『お飾り王妃』のお役目は、もうこれで終わりにします。
◇◇◇
はっと気がついて。
ここは……、わたくしの寝室、ではないわよね……。
目をうっすら開けて、周囲を見ようと体を起こしてみる。
「気がついたのか、セレーニア。よかった」
そうおっしゃるのはルーン様。
って、ここは……。
「本当なら君の寝室まで運びたかったんだけどね、流石にそれは自重した。執務室のソファーで悪いね」
優しくそうおっしゃって。
彼はカップを一つ、こちらに差し出す。
「温かいミルクだよ。もう、少し冷めてしまったかもしれないが、心を落ち着けるにはいいと思う」
「ありがとう……、ございます……」
両手でそれを受け取って、ちょこっと口をつける。
温かい……。
冷めたかもっておっしゃってたけれど、猫舌のわたくしにはちょうどいい温度。
こくんと飲むと、心の中に染み渡るやわらかな甘さ。
「おいしい……。ありがとうございます……」
ルーン様の優しさが、心に響く。
顔が自然とほころんで。
「マリエルは、どうなりました?」
彼女は真っ赤な血で濡れたナイフを握ったままだった。
「驚いたよ。君を探していたら真っ暗闇の中庭の真ん中に突然現れるものだから。倒れた君を抱き上げようとしたとき、君のドレスが真っ赤な血に染まってて……、焦ったよ」
ああ。
わたくしが意識を失うあの寸前、ズレた空間がもとに戻った、の?
「私は医師の勉強もしてきたからね。医療系の魔法も得意だから、すぐに治療を、と思ったんだけど……」
「すでに傷は塞がってたはず、でしたから……」
「そうだったね。君は治癒魔法が使えたんだね」
ほんとうはマキナのおかげ、だけど。
わたくしは曖昧に頷いて。
そう、それよりも、マリエルは……。
騒ぎに、なってしまったのでしょうか……。
「マリエル嬢は、エイドリアンが連れていったよ。彼女もずいぶん憔悴した様子だった……」
「そう、ですか……」
なら……、大丈夫、でしょうか?
目撃した者がだれもいなければ、状況から判断できるだけですし、ね……。
わたくしが黙っていれば、結局誰にも被害があったわけではありません、し……。
「あんな目に遭っても、君はまだマリエル嬢を許せるの?」
え? ルーン、様?
「わかるさ。状況から考えて間違いない。君を、それも背中からナイフで刺したのはマリエル嬢だよね」
答えることができなくて、黙り込んでしまったわたくしに、ルーン様はなおも続けます。
「多分、エイドリアンにもわかっただろう。だから、あいつはマリエル嬢を人目につかないように隠して連れていった」
ああ、なら……。
「ああ。その辺は心配ない。夜会に出ていた客で、君とマリエル嬢のことに気がついた者はいないよ。全て、マクシミリアンがごまかし、隠蔽した。しかし、だからといって……」
「ああ、ルーン、さま……」
ルーン殿下のお顔が怖い。
彼は、本気で怒ってくれている。
わたくしのために? ううん、きっと貴族社会の秩序のため、に?
「私はこのまま黙って彼女を見逃すつもりはない」
ああ、だめ……。
そんなことしたら、今度はルーン様が危険な目に遭うかもしれないもの……。
わたくしが。わたくしが黙って我慢していれば、いいんだろうか?
そうすれば……。
「だめだよ。セレーニア。自分だけが犠牲になれば全てが丸く収まる、とか、そんなふうに思ったらだめだ」
「でも、だって……。わたくし、ルーン様が危険な目に遭うの、嫌です。そんなの絶対に、いやなんです!」
一瞬の間。そして。
「ふはははは!!」
え?
