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【一般】現代恋愛短編集

初恋は波に攫われ海の彼方へ

作者: マノイ

『ここで何してるの?』


 優し気で透明感のある声が脳を侵食する。


『お姉さんも一緒に遊んでいい?』


 柔らかで儚げな笑顔を向けられて魅入られてしまう。


『素敵なお城だね』


 城どころか建物にすら見えない砂の塊に、か細い手が触れられる。


 その少女の存在感があまりにも薄いのは、記憶の深いところに封じ込められているからだろうか。


 それともそもそも存在しない作られた記憶だからだろうか。


 今はもうぼんやりとしか思い出せないその人の記憶は、寄せては返す穏やかな波の音色に攫われて海の彼方へと消えて行く。


「……い」


 意識までもが遠くて深い海の底へと沈む。


「……ぱい」


 魂が揺蕩たゆたい、存在が海に溶け行くような曖昧な感覚。


「せんぱい!」


 ぼんやりとしていた扶桑ふそう 一樹かずきは女の子の声で現実に引き戻され、自分が普通に生きていることを強制的に実感させられた。


「……小倉おぐらさん?」


 灼熱の砂浜と刺すような陽射しから逃げるようにビーチパラソルの下で体育座りをしていた一樹を心配そうにのぞき込んでいるのは小倉 彩花あやか

 一樹の後輩の高一女子だ。


 少し小柄でショートカットが似合う可愛い系女子。


「『小倉さん?』じゃないですよ。熱中症になったのかと思って心配したんですから」

「ごめんごめん」

「はい、これどうぞ。水分ちゃんと採ってくださいね」

「ああ、うん、ありがとう」


 差し出されたコーラを一樹は戸惑いながら受け取った。


 まだ夢か現かでボケているわけではない。


 単に彩花の水着が目に入り気恥ずかしかったからだ。


「せんぱい?」


 思わず目を逸らしてしまった一樹の事を不思議に思ったのだろうが、一樹としてはもう少し警戒心を持って欲しいと強く思った。

 覆いかぶさるような態勢で手を伸ばして来たら、どうしても水着の胸元が目に入ってしまうのだから。

 シンプルなビキニタイプの水着が十分にボリュームのあるふくらみを覆っている様子は一樹の下半身を刺激してしまう。


 そういえばその水着について何も言ってなかったことを一樹は思い出した。


「その水着、似合ってるね」

「もう、遅いですよ」


 ビーチに着いた時から一樹は過去の記憶に翻弄されていたため、褒める余裕が無かったのだ。

 男として失格である。


「せっかくせんぱいをオとす為に頑張って選んだのに、失敗したかと思っちゃいましたよ」

「ごめん」

「だーかーらー謝らないでくださいって」

「ご……うん、その、似合ってるって思ったのは本当だから」

「むー、今回はそれで良しとします」


 しょげたりむくれたり笑ったりと表情がコロコロと変わるところが彩花の魅力の一つだろう。


 いつも気だるげでダウナータイプの一樹には勿体ない相手だ、とは周囲から良く言われている。


 尤も、この二人はまだ付き合ってはおらず彩花だけが一樹に惚れている状況だ。


「(マジで可愛いんだよなぁ)」


 顔立ちもスタイルも性格も何もかもが一樹の好みの女の子。

 是非とも付き合いたいと思える相手なのだけれど、いざ付き合おうと思うと記憶が邪魔をする。


 幼い頃に出会ったはず・・の記憶の中の女の子のことが一樹はどうしても忘れられなかったのだ。


 人はそれを初恋と呼ぶ。


 ただこの初恋には一つ問題があった。


 家族や親戚の誰に聞いても、一樹が幼い頃に海に旅行に行くことは無かったというのだ。


 ありもしない空想上の記憶の想い出の女の子に恋をしている。


 自分はとんでもなくイタい人物なのではと一樹は苦悩していた。


「せんぱいが意識してくれて良かったです」


