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五人とひとりと怪事件  作者: 楊 星龍
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五人とひとりと聖なる夜 2章

 目の前のウィンドウ越しの大通りでは、白と黒の車が何台も停まって、防弾チョッキ姿のお巡りさんがメガホン片手に呼びかけている。君達は包囲されている、人質を解放して速やかに投降したまえ。ど定番通り越してベタなあれです。

 その呼びかけを聞いて、オレンジ色のウィッグのピエロマスクが、黙って仲間にうなずいて顎を軽くしゃくると、紫色のウィッグのピエロマスクが、背負っていた登山用のバックパックからでかい銃を出した。出入り口に立つと、開いた自動ドアの前でそのまま、いきなり発砲。ばららららららら、とあんまり銃を撃ってるようには聞こえない音がして、音と同時にパトカーに穴が開いたりガラスが砕けたりする。わあわあと阿鼻叫喚な叫びが聞こえて、紫髪がすぐ引っ込んできた。

 お疲れぃ、とオレンジ髪が声をかけるが、黄色いウィッグのピエロがどうすんだよう、とため息をついた。

「五分で終わる仕事がこれかよう」

 俺の方がため息をつきたいところだが、これから俺達どうなるんですか。

 

 俺の名前は八木真。友人達と一緒に、買い物をするのに小遣いをおろしたくて銀行へ寄ったら、いきなり強盗騒ぎに巻き込まれて、小一時間経った現在もなお人質真っ最中。強盗がどうなろうとどうでもいいけど、あの、まさやんの妹の誕生日ケーキ買ってやらないとだから、甘味処の看板ケーキが売り切れる前に解放してもらえませんか。

 

 支店の中に残っていたのは、受付にいたお姉さんと、通報スイッチを押した小太りのおっさん、それから、バックパックいっぱいに札束を詰め込んだ黄色いウィッグのピエロに銃口で促されて出てきた、なんか偉そうなおじさんの三人だった。やっぱり後ろ手に縛られて、俺達と並んで一箇所に集められる。偉そうなおじさんは、支店長だと名乗ってから、お客様にまで被害が及ぶとは、とひと言、俺達を見てうな垂れた。おっさんは震え、お姉さんが啜り泣き始める。源と結城と忠広がお姉さんを慰めている間、桜木さんは支店長さんと、支店の建物の構造について話をしていて、まさやんは黄色い髪のピエロ相手に駄弁っていた。

「お兄さん達、足捌きが違うと思って見てたんだけどさ、なんかやってたか? 俺剣道やってるから、そういうのつい見ちゃうんだよなあ」

「いや、ちょっとかじった程度だぜ」

「じゃあ素質があるってことか」

「そうかあ? 格闘術をな、ちょろっと。この後の作戦のためにな」

 作戦? 何それ。

 そこで黄色ピエロは桜木さんの様子を窺いながら、まさやんに耳打ち。

「俺ら、ここで金作ったら、武器買って組織に合流する予定なんだ」

「組織」

 思わず鸚鵡返しすると、まさやんが俺に目線で合図。誰だ、アイコンタクトは不可能だとか言った奴。

 ──できるだけ冷静に、ここで起こっていることを観察しておけ。

 俺は黙って軽くうなずき返した。

 黄色ピエロは、今夜竹芝に行けば、取引相手からすげえ得物が手に入るんだ、とまさやんに囁いた。

「軽機にロケットランチャー、それだけじゃないぜ。値段がうまく折り合えば」

 ヨロイが手に入るんだと、黄色ピエロは更に小声で言った。

 は? 鎧?

 俺とまさやんがキョトンとしていると、黄色ピエロは人間が着るやつじゃねえよと笑う。

「機動ユニットだよ。アフリカとか南米とかでよく使ってるだろ。アクティブアーマーってやつだ」

 俺とまさやんは、ピエロの言葉に目を剥いた。ダメじゃん。それガチでやばいやつじゃん。さすがに俺でもニュースとか報道番組で見て知ってるぞ。人間の体の動きをサポートしながら、機動力と火力を追求した結果できた、モンスターユニット。「着る」というよりもはや「乗る」としか言えないくらい巨大になった、言うなればロボットみたいなもんだ。搭乗者の身体感覚を延長して、巨大な体を自然な動きで操り、人間の腕力では持てない重量の武器を軽々と取り回し、高馬力と特殊鋼のボディで足場の悪さもものともしない。ただし、十メートルに及ぶ巨体を、人間が違和感なく操るために、特殊なコントロールシステムを必要とし、それゆえに本体の値段はもちろん、維持コストもまたとんでもない金額になることでも知られていた。

