表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

第4章 拉致され目覚めたところは

 気がつけば、杵嶋信司は明るく真っ白な壁に囲まれた部屋で、床の上に寝転がされていた。外界から陽光が強く射し込んではいるが、それは天井近くにある鉄格子のはまった窓からのものだ。


 悪い夢でも見ている気分だった。実際、白壁が焦点をぼかして、映像を結べない。目から入るものすべてに現実味がなかった。


 壁際に簡素な鉄パイプで組まれたベッドが置かれていた。そのベッドを移動させれば、鉄格子まで手が届きそうな気もしたが、その脚はボルトで床に固定されていた。


 そもそも杵嶋には脱出してやろうといった勇気も気概も湧いてこなかった。何か飲まされたか、注射でもされたのか。


 あるいは、拉致されたときに吸引させられたガスのせいなのかもしれない。


 いや――単に自分の意志薄弱のせいだろう。


 床に新聞記事の切り抜きが落ちていた。二片ある。いずれも高校生が、川に落ちて溺死したと報じているものだ。一つは杵嶋が住む町に流れる川だった。


「近所じゃないか‥‥」


 これは何を意味があるのだろうか。自分もいずれこうなるとの犯人側からのメッセージか。


 だが、白い部屋に長時間、閉じ込められていたせいか、すでに現実味は喪失していた。杵嶋にとってこの記事が直接、自身の生死に結びつくとは、とうてい思えなかった。


「気分はどうかね?」


 突然、背後から声をかけられ杵嶋は驚いた。そこに初老の男が立っていた。誰もいなかったはずのこの部屋にどこから入って来たのか。


 その男は左目に眼帯をしていた。それは白い医療用でもなく、黒い海賊みたいなものでもない。肌色に近いもので、遠目では左目が無く、顔の中で塗りつぶされ、消されたみたいだった。杵嶋は恐怖から唾を飲み込んだ。


「ど、どうして僕を‥‥」


 声が出なかった。しかも何を聞いて良いか分からなかった。ここへ連れてきた理由、この部屋に閉じ込められている理由、そして、その男がどこから来て、何者なのか。


 次々と疑問が浮かぶが、適切な質問にはならなかった。


「君にフライヤーの資質があるかテストしたい」


「え? 雨宮の?」


 男は首を傾げた。杵嶋はもしや雨宮の指示で、自分が監禁されているものだと考えていた。


「まさか、ぼ、僕ですか?」


 男は答えず、頷きもしなかった。ニヤリと笑っただけだ。そう――ニヤリ。


「一般にあるやつですか?」杵嶋は言い換えた。


 雨宮が受けたというテストキャンプのことを思い出した。


「あれは、民間の素人集団が勝手にやっているものだ。当てにはならない。我々のは正確だ。やや過酷な内容だがね」


 過酷? 杵嶋はその言葉にビクリとした。


「一般人なら三日もあれば充分だ。座学で知識を身につけ、多少の実践訓練を施せば、誰でも飛べるようになるよ」


 男は口元を釣り上げ不気味に笑った。


「なぜ、僕なんでしょうか?」


 他にも希望者や該当者は大勢いたはずだ。


「招待しよう」


 男はその質問には答えず言った。


 彼は、背後の壁を押すと、重量感のあるゆっくりとした動きで扉が開いた。白い部屋の壁に打ち込まれたリベットは、単なる壁の継ぎ目かと思っていたが、扉の一部を構成するものだったようだ。さらに強い日差しが部屋に射し込んだ。一瞬杵嶋の視界を奪った。


「ついて来たまえ」


 有無を言わせぬ口調だった。その先に階段があった。杵嶋は促されるまま、フラフラとした足取りで、男の後ろをついていった。


 そこはまるで光のトンネルだった。自分はこのまま黄泉の国へと導かれてしまうのではないか。


 やがて真っ直ぐにつけられた階段を数段登り切ると、表に出た。


 そこは山の頂上だった。


 足下から、山あいから吹き上げてくる強い風があった。ふだんなら、都会では味わえない心地よい風のはずだが、今の杵嶋には足下をすくませるだけだった。ここはどこだ?


「ここは発射台だよ」


「発射台?」


 そこはまるで全方位見渡せる、円形舞台だ。その中心に入り口があり、そこから杵嶋たちは上がってきた。


「こちらへ」


 男に案内されるがまま、舞台の端っこに立った。真下には樹木が隙間無く屹立し、所々山肌が露出していた。実際の山肌まではゆうに十メートル以上はある。飛び降りたら無事では済まないだろう。逃げ場はなかった。


 杵嶋はふと疑問が浮かんだ。あの部屋から地上へ行くにはどうするのだろうか? ということは、この男はどこから来たのか?


