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万引きフリーペーパー

作者: 宮野ひの

 駅構内に置かれているフリーペーパーを種類別に5枚、背負っていたリュックサックの中に素早くしまった。誰でも無料で自由に持ち帰れるにもかかわらず、いけないことをしている感覚があった。自分に課したミッションをクリアしたことで、ふーっと安堵の吐息をもらす。

 誰にも見られていない。いや、正確には見られているけど、気にも留められていない。心臓の鼓動がいつもよりも速く、気持ちが良かった。





 俺、瀬戸宏光(せとひろみつ)は、休日にのんびりと家で過ごすことが多い。工場で働いていて、日中立ちっぱなしでいることが多い。休日くらいは、ゆっくりと横になっていたかった。彼女もおらず、一人で過ごすのが性に合っていた。

 しかし、友達の丸山から「いつも一人で過ごしてんの? 寂しいやつだな〜」と、LINEで冗談混じりに言われたことに腹が立った。このまま家にいるのも癪だったので、今週はどこかに出かけることにした。


 そういえば、通勤で履いているスニーカーが黒ずんできたんだった。新しいのが欲しいと思い、駅直結のショッピングモールに行くことにした。

 最寄りの駅から電車で向かい、駅ビル3階の靴屋に足を運ぶ。

 すぐにスニーカーコーナーが目に入り、左から順番に見ていくことにした。しかし、気に入ったデザインのものは見当たらなかった。

 今のスニーカー、まだ履けるから焦って買わなくても良いかと思い直し、他のお客さんに接客中の店員を横目に靴屋を出た。


 時刻は12時26分。お腹も空いてきた。そういえば最上階に飲食店エリアがあった気がする。とりあえず行ってみるかと足を運んだ。

 しかし、どこのお店も行列だらけ。和洋中何でも食べられるレストランは家族連れが多かった。また、オシャレなパスタ屋は、カップルが多く並んでおり、疎外感を感じた。

 一人で来ている客は見渡した限りでは、いないように感じられた。こんなに人が多いのでは、席について食事にありつけるまで、何分後になるかわからない。


 俺は諦めて下りのエスカレーターに乗った。

 何しに、ここに来たんだろうと憂鬱な気分になった。

 休日だからと出かけてみたは良いものの、靴は買わず、ご飯も食べられず、何の成果も得られなかった。丸山が遠くから見ていたら、また「寂しいやつだな〜」と言って、馬鹿にして笑うだろうか。


 駅構内に出てみた。歩き回って疲れたから座れるところはないかと周りを見渡す。

 ふと、フリーペーパーが置いてある棚が目に入った。四隅(よすみ)が規則正しく揃えられて、静かに棚の中に収まっている。

 いつもの俺なら、無視して気にも留めないところ、ショッピングモールで何も楽しめなかった悲しさを打ち消すために気まぐれで近づいた。


 へぇー、フリーペーパーって、いろんな種類があるんだなぁ。

 右上の棚から順に「仕事求人」「地域新聞」「子育て情報」「お店紹介」「芸能人が表紙を飾る雑誌に近いフリーペーパー」があった。棚の一番上に『ご自由にどうぞ』と書かれたプレートが飾られてある。


 俺は、数秒考えた末に、5種類すべてのフリーペーパーを1部ずつ手に取り、背負っていたリュックサックの中に素早くしまった。急ぐ必要はないのに、結果、万引きをしている人みたいになった。不思議と謎の充実感がある。


 図書館で本を借りた時の気持ちに似ている。一時的にでも自分のものにできたという満足感。しかし、フリーペーパーは図書館の本のように返さなくて良いし、しっかりと自分のものにできる。憂鬱な気持ちが少しだけ和らいだ気がした。

 ひとまず今日のところは家に帰ろう。俺は、少し重くなったリュックを背負い直し、家路を急いだ。


 アパートに戻るやいなや、カバンからフリーペーパーを5枚まとめて取り出した。テーブルに1枚ずつ無造作に並べてみたが、特に読みたいと思える冊子がなかった。

 ペラペラとページをめくってみるが、興味がそそられる項目もない。見る人によっては、面白いことが書かれていると思う。

 しかし、俺はスマホでネットサーフィンしている方が気が紛れた。

 とりあえずフリーペーパーを重ねて、テーブルの端に置いておくことにした。くぅ。

 お腹が空いていたのを思い出して、前に買っておいた冷凍パスタを解凍して食べることにした。電子レンジで温めている間、スマホを見たら、丸山からLINEが届いていた。文面を見ると、ご機嫌な様子が伝わってくる。なんか怪しい。