 そんなもんを、誰がどうして売ってくれるの。どっかの国の軍隊とかでもない、個人に。

 まあ、組織とか言ってるけど、それだってこんなところで強盗してる時点で、その規模はお察しですが。

 中古もいいところだけどさ、でも手に入ればなんでもできるだろ、と黄色ピエロは自慢げだ。まさやんも、ピエロの機嫌を損ねない程度にすげえな、とだけ相槌を打っている。桜木さんが気づいて、俺に小声で囁いた。

「肥後君はなかなか頭脳派だね。ストックホルム症候群を利用して、彼らの情報を引き出そうとしてる」

「それって、人質と監禁犯がだんだん意気投合して仲よくなっちゃうあれですか」

 実際、小一時間も経ってしまうと、その辺の緊張感はだいぶ緩み始めていた。

 まず、最初の十分ちょっとばかりはカウンターの前に並べられていた俺達人質だったけど、人質がいるぞと警察に認識させるのが目的だったらしく、説得の言葉に人質を解放して、という文言が織り込まれているのを聞くと、すぐにカウンターの裏へ移動させられた。オレンジ髪のピエロがリーダー格らしく、カウンターと店舗側への入り口に陣取っている。そこからだと、表側はもちろん、扉を開け放ったバックヤードの様子も見えるからだ。バックヤードは金庫室と裏口があって、裏口にはさっきから、紫色のピエロが取り付いて何か細工をしていた。さっきからまさやんと駄弁っている黄色のピエロは、どうもグループの中では下っ端のようだ。最初のうちこそ、これからどうなるのかと恐怖で泣いていた窓口のお姉さんは、源と結城、忠広に慰められ、黄色ピエロがヘアアレンジを褒めるとだいぶ緊張が解れたのか、笑顔も見せるようになってきた。例の小太りのおっさんは、支店長と桜木さんが料理の話などしているのを聞きながら相槌を打っている。

 俺はぼんやりと、比企はあの電話のあとで何を始めているんだろう、と思っていた。

 あいつのことだ。あの、話の途中で不自然に切られた電話に違和感しか覚えないだろうし、俺達と桜木さんが一緒にここにいると言った以上、この支店で何が起こっているのか、情報を集めるはずだ。いつ、どのタイミングで動くのか。

 紫ピエロが戻ってきた。

「できたよ。あいつら裏口から来れば、戸を開けた瞬間にドカン、だ」

 まじかよ。どうりで、入ってくるときにきっちりドアを閉めたわけだ。

 オレンジピエロがよし、とうなずいて、表に面したウィンドウのブラインドを閉じた。それから、唯一外の様子が見える自動ドアから、警察に向かって宣言。

「人質を解放して欲しかったら、車用意しろ。当然尾行なんかしたら、人質は死ぬぜ。そのつもりでな」

 それから中へ引っ込むと、これで奴らは裏から押し込むしか手段がなくなったな、と、実に機嫌よさそうに言った。

「表はこの通り、視界を塞がれて様子が窺えない。となると、俺達を捕まえてあんたらを解放するには、裏から来るしかないわけさ。連中、裏口に主力を集めるだろうが、裏にはトラップが仕掛けてある。お生憎様だ、混乱している隙をついて、表から堂々と出てやるよ」

