運命の政略婚。
隣国、エルデンシュタイン公国との諍いで、皇太子であったエイドリアンの長兄、フェルナンドが命を落として。
諍い自体は帝国の調停によって終結したものの、皇太子を失ったアドラ王は気を落とし病の床に就いてしまい。
国内では、次期王をめぐる争いが勃発。
学者肌でフェルナンドの補佐を予定していた次兄ルーンを支持する王宮派。
乱暴で気性が激しい、三男ブルムンドを推す騎士ら武闘派。
そして、一見聡明に見え、気性も三男に比べ穏やかな、王子らしい王子、であった、エイドリアンを良しとする貴族派の面々。
ひ弱なルーンはブルムンドの前で意見一つ言えず、周りを威嚇ばかりしているブルムンドは大半の貴族からよく思われていないこともあって、次期王に相応しいのはエイドリアンである、と、貴族たちの間では固まりつつあったけれど、いかんせん、エイドリアンには血筋的な後ろ盾がなかったのでした。
エイドリアンの実母は、下級貴族出身の側室だったと言われています。
貴族の重鎮たちにしてみれば、いくらエイドリアンが担ぎやすい神輿だったとしても、その血筋が軽すぎては次男派三男派が納得しません。
そこで白羽の矢が立ったのが、わたくし、セレーニア・ロックマイヤー公爵令嬢だったのでした。
王家の血のスペアでもある筆頭公爵家の正当な血筋。直近ではお祖母様のマリアベル様が現王陛下の叔母にあたる、王家の姫であったこともその血の正当性を裏付けていました。
そうですね。わたしを妃とすることで、兄王子派の者たちを黙らせる、そんな道具のように扱われたわけです。
◇◇◇
わたくしが、「セレーニアはわたくしです。殿下……」と申し出て廊下まで出て行くと、わたくしのことを舐め回すようにご覧になった殿下。
「そうか、お前がセレーニアか。いつもマリエルにくっついているから侍女か何かかと思っていたが……。まあお前ならいいのか。お前なら後で正式な妃をマリエルに切り替えたとしても、公爵がどうこう言ってくるわけではないものな……」
そうぼそっと呟いたのがわかりました。
この時は最後の方はよく聞こえませんでしたが、今にして思えば当初からそういう予定だったのでしょう。
うまく行くかは別にして、陛下は最初っからそういうおつもりでわたくしを妃に迎えたのでしょう。
そしてエイドリアンが無事に王位を継承しわたくしを妻に迎えたこの日。
「君を愛することはできない」
と、ご自身の計画の全容を、初めてわたくしに告げたのでした。
初夜のはずだったその夜。
不貞寝をし、多分夢を見ていたわたくし。
その心の奥底にあった卵が、パカりと割れ、その中からふさふさな白銀の毛皮に塗れた子猫? が出てきました。
「んーん。やっと出てこられた。にゃ、あなたがあたしのご主人様ね。あたしマキナ。精霊ギア、マギアキャッツアイのマキナよ。よろしくね」
え? 精霊?
「ほらほら、あなたの五歳の神参りの日、神殿でお祈りくれたでしょ? あの時のあなたのマナがあまりにも気持ち良かったから、ついついあなたの魂の中にもぐり込んだのよ。まだ小さかったあなたの魂にそのまま入ってあなたが壊れちゃってもいけないからって、大精霊マグギリウス様に頼んで卵にまで戻してもらったものだから、復活するのに時間、かかっちゃったけどね」
神参りの日? って言ったら、あなた、神様?
「んー。神様はあたしたちのお父様だから。あたしたちは精霊ギア。真ギア。ほら、ここにもあそこにもいる精霊たちよりはお父様に近しい存在だけれど、神様ではないかな」
人は自身のマナを精霊に与え、精霊の権能を行使する。それが魔法っていうのだってことは、貴族院でも習ったけれど……。
真ギアって言ったら、伝説のアーティファクト?
