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第1話 1788年 プチトリアノン 3月

 三月の初め、満開のミモザの下に少女がぽつんと立っている。栗色の髪に包まれた横顔はどこか上の空だ。

 黄色い綿毛のような花が風にそよぐ。まるで、彼女を慰めるかのように。 

「テレーズ!」

 薔薇の生け垣の向こうから、従兄のアントワーヌが現れる。彼は慌てた様子でテレーズに近づいた。

「王妃さまが落馬したって聞いたよ。早くおそばにいかなきゃ」

「怪我ひとつしていないのだから、必要ないわ」

 テレーズはぴしゃりと返して、つんとそっぽを向いた。傍らのアントワーヌが息をのんだのが分かった。

「アントワーヌこそ、落ち着いたらどうなの。とても十三歳とは思えないわ」

 淡々と続けて、テレーズは小さな蕾がつらなる薔薇の茂みに触れる。指で棘をなぞり、絶対にアントワーヌと視線を合わせようとしない。

 最近、テレーズの高慢な態度はひどくなる一方で、大人たちを困らせていた。

 この十歳の少女は、目の前の人ををわざと怒らせて遠ざけるようなところがあるのだ。

「本当は心配なんだろう。一緒に行こうよ」

 アントワーヌの反論に、テレーズの眉がつり上がる。彼はおっとりしている分、テレーズが苛烈な態度に出てもひるまない。

「心配なんてしてないわ」

 テレーズは苛々しながら突っぱねた。そのまま従兄を睨むと、アントワーヌは悲しげに顔をくもらせる。それが、哀れまれているようで我慢ならなかった。

 テレーズの母は、フランス中から嫌われている。宮廷の貴族たちも、王妃様と持ち上げながら、陰でこそこそと悪口を広める始末だ。

 大人たちの中傷を聞いていると、たまらなくみじめになる。彼らの好きにさせて、何も言わない母が情けない。

 こんな気持ち、アントワーヌに分かるはずがない。


「本当よ。いっそ、お母さまがいなくなってくれればよかったのに。そうしたら、何をしても自由だったわ」


 知らず指に力が入り、柔らかい肌に棘が食い込む。あっけなく折れた蕾が地面に転がり、紅い雫がぽつんと落ちた。

「……君より小さな子どもだってもう少し分別があるよ」

 と、アントワーヌがため息をはく。一歩距離を詰めて、ハンカチーフをテレーズに差し出した。

「もう、放っておいて」

 テレーズは従兄の手を振り払い、駆け出そうとした。しかし、二の腕を引かれて止められる。

「本当にひどいことになったら、もっと傷つくよ。だから、」

「アントワーヌなんて嫌いよ! 私の前から消えてちょうだいっ」

 半ば叫ぶように言うと、アントワーヌの表情が歪む。傷ついて揺れる瞳から逃れるようにテレーズは俯いた。従兄は静かに手を離した。

 

「王女さまの望みどおりになるよ。必ずね」


 アントワーヌはハンカチーフを押しつけるように渡して、その場を走り去った。それが、彼と交わした最後の会話だった。

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