「クククッ、アハハハハッ!」
……これが笑わずにいられようか? ずっと純真無垢だと思っていた、彼がこの世で唯一美しいと感じていた白薔薇は、とうに自らが犯した罪で深紅の色に染まっていたのだ……。この世の理すらも映さない瞳で、それが罪だと知ることもなく、紅く、紅く……。その瞳が清く澄んでいる分、狂気の沼は深い……。
「兄さん、どうしたのよ? 今日の兄さん、変だわ。……もしかして、怒ってるの? 兄さんに内緒で、勝手に薔薇の下を掘り返したから……。そのことなら、その子が悪いのよ」
闇に満ちた世界では、「変」と「狂気」の区別は付けられない……。狂ったように笑い続ける兄に自分の言葉が届いているかはわからないが、彼女は白い頬を膨らませて続けた。
「ここは私と兄さん、二人だけの秘密の楽園なのに、勝手に足を踏み入れたんだもの……。だから秘密を守るために、また秘密を作ったの」
紅薔薇の深紅は侵入者の贖罪の色か? それとも白薔薇の罪の色か……? 彼が、ようやく異常な笑い声を収めた。彼女もそれにほっとしたようで、一歩、一歩と、慎重に彼に歩み寄って来る……。
「ねえ兄さん、大好きよ。私、兄さんが大好きよ……」
闇に閉ざされた世界での唯一の光、彼の温もりを求めて、両手をそっと前に出す。白い手が、紅く染まる前のように温かい胸に触れた。そのまま箱庭に満ちる罪の色をした唇を綻ばせて、兄の胸に頬を寄せる。この世の罪も穢れも知らない、無垢な白薔薇だと思っていたのに……。
天上の楽園に招き入れられることがないのなら、せめて二人ともに、深紅の罪で染め上げた地上の楽園で、永遠を……。
彼の口角が、不穏な三日月に持ち上がった。
「クッ、フハハハハハハッ!」
彼はついに、この世で最も美しいと思っていた白薔薇までをも深紅に染め上げた。深紅の薔薇には、深紅のリボン。そして、罪を知らないエメラルドが良く似合う……。やはり薔薇は、紅い方が美しい……。薔薇の深紅は、罪の色。そしてやはり、贖罪の色……。
彼が染め上げる紅薔薇は、すぐに黒ずんで萎れてしまう。深紅の最も美しい色を保てるのは、ほんの僅かな間だけ。紅い染料は、空気に触れれば触れる程、あっという間に黒く変色してしまう。それが、この世の理だ……。唯一その色を、最も美しい罪の色を保つ方法は、この世の理から解き放たれて永遠を得ること……。
彼は自分が築き上げた楽園に、全てを無に帰す残酷な悪魔を放った。彼女との永遠を、得るために……。彼が持つ松明の先から解き放たれた悪魔は、縦横無尽に箱庭を駆け、全てを飲み込み、やがては天を目指し始める。
最愛の深紅の薔薇をしっかりと抱き締めて、彼は無慈悲な悪魔がその身を喰らい尽くすのを静かに待っていた。青い瞳を爛爛と輝かせて、どこか恍惚とした表情を浮かべて……。もしかすると、本来意志などないはずのこの悪魔が天を目指すよう仕向けたのは、彼なのかもしれない。そこには、彼が最愛の花を送り届けたいと願っていた、誰もが夢見る彼岸の楽園があるのだから……。
罪を飲み込み、贖罪を嘲笑いながら、深紅の悪魔は天を目指す。熱い渦を描いてどこまでも高く、高く、天へと昇る。明け方の真っ白な空をも、深紅に染め上げて……。響く哄笑は悪魔のものか? それとも、彼のものか……?
贖罪も虚しく、楽園の門は、固く閉ざされていた。地へと引きずり込まれていく彼は、幸福そうに微笑んでいる。彼女とともになら、たとえ奈落の底であっても、再び楽園を築き上げることができるから……。
――箱庭の廃墟に、楽園の芽が、一つ。
このお話をお読み下さった皆様、本当にありがとうございます。皆様に少しでも「狂気」の世界を味わっていただければ幸いです。
前書きに書かせていただいたように、同じ企画に参加されている先生方の作品をご紹介いたします。(作者様 五十音順)
1.後藤詩門先生作 「地獄島」
灼熱の地獄島。ジャーナリストのとその恋人の道子が訪れたことによって、この島に眠る「彼」が、目覚める……。
狂う程の長い年月をかけて用意された「狂気」を、貴方に……。
2.との。先生作 「慰めの花~タルジュ~」
土星にしか咲かない花、タルジュ。「希望、慰め、逆境のなかの希望」……。白く可憐な一片に込められた、その真意とは――?
今宵、琥珀に彩られた狂気の扉が開かれる……。
どちらも、私が同じ企画に参加させていただいて本当に良かったのかと思ってしまうような素晴らしい作品です。是非ご覧ください。