 一樹が水着を直視できないことから、彩花のことを異性として意識していることは明確だ。


「これで想い出の女の人への勝利に向けて一歩前進です!」


 彩花が一樹に惚れた理由は単純だ。

 暴漢に襲われそうになっていたところを助けられたから。


 積極的なタイプの彩花はすぐに一樹に告白したが成功しなかった。

 一樹が幼いころの想い出にしがみ付いていたからだ。


 一樹は見た目が良いのでこれまでも女子から告白されたことがある。

 その度に想い出の女の子のことを説明して断っていた。


 女の子達はいるかどうかも分からない女の子のことを想い続けている一樹の事を良くは思わず、こんな人なら付き合わなくて良かったと離れて行くのがいつもの結果だった。


 だが彩花は違った。


『その想い出の女の人よりも私を選んでくれるように頑張ります!』


 一樹の事を見捨てずに、こうして今も積極的にアプローチしてくれている。

 一緒に海に遊びに来て水着で誘惑して来るくらいに。

 尤も、流石に二人っきりでは無くて他の友達と一緒ではあるが。


「(僕もそろそろ潮時だよね)」


 一樹も分かっていた。


 このままウジウジと過去の女の子の幻影を追い求めても幸せになんかなれないことを。


 自分をここまで想ってくれる彩花の手を取った方が幸せになれるということを。


 実際、今回の旅行で過去を振り切るつもりだった。


 記憶を揺さぶる海でその決断が出来れば、きっと前に進めるだろうと思ったから。


「そうだせんぱい、私こんなの持って来たんですよ」


 そう言って彩花が手にしたのは大きな麦わら帽子だった。


 小顔な彩花が被ると幼い雰囲気が増すが女らしい体つきとのギャップがあり、清純派の色気を醸し出していた。


「うん、似合って……」

「せんぱい?」


 麦わら帽子を被った彩花の姿を見た瞬間、一樹の記憶が鮮明になった。


「白い……ワンピース」

「え?それを着て欲しいってことですか?」


 彩花の言葉がまた耳に入らなくなった。


 何故なら、想い出の女の子が麦わら帽子をかぶり白いワンピースを着ていたことを思い出したからだ。


 そして更に連鎖して想い出はより鮮明になる。


『お姉さんも一緒に遊んでいい?』

『いいけど、僕より小さいのにお姉ちゃんなの?』

『何言ってるの、お姉ちゃんの方が大きいでしょ』

『帽子が大きいだけじゃん』

『男の子が細かい事気にしないの』

『えー』


 お姉さんという言葉から年上の女性だと思っていたけれど、自分と大して変わらない年頃の女の子だったことを思い出す。


『それでキミは何しているの?』

『おっきいお城を作ってお祖父ちゃんに見せるんだ!』

『ふ~ん、これがそのお城?』

『うん!』

『素敵なお城だね』


 これまで忘れていた女の子との会話。

 ついにそれを思い出した。


 そしてその中に重大なキーワードが含まれていたことに気が付いた。


「(あれは祖父ちゃんの家の近くだったんだ!)」


 父方の祖父母は群馬県に住んでいるので海は無い。

 となると母方の祖父母の住処だけれど、一樹はそれが何処なのか知らない。

 今すぐにでも両親に確認したいとそわそわする。


 ついに想い出の女の子の手掛かりが手に入り、その日の一樹は海で遊ぶどころでは無かった。


 前に進む決意をした日に後ろに戻されるというのは皮肉な話である。


 いや、もしかしたら全てを清算しなければ進んではならないという警告だったのかもしれない。


 割り切った風で彩花と付き合い出したものの、やはり時折想い出してしまい彩花を傷つけるといった展開になる可能性があるのだから。


――――――――


 家に帰った一樹は、これまでに家族に届いた年賀状を漁った。

 母方の祖父母から届いているならば、そこに住所が書かれているはずだからだ。


「あった!」


 その住所を調べると、そこは海のすぐ近くの場所だった。