真ギアを持つ者は勇者とか大聖女とか、大賢者、とか言われる、そんなお伽話みたいなものだと思ってました……。
「だって、わたくし、神参りの時にもなんの加護もいただけませんでしたし……」
それでも、王家に嫁ぐことで少しでもお役に立つのであれば……。
そんなふうにも考えて今回の婚姻にも異を唱えることもできずにいました、けれど……。
「ばかね。あなたの加護は全属性よ? 最高の魔力特性値を持ってるじゃない。加護が降りなかったのは必要がなかったから。それでもって、あたしが降りたのも原因、かな? 目覚めるのが遅くなってごめんなさいね」
え。そんな……。
だったら、今までのわたくしは……。
貴族としては役立たず。魔法もまともに使えないだろうと、貴族院でもろくに実技に参加もさせてもらえませんでした。
ん?
いけないいけない。これは願望が見せているだけの夢、だもの。
本当のわたくしがそんな最高の魔力特性値だなんて、そんなことあるわけない、もの……。
「うーん、ごめんね、あたしがあなたの心の奥にどんと収まってしまっていたのも原因かなぁ……。あなた、感情がしっかり育っていないのね……、かわいそうに……」
真っ白いふわふわが、わたくしのお顔、ほおをぺろっと舐めてくれました。
夢の中です。
だけれど、とても温かく感じたその真っ白なふわふわ。
彼女に舐めてもらって初めてわたくしは自分の頬に大粒の涙が流れているのに気がつきました。
自分が泣いてしまっているということに、まず驚いて。
それでもその涙を優しく舐めてくれているマキナと名乗った白猫の心が、とても温かく感じて。
わたくしは、夢の中でなんだかとっても安心し、意識がそのまま落ちていきました。
多分、もうじき朝なんだろうな。
そんなことを感じた記憶だけ、残っていました。
◇◇◇
「ばかなのか? こんなこともわからないなんて。それでよく王妃などになったものだ。全く、ライオネルたちももう少しマシな教育を施しておいてくれれば良いものを」
執務室で。
わたくしの目の前でそうなじるのは、王兄のルーン様。
エイドリアンが王になるにあたって、しかし王としての政務に関する教育を今まで全く受けてこなかったことを勘案し、貴族派は王兄ルーンを摂政の地位に就け、エイドリアンを補佐するよう要請。
ルーン王子を推していた宮廷派も懐柔し、一見政務は滞りなく済んでいっているようにも思えていました。
それでも。
エイドリアンはどういうわけか、全く政務に興味を持ってくださらなくて。
「まあ、政務はルーン兄様に任せておけば安心だろう。私は忙しい」
そういうと、執務室にわたくしとルーン様を残し、さっさと退出してしまう始末。
「仕方がないな。エイドリアンの政務は君が代理でするように。私は補佐をするが、あくまで王の役割は王または王妃がこなすものだ。いいね」
そういうと、鬼のようなスパルタで、わたくしの指導にあたるルーン様。
ひ弱な、とか、気弱な、とかいう評判はどこへやら。
お口も悪く、こうしてしょっちゅう怒られてばかりのわたくしでした。
その甲斐もあったのか、一月もすればわたくしもある程度政務に自信が持てるようにもなりましたし、ルーン様のお手を煩わせる機会も減ったのでは? と思えるようになったころ。
「ああ、及第点をやろう。君が決済した書類だが、いずれも合格だ。これならばまかせられそうだな」
目の前のルーン様が、ふっと微笑んでくださいました。
その笑顔がとても嬉しくて、なんだか少しだけ距離が縮まったように感じたわたくし。
「しかし、エイドリアンの方はどうしたものだろうか」
と、こめかみに指をあて、考え込む仕草をされるルーン様に。
「ルーン殿下はどうして王位をお継ぎにならなかったのですか?」
思わずそう、声が漏れて。
「はは。そんなもの、貴族派の面々がそう望んでいたからに決まっているだろう?」
苦笑いでそう答える。
でも。
「ですが、王としての政務的にも、相応しいのはルーン様ですし」
気弱だからとかそういう事情だったはず。実際のルーン様とは似ても似つかないそんな評判だったから。
「この国の王権なんて、弱いものさ。周囲の大国と比べ歴史の浅い我がフランド王国を牛耳っているのは、貴族派の代表ライオネル・ロードネス公爵達だろ? 逆らって命を落とすのも馬鹿らしいからな」
「え? なら……」
エイドリアンの行動は、もしかして危ういのかしら……。
彼は、三年でマリエルを正妃に迎える下準備を整えると、そうおっしゃった。
でも。
それでロードネス公爵たちが納得されるのでしょうか?