 しゃがみ込んで桜木さんの顔を覗き込むと、公務員のにいちゃんには申し訳ないが、とオレンジピエロは、

「組織の存続がかかってるからな、こればっかりは譲れない。金はいただいて行くよ」

「…君ら、さっきから組織としか言わないけど、どこに所属してるのかな。巻き込むなら、その程度の置き土産くらいくれてもいいんじゃない? 」

 桜木さんが静かに訊ねると、ピエロはちょっとだけ考えてから、じゃあヒントだと言った。

「そうだな、俺達ほどこの星を愛してる人間はいないんじゃないのかな」

 なんっっじゃそら。わけわからん。

 なんじゃそらと言わんばかりの俺達の様子に満足いったのか、オレンジピエロは人質全員をカウンターの表側に移動させた。

 そのタイミングで再び流れ出す「ムーン・リバー」。

 電話に出てもいいかな、と桜木さんが訊ねた。

「これが最後かもしれないし、電話に出ないと怪しまれるだろうから」

「さっきみたいな余計なお喋りはなしで頼むぜ、公務員さんよ」

 ピエロがさっきと同じように桜木さんの虹彩認証でスイッチを入れ、通話ボタンを押し、スピーカー通話にすると、いつものように淡々とした比企の声が流れ出す。

「私だ。今近くまで来たのでな、これから迎えに行く。いい子にできたら、みなとやの子育幽霊飴を買ってやろう。では後ほど」

 会話も何もなく、一方的に言うだけ言って切りなすった。しどいわ。てゆうかみなとやってどこの店やねん。

 さすがにオレンジピエロも呆れている。おかしなお嬢ちゃんだな、とひと言、迎えってどうするつもりなんだかな、と笑った。

 その瞬間。

 裏口に繋がる扉が弾け飛んだ。

 

「やったか? 」

 驚きながらも表から出ようと立ち上がるピエロ達に、俺はやめたほうがいいっすよ、と忠告。

「こういうことしながら、表から堂々と入ってくるのが比企さんだから」

 俺の言葉と同時に、自動ドアが開いた。

 見慣れた白コートを纏った比企が入ってくる。ちょっと散歩ついでにバイト代を貯金しにきた、という風情で。

 呆気に取られているピエロ達を一瞥しただけで、比企は迷わずオレンジピエロに向かった。リーダーと見抜いたのだ。デコピン一つで壁まで吹っ飛んで、オレンジピエロは気絶した。続いて紫ピエロに向き直る。

 ここで紫ピエロがやおらジャンパーを脱ぐと、腹にぐるっと巻いたC4火薬があらわれた。

「やややるならやってみろ、ここにいる全員がふっ」

 飛ぶぞ、と続けようとしたのだろうが、比企はあっさりと、ピエロが握る起爆スイッチをデコピンで弾き飛ばした。そのまま額にもデコピンで沈没させる。

 その様子を見ていた黄色ピエロが逆上して、拳銃を抜いた。うわあと喚いて比企に向けて発砲、したものの、比企は首を軽く傾けただけでそれを避けると、後ろのウィンドウがシャーン! と派手な音で割れた。ヒイ、とへたり込んだ黄色ピエロと、ピエロが取り落とした拳銃を見て、比企はやれやれと肩を揉む。

「アキュ・テックか。こんなパーティーグッズ、実戦でまともに使えるわけがないだろ。持つならせめてタウルスくらいにしてくれよ」

 かったるそうに壁の時計を見る。時刻は一時半になろうかというところで、なんだかんだ、俺達は二時間もここで縛られてたのか。

 比企はそのまま愛用のスチェッキンを抜くと、チラリとも見ることなく、黄色ピエロの股間スレスレをフルオートでぶち抜いた。バババババ、と連射の音がして、黄色ピエロの股間にシミができる。うん。怖いよねえ。俺もたぶん、比企に同じことされたらおしっこ漏らしちゃうと思うから平気。落ち込むなって。

「こういうことができるぐらい信用できる性能のものを使わないとな。道具選びは人となりが見えるんだ。いい加減な道具を使うと、いい加減な人間だと思われてしまうぞ。気をつけろ」

 比企は説教とも助言ともつかないことを言いながら、まず戦意喪失した黄色ピエロから順々に、結束バンドで両手両足を縛っていく。

 一通り縛り上げると、ふいー、と息をついて、俺達が固まって座っているのを見た比企は楽しそうに笑った。

「無事で何より」

 その笑顔に、桜木さんが悲しそうにため息をついた。

 

 俺達はそのまま、表から警察の皆さんが入ってくる前に、しれっとATMで小遣いを引き落とした。だってほら、ケーキ買わないと。まさやんの妹が楽しみにしてるし。

 とはいえ、まあ無理だろうと思ってましたがね。絶対事情聴取だのなんだので拘束されるだろうとは思ってたの。結局ケーキはお流れ。明日にでも出直そうってことになりました。仕方ない。

 警察署で代わる代わる事情聴取を受けて、銀行に行ったら強盗が入っていて窓口のお姉さんを銃で脅してました、から何があったのかを説明して、やっと解放されたのが午後四時前。すると、今度は念のために病院で検査を受けるようにと言われて、え、今から病院? まじで? 俺らいつ帰れるの?