「ここだ。ここに僕は行った事があるんだ」


 その場所は住んでいる場所からはかなり遠い。

 でも夏休みの今ならば時間がある。


「母さん、僕、祖父ちゃんのところに行ってくる」


 一樹はそのまま家を飛び出そうとした。


「待ちなさい、一樹」


 だが当然止められる。

 高校生が気軽に遊びに行くような距離の場所では無いからだ。


「いきなりどうしたの。今の群馬はかなり暑いからもう少し涼しくなってからの方が良いわよ」

「そっちじゃないよ。母さんの方の祖父ちゃんの家に行くんだ」

「ああ、そうなのね……」


 その手に年賀状を持っていたことから、母親は色々と察した様子だ。


「それじゃあ行ってくるね!」

「だから待ちなさい、今から行っても今日中に帰って来れないわよ」

「あっ……」


 あまりにも気がはやってしまい、行くことしか考えていなかった。


「お祖父ちゃんに連絡しておくから、また今度泊まりに行きなさい」

「……うん」


 祖父の都合を聞いてから、泊めて貰うこと前提で明日以降に旅立つことが決まった。


「それとこれ」

「え?」


 母親は財布からお金を取り出し、一樹に手渡した。


「交通費と食費よ。余ったらお小遣いにして良いわ」

「なんで?」


 往復でかなりの金額がかかる距離だ。

 一樹はこれまでのお年玉をつぎ込んで移動するつもりだったので、貰えるならば有難い。

 だけれども突然言い出した一人旅について何も聞かずにお金を出してくれるのが不思議であった。


「さぁ、なんでかしらね」


 しかし母親はその理由を答えてくれなかった。


「ねぇ母さん。僕やっぱり母さんの祖父ちゃんの所に行ったことあるよね。なんで嘘ついてたの?」


 誰もが一樹は海へと行ったことが無いと口を揃えて証言した。

 母方の祖父母の住処も教えて貰えていなかった。


 一樹の記憶が正しいのであれば、意図的に隠されていたのは間違いない。


「それは向こうに着けば分かるわ」


 これまた母親は理由を答えてはくれなかった。


 しかし一つだけ分かったことがある。


 嘘をついていたことを否定しなかったのだ。


――――――――


「ここが記憶の場所……」


 新幹線、鈍行、バスと乗り継いで片道五時間。


 到着したのは片田舎の港町だった。


 一樹は着替えなどが入ったリュックを背負い、早速砂浜へと向かった。


「想像してたのとなんか違うかも」


 南国風の雰囲気を想像していたけれど、そこは狭くてこじんまりとした浜辺であった。


 記憶が間違っていたというわけではない。


 小さい頃と今では背の高さも感覚もまるで違うため、ズレがあるのだろう。


「あの、すいません。一樹です」


 そこでは一組の老夫婦が待っていた。


 彼らは一樹に遠くから声をかけられると、優しげな顔を嬉しそうに綻ばせた。


「一樹か、大きくなったなぁ」

「ええ、本当に……」


 一樹はリュックを砂浜に降ろし、祖父母の前に立った。


 涙ぐむ祖父母の顔をジッと見つめても思い出せず、何処となく後ろめたい気分になってしまった。


「すいません、僕覚えてなくて……」


 素直にその気持ちを祖父母に伝えたが、彼らは嫌な顔をしなかった。


「気にするな。小さい頃に一度会ったっきりだから仕方ないさ」

「そうよ。気にしないの」

「ありがとうございます」


 これだけで、祖父母がどれだけ優しい人なのかがはっきりと分かった。


 久しぶりに会った孫と語らいたい。


 それが彼らの強い願いだろうが、一樹がここに来た一番の目的は別にある。


「あの、それで……」

「分かっている。宇美うみちゃんのことだろう」

「宇美さんって言うんですか……」

「あら、名前も知らなかったのね」


 祖父母には一樹が訪問した理由を伝えてある。

 待ち合わせ場所をこの砂浜に指定したのは祖父母だ。

