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正当な報酬  作者: いろは
2/3

牢獄にて

 ぴちゃん、と水が石を打つ音がする。少し間を置いて、もう一度。さらにまた。


「……雨かねえ」


 鉄格子にもたれながら、アルフレッドは誰に言うともなしにつぶやいた。


 ぴちゃん、と水がはねる。


 雫三つまで数えたところで、アルフレッドはふたたび口を開いた。


「それとも嵐かな。ねえ、どっちだと思います?」

「うるさい。どっちでもない」


 暗がりから不貞腐れた声が聞こえた。牢獄の隅のほうで、膝をかかえた元宰相代理閣下がじとりとした目をアルフレッドに向ける。


「地下水がしみ出ているだけだ。ここはもともと天然の地下洞窟だったからな。少し下れば地下河川も流れている」

「詳しいですね。さすが閣下」

「ほめるな」


 嬉しくない、とギーゼン公は膝に顔を埋めた。月の光を思わせる髪が肩に落ち、頼りない灯火のもと仄かに輝いている。


「……申し訳ありません」


 金糸が散る肩がぴくりと動く。だが、言葉は返ってこなかった。


 広間でそろって捕縛されたアルフレッドとギーゼン公は、まとめて地下牢に放り込まれた。


 罪状は、まあいろいろあるが、一番は王女への不敬罪だろう。ことに王女を「金食い虫」と言い放ったギーゼン公の罪は重い。戦時下の王国を支えた功績を差し引いても、良くて追放、悪くて死罪といったところか。


「……わざとか」


 水滴を、いくつ数えた頃だろう。ぽろりと転がったつぶやきの落とし主へ、アルフレッドは顔を向けた。


「なにがです」

「わざと私を怒らせて、陛下の不興を買うように仕向けたのかと訊いている」


 そうですねえ、とアルフレッドは口の端を歪めた。


 わざとかと訊かれれば、わざとだ。煽るような物言いはもはや癖だが、それでもあの場では違う対応もできた。騎士団長という立場にふさわしい、角を立てないふるまいとやらが。そうしなかったのは、たぶん、


「もういいかと思いまして」


 暗がりで、ギーゼン公がぱちぱちと瞬きをする。アルフレッドより年上のくせに、そんな子どもっぽい仕草がやけに似合う。


「答えになっていない」

「いや、わざとはわざとなんですけどね。怒らせたかったというより、口を割らせたかったというか……」


 はあ? とギーゼン公の眉間にしわが寄る。たまらずアルフレッドは吹き出した。つくづく感情が面に出やすい男だ。これで宰相代理だというのだから、まったく笑わせる。逆立ちしても腹芸などできない性質のくせに。


「ま、誰かさんのおかげで戦争も終わったことですし、ここらで閣下も本音をぶちまけてもいいんじゃないかって思っただけですよ」


「訳がわからない。私が正直になって、なぜおまえが得をする。私の失脚が狙いか? だが何のために。私がいなくなったところで、戦うことしか能のないおまえが宰相の地位につけるはずもなかろうに。だいたい一緒に牢につながれている時点でおまえの間抜けさ加減が……」


「はいはい、閣下のおっしゃるとおり、俺は馬鹿で間抜けな野蛮人ですよ。とても閣下の地位なんざ狙える器じゃありませんね」


「だったらなぜ……」


「あんたが辛そうだったから」


 水色の瞳が丸くなる。ついでにぽかんと開いた口からは、珍しく罵声のひとつも飛んでこない。静かで大変けっこうなことだ。


「最後に鏡見たの、いつです? ひどい顔だ。がりがりなくせに目だけぎらぎらして。率直に言って、見るに堪えませんね」


 そう、見ていられないのだ。この男が、擦り切れていくさまなど。


「怪我人とガキを何とかして借金返して、あと何でしたっけ、街の復興?」

「……橋」

「根にもつな、あんた……まあとにかく、どうせ全部押しつけられているんでしょう。あのボンクラ国王と着飾ることしか興味のない馬鹿娘と、領民見捨てて王都に逃げ込んできた豚野郎の貴族どもに」


 戦争が終わって、前線から王都に呼びつけられて、この男に会って、愕然とした。


 もともと肉付きの薄かった身体はさらに細くなり、そげた頬に目の下には隈が色濃く浮いている。それでも冴えた美貌はアルフレッドの記憶のまま、むしろ凄絶さが増しているようで、氷のような瞳を前にして思わず背筋が震えた。


「底辺貴族を、代理とはいえ宰相の地位につけてやった恩を返せとか言われてます? ああ、あの手の連中は口に出しては言わないんですよね。お上品に態度で示すんでしたっけ。そうやって面倒なことは全部閣下に押しつけて、あいつらは負けた相手からいくらふんだくるかとか、どの城を取り上げてやろうかとか、そんな楽しい妄想にふけっていらっしゃるわけですか。自分が血を流したわけでもないのに……」


 アルフレッド、と。吐息のように名を呼ばれた。


「言葉が過ぎる」

「失礼しました、閣下。なにぶん卑しい平民の出なもので」

「そうやって軽々しく自分を貶めるな。冗談でも不愉快だ」


 しかめっ面で釘を刺し、「それから」とギーゼン公は言葉をつづける。


「おまえの物差しで私を測るな。私が強制されて、自らの意思に反して、無理矢理従わされていると? 見損なうな」


 ギーゼン公は背筋を伸ばし、挑むようにアルフレッドを見すえた。


「私は、私の職位にふさわしい責務を果たしているだけだ」


 アルフレッドはしばらくギーゼン公の顔を見つめていたが、ややあって大きなため息をついた。


「またそうやって小難しいことを……」

「やるべきだと思っているから、やる。わかったか」

「いや、言葉が難しかったってわけじゃないんですけどね」


 わざわざ易しい言葉で説明し直してくれるあたり、根は親切な男である。態度はどこまでも偉そうだが。


 まあいいかとアルフレッドは首をふり、おもむろに立ち上がった。静かに、そしてすばやくギーゼン公に歩み寄り、腰を落とす。


「……な」

「あんたが」


 勢いに押されたようにのけぞったギーゼン公だったが、すぐに岩壁に阻まれて動きを止める。その顔の両側に、アルフレッドは両手をつき、囲い込むように身をかがめる。


「あんたが言うことは、いつも正しい」


 至近距離で、水色と漆黒がぶつかる。


「考えも正しい。何から何まで。正しくて真っ直ぐで、まっとうだ。けどな」


 短い距離が、さらに狭まる。


「ちょっと待て、何か……」


 何事かを言いかけたギーゼン公の両耳を、アルフレッドは己の手でふさいだ。


「あんたが壊れちゃ意味ないんだよ!」


 刹那、爆音が轟いた。


 激しい衝撃が地を揺らし、岩を砕く。


 アルフレッドはギーゼン公に覆いかぶさり、固く抱きしめた。何かから守るように。どこにも逃がさないように。



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