いきなり笑い出したルーン様。わたくし、そんなにおかしいことを言ったんでしょうか……。
「いや、悪い。この期に及んで、君は自分のことではなしに私の命の心配をするのかと思ったら、ついおかしくて」
「だって、貴族派の意向に逆らったら命の危険が、って、最初に教えてくださったの、ルーン様じゃないですか」
「そうだな。悪い。まあしかし、貴族派も一枚岩なわけでもないからな。ここ数ヶ月、私も色々手を打ってきた。あいつらにも現実が少しはわかってきた頃だろう」
「そんな、わけのわからないセリフでケムに巻こうとしてるとしか、わたくしには思えません!! ちゃんと説明してください!!」
「はは。やっぱり君は面白いな。まあいい。では改めて問おう。君はどうしたい?」
どうしたい……?
これ、この前の質問と一緒。
でも……。なら……。
「わたくし、お飾り王妃のお役目を、もうやめようと思います……」
「うん。そうだな。そのほうがいい」
「わたくしが貴族派に逆らって王妃をやめてしまえば、やはり命の危険に晒されるのでしょうか? でも、もしそうだとしても、もうわたくし、自分の心に嘘をつきたくないんです……」
「よく決心したな。顔つきも変わった。もう大丈夫だな」
え? ルーン、さま?
「君を危険な目になんか遭わさない。誓って、もう二度と君が傷つくことがないように、するよ」
真剣な瞳でこちらを見つめるルーン様。
「それと。そこの白猫は、聖獣かい? 清らかなマナに包まれてるね。君が倒れてからずっと、君を守ろうとしてそばから離れなかったんだよ」
え?
ああ。
マキナ。
ルーン様、マキナが見えるの? マキナはわたくしだけの、幻じゃなかったの!?
マキナ、ほんとに、ほんとに、マキナ、なの……?
――ばかね、セレーニアったらほんとばか。あたしがマボロシ? そんなわけ、ないじゃない。
そうわたくしの心にそっと語りかけ、そうしてわたくしの手をぺろっと舐めるマキナ。
ありがとう……。マキナ……。
「この子は、わたくしの精霊です。大好きな、マキナです。ルーン様……」
ルーン様が優しく微笑んでくれた。
マキナのこと、わかってくれたルーン様。
それが嬉しくって。なんだか涙が滲んできて。
バタン!
勢いよく唐突に、執務室のドアが開けられた。
「おお、兄貴。例の貴族派たちの尻尾を掴んできたぜ」
「ああ、ありがとうブルムンド」
「これで兄貴が王になるんだよな? まあ。エイドリアンはひ弱で可愛いやつだが、貴族派の神輿に担がれるんじゃちょっと黙ってられねえしな」
「そうだな。みすみす操り人形にされるのは、面白くない。でもまあ、こうして時間が稼げたおかげで、私たちの誰もそんな道化にならずに済みそうだ。助かったよブルムンド」
あらら。
三男さんのブルムンド殿下も、前評判とは雲泥の差。
乱暴そうなふうには見えるけど、ルーン殿下に見せる素顔はなんだかすごく好感が持てる。
っていうか。
ああ、そっか。
ルーン様が王位を継ぐのね。
それなら、きっと全てがうまく回るわ……。
そう思ったら、なんだか肩の荷が降りた。
「王位を、継がれるのですね……」
「ああ、セレーニア。やっと準備ができた。あとは……。君が本当の王妃になってくれさえすれば、全て丸く収まりそうだ。けどね。どうだろう、私の妻に、なってはもらえないだろうか」
え?
「だって、わたくし、エイドリアン様と結婚して……」
確かに、王妃はやめようと思ってるって、言ったけど。
それでも、ルーン殿下が王になるのに、出戻りの令嬢はだめでしょう!!?
バツイチの、離婚歴がある女なんて、国王の妃に相応しくないもの。
「君たちの婚姻は成立していないよ。二人とも、特にエイドリアンが未成年では、正式な婚姻の儀式もまだだったろう?」
え? だって……。
「国王の位も、いまだ父上のものだ。戴冠式も来春の予定だったろう?