 一樹が一刻も早く真実を知りたいと思っているだろう気持ちを察し、『答え』をここで教えてくれるつもりなのだろう。


「これを」


 祖父が一樹に可愛らしい花柄の封筒を差し出した。


 そこには『一樹君へ』の一言が書かれていた。


「え、これって?」


 普通に考えればこの封筒が想い出の女の子に関するものであり、中を見るのが流れとして自然だろう。

 だけれども一樹はどうしても先に聞いておかなければならないことがあった。


 何故ならば『一樹君へ』の文字は、まるで幼児が書いたかのようなグチャグチャで読みにくいものだったのだから。


 想い出の女の子は少なくとも自分と同じかそれ以上の歳の女の子だった。


 ここまで酷い文字を書くとは思えず、別人のものではないかと思ったからだ。


「……」 


 だが祖父母は何も答えてくれなかった。


 その沈黙を、読めばわかることだと判断した一樹は、震える手で封筒を開いた。


 中には何枚かの紙が入っており、これまた読むのが困難なほど崩された字で大量に文字が書かれていた。


 手紙、なのだろう。


 今日の砂浜は風もなく穏やかで、波の音色が静かに響いている。


 手紙が風で飛ばされることは無いだろう。


 一樹はその場でその手紙を読み始めた。


『あ~あ、思い出しちゃったか』


 手紙は、そんな気の抜けた一文から始まっていた。




『いつまで昔の女にこだわっているのよ、情けない。ウジウジする男は嫌われるわよ』


 あの清楚な女の子がこんな暴言を吐くのだろうか。

 やはり別人なのではないかと疑い顔を顰めながらも、一樹は続きに目をやった。


 ただでさえ読みづらくて解読に時間がかかるのに、書かれているのは一樹を罵倒する言葉ばかり。


 やれ女にもてないだとか、やれ執着心の強い男は気持ち悪いだとか、まるで同級生のチャラ女に蔑まれているようなそんな気分になって来る。


 やはりこれはあの子の手紙ではない。


 もうこれ以上読むのは止めようか。


 そう思った時、雰囲気が突然がらりと変わった。




『でも、思い出してくれてありがとう』




 ぞくり、と何かが背筋を駆け抜けた。


 お礼の言葉なのに何故か不吉な予感がする。

 この先を読んではならないと直感が警鐘を鳴らし心が軋み出す。


 でもここで止めるわけには行かない。

 こんなところまで来て引くわけには行かないだろう。


『それなのにごめんなさい。私はもう一樹君に会えません』


 手が震える。

 息が詰まる。

 目線が次の行へ進むのを拒否する。




『この手紙をあなたが読んでいる時、私は海にさらわれてしまっているから』




 何度も何度も読み返した。

 一言一句正しい事を確認した。


 海にさらわれてしまっている。


 この意味が分からない。


 分からない。


 分からない……はずが無かった。


 何を暗喩しているのかなど、一樹には直ぐに分かっていたのだ。


『あの日、病室の窓から海を眺めていたら、一樹君がお祖父ちゃんと一緒に砂浜に遊びに来たのを見つけたの』


 それは恐らく一樹の想い出のあの日の事なのだろう。


『一樹君は笑顔でとても楽しそうにしていて、羨ましかった』


 羨ましかった、の部分が何度も何度も消しては書いた後があった。

 きっとその時の感情を上手に言葉にすることが出来なかったのだろう。


 羨ましかった、憎かった、悲しかった。


 病室から出られない自分と違い自由な男の子。

 決して良い感情では無かったはずだ。


『その笑顔があまりにも眩しかった。楽しく海で遊ぶことは私の夢だったから』


 その夢は本来であれば叶うことは無かった。

 彼女の体は叶えられるような状態では無かったからだ。


『でもね、私思ったの。やっぱり一度で良いから、少しだけで良いから、男の子と一緒に海で遊びたいって。一樹君みたいに、心から一緒に笑って遊びたいって。そう思ったら不思議と体が軽くなった』


