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正当な報酬  作者: いろは
3/3

岸辺にて

 岸辺の岩に片手をかけ、アルフレッドは体を引き上げた。もう片方の腕に抱えていた荷物──元宰相代理閣下を草むらに放り出したところで、さすがに力が尽きた。


 地べたに寝転がり、荒い呼吸を繰り返すアルフレッドの横で、ギーゼン公が身をよじるように水を吐いている。


 お互い溺死はまぬがれたようで何より、と軽口をたたく余裕もいまのアルフレッドにはなかった。いくら細身とはいえ、大の男一人を抱えて急流を泳ぎ切ったのだ。しばらくは指一本動かせそうにない。


「……殺す気か、貴様」


 ひとしきり咳き込んだ後で、ギーゼン公は口をぬぐいながらアルフレッドをにらみつけた。


「……人聞きの悪い」


 こちらもようやく息を整えたアルフレッドは、のろのろと身を起こす。


 頭上に広がる透き通った空。遠くから聞こえる鳥のさえずり。木々の向こうに見え隠れする王城の尖塔には、長い吹き流しがたなびいている。夜明けの空を背景に、金の帯が軽やかに躍る。


「命の恩人に何てこと言うんです」

「なにが恩人だ。下手人の分際で」


 いまいましそうにギーゼン公は吐き捨てる。


「火薬を無駄遣いするなと何度言ったらわかる。貴様の隊はいつもそうだ。だいたいあの橋を爆破したときだって……」

「はいはい、今度橋つくって贈りますから、それで勘弁してください」


 濡れた服をしぼりながら、元宰相代理閣下の恨み言をさえぎる。いまが夏でよかった。溺死も嫌だが凍死もごめんだ。ギーゼン公ではないが、今度部下に会ったらさすがにひとこと言っておこう。いくらなんでもやりすぎだ、と。


 地下牢に爆薬をしかけたのはアルフレッドの部下たちだ。国王との謁見前に、アルフレッドがあらかじめそう指示しておいた。自分が捕まったら適当にどこか爆破しろ、その混乱に乗じて抜け出すからと。


 いま、アルフレッドは反省している。「適当」なんて、それこそ適当な指示を出すんじゃなかった。自分の団が「あそこの適当は過剰で異常」と噂されていることは知っていたのに。


 忠実な部下の破壊工作により、岩壁がぶち抜かれたときは一瞬死を覚悟した。下方に流れていた河川にとっさに飛びこまなければ、今頃ふたり仲良く生き埋めになっていたことだろう。


 あやうく土葬されかけた元宰相代理閣下は、なおもぶつぶつ言っていたが、やがてあきらめたように頭をふった。


「わかった、もういい。では達者でな」

「は? どこ行くんだよ」


 思わず素の口調になったアルフレッドに「違う」とギーゼン公は首をふる。


「行くのは貴様だ。早く逃げろ。ぐずぐずしていると追っ手がくるぞ」

「あんたは」

「私のことはどうでもいい」

「どうでもいいやつ抱えて水に飛びこむほど酔狂じゃないんですけどね、俺も」

「頼んでない」

「うわ可愛くねえ……」


 ぼやいた後で「来ませんよ」とアルフレッドは告げた。


「何が」

「追っ手が。だから閣下も、自分が囮にとか馬鹿なこと考えなくていいんで」

「馬鹿とはなんだ! 王立学院次席の私に向かって」

「次席? てっきり首席かと」

「首席は大貴族の席と決まっているからな。実力なら私が上だった」

「左様で」

 

 発言は傲慢そのものだが、まったく自慢げでないところがこの男らしい。ただ事実を述べているだけ。そんな様子だ。まあ実際、そのとおりなのだろうが。


「それで追っ手がこないとはどういうことだ。いくら貴様の部下が優秀でも、王都の兵すべてを相手にできるわけなかろう」

「そいつらほぼ全員、俺たちの側についたんで」


 沈黙が、二人の間に流れた。


 小鳥のさえずり。川のせせらぎ。木々のざわめき。


 そんな心地よい朝の調べに、ギーゼン公の地を這うような声が重なった。


「……叛逆か」

「ただの政変ですよ。皆いい加減あのボンクラにうんざりしてましてね。ほら、先代国王の甥御さん、ご存じですよね? あのひとに代わってもらうことにしました」


 前々から練っていた計画を、実行に移すと決めたのは三日前。王都に召喚され、死相の浮き出た宰相代理に対面した瞬間、アルフレッドは肚を決めたのだ。


 やるぞ、と短く部下に告げると、団員たちは「やっとですか!」と嬉々として方々に散っていった。副団長は真っ先に火薬庫へ駆けていった。あまりに速くて止める暇もなかった。


