フラグ 1 あ〜〜〜ゆっくり楽に暮らしたい
───涙?
彼女を見た瞬間、俺はその場で恋に落ちた。
◆◆◆
「お待たせっ♪」
冬の乾いた夜空の下、俺の耳に天使の声が聞こえてきた。
冬は寒い? いやいや。そんな事、一体誰が決めたんだ。
冬は暑い!
そう思えるぐらい、俺の心は彼女の声と可愛い笑顔でぽかぽかなのだ。
そんな俺『大空 翔』に『霜月 沙紀』はニコッと微笑んできた。
マジでもういい加減にしてほしい。
沙紀の笑顔で俺の心はズキュン! と、射抜かれる。
いや、サブマシンガンでダダダダダッ! と、蜂の巣だ。
そして、心でつよーーーーーく思う。
───やっぱあの事、沙紀には言えない。絶対バレないようにしないと……!
ちなみに、実は沙紀も同じ事を思っていた。
───あーーーーーもう、超カッコイイ。翔にあれやってるの、絶対バレないようにしなきゃ。
この二人は一体何を隠しているのか?
薬物? 前科? それとも、互いに実は彼氏彼女がいるのを隠してる?
まさか、二人とも既婚者同士か?
いやいや、それならそれで面白いかもしれないが、この物語はそんな生臭い物ではない。
ポップで明るい冒険譚♪
じゃー何だって話なんだけど、この二人は密かにハマってるのだ。
『ラスト・クリスタル』という乙女ゲームに。
それの詳細については、二人からそれぞれ話してもらう事にしよう。
まずは翔から。
あっ、俺からっすね。
俺は正直、乙女ゲーなんてバカにしてたんです。
けど、ストーリーはメッチャ面白いしキャラも立ってて、あっという間にハマっちゃったすんよ。
だから俺は社畜として過ごしながら、このゲームにハマる日々を送ってるんです。
けど、こんなの沙紀にバレたら幻滅されるに決まってるよ。
でも、話たいなーーーーーー!
いやさ、この乙女ゲーム。
実はちょっといわくつきで、マジで攻略が難しいんだ。
一説によると、開発者のバグだとも言われている。
どのルートも感動するんだけど、マジでどーしても攻略に至らないんだ。
正確に言えば、どのルートも悪役令嬢がバットエンドなんだよ。
ん? 悪役令嬢がバットエンドなら、それ普通じゃないかって?
違うのさ。
俺がプレイした限り、この悪役令嬢は断罪されるべきじゃない。
だってこの悪役令嬢、言ってる事が超まともだから。
そりゃまあ、言葉というか言い方はキツイよ。
彼女は悪役令嬢だから。
でもさ、彼女は全部国や相手方の事を思って言ってるんよ。
なのに、言い方がキツイからって理由で悪役にされてんのはどーかと思うんだ。
しかも、どのルートも処刑されるのが決まってて逃れられない。
───せめて和解ルートがあってもいいハズだろ。
実際そう思うのは俺だけじゃない。
ネットでもそういう意見に溢れていて、密かなブームにさえなっている。
けど、まだ誰もそれを見つけた人はいないし、公式もだんまりだ。
───まったく本当に、どーなってるんだ?!
と、まあ熱く語ってしまったけど、今日のデート引かれる訳にはいかないんです。
いや、本当マジで一目惚れなんだ。
俺、マッチングアプリでブッチされてメッチャ落ち込んでてさ。
遠目から見られて、ナイと思われたみたいで……
いや、確かに写真は少し盛ったよ。
けど、ちょっとぐらいいーじゃん。
遠くからチラッと見て即判定するなんて、お前は王大人か。
『ナシ、確認っ!』
じゃ、ねーんだって。
勘弁してくれ。
でも、その場にたまたまいたんだよ。
綺麗な瞳から涙を零してる沙紀が。
俺はその姿に一目惚れして、メッチャ勇気を出して声をかけたんだ。
分かるっしょこのドキドキ。
そしたらなんと、沙紀もたまたま俺と同じで相手にブッチされてた事が分かったのさ。
俺は普段なら絶対仲良くどころか、話す事さえ無理なハズの沙紀と仲良くなれちゃったんだ。
えっ? チャラい?
いやいや、普段は違うんだって。
女の子に声なんてかけれないもん。
だから、アプリやってんだって。
でも、なんかその時は無我夢中でスッゲー頑張った。
で、なんか仲良くなれてさ。
けど、沙紀とはまだ付き合っちゃいないんだ。
そりゃそうだろ。出会ったばっかなんだし。
こういうのは、ほら、ゆっくりと、なんつーか、ああ、アレだ。大事だから!
