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第2章 冴えないノンプレイヤーキャラクター

 杵嶋(きねしま)信司(しんじ)は、高校生になれば、劇的な環境変化が起こると信じていた。


 クラスメートからバンドに誘われ、音楽的才能が目覚めるとか。


 突然、知能が向上し、学年トップの成績をマークするとか。


 あるいはサッカー部に誘われて入れば、高速ドリブルの能力が開花し、一年生にしてレギュラーの座を射止めたりするとか。


 でも、どれも起きなかった――


 外的な変化を期待するのもどうかとも考えた。心機一転、自分から積極的に行動すればいいのだ。


 一応、父が所有していたアコースティックギターを引っ張り出してきて、こっそり練習してみた。そこそこ弾けるようになったが、難しいコードを避けて弾くのがせいぜいだった。


 サッカー部に入ろうともした。


 しかし、杵嶋が行ったときには、すでに定員で、募集を打ち切られていた。


 勉強も一生懸命にやってみた。だが、どんなに努力しても成績は平均してせいぜい中の下が、やっとだということが分かっただけだった。


 せめて才能のカケラもなく成績も最下位なら、諦めがついたかもしれない。努力しても中の下か、行っても中の少し上辺りという現実が辛かった。


 こうして杵嶋は、大きな変化を遂げることなく高校生活を送り、今年の春、高校二年生になった。そろそろ進路のことを考えなければならない学年だ。杵嶋の高校では進学に力を入れていたので、二学期後半から進学指導と共に理系か、文系かの選択を迫られる。


 クラスの組番号は、若いほど高い成績を表していて、杵嶋が一時的にもがいてみた勉強の成果が出て、たまたま「一組」に滑り込んでいた。


 しかし、そのクラスでの成績はダントツの最下位。もはや他の生徒たちの成績を上げるための母数でしかなかった。おそらく来年度の組決めでは、大きく組番は後退することになりそうだ。


「俺にはフライヤーの素質があるらしい」


 登校するなり、クラスでも成績上位につける雨宮祐介が、杵嶋に話しかけてきた。


「はい?」聞き返していた。


 なぜか彼は最近、こちらが望みもしないのによく絡んできた。その顔は、いつも自信に充ち溢れていて、さらにうっとおしかった。


「フライヤー[#「フライヤー」に傍点]だよ」


「へえ‥‥」


 微妙な相槌を打った。


 また彼のフライヤー自慢がはじまった。


 杵嶋は、辟易していた。


 最近、彼は長い髪を切った。これもフライヤーの訓練で、ヘルメットを着用するためだと言い、学校へ来るときは、短くなった髪の毛を中央に集め、整髪料で逆立てるようにした。


「超能力があるってことかい?」


 仕方なしに聞いた。


 〝フライヤー〟とは最近、ちまたで急に語られるようになったキーワードだ。科学的に充分な検証がされておらず、実際は、超能力か、スピリチュアルの類、夢物語か都市伝説のように思っている人たちも多かった。現に杵嶋はそう思っていた。


 雨宮は、杵嶋の懐疑的な表情を読み取ったのか、「いいか、杵嶋」と、口角泡を飛ばす勢いで身を乗り出した。


「フライヤーは、米航空宇宙局(NASA)のラングレー研究所にいる専門家の言葉を借りればだな、『特殊な飛行能力を持った人』という定義付けられているんだ」


「そうなんだ‥‥」


 我ながらまた、気のない返事になった。雨宮はその反応に失望しつつも言った。


「飛翔するための器官、つまり生物学上、翼や羽を持たないが、本能的に飛ぶことを知っている[#「知っている」に傍点]人たちのことだ」


「ふーん」とは返事をしたものの、なんだか前にも彼から説明を受けたような気がしてきた。


「太古の昔、コウモリ類と人類の共通祖先が、空を飛んでいた頃の記憶が、長い進化の過程を経てもなお、脳内の片隅に遺されていたという説もある」


 雨宮はお題目のように唱えたが、それも単なる仮説でしかないと、前にテレビで観たような気がする。


「近頃の飛行機械の小型化やエンジンの高出力化によって、多くの人間を空中に浮かばせることが可能になった。それによって能力のある人が、少なからず存在することに、人類は気づき始めたということだ」