 またの休日。丸山と待ち合わせて遊ぶことになった。正直、乗り気ではなかった。

 丸山は俺に対してトゲがある言い方をしたり、上から目線で強く当たったりするからだ。

 しかし、俺は友達が少ない。受け身でいると、休日を一人で過ごすことになる。そのため、誰かに誘われたら極力会うことにしている。最低限、自分に課しているルールだ。今回も、丸山がLINEを通じて俺を遊びに誘ってくれた。


 丸山は待ち合わせ場所に、喫茶店『ゾラノ』を指定した。外観は白を基調にしたレンガでできていて緑のドアが印象的だ。店の前には色とりどりの花も飾られている。レトロな雰囲気がありながら、今っぽさも兼ね揃えた良い店だと思った。

 俺は待ち合わせ時間10分前には店に入り、席に着いていた。あいつはいつ来るかなと、スマホをいじりながら待つことにした。


 カランコロン。ドアベルが鳴る。

 丸山かなと思い顔を上げた。俺は目を丸くした。

 確かに丸山だった。しかし一人ではない。見知らぬ女性と一緒だった。


 二人で遊ぶ約束をしたはずなのに、おかしい。俺はLINEのメッセージを急いで確認した。『女性も一緒だから』という内容は、短いやり取りの中では見当たらなかった。


 混乱しながらも、丸山は「よっ!」と片手を挙げつつ、俺の席までやってくる。ニヤニヤした顔を向けながら、隣の女性を指差して「彼女」と一言いった。


「あっ、そうなんだ……初めまして」

「初めまして。源由香里(みなもとゆかり)です。丸ちゃんがお世話になってます」


 俺は、愛想笑いを浮かべながら、源さんに向かって会釈をした。状況を理解しようと固まっていたら、自己紹介をするタイミングを完全に見失った。

 丸山は彼女と隣同士で座り、店員にアイスコーヒーとクリームソーダを注文した後、さっそく惚気話を始めた。

 二人はマッチングアプリで出会って、付き合って1ヶ月になるらしい。お互い初めてネットの人と会ったということだった。顔合わせも、この喫茶店で行い、結果的に二人の縁を結ぶ思い出の場所になったということだった。


 話半分に聞きながら、丸山は自慢話をしたくて、ここに俺を呼んだんだなと、ぼんやりとした頭で考えた。

 遊びに誘うLINEの文面もテンションが高かった。丸山っぽくない猫のスタンプも使っていた。おそらく彼女とLINEのやり取りする時に、使っているものだろう。

 テーブルの陰で、二人は熱く指を絡ませあっていた。丸山は俺に惨めな気持ちを味合わせたかったのだ。


 早く家に帰りたかった。しかし、いきなり席を立つのも失礼だと思い、30分程度時間が経ったところで、用事が入ったと嘘をついた。

 源さんが「えー、もう帰るんですか? もっと話したいです」と言ったけど、愛想笑いで受け流した。テーブルに千円札を置いて席を立つ。丸山の顔は笑っていなかった。


 喫茶店から外に出ると、小雨が降っていた。傘を持っていなかった俺は、駅まで小走りになる。頭やシャツが濡れた。ああ来なければ良かった。


 駅にたどり着いた時、シャツは雨を染み込んでいて、気持ちが悪かった。駅構内をノロノロと歩いていると、ふとフリーペーパーが置いてある棚が目に入った。都心に近い駅だから、この前の駅よりラインナップが充実していた。


 俺は考えるより先に、フリーペーパーを右上から順に5枚手に取っていた。すぐさま背負っていたリュックサックの中にしまう。

 ファスナーを閉めた時、息が乱れていた。なんとも言えぬ充実感。虚しい気分が少し晴れた気がした。

 前回と同じ枚数のフリーペーパーを手に取ったのは、怪しまれないためだった。数十枚も一気にかっさらったら不審者に思われるだろう。

 しかし、フリーペーパーを無難に1枚だけ取ってもスリルがない。多すぎても少なすぎてもいけないのだ。


 俺は家に帰った後、フリーペーパーを前に取ったものと合わせて10枚、テーブルの端に重ねて置いた。1枚も読む気がないのに、何してんだか……。だけど取る瞬間、何にも代えがたい快感があった。


