第二話 シャッター音とエンジン音
翌朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
いつもなら、体が鉛のように重いのに、その日は不思議とそうでもなかった。
カーテンを少しだけ開けると、朝の光が部屋に差し込む。
昨夜見た夜景とはまるで違う、現実的で、生活の匂いがする景色。それなのに、胸の奥に残っている感覚は、まだ消えていなかった。
――タクシーの中で聞いた声。
――「いいね」という、軽いのに温度のある言葉。
洗面台の横に置いてあったカメラに目が留まる。
最近、持ち出す回数が減っていた。仕事に追われて、シャッターを切る余裕がなくなっていたからだ。
「……久しぶりに、行こうかな」
独り言のようにつぶやいて、カメラを鞄に入れる。
彼が言っていた川沿いの遊歩道。
夜は夜景が綺麗な場所。でも昼はどうだろう。そんなことを考えながら、電車を乗り継いだ。
昼の川は穏やかで、光が水面に反射している。
ベンチに座り、ファインダーを覗いた瞬間、胸が少しだけ高鳴った。
――カシャリ。
久しぶりのシャッター音。
音を聞いただけで、呼吸が深くなる。
「いいね、その構図」
突然、後ろから声がした。
驚いて振り返ると、そこにいたのは、見覚えのある眼鏡の男性だった。
私服姿で、仕事中とは違うラフな雰囲気。それでも、間違えようがなかった。
「……昨日の」
「どうも。偶然だね」
彼は少し照れたように笑った。
「写真、趣味なんだ」
「はい。最近は……あんまり撮れてませんでしたけど」
「それでも、ファインダー覗く顔、好きな人の顔してる」
さらっと言われて、言葉に詰まる。
褒められ慣れていないわけじゃない。でも、これは仕事の評価とはまったく違った。
「俺は、走るのが好き」
彼は川を見ながら言った。
「道とか、景色とか。
同じ場所でも、時間で全然違う顔になるのがいい」
その感覚は、写真とよく似ている気がした。
違う方法で、同じものを見ている。
「また夜に来ると、全然違うよ」
「……それ、誘ってます?」
冗談のつもりで言ったのに、彼は即答した。
「いいね。じゃあ、今度」
胸の奥で、何かが小さく音を立てた。