 彼は大いに熱弁をふるった。


「鳥人か」


 これまた冴えないお笑い芸人みたいなツッコミになった。


「それは、昨日テレビでやっていたやつだろ」


 杵嶋は内心『しまった』と思った。たしかに春の特番で、フライヤーを名乗る有名なアメリカ人が、ハングライダー様の乗り物で曲芸を披露し、その能力を検証するという内容だった。


 ただ、それが本来備わった能力によるものなのか、訓練による賜なのか、視聴者には判断つきかねるし、結局番組もその部分を曖昧にしたまま終わらせていた。


「週末、テストキャンプに参加したんだ」


 今日の雨宮は、なおも話を終える気配を見せなかった。


「テストキャンプ?」


「日本でもようやくそうした能力判定が行われるようになったのは、進歩だな」


 その言葉は杵嶋に向けられていなかった。雨宮は、空を見つめ、鼻を膨らませ、わざとらしく、さも感心しているというような表情を作った。結局、話し相手は誰でもいいのだ。


「参加者を一般公募して、その中からフライヤーの能力があるかどうかを見極めようという、日本初の試みだ」


「日本初‥‥」


 杵嶋は一瞬、自分にもそういう能力がどこかにあるかもしれない、と脳裏を過ぎったが、自分は最近「中の下」であることを確認し、納得しかけていたばかりではないか。


「フライヤー先進国のアメリカなんかは、政府、特に軍が資金を出して、人材発掘と育成を強力に推し進めているっていうぞ。でも日本ではまだ一般の認知度も低いし、国は全く動いていないのが現状だ」


 雨宮は、さも日本の政治はダメだと言わんばかりに「保守的なんだよ」と付け加えて、溜息をついた。


「俺は、空中での適応能力、空中での姿勢把握、バランス感覚、即座の判断能力など、どれをとっても平均以上のポイントを叩き出したんだぜ」


「ふーん」


 適当に返した。クラスでも特段目立たない自分に、彼がなぜ、好んで話しかけて来るのかと疑問だったが、おそらく杵嶋が人畜無害な存在だからだろう。雨宮の地位を脅かすほど成績も良くないし、かといって何かクラス中で、羨望を集めるような特殊技能を持っているわけでもない。


 それにもう一つ、杵嶋を相手にする微かな理由があったようだ。


「おはよう」


 水谷未來が登校してきて、杵嶋たちの横を通り過ぎた。彼女は、雨宮と杵嶋の方を見て挨拶をした。


「おう」


 雨宮は嬉しそうに片手を挙げ、教室の最前列に座る水谷未來の姿を追い、じっくりと視線を送った。彼女は席に着くや、すぐに朝最初の授業の準備を始めた。


 杵嶋は、水谷未來と同じ町内に住み、幼稚園から小学校、中学、高校とずっと一緒で、幼なじみだった。クラスも一緒になることが多く、別の組に分かれたという記憶の方が少ない。


 小さい頃はよく一緒に学校へも通ったことがあった。さすがに高校に入ると、一緒に登校することはなくなったが、その想い出は、ひそやかな自慢でもあった。


 雨宮は、そのことを知ってか知らずか、少なからず未來の目を引くために杵嶋へ近づいているのではないかというフシがあった。


 水谷未來は、雨宮だけではなく誰もが認めるお嬢様で、男子たちの注目の的だ。区長の娘であり、成績は常に上位。学級委員を務めていて、委員会での仕事ぶりもテキパキとこなし、教師陣からの評判が良かった。