「ほら、あれ」


 アルフレッドは王城の方角を指差した。


「てっぺんの金のやつ。うまくいった合図です。ああ、安心してください。流血沙汰は避けるよう言っておいたんで。王様ご一家と貴族のお仲間方は丁重に監禁中です」

「誰も……どこも抵抗しなかったのか!?」

「軍はあらかた押さえたって言ったでしょう」

「中央騎士団も!?」

「はい」

「王都警備隊は」

「当然。あそこの隊長、うちの副団長の火薬仲間ですし」

「なんだその物騒な仲は……いや、近衛は!? さすがに近衛兵団は抱き込めまい!」

「ええ。なので買いました。金で片がつくのは楽でいいですね」


 ギーゼン公は声にならないうめきにもだえ、濡れた髪をかきむしった。


「……なぜ、そんな……馬鹿な真似を……」

「あんたのため」


 水色の瞳が丸くなる。


「……ってのは言い過ぎか。まあ皆いろいろ考えていたんですよ。これを機にもうちっとましな国にできないかってね」


 その願いを、希望を、欲を、打算を、集めてまとめて誘導した。口で言うほど簡単なことではない。けれど最終的にはうまくいった。それを可能にした要因のひとつは間違いなく、王立学院次席の宰相代理閣下だった。


「新国王はあんたを宰相に任命するそうですよ。もちろん代理なんかじゃなくて、正式に。よかったですね、閣下」

「な……」


 口をあんぐりと開けていたギーゼン公が、わなわなと震え出す。


「嬉しくない!」

「ぶれねえなあ、あんた」


 いっそ愉快になってアルフレッドは笑った。素直に喜べばいいものを。いつかの自分のように。


 あれは四年前の冬だった。アルフレッドらが駐留する砦を、宰相代理に着任したばかりのギーゼン公が訪ねてきたのだ。


 視察だかなんだか知らないが、最前線まで出張ってくるとは、よほど肝が据わっているのか、はたまた物見遊山のつもりなのか、いずれにしても面倒くせえと思いつつ出迎えたアルフレッドに、ギーゼン公は開口一番こう尋ねた。おまえが責任者かと。


 違うとアルフレッドは否定した。団長は半年前に戦死し、副団長は行方知れず。やむなく団員の中でも先任だったアルフレッドが代行を務めているだけだった。それを聞いたギーゼン公は、水色の瞳に苛烈な光をひらめかせた。


「なぜ団長にならない」

「俺は平民出ですので」


 団長職に就けるのは貴族のみ。その不文律が、アルフレッドの団長就任を阻んでいた。


 仕方ない。そうアルフレッドは思っていた。新たな団長がやってくるまで──戦時下の最前線に来たがる貴族がいるとは思えないが──自分がつなぎになるしかないのだろうと。目の前の宰相代理も、きっとそうかとうなずくだろう。そうか、ならば仕方ないと。そう思っていたのに、


「くだらない」


 返ってきた言葉は真逆だった。


「いまは貴様がここの要なのだろう。見ればわかる」


 ギーゼン公はその場で団長任命書をしたため、アルフレッドに突きつけた。


「実力にふさわしい地位に就け。地位にふさわしい責任を果たせ。功績にはいずれ正しく報いよう」


 それだけ言うと、ギーゼン公は先に立って歩き出した。呆然としていたアルフレッドは、宰相代理閣下の怒声で我にかえった。早く来い、団長! という苛立った声に、なぜか笑みがもれたことを覚えている。


「ねえ閣下」


 そのときと同じ笑みを浮かべて、アルフレッドは立ち上がった。


「ご褒美、くれるんですよね」


 見下ろした先で、ギーゼン公がこれでもかとばかりに顔をしかめている。このしかめっ面に出会ってから四年。その四年で、この国はだいぶ変わった。アルフレッドの息がしやすい方向に。だから、この先も見てみたいと思う。この男が変えていく世界を。


「だから領地を……」

「その話はまた後で。それより、お姫様のことなんですが」

「いらないんじゃなかったのか」

「ええ、だから代わりのください」

「代わり?」


 怪訝そうな顔をするギーゼン公の、腕をつかんで引っ張りあげる。


「なんだそれは」


 さて、とアルフレッドは笑った。昇りたての朝日に透ける、澄んだ水色に向かって。


「なんだと思います?」




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