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第6章 奇跡ではない生還

「どうしたのかね?」


 譽一辰之助に話しかけられ、エリザはモニターから顔を上げた。


「いえ、何でもありません」


 左目に眼帯をした男は、エリザが操作する端末のモニターを覗き込んだ。


「ここに彼の飛んだ高度の軌跡を出せるか」


「はい」


 彼はこの小さな部隊を率いる指揮官だ。


 だが、日本の自衛隊に所属しているわけでも、警察機構の人間でもなかった。


 階級などの肩書きはないが、アメリカ軍に所属していたときの最終位から、敬意と愛称を合わせて、皆は「イチ大佐」と呼んだ。


 エリザはキーボードをタイプし、収集された膨大なデータから、被験者が飛んだ高度を抽出してソートし、グラフを描画した。


「きれいな下降線を描いています。山頂の発射台から、まっすぐ一定の降下率で地面まで飛んでいます」


「君はそれをどう考える?」


 彼は必ず相手に答えを求めた。おそらくその解は、すでに彼の中にあるのだろうが、まず他人の意見を聞くのが、彼の流儀らしかった。


「飛び出した直後、機首は一瞬、下を向きます。おそらく素人なら、そこで操縦桿を慌てて引きます。ただ、引きすぎれば、機体は上を向きすぎて揚力を失って急降下、それを繰り返すはずです。けれど彼の飛び方にはそれがない」


「波打つように飛行していないと?」


 エリザは頷いて言った。


「彼にその能力が備わっているのか、あるいは‥‥飛行訓練を受けたことがあるかのどちらかです」


「訓練経験は無い」


 譽一はきっぱりと否定した。


「彼のことは調べさせてもらった。それこそ穴が空くほど()()()ね」


 譽一には、特別な権限が与えられていた。フライヤーとしての資質を持つと推定される人間に対して、日本のあらゆる捜査機関と組織を自由に行使するという権限だ。


 この施設も、彼の特権によって隅々まで設計され建造されたものだ。東京から、かなり離れた山奥にある研究所で、山肌を切り抜くように作られた施設は、まるで要塞のような造りである。


 周辺一帯を用地買収しており、一般の人間が近づくことなどあり得ないが、施設を取り囲むように高圧電線が張り巡らされ、常に監視カメラが稼働し、侵入者があれば即座に警報が鳴り響く。少なくとも麓からこの研究所まで行くまともな道はなく、我々スタッフも含め、ここへ辿り着くには「空」からしかあり得ない。


 さらに、近くの山頂には防衛省が管轄しているレーダーがあり、それを名目にしてこの辺り一帯は飛行禁止区域にされていた。民間機が容易に、この場所へ接近することもできなかった。


 エリザは、そこまでセキュリティーレベルを上げる必要があるのかと疑問を呈したことがある。だが、譽一はこう説明した。


「これでも甘めだよ。ここがアメリカなら、フライヤーによって簡単に侵入されるだろう」


 エリザの座るオペレーションルームから、大きなガラス窓を隔てて広いガレージが見えた。真っ白なタイル張りの床に、白い壁、天井には紫外線カットの特殊な蛍光灯が等間隔に並び、その部屋はまばゆい光に満たされていた。


 工具や、部品が収められる棚や機体を載せる台架も、白で統一されているせいか、整備工場という感じはなかった。どちらかと言えば、バイオテクノロジーか精密機械を扱うようなラボだ。実際、埃などが侵入しないための設備も設けられていて、中は集積回路の製造もできるようなレベルのクリーンルームにすることもできた。


 その室内では、パンチという白人青年が作業していた。ご自慢である赤毛のアフロヘヤーは、ヘアネットをかぶっているため、形こそ分からないが、耳元から収まりきれない髪の毛が左右へ派手にはみ出した様は滑稽に見えた。果たしてそのかぶり方で、クリーンルームの意味があるのかは疑問だった。


「まだ君は、あの残骸を見てないだろう?」譽一は言った。


「え、ええ‥‥」


「なら、来たまえ」


 譽一は、エリザをクリーンルームへ入る前の、エアシャワー室へと誘った。エリザは譽一に促されるまま白い作業衣を着込み、長い髪を巻き込むように、同じく白いヘアネットをかぶった。


 強烈な風が体中の埃を吹き飛ばした後、目の前の扉が開いた。


 ガレージ内の「白さ」が強く目に飛び込んできた。床は、ネジ一本落ちてなかった。左右の壁にはラックや、机が設置されているが、工具が飛び出していたり、引き出しが開いていることもなかった。これは、ガレージを管理する責任者の性格によるものだろう。


 エリザはこれほどまで整然としたガレージを見たことがなかったので、パンチに言ったことがある。


「まるで生物兵器の研究室ね」


「そうかな? 俺にはサイバーパンクの世界に出てくる、クールな核シェルターに見える」


 彼は、そう言ってから「整理のできないメカニックは、オーブンが使えないパン職人と同じだ」と言った。


 一見すると、いいかげんな男に見えるが手先は器用で、仕事に関しては几帳面だった。彼は常々、「工具ひとつでも紛失すれば、それが事故に繋がりかねない」という持論があった。


 小さな工具が、分解整備中のエンジンに紛れ込めば爆発事故に繋がることもあるからだ。


 そのため、彼は小さな工具にも、小指の爪ほどもない、シール状になったICチップを貼り付け、彼のパソコンのデータベースで所在がすべて管理されていた。


 ガレージ内に、譽一とエリザの足音だけが鳴り響いた。部屋の白色は、凛とした静謐さも放つような気がした。


 細長いガレージ奥に進むと、奥には粉々になった飛行機体が横たわっていた。墜落したその機体は、砕け散った欠片もすべてガレージに運び込まれ、パンチの手によって再構築されていた。


