なろう小説はクソなので批判されて当然!なろう作家はもっと真剣に創作に取り組んだほうがいいと思いますよ!とりあえず思いついたなろう小説がクソな理由を並べてみた!
なろう小説は質の低い作品が多い。
たとえば海外の古典的名作のような何年も先まで読まれ続けるような名作のような作品はほとんどないような気がする。
ランキング作品を見渡してみてもどれも似たり寄ったりで作者のオリジナリティが感じられない。
小説というのはいろんな作者が必死に頭を張り巡らせてうんうん唸って他の作者なら絶対に書かないようなオリジナリティ溢れる作品を書く作者がやっぱり偉いと思う。
なのでなろう小説みたいなクソで固めた金太郎アメ、略してクソ金太郎アメみたいな作品ばかりだとどうしても辟易してしまう。
実は凄い能力を持った主人公がパーティから追放されて真の力に目覚めたり、婚約破棄されてから真の力に目覚めるような作品ばかりがランキング上位にいるのは多様性的観点から考えても0点です。
ちょっとでもまともな作品を読んでいる読者ならこんな劣化なろう小説の劣化コピーみたいな作品ばかりが読まれている現状にはショックを受けざるを得ないしさすがに不正行為を疑う必要もあるだろう。
最近エッセイジャンルでいくつかのなろう批判エッセイを拝読したのだが、やはりこういった批判がエッセイジャンルのランキング上位に来ることを考えるとおそらくほとんどの読者は今のランキングに不満を持っているということが容易に推測できる。
いつも不思議に思うのだがランキング上位にはいつも同じ作者の名前が並んでいる。しかもそういったいつもの顔ぶれは一日になんと千ポイント以上を簡単に稼いでしまうのだ。
作者の皆さん、これ変だと思いませんか?
一日で千ポイントということは単純計算にして千人くらいの読者からブックマークをしてもらわなければならないということだろう。
更にひどい例になると一日で一万ポイント、も稼いでしまう人もいるのだがこれは確率論的に考えてもあり得ない数値に思える。哲学的にも。
そう考えるとやはりランキング上位作品は不正によってランキング上位に居座っていると考えた方が自然なのではないかと思えてくる。
普通に考えてあんなありきたりで何の捻りもないテンプレ作品に読者が評価点をバンバン放り込むはずがないし、基本的に小説を読む人はこれまでに読んだことのない独創的で本格的な作品を求めていると考えられるからだ。
では具体的にどういった不正が行われているのかについて、詳しく見ていきたいと思う。いくつかのエッセイによって先行研究が行われていたようなので、それらを参考にしながら自分なりにこれは不正なのではないかという点を列挙し、一つ一つ考えていきたい。
不正その①:書籍化
書籍化作家の新作がアマチュアと同じランキングで争うのは不正と言わざるを得ない。
プロはプロなのだからプロらしくプロの舞台でプロと戦うのが正道であるということは5歳児でも理解できるだろう。ギリギリ犬にも理解できると思う。
この不正を何とかするためには、ランキングをプロのものとアマチュアのものに分けるといいのではないかと思う。そうすればきっと目利きの読者はアマチュア作品の中から良作をバンバン発掘してくれるだろうし将来の大作家もそこから生まれてくるだろう。
不正その②:新作ガチャ
ポイントの伸びが悪いからといって途中でエタらせて新作をどんどん発表するのは不正と言わざるを得ない。ランキング上位勢は読者のことを何も考えていない。
読者は面白い作品を発見しても次々とエタさられらせられお話を最後まで読むことができない。
曲がりなりにも書籍化経験のあるプロならどんなに評価が悪くても完結まで書き切るのは当然だし、アマチュアも完結まで書かなければ小説を書いたとは到底言えない。
読者は色々と忙しい中を何とか時間を割いてあなたの作品を読みに来ているのである。こういうお客さんを蔑ろにしていては作者として失格。人間失格であろう。恥の多い人生を送れ。
不正その③:テンプレ
ありきたりなテンプレに頼るのは最早不正と言わざるを得ない。オリジナリティや重厚な世界観を重視せず、読者にウケるからといってどこにでも転がっているようなテンプレファンタジーばかり書いてしまうのは思考停止だ。作者として真に正しいことは、そういった読者ウケ、ランキング攻略より前に、本当に面白いもの、唯一無二の色彩、圧倒的なSTORYなどの個性を前面に打ち出した印象深い名作を書くことだと思う。そうすることではじめて読者も評価点を入れてやろうかなという気になるのだ。
不正その④:クレクレ
前書きや後書き、あらすじなどでブクマ評価点クレクレをするのはみっともない。物書きなら物書きらしく、自作に誇りを持ち、余計なクレクレ文章で読者の興を削がず、ただ作品の面白さのみで読者に訴えかけるべきだ。それが出来ないならもう何も書かないでほしい。物書きとしての矜持を持たず乞食みたいにポイントを欲しがるのは餓鬼畜生以下である。来世は虫に転生しろ。
不正その⑤:長文タイトル
長文タイトルは不正である。これは一般教養レベルでなろうの外の読者にも浸透している事実だが、どうも井の中の蛙状態のなろう作家にはこの辺が理解されていないように思う。
小説とは、読者の想像力にいかに訴求するかという勝負だ。
漫画やアニメ、映画などとは違いあくまで文字だけで全てを表現しなくてはならないからこそ、逆に全てを書いてしまってはいけないのだ。これでは読者は想像力を働かせる余地も、ストーリーの先の展開を予想する楽しみもなくなってしまう。
下品なタイトルは即刻止めて、全ての作者はタイトルを5文字以下にすべきだ。スッキリとして意味深で、ミステリアスなタイトルが並ぶランキングのほうが小説というメディアの性質から考えれば遥かに健全といえる。こういう風になれば外部で笑いものにされることもなくなるだろう。
なお、本エッセイはあえて長文タイトルを採用しているが、読者の代表としてエッセイ神が書いているものなので例外である。
不正その⑥:ご都合主義
ストーリーに起伏がない作品が多すぎる! 主人公がいきなりチートスキルで夢精し特に理由もないのに女子からチヤホヤされ偉い人達に認められ苦戦もしなけりゃ悩みもしない。こんなものを読みたい読者なんか誰一人としていないという純然たる事実から目を背けるな! ご都合悪い主義を書け! 毎回苦戦しろ! キャラを掘り下げる過去編をワンピースくらい執拗にやれ! ベルセルクくらいしっかり書け!