 すると。そこで比企の一声が出た。

「ならば私の師父にお願いすればよかろう。短時間で済ませてくださる」

 思い切り怪しんでるお巡りさん。いやお嬢ちゃんそんな勝手を言われてもね、と嗜める目の前に、例のマル勅探偵のIDを突きつけると、私の師父はそこらの医者坊いしゃぼん如きなど比べ物にならんぞ、と叩きつけた。

「何せ真物の仙人だ。医者が半日かけて検査するようなこと、師父なら数分会話するだけでお見通しだ。貴君らはこれ以上私の戦友達を無駄に引き回し疲労させるつもりか」

 探偵IDに目を丸くしているお巡りさんを置き去りにして、では行こう戦友諸君、私は腹が減っている、と比企はスタスタ歩き出した。

 やだ、比企のお師匠さんだなんて、そんなの気になるに決まってるじゃないですか。俺達はうなずき合って立ち上がると、比企のあとを追いかける桜木さんに続いた。

 

 それで、とひと言、男は茶を啜って肩を揉んだ。

 長身で白皙、知性的な風貌なのにどこか物騒な空気をまとい、若いのだけど年齢不詳という、矛盾した印象が並び立ちながら衝突することなく共存している。

 黒いシャツにジーンズ、白衣姿のこの男が、比企のお師匠さんだった。

 剣聖李龍牙。崑崙山に洞府を構える仙人だという。てゆうか崑崙山ってどこ。

「中国だな」

 李先生は江戸っ子みたいな口調で、のほほんと答えたものだ。見た目は若いしイケメンというより美青年という感じなのに、ほうじ茶啜ってごま煎餅をバリバリ齧っていて、なんか爺さんみたいだ。見た目は若いのにね。

 先生は本当に先生だった。俺と忠広の家の最寄りである東駅の隣、国営公園駅のそばで接骨院を経営していたのだ。秋口に開業したのだそうで、この場所を選んだ理由はたった一つ。

小梅児シャオメイアルがこの男の家で下宿してるっていうからな。本当なら俺のところで面倒を見てやりたいところだが、これで俺も忙しくてな。かわいい弟子の顔を見に日本へ来てみれば、こんな胡散臭い男が上司になっていてだ、仕事を盾にとって梅児を手放しゃしねえ」

 俺達全員を診察室で並んで座らせ、そうか梅児にも友達がなあ、としみじみうなずき、俺達に茶を勧めながら、いやもうぼやくことぼやくこと。なんだか、溺愛するひとり娘に男が言い寄るのを快く思わない父親のようで、俺達がイメージしていた師弟とはちょっと違う。俺がそう言うと、

「坊主、仙人が弟子に取るってのはな、自分の子と思って育てるってことだ」

 李先生は比企そっくりの太い笑みでそう答えた。

「梅児や、警視殿がうるさいとか警視殿が臭いとか、警視殿が若い男特有のねちっこい視線でいやらしく見てくるとか、嫌なことがあったらいつでも来るんだぞ。こいつ捕まえて、庭の木に吊るして、小虎シャオフー扁拐へんかいで叩かせるからな」 

 ヘンカイってなんだ、と思ったら、仙人が持ってる杖だそうです。よく漫画やアニメで仙人が持ってるあれ。確かにあんなのでぶっ叩かれたら痛いわ。

 李先生の健康診断は、本当に診断してるのかよと不安になる程一瞬で終わった。俺達を順番に一人ずつ立たせて、ちょっと離れたところで向き合って立って、頭の先から足の爪先までを指でつーっとなぞると、今度は後ろ向きに立たせて同じように指でなぞってから、脈を取ってハイおしまい。だけど、それだけで李先生には全部お見通しだったのだ。

