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第5章 四十萬エリザの母の死

 四十萬(しじま)エリザは、夜更けに目を覚ました。


 エリザの寝室の窓に、何かが激突して、大きな鳴き声を発したからだ。


 驚きはしたが、ここ、チェサピーク湾が近い、バージニア州ノーフォークでは、カモメが内陸まで迷い込んで来ることはよくあった。


 おそらく真っ暗闇の中、寝ぼけて迷子になったドジなカモメが、窓ガラスにぶつかったのかもしれない。


 しかし、エリザが窓を開け外を見回しても、広い庭で動き回るようなものはいなかった。


「寝ぼけまなこのカモメさん」


 ふと題名が浮かんだ。さっそく今週の物語創作の授業で、この話を書いてみようか。そう考えた。


 エリザは眠い目をこすりながら、部屋を出てトイレへ行こうとした。ところが途中で、バスルームからシャワーが流れる音がして、はたと足が止まった。


 廊下はとても薄暗い。枕元の時計を確認してこなかったが、ずいぶんと遅い時間だ。母はなぜ今頃シャワーを浴びようと思い立ったのか。


 不審に思ったエリザは、扉をノックした。


 返事はなかった。シャワーが止まる様子もない。ノックの音が聞こえなかったのかもしれない。


「ママ‥‥」


 エリザは恐る恐る扉を開くと、バスタブのシャワーカーテンが開いているのが見えた。そこに、母の姿はなかった。ただ、シャワーからは熱いお湯が出続けていた。


「ママ、いるの?」


 もう一度呼びかけてみた。やはり返事はない。


 エリザがバスタブに近づいたとき、ハッとなって、足がすくんだ。血に染まる母の体が横たわっていたからだ。咄嗟に視線を逸らそうとした。


 だが、それよりも母の安否を見極めようとする意思が勝った。


「ママ!?」


 母はピクリとも動かなかった。瞬きひとつしない開かれたままの両目。首は、何か鋭利な刃物のようなものでざっくりと切られた跡があった。今も鮮血が滲み出ていたが、先に出た大量の血液は、首から下にかかる出続けるシャワーによって、バスタブの排水口へと流されていった。


「ママ! しっかりして!」


 エリザは母の両肩を揺さ振った。だが、彼女はピクリともしなかった。


「ああぁ!‥‥」


 救急車を呼ばなくちゃ――


 エリザはすぐに震える足取りで電話のあるリビングへ行こうとした。


 だが、そのとき二階で、一発の銃声が聞こえた。ここは街の中心地から外れた静かな住宅地だった。治安もそれほど悪くなかったし、周辺住民が寝静まった深夜に、鳴り響くような種類の音ではない。


 エリザにも、それが何となく発砲音であるとすぐに分かった。


「パパ?」


 二階には、父の書斎があった。しかし今日は研究所の宿直で、家には戻って来ないはずだった。


 エリザは、一刻も早く母を病院へ運ばないと行けないと思ったが、父のことも心配になってきた。まさか父が家に戻って来ていて、何者かによって傷つけられたのではないか。


 エリザは階段を駆け上がった。暴漢と鉢合わせするのではないかという恐怖心はなかった。それよりも父が撃たれて、母と同じく負傷したかもしれないという不安が先立った。


 二階に上がりきったとき、今度はゴトリと何かが床に叩き付けられる音が聞こえた。エリザは、父の書斎の扉を開いて中に入った。


 目に飛び込んできたのは、大量の血にまみれ、床に倒れている父の姿だった。


「パパ!」


 そして父の側に佇む一人の男がいた。銃器を手にし、静かに立っている。はたとエリザの足が止まった。


 血みどろの顔。その男は、左目に裂傷を負っていた。その足元にはナイフが落ちている。それもまた真っ赤な鮮血で染まっていた。


 まるで彼は、血の涙を流しているかのように思えた。


 まさかこの男が、父を、そして母をも傷つけたのか――


 心臓の鼓動が早くなり、押し潰されるような強い痛みを感じた。このまま意識を失ってしまうのではないかと思ったが、踵を立て、遠退く意識を引き寄せるように歯を食いしばり、声を絞り出した。


「どうして‥‥」


 押し潰されそうな恐怖や戦慄は、次第に自分の中で、その男に対する激しい憎悪に変わっていくのを感じた。


「どうして!」今度は大きな声が出た。


 男は、エリザに顔を向けることなく無言で立っていた。血を流す左目をこちらへ向けていたので、その表情は窺い知ることはできなかった。


 遠くからサイレンが聞こえてきた。住民が銃声を聞いて警察に通報したのかもしれない。


「ママを‥‥パパを‥‥どうしてなの!」


 その男は、自分を殺すだろうと直感的に思った。そして警察が駆けつける前に、姿を消すのかもしれない。不思議と覚悟は出来ていた。


 だが、男は銃器を手にしながらも、ただ黙って突っ立っているだけだった。それは操る糸を切られた人形のように、無機質で、そこに感情も、意思すらも感じられなかった。


 やがてサイレンの音が家の前まで迫った。一階の玄関や、窓ガラスが破られる音がした。警官にしては荒っぽい侵入方法だった。まさかこの男の仲間だろうか。エリザは恐怖に駆られた。


 そのとき二階の窓ガラスも割られた。同時にその男とエリザの前に、何かが転がってきた。それはエリザの足元に止まった。金属製の大きな塊だった。


 爆弾? 一瞬そう思った。ところが突然、その物体から煙が噴き上がった。エリザは叫び声を上げた。男はそれでも動じなかった。その場にずっと佇んだままでいた。


 これは催涙弾か、何か有毒なガスかもしれない。逃げることもできず、部屋はあっという間に煙で満たされた。エリザは激しく咳き込むと、やがては床に倒れ込み、そのまま気を失ってしまった。

「第6章」へ続きます。

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