いいのいいの。
沙紀とは友達で充分。
今仲良く出来てるだけでも、奇跡中の奇跡なんだからさ……
……って、ごめん。嘘ついちゃいました。
やっぱ付き合いたいよーーー!!
ってな訳で、乙女ゲームの事は絶対バレちゃいけない。
頼むから、こっそり教えるなんてしないでくれよ。
……ん? 実は相手もハマってるんじゃないかって?
いやーーナイナイ。
沙紀は、絶対に乙女ゲームとかやってないと思うんだ。
メッチャ可愛くてキラキラしてるから。
しかも、それを鼻にかけたりせずに自然なんよ。
いわゆる、優しいキャリア女子ってヤツ。
これは偏見かもしれないけど、乙女ゲームやってる女の子って、正直俺と同じく地味で根暗じゃん。
いやまあ怒らないで。
そういう可能性が高いんじゃないかって事。
もっと正確に言えば、俺の勝手な偏見。
でもさ、そのイメージでいうと、俺がオタクってバレたら沙紀に嫌われる可能性がある。
確かに、最近でこそ世間では推し活とか言ってるよ。
俺がガキンチョの頃より、だいぶ市民権は得た。
でも、男が乙女ゲームはまだ流石に厳しいでしょ。
許してくれないよ。
男が乙女ゲームにハマってるなんて……
それに、俺は昔ユーチューブで流行った『もうオタ』という歌を忘れた事はない。
オタクとバレて、彼女にフラれるっていう悲しい歌よ……
あの歌のように失敗する訳にはいかないから、俺は可能性の高い方を選ばなきゃいけないんだ。
分かって下さい。
沙紀に彼氏がいないとか、そこも奇跡だし。
神様女神様ありがとーーーーー!
だから皆様、むしろ怒らず応援よろしくお願いいたします!
って、そろそろいいかな?
お話の都合上、翔が心象風景を話す時は敢えてミュートにしてるの。
だから今度は私の番。
でも……ねえっ、翔はどんな事言ってたの?
なんてやっぱり尋いちゃダメよね。
全部を知ってるのは、作者と読者のみんなだけだから。
ハアッ……でも緊張してるんだよ。
だって翔、カッコイイんだもん。
はっ? あんな社畜でくたびれた風貌のオタクっぼいのの、一体どこがいいのかですって?
ホント、分かってないわね。
だからいいんじゃない。
いい、よく聞きなさい。
一般的なイケメンなんて女とやる事しか考えてないし、自分に自信があるからガンガンくるの。
でも私、そういうのは苦手。
だってそれって、弱いじゃない。
イケメンなら自信持てて当たり前だし、お金持ちだってそう。
でも翔は、こう言っちゃ悪いけど、何にも持って無いのに私に声をかけてきたの♪
それって強くて素敵だと思う。
……そう、本当は喪女の私に声を掛けるなんてさ。
翔は誤解してるかもしれないけど、私、普段はすっっっっごくっ地味だから。
あの日はマッチングアプリの相手に会う為に、頑張ってオシャレしてたの。
でも、いきなりホテルに誘ってきたから逃げたのよ。
もう最悪だったわ。
マッチングアプリって、あんなのしかいないの?
ちなみに、普段からオシャレでしょ?
はあっ……そんなのする訳ないじゃない!
したくても、時間が無いの。
私は社畜よ社畜。
悪かったわね。
朝8時から23時まで週6-7日で働いて、休みはクタクタ。
それにね、世の中って女に本当に厳しいのよ。
地味でいたら喪女だって言われるし、綺麗にしたらセクハラに合う。
それに加えて最悪なのが、男どもから年齢で価値を決められる事。
どんなに綺麗にしてても、婚活市場では30歳過ぎたら女の価値は一気に下がるんだって。
後数年したら私もBAA扱いよ……
ジェンダー平等? SDGs?
あんなん嘘嘘。
嘘っていうか、制度を変えたって人の心や本能は、そうやすやすと変わるもんじゃないの。
翔は35歳で私だって29歳。
ずっと仕事を頑張って成果は出してきたけど、周りからは、やれ鉄の女だの氷の女だの言われて、男達は近寄ってもこない。
ちょっと表情がキツイ?
あの……私これが普通なんですけど。
むしろ、皆様に失礼の無いように笑ってるつもりなんですけど、ダメですか?
ハァ、そうですか……
笑うと高飛車に見えますか……
もういいです。
でも分かってほしいの。
だから、乙女ゲームにハマってたって仕方ないでしょ?