 何よりも学年でも一、二を争う美少女である。腰まで伸ばした美しい黒髪に白い肌。小顔で、目鼻立ちが通っていたが、ときおり見せる無邪気そうな笑顔と、学級委員として教室の前に立ったときに見せる、きりりとしたたたずまいは、まるで男の子のようにも見えることもあった。その中性的で凛とした雰囲気は、彼女の魅力を増した。


 男子たちの間でも「アイドルとしてイケる」という議論と共に、彼女の美しさを形容する作業は、飽きるほど行われていた。そして今の男子たちの話題はもっぱら、未來が誰と付き合うかに移っていた。


 女子の間でも好かれているというのもポイントだ。父は政治家で金持ちに関わらず、そのことをおくびにも出さないし、男子たちに人気があるということにも、さして気にしている様子もなかった。むしろサバサバしていて、常に襟を正しているかのような所作は、女子たちの間で「お姉様」的な空気も醸成していたようだ。


 実のところ雨宮祐介は、一年生のとき、水谷未來に告白している。けれども未來からは「高校に入ったばかりだから、勉強に専念したい」とやんわり断られたようだ。雨宮は、女子たちの間では印象も良かっただけに、すぐさま付き合わなかったことは、皆にとって意外な出来事だったようだ。ただ、言い寄る男子に、簡単になびくことなく、たとえ気がなかったにせよ、相手を気遣った答えにも好感が持てた。


 ただ、雨宮にとっては、イエスともノーとも取れる満更でもない返事だと思っただろう。いや、彼のことだから、「脈あり」とさえ考えたかもしれない。


 だから、彼は今も虎視眈々と次の機会を狙っていた。クラスの人たちも、雨宮と水谷未來が付き合い始めるのは時間の問題だろうと噂した。


「ぜひうちの大学校に来ないかと誘われたよ」大きな声で言った。まるで前列の未來に聞こえるような声だ。


「だ、大学校[#「大学校」に傍点]?」


 フライヤー話はまだ終わっていないようだった。


「その財団が、この春から政府と協力して新しく養成校を新設するんだ」


「聞いたことない」


「この前、ニュースでもやってたぜ。候補生として、今から訓練を受けてみないかと言われたんだ。つまりインターンシップだ」


「でも、大学校を出たら何になるんだい?」


「フライヤーに決まってるだろ」


 少し怒った口調だった。杵嶋は、別に自分が悪くもないのに「すまん」と口をついた。なぜ自分が謝らなくてはならないのかわからなかった。


「確かに杵嶋の言う通り、日本ではまだまだ、その能力は認知されてないけどな。だけど、大きな可能性がある。中空域の防衛や、治安維持は、各国政府にとっても急務だって聞いた。自衛隊、警察、救助隊、あるいは国のためではなくて、その能力を活かした事業を興すことも可能だろうね。都内であれば、どこへでも数分で荷物を運ぶことができるだろう」


「そういえば僕の国でも、ようやく研究が始まったよ」


 そこへ突然同じクラスの李赫文(リ・ヘウン)が間に割って入ってきた。雨宮は彼の登場に、あからさまに不快な表情をつくった。


「我が国では、もちろん政府主導だけど」


「ああ、そう」


 素っ気なく言った。雨宮は日本政府の入らない民間の団体であることを馬鹿にされたと思ったののだろう。


 李の両親は中国総領事館の職員で、彼自身も中国籍ではあるが、日本で生活する時間が長く、日本語が堪能だった。短めの髪型は、硬派なスポーツ選手のようになりがちだが、彼の場合は端正な小顔のせいか、中国人ともいえる切れ目と相まって、逆にソリッドな顔立ちのモデル顔に見えた。つまりは杵嶋とは比べものにならないくらいイケメンである。


 同級生や下級生女子たちの間でも、密かに想いを寄せている人が多く、その名前の発音から「ヘヴン(Heaven)様」と呼ぶ、熱狂的なファンクラブが出来ているくらいだ。


 杵嶋は、彼からもまた、よく話しかけられることが多かった。ただ彼の場合、誰とも分け隔て無く仲良くできるタイプに見え、杵嶋はその中の生徒の内の一人でしかないのだろう。ただ、お陰で杵嶋は、見知らぬ下級生の女子から「ヘヴン様のことを教えてください」と呼び止められることがあった。