不正その⑦:毎日更新
えっ? 毎日更新が不正だって? Why Japanese People!? と思われるかもしれないがこれも立派な不正である。先行研究エッセイにも書いてあった。恐らく古事記にも書かれている。
まず、普通の作家は自作の隅々にまで全力投球しているはずである。たった一行の地の文を生み出すのに2年くらいかけていても何ら不思議はない。それだけ魂を削る作業なのだ。
毎日数千字を書き続け、不躾にも駄文を更新し続けている作者は品性が足りない。そんな速度で名文が生み出せるわけはなく、単なるその場しのぎの、一部の読者に迎合しただけの甘ったるいチョコレートみたいな駄文が生産され続けることになるのだ。チョコレートの原料であるカカオ農園で働く子供達の貧しさについて、今一度真剣に思いを馳せてみるべきだろう。
不正その⑧:細切れ投稿
これは上記の不正⑦とも関連してくるのだが、毎日更新なんて続けていると本来切るべきでない場所で物語がぶつ切りにされるという由々しき事態を招く。
そもそもなろうランキング作品は一話あたりが千字~三千字と、とても少ない。先行研究によれば読者は最低でも一話五千字は読みたいものなので、作者は毎日更新でクオリティを落とさずにじっくりと中身を作りこみ、真剣に読者の求めるものを提供することに注力して頂きたい。この辺の真剣さは文章にも滲み出てくるものだ。真面目に書いてもいないのに評価クレクレなどもっての外。本気で読者と向き合い、清貧さを持ち、稀代の名作を生み出し続けることこそが求められる時代になってきているのだ。
毎日更新して新着欄に何度も顔を出し読者にアピールするなど実質枕営業である。ビッチめ!
不正その⑨:面白い作品を書く
これは少し詳しく説明していきたい。より正確に言うと、面白い“だけ”の作品を書くのは不正ではないかということである。
小説とは本来、ストーリーラインやキャラクターの中に作者が伝えたいこと、テーマを含ませ、読者に色々とそれについて考えさせるようなある種の社会的問題提起の側面をも持っていると思うのだ。
ランキング作品がどれもこれも中身スッカスカに感じるのはこういう真のテーマ、物語の骨子、裏に潜む作者の教養であったり伝えたいことが無いからこそ、読者の心を全く揺さぶらないというところにこそ原因があるのではないかと愚考する。
ならば作者が真に目指すべきは、カジュアルな面白さのもっと先にある物語の深奥、と言えるのではないか。面白くない作品を書け! 読者はちゃんと読み解いてくれる!
不正その⑩:小説家になろうに投稿する
よくよく考えてみればwebの小説投稿サイトに小説を投稿するという行為自体が不正なのではないか。
小説家たるもの、清貧さと高潔さを持ち、常に沈思黙考し、周囲の声に流されることなく一つの作品を徹底的に高め続けることが大事だ。
そのためにはwebで書くという行為から解脱する必要があるように思えてならない。
粗末な藁葺き小屋で、ホタルのケツランプを明かりとし、原稿用紙に手書き。で、出版社に持ち込み。これが小説家のあるべき姿なのだ。
かつての苦学者である二宮金次郎のような努力、略してクソ金次郎努力をしなくてはならない。
さて、ここまで様々ななろう作家界隈に蔓延する不正について暴き立ててきたが勘違いしてほしくないのは、こういった不正に手を染めていない立派な作者も大勢いるということである。
創作に真剣に取り組んでいる作者の皆さんには盛大な拍手をお送りしたい。そして、これからの小説家になろうが本物の創作者たちによって健全な形になってゆくことを願ってやまない。
創作とは本来自由である。多様性を持つべきなのである。ランキングが似たり寄ったりな作品に占められているのは多様性の観点から言っても0点である。
ファンタジーも恋愛もSFもホラーも純文学もエッセイも、ありとあらゆるジャンルがバランスよく読まれるような多様性を尊重したランキングにするためには、しょーもないテンプレばかり書く作者を弾圧しなくてはならない。正義の鉄槌を振り下ろさなくては。
作者のオナニーを許してはいけない。読者は常に厳しく作者を見詰め、つまらない作品ばかりがランキングに上がらないようにしよう。完結もさせず傑作も書かず甘ったれたことを言っている作者がいたら、あえて厳しくムチを振るい成長を促そう。ちょっとやそっとの叱責で心が折れる作者なら所詮その程度だったということだ。
なろうには良作が足りない。“誰でも自由に書いて投稿できるサイト”だからといって自由に書いて投稿するな。読者に最大限の感謝をしろ。リスペクトしろ。
クソのままで良しとするな。
粛々と独創的で深みのある名作を書くこと、それのみが真の小説家への道なのだ。
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お願いします。一緒になろうを変えていきましょう!