 本当にこれが健診なのかと思う診察のあと、俺達はそれぞれ、生活習慣からくる症状を見事に指摘され注意を受けた。俺は間食しがちで飯が控えめになりがちなこと、結城は身長が高いせいで背を丸める癖があって腰を痛めていること、忠広はスポドリに頼りがちなせいで腹を壊しやすいことを指摘された。普段の食事なんて話題にもなっていないし、何より李先生は、比企から戦友ですとだけ紹介されると、そうかとうなずき即診察に入ったので、挨拶しかしてない状態だったのだ。

 バラエティコンテンツなどで、たまになんでも言い当てる千里眼だとか言って出てくる人間は、例外なく相手と雑談を交わし、何がしか手がかりを得たところであれこれ結果を口にするが、李先生は雑談も何も一切なし、ぶっつけでピタッと言い当てた。事情聴取が終わって病院へ行けと言われたとき、比企が警官相手に言っていたことは全部本当のことだった。いや、それ以上だ。だって会話どころか、挨拶しかしてないもん。俺ら。

 李先生は、簡単な所見をメモにして桜木さんに渡し、これで文句が出たら俺に回せ、とひと言で片付けた。奥から折り畳みテーブルを出して来て、お茶を淹れて俺達に振る舞い、それで、と切り出したのは、

「梅児は学校ではどんな様子なんだ。お前さん方だけでなく、女の子の友達はできたのかね」

 ただのお父さんじゃん。本当にそんなすげえ仙人なんですか。予備情報一切なしで俺達の体の症状や生活習慣を言い当てたのがなければ、ただのお父さんで終わっちゃうよ。

 美羽子のことを話して聞かせると、李先生はとても喜んだ。

「いやよかった。この子は自分より弱いものを見ると、自動的に守る対象と捉えるからなあ。友達というよりボディガードとか盾に徹しちまうんだな」

 坊主ども、今度そのお嬢さんも連れて遊びに来い、と嬉しそうに李先生は言った。

 しかし、随分と比企は先生にかわいがられているものだ。ぼんやりそんなことを思って見ていると、俺の顔を見て察したのか、先生はいやまったくなあ、と苦笑いした。

「大人連中に色々背負わされて、諦めて背負わされたまま育って、こんなに手のかかる弟子は初めてだよ」

 

 その翌日。俺達は改めて集合して、昨日の仕切り直しで稲荷神社前の菓子屋へ足を運んだ。

 わいわいと昨日のことなど話しながら店へ入ると、そこには先客の姿が。

「結局昨日は買い物しそびれちゃっただろう。それならいっそイートインで食べてみようかと思って連れ出したんだ」

 桜木さんは、これまでに見たことがないくらいシリアスな表情でガラスケースの中のケーキを見ている比企を、心底幸せそうな顔で見ながら言った。

 うん、俺たちお邪魔ですよね。ごめんね。ケーキ頼んだらすぐ帰るので。

「だめだ…。私はもうだめだ…。一つになんて絞れない…。豆乳プリンも気になるが、栗きんとんのモンブランも頭から離れない」

 ずーっとぶつぶつ呟いてる比企のそのさまは、なんか呪文みたいでちょっと怖い。カウンターのお姉さんが軽く引いてるぞ。

「それなら両方頼もうか」

「…っ、これを、」

 桜木さんが提案するのと、比企が震える指でモンブランを指したのとが重なったその瞬間。

 ぴるぴると事務的な着信音。

 一瞬の間のあと、あ、僕のか、と桜木さんが端末を出して通話ONにした。

 そこで我に返った比企が、やっと俺たちの存在に気がつく。なんだ貴君ら、いつ来たんだ、とのん気に宣うと、貴君らならどっちを選ぶ、とプリンとモンブランを指して訊ねた。

 うーんそうねー、俺ならモンブランの方が食いでがあると思うけどな。

 電話を切った桜木さんの顔が、さっきとは打って変わって硬ばっている。どうしたんですか、と訊ねたまさやんに、ああ、と桜木さんは頭を抱えた。

「昨日のあの強盗、逃げられたって」

 え。まじかよ。

 それを聞いた比企は、驚くでもなく、悪態をつくでもなく、実に冷静に、だろうな、とだけ応じうなずいた。 

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