 やや惨め、とは思ってはいたが、あまり女の子と話す機会すらなかった杵嶋にとって、彼は貴重な体験を与えてくれた人だ。


 彼もまた水谷未來が気になっているように思えた。休み時間になると、頻繁に一人で未來に近づき、楽しげに談笑していることがあった。当然、雨宮は李のことを快く思ってはいなかった。このときも会話に割り込まれ、ひどく不満そうだ。


「杵嶋くんはフライヤーには興味がないのかい?」李赫文は聞いた。


「僕は高いところが苦手だ」正直に告白した。


 雨宮の才能が羨ましいとは思ったが、フライヤーになることには、まっぴらごめんだった。春休みに、父が会社の忘年会で引き当てたハワイ家族旅行で、たまたま乗った遊覧飛行中、九死に一生を得た。それて以来、高所はさらにトラウマとなっていた。


「高所恐怖症は、フライヤーの能力に直結しないという研究があったな。つまり、フライヤーの能力はないってことだ」


 雨宮が知識を披露したが、それははっきりと「お前には無理だ」と烙印を押されたようで、杵嶋は少しムッとした。


 ところが、李はそれを否定した。


「いや、一定の恐怖心は、能力発現に手を貸すという研究論文もあったよ。確か先週、アメリカで発売されたばかりの科学誌に載っていたはずだ」


 雨宮は自分の知識が否定され、李の方が最新情報を持っていたことに気分を害されたのか、あからさまに顔をしかめた。


 杵嶋は、むしろ李が、そういう科学誌にも目を通していることにびっくりした。自分よりも博識で、様々なことを知っている。それだけでまったく勝てる気がしなかった。



 学校が終わると、杵嶋は、早々に帰宅の途に就いた。特に部活も入っていなかったし、友達と遊びに行くところもなかったので、真っ直ぐ帰宅した。


 だからと言って、家で勉学に励んでいるわけでもなかった。自分の限界はわかっている。


 家に帰ったらすぐに、いつも遊んでいるネットワークRPGのゲームを立ち上げるつもりだった。あえて、自分が得意だと思うのは、ゲームくらいで、将来はプロゲーマーにでもなろうかと、真剣に考えたことすらあった。


 帰宅の途中で、柄の悪い他の高校へ通う不良たちと擦れちがった。一瞬、目が合ってドキリとした。だが、「あいつ、どこの学校だっけ?」と、ヒソヒソ声で言われただけだった。もはや厄介事にも巻き込まれる気配もないということか。


 杵嶋の存在は、ネットワークゲームの世界でいうところのノン()プレイヤー()キャラクター()だ。その世界で活躍する主人公のために、物語の世界観を説明し、彼らが物語世界で目立つためだけにいる盛り上げ役だった。世の中の隙間を埋めるためだけの人間でしかないのだ。


 そんな暗澹たる気持ちで、自宅前にさしかかったとき、玄関前に黒いバンが停まっていることに気づいた。


 バンから黒いスーツ、黒いサングラスを着た三人の男たちが、バラバラと車から降りてきた。


「え?‥‥」


 杵嶋は突然、その黒服の男たちに腕を掴まれた。抵抗する間もなく、そのまま無理やりバンの中に連れ込まれた。


「何をするんですか!」


 そこでようやく声が出た。


 だが、すぐに何か薬品のような臭いがする布きれを口に押しつけられた。


「ちょ、ちょっと‥‥」


 意識が遠のく中、杵嶋は思った。


 これもゲームでいうところのオープニングシーンだろうと思った。


 ごくごく平凡な、無辜の市民が殺されるところから事件は起きる。


 そして今、どこか別のところにいるはずの主人公が、事件を解決するべく立ち上がり、その物語は始まるのだ。

続きます。

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