 それから俺は、嫌なことがあると、フリーペーパーを5枚取る癖がついた。仕事をしたり、ネットのネガティブな投稿を見たりすると、すぐに嫌な気持ちになった。

 最初は人目を避けて取っていたけど、次第に刺激が足りなくなる。

 一度、女子高生の集団が通った時に挑戦したことがあった。勢いよくフリーペーパーを取る、大人の男が珍しいからか、奇異の目を向けられた。「何やってんの?」「きっと、仕事探してんだよ〜」「え〜」と仲間内でヒソヒソ話をするのが聞こえた。

 恥ずかしい。だけど嫌ではない。親には見られたくない。だけど、赤の他人には見られても平気。不思議な感覚があった。


 コタツで暖を取っていた時に、急に裸足で外に出て、寒さを全身で感じるような、おかしなことをしている自覚はあった。

 汗をびっしょりかいていて、直感がもうやめろと言っているのに、やめられない。かーっと上がった体温を、急に鎮めたくて仕方なくなる。

 フリーペーパーを取った後、電車に揺られている瞬間が、たまらなく好きだった。俺は普通の人ですと言わんばかりに、しれっと、その他大勢の中に溶け込む。


 駅以外にも、郊外にあるショッピングモールへ足を伸ばすこともあった。人でごった返すフードコートで、フリーペーパーを場所取りの道具として、テーブルに置いている男性を見つけた。金髪でヒゲを生やしていて、何だかチャラそう。彼女と思わしき人と仲良く、ファーストフードがあるエリアに向かった。

 俺は衝動が抑えられずに、テーブルに置いてあったフリーペーパーを取ってしまった。無料のものだから万引きではない。今月号のフリーペーパーだから、手に入れようと思えばすぐ近くで入手できる。言い訳を並べて、自分の行動をなんとか正当化しようとした。


 3ヶ月後。家には、大量のフリーペーパーが集まった。漫画本に換算したら30冊分くらいの厚みがある。毎朝仕事に行く時、横目で見ながら家を出るのがルーティンになりつつある。

 だいぶ増えたな。このまま続けると床に散らばったりして、邪魔そうだな……。

 次の手が必要だった。





 休日。最近は外出することが多かったので、今日くらいは家でのんびり過ごすことにした。さて何をしようか。


 ピコン。LINEが鳴る。


『久しぶりー、彼女できた?』


 丸山からのLINEだった。喫茶店で彼女を自慢されて以来、一度も会っていない。返信するの面倒だなと思っていると、丸山は続けて一枚の画像を送ってきた。


 見てみると彼女とのツーショット写真だった。二人とも笑顔だ。幸せそう。俺への当てつけのように思えた。


 ……そうだ。最初から、そうすれば良かったんだ。


 俺はテーブルの上に置いてあるフリーペーパーを5枚手に取り、いつも使っているリュックサックの中にしまった。上着を着て、カバンを背負い、スニーカーを履いて玄関を出る。


 40分後。丸山のアパート前に着いた。

 今、丸山が家にいるかどうかはわからない。しかし、惚気LINEを送ってくるくらいだから、暇しているのは確かだ。

 もしかすると、彼女と一緒にいるという展開もあり得た。


 俺は、アパート前にある集合ポストを見た。『丸山』の名字があるか確認する。あった。

 はやる気持ちをおさえながら、リュックサックからフリーペーパー5枚を取り出す。落ち着け。落ち着け俺。興に任せて、まとめて投入すると、ガコンと無機質な音がした。ああ、やってしまった。


 少しの罪悪感が、快を際立たせる。

 フリーペーパーを取る時とは、また違った気持ち良さがあった。


 俺は、唯一の友達に雑に扱われても、何も言い返すことができなかった。

 縁を切ることができない。一人になるのは怖い。

 だけど、黙ったままでいるのは腹が立つ。


 俺は集めたフリーペーパーを、丸山にあげた。悪意が混じった親切かもしれない。だけど、胸がすっとした。


 その場に長くはいられないと思い、すぐに来た道を戻る。足取りが軽かった。

 そうだ、せっかく外出したんだから、今日もフリーペーパーを取って帰ろう。

 丸山のポストにだけフリーペーパーが入っているのは変だから、今度する時は他の住人にも一緒に入れておかないと。

 集めたフリーペーパーを上手くさばくことができる道を見つけた。


 そういえば丸山のLINEに返事をしていなかった。


『久しぶり。彼女できてないよ(笑)丸山が羨ましい』とメッセージを送る。


 珍しく素直になることができた。罪滅ぼしだろうか。

 

 黒ずみが気になるスニーカーは、この前新調した。店頭ではなく、ネットで気に入ったデザインのものを購入した。試し履きしていないにもかかわらず、足にフィットして歩きやすかった。何かあったら、すぐに駆け出すことができるだろう。

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