それ、は……、そうです、けど……。
わたくしが言葉に詰まっていると、コンコンコン、と、執務室の扉がノックされた。
って、誰だろう。このお部屋に用事のある宮廷職員の方や事務官の方なら、ノックと同時に役職氏名を大声で名乗るのがきまりなのに。
「誰だ?」
「ああ、その声はルーン兄様。私です。エイドリアンです」
ルーン様、自ら執務室の扉まで歩き、その扉をそっと開ける。
「エイドリアン、ここはお前の執務室だ。遠慮するなんてお前らしくないな」
「いえ、そこにセレーニアはいますか? 彼女の様子が心配で……」
「ああ。先ほど意識を取り戻したところだ。中に入るといい」
「いえ。私は彼女に会わせる顔がない。マリエルをあんなにも追い詰めたのも、セレーニアにお飾り王妃を強要したことも、全て私が悪い。申し訳なかった、と、兄様から伝えてくれませんか……」
「エイドリアン……」
「望んで王位に就こうとしたのでは、なかった。私も、長老どもに逆らえない操り人形だったのだと、今ならよくわかる……。一つだけ、セレーニアに伝えてください。私はマリエルを支えて生きていくことにする、と。彼女がどんな罪に問われようと、今度こそマリエルを一人にしないと。君には申し訳ないことを、した。と……」
「ああ。わかった」
「じゃぁ。私はこれで帰ります。兄様、セレーニアのこと、彼女が不利にならないよう、守ってあげてください。これだけは、本当に、お願いします……」
ああ。ああ。ああ……。
エイドリアン、さま……。
キイッと扉が閉まり、ルーン様がこちらに振り返る。
優しい面持ちで、わたくしを見てくださっている、ルーン様……。でも……。
「ルーン様。あなたのさっきのプロポーズも、政略的なもの、なのですか?」
きっと、そう。
わたくしを愛してくれているセリフには、思えなかったもの……。
「まあ、政略的、といえば、そうかもしれないな。長老たちが君の血筋に価値を見出している以上、君との婚姻が王となるための最適なルートだというのも、事実だ」
ああ……。やっぱり……。
「私が王位を継ぐに際して、君が私の妻でいてくれるというのは、君自身の安全のためにも必要だと思われる。どこかの勢力に君が攫われ、利用されたり害されるのを防ぐ意味ももちろんある」
そう。どこまで行っても「道具」である自分から「逃げる」ことはできない、のかな……。
「だけどね。私が君を気に入っているのも、事実だよ」
え?
「私はね、愛だの恋だの、そんな感情とは無縁で生きてきた。次期王を支えるのがお前の役目だと言われて育ち、本の虫だった私には、愛だの恋だのは必要のない感情だったんだよ」
ああ。ルーン様。
「そういう意味では、私と君は、少し似てるのかもしれないな。そういうところに惹かれたのかもしれない……」
どん!
ブルムンド様がルーン様の背中を叩く。
「兄貴は話し下手だからいけねえ。すぐに無口になっちまうし。必要な言葉が少なすぎるんだ」
「おい、ブルムンド」
「ちゃんと言ってやれよ。『愛してる』って。お姫様はそういう言葉を待ってるんだぜ!」
え? え? ええ!!
「そうか。すまない。セレーニア。君を愛してる。どうか私の妻に、本当の王妃になってくれないか」
わたくしの手をとって跪き、真剣な瞳をこちらに向けるルーン様。
「ええ。お受けします。ありがとう、ございます……」
いつに間にか瞳に涙が溢れ、頬を伝っていく。
嬉しいという感情が、溢れて溢れて、止まらなくなって。
わたくしの膝に乗って丸くなったマキナも、祝福してくれるように、「にゃぁ」と鳴いた。
ありがとう、マキナ。ありがとう、ルーン様。
人形じゃない人生。
頑張って生きてみよう。
そう思えた夜だった。
FIN
##読んでくださってありがとうございます##
手にとってくださってありがとうございました。
次にどんなお話を書こうかと、ちょっと迷ってた時に生まれたお話です。
少しでもいいなと思ってくださったなら、何かリアクションいただけると天にも昇る気持ちで喜びます。
ありがとうございます。
もしもまた、お目にとまることがございましたら……。
その時はまた、手にとってみていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。




