かんそうこわい
底辺なろう投稿者のボクは今日も電車に揺られる。いつもの帰宅途中。夜。人はまばら。吊り革を掴み、外の風景などおかまいなしにスマホを見る。
暇なのには変わりないので、なろうを開いた。いつものランキング。ジャンルの寡占は普段通りで語ることがない。下にスクロール。短編とか長編の更新がある。別に読む気はなかった。
ふと思い立ち、なろうのホームに行ってみる。なんとなくだ。そこを見たところで、何も得ることはない。
開いても殺風景。投稿済み小説が下部に表示される。今連載している長編が上にある。何となくタップ。内容は、ちょっとした大正ロマンファンタジーだ。詳細を開き見てみる。いつもならPVを見るのだが。
見慣れないものがあった。評価の欄に緑色のような水色のような星が三つ。こんなものを見るのは初めてだ。
これは、評価だ。
声をあげなかったこと、まずは称えたい。初めてもらった評価だ。こんな作品でも評価してくれる人がいるのか。PVはいつも通り。クラスの人数分。このPVの中に、作品に星を送ってくれた人がいる。するとこのアラビア数字が輝きを放つようだ。
電車内なのに顔が緩んでしまった。評価なんてもらえないと諦めていたから、どうにも機嫌が昇って仕方ない。
それから、数日。相変わらず連載を投稿していた。
他にも評価をもらえたかも調べた。しかし長編以外に星はなかった。夢見から覚めたようで、むしろホッと息を吐けた。
今は自室にいる。安いアパート。衣服などが雑に散らばるワンルーム。薄暗い部屋でパソコンと睨めっこ。今まさに推敲をしている。今日の分の投稿を、だ。すっかり日常に溶け込んだ作業で、これのために日々を過ごしているようになったと言って過言ではない。
ワードの原稿をチェック終了。さて、なろうに投げよう。ホームを開く。「メッセージを確認中です」を無感想に眺める。視線は「次話投稿」に行く。
知らないものが目に飛び込む。赤い一文。「感想が書かれました」との一言。これは何者だ。感想が書かれたとはどういうことだ。
クリックしようとして止まる。感想が書かれたということは、感想が書かれたということだ。一を一と知る小学生みたいな発見をしたが、何が書かれているのだろうか。
最初に浮かんだのは中傷文だった。感想について物申すエッセイで何度も見た。感想で人の心を折るという、アレ。ボクは机の上にある紙か何かを掴む。汗を拭こうとして、ティッシュだと気付く。混乱している。
もし中傷だったらどうしよう。具体的に何が書かれているのかは想像できないが、きっと辛辣に違いない。
先生に呼び出された悪童のように、人差し指を動かした。
連載とは別の作品。その感想。読んでみると、アドバイスだった。語調がとても丁寧な方だ。アドバイスそのものも納得で唸るもの。展開と、語彙の提案。なるほど、そちらのほうがいい。
ボクは知らぬ人にお礼の文を書く。これは苦戦なく書けた。初めての感想だったのに。そして作品も修正しておいた。なんと気分のよいことか。
長編の更新も行った。これも日々の雑務に過ぎなくなっている。
ホームに戻る。赤い文字が再びついていた。眉をピクピク動かしながら、フリーズ。更新作業中にまた感想が来たのだ。
今度こそ中傷ではないか。ボクを断罪する処刑斧ではないのか。過剰な被害妄想が頭の中を周回。たかだかワンクリックがここまで重い。しかし勇気を振り絞る。
このクリックは痙攣と区別がつかなかった。
前に書いたホラーものの感想だった。内容は批判。文字をひと文字ずつ、脳が認識していく。むしろ冷静になっていった。
ホラー展開の雑さ、その指摘だった。また、悪役がノコノコ生き残るのもダメ出しされた。そのキャラは生き残ることに意味がある。けれど改めて示されると、ボクも疑問に思う。