 標高があるせいか、麓を埋め尽くした一本一本の樹木が見えない。木々の点はやがてキャンバスを塗り潰し、恐怖を呼び起こすような濃い色の緑になって、杵嶋の両眼に染み入ってきた。


「ここは、長野にある、かなり山奥、とだけ言っておこうか」


 男はそう補足すると円形の発射台の片隅を指差した。そこには小さな乗り物が置かれていた。


「え?‥‥」


 単純な飛行機のようだ。両手を広げたほどの小さな翼の下には、人が屈んでやっと入れるような、筒状の胴体が取り付けられていた。その胴体の透明な窓から小さな椅子が見えた。滑空するには少し小さいと思ったが、翼上中央には、小型のジェットエンジンらしきものが取り付けられていた。その力で飛ばすのだろうか。


「ヘルメットは操縦席に置いてある」


「へ?」


「ディスプレイに表示される通りに飛びたまえ。やがて着陸地点が見えてくるだろう」


 ディスプレイ? 着陸地点? この人は何を言っているのか。


「飛行機の運転なんてしたことありません」


 思わず声が震えた。


「ただ飛べばいい」


 無茶を言う。


「で、できるわけありません」


 訓練経験はおろか、その知識もないのだ。飛べるわけがない。


「拒否はできない」


「いやです。家に帰してください」


 そのとき彼が、おもむろに懐から拳銃を取り出したので、杵嶋はギョッとした。彼は慣れた手つきで銃身部分をスライドさせた。


「家には帰れない。その場合は死体となって、ということになる」


 そのとき単なる脅しか?と思った。


 銃を突きつけ、無理強いして飛行機に座らせるつもりなのだ。


 だが、ふとそのとき、あの白い部屋に落ちていた新聞記事のことを思い出した。これは脅しではなく、本当に自分を殺すつもりなのではないか?


「ちょ、ちょっと待って‥‥」そう言って両手を突き出した瞬間、彼は銃口を杵嶋の顔面へ向けると、間髪入れずに引き金を引いた。


 ドンという発砲音と、衝撃波の両方をもろに顔面にかぶった。頭を撃ち抜かれたと思った。


 だが、衝撃は左耳をつんざいた。大きな羽虫が穴の中へ入り込むような圧力を感じ、杵嶋はそれだけで後ろにつんのめった。素人の杵嶋でも明らかに銃弾が左の耳元をかすめて飛んで行ったのが分かった。


 そのまま尻餅をついた。その場で動けなくなった。腰に力が入らなかった。しかも、下半身に温かく濡れた感触が広がった。


「あ‥‥」


 漏らしてしまった――いや、この際そんなことはどうでもいい。殺されかけた。この男に。


「乗りたまえ」


 男は構わず冷たい声を放った。もう一度、拳銃をスライドさせた。


 この男は本気だ――杵嶋は仕方なく、よろけながらも小型飛行機に近づいた。実際、近くで見るとずいぶんとミニサイズだった。本当にこれで飛べるのか。


 ズボンはビショビショに濡れたままだが、気にしている余裕はなかった。男が銃口をまたいつ向けてくるとも分からない。屈辱的だが、拒否できる雰囲気はまっかくなかった。杵嶋は狭い操縦席に入った。


 杵嶋は、シートにあったヘルメットをかぶった。やや狭い座席シートについたベルトを両肩に通して、きつく締めた。果たしてこれが正しい締め方なのかも分からなかった。


 男は、いっさい口出しをしなかった。それがまた不安にさせた。


 ディスプレイの指示通りに飛べ、と男は言ったが、飛行機にはどこにもその画面は見当たらなかった。目の前には、簡素なハンドルと、赤いボタンがあるだけだった。


「これがスタートボタンか‥‥」


 杵嶋は試しに押してみた。すると、かぶっていたヘルメットのバイザーに無数のデジタルマーカーが表示された。ディスプレイとは、ヘルメットに投影されるものだったようだ。


「指示通りって‥‥」


 記号のどれが、何を表しているのかもわからなかった。だが、バイザーに表示されるマーカーの中に、急激に伸びていくゲージが現れた。やがてそれは赤く塗られていたゾーンに入った。突然、頭上のエンジンが噴き上がった。


「え!」


 想像では、てっきり機体は、ふんわり浮くものかと思っていた。ところが機体は、一度ぶるんと大きく揺れたかと思うと、気づいたときには発射台を飛び出していた。


 急加速が、杵嶋の身体を押し潰した。


「ぐぇ‥‥」


 胃は押し潰され、昼に食べた弁当をヘルメットの中で嘔吐した。


 もちろん、機体を制御する間もなかった。景色はどんどんと後ろへ流れていった。飛行機というより、ミサイルに乗っているかのようだった。


 あっという間に目の前に山肌が近づいてきた。どんどん近づいてくる緑色の壁に、杵嶋はパニックになった。しがみついた操縦ハンドルをやみくもに引いたり押したりした。だが、まったく態勢を立て直せないまま、機体は深い森林の中に突っ込んだ。


 ここでまた杵嶋は、自分は死んだ、と思った。

「第5章」へ続きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