 それはまるで太古のときを経て、発掘された恐竜の化石だ。元の姿をイメージできるよう組み上げられ、博物館にでも展示されているかのようだった。


 エリザには、それが翼竜に見えた。今にも翼を広げ、ここから羽ばたき出るのではないか。


 パンチはその残骸の周りを忙しなく動き回り、ひとつの破片を手にとっては、まるでパズルでもしているかのように、角度を変えたり、裏返したりした。


「ほぼ、復元はできているんですがね」


 パンチは手を止め、入ってきた譽一とエリザに言った。


「まだ終わっていないのか?」


「最後ピースがどうしてもはまらないんですよ」


「最後のピース?」


 エリザが聞けば、パンチは肩をすくめて言った。


「パイロットだよ」


 譽一は、黙したまま、折れた右翼付近にしゃがみ込んだ。


「右翼がずいぶんと損壊している」


「ええ、おそらくは右翼から墜落したためでしょう。先端から先に地面へ接触しています」


「だが、操縦席付近は、無傷だ」


「そう。パイロットシートは、ほぼダメージ無しですね」


「どうして?」


 エリザが聞けば、パンチは再び肩をすくめると、まあ、これは僕の仮説だけど、と言って切り出した。


「右翼が地面に接触した瞬間、機体の重量は右翼にかかって止まり、機体は急激に右へ回った。コンパスのようにね」


 パンチは二本の指を下に向けて、空中で弧を描いた。そしてもう片方の手でその指を掴むと、折るような仕草をした。


「が、すぐに右翼は折れた。墜落の衝撃には耐えられないから」


「なぜそのまま横倒しで突っ込まなかった?」


 譽一が聞いた。


「その瞬間、パイロットは操縦桿を左に切ったからですよ」


「瞬間に?」エリザは聞いた。


 その判断をするのに、百分の一秒もなかったはずだ。もはやそれは意識的ではあり得ない。


「胴体の裏側を見てみな。中央から少し左側に傷があるよ」


 確かに地面でこすったと思われる傷があった。


「だから左翼は根本から折れているのか」譽一が言った。


「さすがイチ大佐。機体はすぐ左へ傾いたことで、今度は左翼が地面に当たった。けれど、それが折れることで、良いクッションになった」


「それだけでは助かるまい」


 パンチは肩をすくめた。


「その通りです。次に左の翼が折れる直前、おそらく彼は操縦桿を引いています」


「だから尻尾が折れてるのね」


「そう。操縦者は、飛行機体すべての手足をちょん切って、軟着陸をやってのけた」


 そのあとは、操縦席と胴体だけ残して地面を滑っていったということだろう。深い森の隙間をぬって。


 エリザとほとんど年齢は違わない杵嶋信司という少年が、何らかの能力を持っているのは、もはや疑いようがなかった。


 だが、エリザはあることに気がついた。


「垂直尾翼がないわね。回収できなかったの?」


 その質問に、譽一はゆっくりと立ち上がった。


「初めからついてない」


「え?」


 エリザは、彼の言っている意味がわからなかった。パンチが見かねて補足した。


「イチ大佐の指示で、垂直尾翼はカットオフしてある。さぞ左右へ振れる不安定な機体だったろうねえ」


 その少年は、垂直尾翼がない飛行機を軟着陸させたというの?――


 エリザが生まれるはるか前に、日航機が群馬と長野の県境にある御巣鷹山近くに墜落した。そのとき、旅客機は、垂直尾翼のほとんどを失っていた。極端に左右に振れる機体になっていたはずが、ベテランパイロットの高い操縦技術で、しばらくは飛行を続けた。それでも二度と、地上へ舞い戻ることはできなかった。


 ここまでくると、もはや訓練された技術でも、豊富な飛行経験でもない別の何かということになる。


「ここまでする必要はなかったのでは?」


 エリザは聞いた。


「真価を問うには、徹底した環境下にしないといけない」譽一は言った。


「下手をすれば死んでいたかもしれません」


 これが偶然というのなら、彼が生き残る可能性は一ミリもなかったはずだ。


「フライヤーなら死なない。杵嶋という坊やは、一度死にかけた体験をしている。能力は発現したと見て間違いない」


「これでイチ大佐の仮説がまた一つ証明されたわけだ」


 パンチが横から言った。


「フライヤーの特殊能力は、太古の時代、コウモリ類との共通祖先にあった種の飛行の記憶があったからではないかって言われていますがね」


「馬鹿馬鹿しい仮説だ」


 譽一は一蹴した。だがその声には、怒りも熱もこもっていなかった。まるで真実を淡々と語っているようだ。


「ハンググライダーの名人と、フライヤーとのちがいは何か?」


「訓練や経験の有無?」エリザは答えた。


「その答えでは、ギリギリ及第点だ。フライヤーは〝飛び方〟を必要しない。〝機会〟を与えられれば飛べる」


「なるほど」パンチが隣で唸った。


「私にはよくわかりません」


「フライヤーは、推進力が突然増えても、その力が、どう及ぼすか体が知っている。少し離れた場所にまた別の意識があって、それを客観的に()()()()()()


 エリザにはその仮説を、にわかに受け入れることができなかった。譽一もそれはよく分かっているようだった。じきに真実は明らかになる。そう言っているようにも思えた。


「ただ、一つだけ言えることがある」


「ええ、彼は生きてます」


 譽一が言うよりも早くエリザは言った。彼はニヤリと笑い、満足そうに頷いた。

「第7章」へ続きます。

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