うちのお父様だけなら、確かに懐柔できるでしょう。
あの人は、マリエルが可愛くて仕方がないのですもの。マリエルの望むことなら、マリエルが幸せになることなら、きっとなんでもされるでしょう。
それでも……。
わたくしがエイドリアンの婚約者にと決まったあの日の、マリエルの目が忘れられません。
初めて、わたくしを本気で憎んでいる、そう感情を露わにしたマリエル。
きっとエイドリアンに、「誤解だ」とか、「三年だけ我慢してくれ」とか、宥められたのでしょう。その後の彼女はそこまでわたくしに対して敵意剥き出しの目はしてこなかったものの、それ以来、一切わたくしに話しかけることはなくなりました。
ああ、完全に嫌われたのね……。と、少し寂しさも感じて。
でも、そこまででした。
わたくしの心は、それ以上には動きませんでした。
夢の中で子猫に言われたあの言葉。
「あなた、感情がしっかり育っていないのね……、かわいそうに……」
そんな言葉だけが、わたくしの心に響き渡って。
そうか。わたくしには、ちゃんとした普通の人のような感情がないのか……。
と、妙に納得したのでした。
「うむ。君は、どうしたい?」
ルーン様の声が耳元で聞こえ。わたくしは沈黙の世界より戻りました。
自分の中で思考だけがぐるぐると周り、目の前にルーン殿下がいらっしゃることすら意識から抜けてしまっていたようです。
「どうしたい、とは……?」
言葉の意味がよくわからず、思わずそう聞き返していました。
「ああ。君は、今のままのお飾りの王妃でいいのか? と、聞いている」
「ご存じ、なのですか……?」
お飾り。ルーン様はそう断言なさった。
だとしたら……。
「まあ、大体のところは想像がつく。エイドリアンの行動も調べているからね。あれは、毎日貴族派の面々の子息らと飲み歩いているらしい。まあ、あれなりに色々と考えてはいるのだろうが、ダメだな。本質をわかっていない」
え?
「まあ、あいつなりに絶望を感じているところだろうさ。海千山千の古狸に対抗するつもりでまず子息らを懐柔しようとしているんだろうが、な」
「絶望……、ですか……」
「ああ、君にしてみたってそうだろう? このままお飾りのまま王妃でいることに、意味なんてあるのか?」
だって。だって。だって。
しょうがなかったんだもの……。
わたくしだって、望んで王妃になったわけじゃ、ない。
それでも、あの時は、それで皆の役に立てるのなら、そう思ったのだもの。
抑えていた? 心の枷が、外れるように。
わたくしは大粒の涙をこぼして。
慟哭が、心の奥底から湧き上がってくる。
いつの間にか、嗚咽が抑えられなくなっていた。
「だって、だって、だって……。しょうがないじゃないですか……。役立たずのわたくしなんか、道具にでもならなければどうしようもなかったのですもの……」
なかったはずの感情が、溢れてくる。
蓋を開けて、溢れてくる真っ赤な心。
今までずっと人形のように、言われるまま生きてきて。
我慢? ううん、我慢までもいかなかった。
心がそれ以上動かなかったから。
ううん、心をそれ以上に動かさないよう、蓋を閉めて重しを乗せて。
ぎゅっと押し付けていたわたくし。
ああ、もう、我慢できない……。
おうおうと泣いて、そのまま近くのソファーに倒れ込んだ。
背中を、優しくさすってくれるルーン様の手が、なんだか心地よくて。
泣いたまま、そのままいつの間にか寝てしまったのか。
気がつくとソファーに寝かされ、体にはフカフカの毛布がかかっていた。
「気が付いたか」
いつもと違う優しい声。
ルーン様がそう、声をかけてくれた。
「申し訳ありません……わたくし……」
醜態を晒してしまったのだろうか。
ただただ恥ずかしく、ルーン様のお顔を見ることができない。
「泣かせるつもりはなかったんだ。ほんと、悪かったな……」
「いえ……」
優しいお声に、なんだか心が温かくなる。
いっぱい泣いて、少し心が軽くなった気も、するから。
この日の政務は、これでお開きとなった。
「あとは私が片付けておくから、君はもう戻りなさい」
優しくそうおっしゃってくださるルーン様が、最後にふんわりと笑みを見せてくださって。
わたくしの心は救われた。