しかし心は沈む。パソコンの前で歯を噛み合せる。息を深く吐く。救いと言えるのは、中傷などでは全くなかった、ということだ。文中のどこにも人格否定はないし、過激な言葉はない。まるで優しい老婆に叱られたようだ。
耳に痛い正論に感謝の返信。作品も上手いこと直した。……けっこう頭を捻って。ここで心の波は鎮まるべきなのだが、未だ批判文が頭にある。誰のせいかと聞かれたら自分だ。だからやりきれない。
なろうを閉じる。今日は感想が二件も来た。ランキングトップの人々にとってはこれ以上が日常茶飯事なのか。あそこに載る野望はないが、こうしてみると、彼らのメンタルはすごい。ボクなら赤文字の連打を耐えられない。
それにしても、二件がほとんど間髪なく来た。すると、だ。今この瞬間も、ホーム画面で赤い文字が輝いているのかもしれない。来るべき返信を待っているのかもしれない。
いや、いや。ボクは独り首を振る。自意識過剰だ。しかし薄暗い部屋でマウスは動き、なろうを開きかける。あの文字を求めて。
理性を取り戻しマウスポインタを引っ込める。なんとも恥ずかしい行為だ。創作者は感想を求めるのが常としても、それを求めすぎるのは浅ましき乞食のようだ。さらにそれをボクがやっている。鏡を見たらさぞ醜悪だろう。
その後もボクの乞食根性は寝ても覚めず、仕事中も感想のことが頭にあった。家に帰る。
昨日は感想の雨だった。パソコンの前で第一に思ったのはそれだ。長編の更新のためになろうを開く。果たして、更新のために開いたのだろうか。赤文字を見るためにここに来たのではないか。
わざわざメッセージ確認を待った。
赤い輝き。感想が来ている。
何度も予想し妄想し想像した。だというのに、驚きで目を見開いた。次こそ、なんだ。何が来る。
クリック。ボクは文章を何度も読み直した。アドバイスでも批判でもなく、罵倒ですらなかった。それは、感想だった。
ようは、面白かった、と言っているのだ。
一言コメントに送り主の解釈が書かれている。ボクの知らない、ボクの作品の一面があった。ナンセンスギャグのつもりなのにえらくキレイな解釈だ。
芽生えたのは喜びでも落胆でもなく困惑。こんなシンプルなもの、考えもしなかった。実は皮肉なのかと勘ぐった。けれどもそうとは読み取れない。
何度も読み返すうち、心に笑みが浮かんだ。どう言い繕うとも、やはり嬉しい。
さて、返信しよう。返信画面を開き、それで停止する。何を書けばいいのだろうか。褒められた時の返しとは、何というのだろうか。
十分ほど考えたが何も浮かばなかった。この十分で小説を何文字書けただろうか。感想の返信はひと文字も浮かばなかったのに。
困った時のグーグルだ。「感想 返信」で調べる。色々出てくるが、なろうに限定したものは少ない。「なろう」を追加。返信の仕方が出てくる。心得とか様々。例文もあるが味気ない。批判への対応ばかりクローズアップされがちだ。やはり自分で考える他なさそう。
かれこれ数十分。書いては消して、書いては消した。これだ、と思った文章も恥ずかしく、消してしまう。これでも物書きなのに、千文字未満の文言に死線を繰り広げるとは。
感想を見てから合計四十分。やっと文ができた。先の例文とそう変わらない簡素な言葉。
返信する。
不快にさせないだろうか。そもそも見るだろうか。不安の闇鍋。
長編の更新もした。この作品には、まだ感想が来ていない。来て欲しい気持ちとそんな自分への嫌悪が混じる内心。長編の評価を見てみる。星が三つ。前と変わらないが、満足感がある。
その下。変化を発見。ゼロが一になっている。ブックマーク数だ。誰かがボクの作品をブックマークしている。これも、初めて。
いいねなる欄にも、1の数。
ブックマーク、いいね、感想三つ、星三つ。深夜。パソコンは点いている。
執筆を始めた。筆が元気だ。