ゲームの中だけでも愛されたいの。
もちろん、翔にはそんなん絶対バレたくないから内緒よ。
お願いっ!
今日、翔とのデートを本当に楽しみにしてきたんだから。
いやはや、なかなか面白いだ二人だ。
本当はデートの様子も書きたいのだが、敢えてそれは省きます。
なぜなら、これはweb小説。
テンポよくいかないと。
なのでデートの様子はご想像にお任せするが、二人はその日は付き合わず仲良くデートして帰ったよ。
ただ、問題はここから数日経った頃からだ。
だよね、翔くん。
ああ、そうそう。
ここからが問題なんだ。
確かに沙紀とのデートは楽しかったけど、社畜な俺には時間も無けりゃ金も無い貧乏リーマンだ。
毎月給料前は消えゆく残金とにらめっこしながら、生きるか飢えるかのサバイバル。
座右の銘は、
『何を食べるかじゃなく、いつ食べるか』だ。
それに、今日も上司から訳の分からん仕事を押し付けられて体も心もクタクタなんよ。
いや、それでも頑張らなきゃ……!
これでも俺は仕事はまあまあ出来る方。
俺がやらんでどーすんだ!
部署の為にもやるしかない!
「ふうっ。でも、まずはこの乙女ゲームで何とか和解ルートを……」
今度は私ね。
私も今日クタクタになって自分の家に帰宅したの。
別に何か特別な事があった訳じゃなくて、いつも通りよ。
周りから敬遠されながらも、みんなの業務がスムーズにいくように黙々と仕事を頑張ってきたわ。
けれど、お礼を言われる事もない。
陰ながらの仕事はそういう物なの。
私が作ったシステムを使って、部署の成果は上がったわ。
けど、それを作った私じゃなくて、コミュ力の高い目立つ人達が称賛されるのはいつもの事。
システムなんか、便利に動いてとーぜんて思われるから。
まっ、いいんだけどね。私は私の最大限の仕事をしたんだし。
私は心でそう呟いて、例の乙女ゲーム『ラスト・クリスタル』を起動させたの。
「今日こそ、絶対裏ルート見つけてやるんだから! この令嬢が断罪されるなんて間違ってる!」
いや、翔も沙紀も色々大変そうだが頑張ってるね。
で、奇しくも二人は離れた場所で同時に呟いたんだ。
「あ〜〜〜ゆっくり楽に暮らしたいなーーー」
互いの家は遠く離れている。
けれど、全く同じタイミングと同じセリフで、トーンも同じ。
しかも、同じ乙女ゲームをしながら姿勢も気持ちも、疲れ具合も全く一緒。
これ自体が奇跡といえば奇跡なのだが、二人は当然分かっていなかった。
まさかこの奇跡が、大冒険の始まりになる事を。
◆◆◆
天上界。
ここは、地球と異世界を繋ぐ中間地点。
正に想像通り、いわゆる穏やかな天国のような場所だ。
そんな明るく穏やかな場所に、女神フローラの慌てた声が響いてくる。
「レティシアお姉様ーーー!」
「どうしたの? 」
「ううっ……やっちゃった」
軽く涙目で見上げるフローラを、レティシアはハァッと軽くため息をついて優しく見つめた。
フローラがお転婆でおっちょこちょいなのは昔からだから。
それに今日は特に大切な転生者の件があるので、イチイチ驚いていられない。
「フローラ、まずは落ち着いて」
「だって……」
「それにフローラ、私今日は特に忙しいの」
「うん、知ってる……」
すまなそうに軽くうつむくフローラに、レティシアは諭すような眼差しを向けた。
「五大悪魔王を倒す為に頑張ってる光の勇者を助ける為に、強力な転生者を送らなきゃいけないの」
「う、うん。そーなんだけど、なんていうか、あの、その……」
フローラは言いにくそうにモジモジしている。
それを見たレティシアはハッとした。
「まさか、その件で何かあったの?」
「う、う〜〜んと……あのね、間違えちゃったの!」
「間違えた? 何を?」
レティシアの胸に嫌な予感が走る。
フローラはそんなレティシアの前で、瞳に軽く涙を滲ませた。
「その転生者なんだけど……間違えて別の世界に送っちゃったの!」
「な、なんですって?!」
「後ね、お姫様に転生させる人も間違えちゃった!」
「え、えぇっ?! どう間違えたの?」
レティシアがシャレにならないという顔で身を乗り出すと、フローラは零す。
気まずそうにうつむいたまま、消えかかるような声で。
「あのね……悪役令嬢に転生させちゃったんだ……」