 それは彼女が人生で犯した最初で最後の無茶。


 彼女の病室には元気になった時に着たいと思っていた白いワンピースと麦わら帽子が置かれていた。

 それを身に着けて病院を抜け出したのだ。


『一樹君、ありがとう』


 唐突に、お礼が挟み込まれていた。


『私と一緒に楽しく遊んでくれたよね。本当に嬉しかった。私のことを気にしないで女の子として接してくれてすごい嬉しかった』


 彼女のことを知る大人は、どうしても彼女の体のことを気遣ってしまう。

 しかも彼女はすでに末期の状態。

 どれだけ笑顔で誤魔化そうとしても、その裏にある悲しみに気付かないわけが無い。


 しかし彼女の事情を知らない一樹は、そんなことを知らないからか彼女の事を普通に扱ってくれた。


 明らかにげっそりと痩せていた彼女を見ても、それを気にせずに扱っていたのだ。


 それが彼女の心の救いになっていた。


『本当に、本当に嬉しかったの。小さな一樹君にときめいてしまうくらいに』


 僕より小さかったくせにと一樹は思う。




『一樹君、ありがとう。あなたのおかげで私は最後に恋が出来ました』




 手紙はそう〆られていた。


 手紙を読み終えた一樹は砂浜の傍にある建物を見る。


 幼い頃には気付かなかったが、その建物は病院だった。


 真実を知った一樹に、祖父が告げる。


「お医者さんが言うには奇跡だったそうだ。本当なら出歩くどころかベッドから起き上がることすら無理だったはずだって」


 一樹が宇美と別れた直後、宇美はその場に崩れ落ちるように倒れた。


 二人を陰から見守っていた病院関係者が慌てて駆け寄った時には、すでに虫の息の状態だった。


 そのまま命を落としてもおかしくない。


 そんな状態だったにも関わらず、再度奇跡が起きた。


 目を覚まし、言葉を発したのだ。


 宇美は両親にこう願った。


 手紙を書きたい。


『私ね、とても満足だったんだ。幸せな気持ちのまま眠りたかった。でもね、ふと思ったの。もしこのまま私がいなくなったら、あの子が悲しむかもしれないって』


 そう思ったら目が覚めてしまったのだ、と。


 宇美は残された力の全てを使って、震える手で沢山の手紙を書いた。


 家族に、友達に、そして一樹に。


 そして一つのお願いをした。


『一樹君を悲しませたくないから、私と会ったことを思い出させないようにしてください』


 もしも思い出してしまったのなら、この手紙を渡して欲しいと。


 一樹の親戚が誰一人として一樹の記憶を認め無かったのは、勘違いだと思わせて自然に忘れさせるためだったのだ。


 宇美の遺言を守るために。


「……」


 一樹は何も言わず、ただ目を閉じた。


 聞こえてくるのは寄せては返す波の音。


『ここで何してるの?』

『お姉さんも一緒に遊んでいい?』

『素敵なお城だね』


 これまで一樹を縛っていた彼女の声が、波にさらわれて消えて行くような錯覚に陥った。


 それがあまりにも切なく胸を締め付け、波しぶきを浴びせられたかのようにひたすら濡れ続けた。


――――――――


「うん、もっと長居することにしたんだ。いいよね、うん、迷惑かけないよ。大丈夫だって」


 祖父の家に移動した一樹は母親に電話して滞在期間を延ばす旨を告げた。


 宇美の遺言を守るために、祖父母は一樹と距離を置いていた。


 本当は孫と会って交流したかったはずなのに。


 そのことを察した一樹が、交流が解禁されたのだからと長く甘えさせてもらうことにしたのだ。


 本来、一樹はこのように気を使える人間なのである。


「あの子って僕のはとこだったのかー」


 想い出の女の子についても色々と教えてもらった。


 彼女が母方の祖父の兄の孫であり、一樹とははとこの関係であること。

 一樹が小学三年生の時に家族旅行でここに来て出会ったこと。


 そしてなんと、実は彼女が中学生だったことだ。


 病気で長い間入院していたため、体が成長していなかったようだ。


「だからちゃんとした文章だったんだ」


 小学校低学年くらいの女の子が書くにしては文章がしっかりしすぎていると不思議だったのだけれど、その理由も判明した。


 確かに彼女は小さかったけれど『お姉さん』だったのだ。


「というか、中学生が小三に惚れるとかヤバいでしょ」


 夜、一樹は縁側にて星を眺めながらそう悪態をついた。

 目を閉じるとここからでも波音が聞こえてくる。


 祖父母は一樹がまだ心の整理がついていないのだと思い、気を使って一人にしてくれていた。


 かさり、と手にしていた便箋が風に揺れた。


 何度も何度も読み直したその手紙を、なんとなくもう一度読む。


『一樹君、ありがとう。あなたのおかげで私は最後に恋が出来ました』


 一樹は思う。


 お礼を言うのは僕の方だと。


「僕もお姉さんのおかげで素敵な恋が出来たよ」


 結末は悲しいものだったけれど、想い出の女の子に恋心が揺さぶられ続けていたのは悪くない経験だった。


 こんなことを言うと気持ち悪いなどと言われるかもしれないけれど。


 そう内心で自嘲しながら便箋を裏返した。


 そこには小さな字で続きが書かれていた。


『追伸:初恋が実らないのは常識でしょ。私の事なんか忘れて幸せになりなさいよね。じゃないとお姉さん怒っちゃうよ』


 こんなことを言われたら腹を括るしか無いだろう。


 向こうに戻ったら彩花に大事なことを伝えると決めてある。


 これ以上グダグダと過去の想い出に縛られていたら怒られてしまうから。


 初恋は海に攫われ彼方へ旅立ち、一樹は新たな恋をする。


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