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第1章 とあるセスナ機の事故、奇跡の生還

 ハワイ島北部、コハラ山にほど近い海岸沿いの林に、遊覧飛行中のセスナ機が墜落した。


 操縦していた乗員一名が死亡、その他乗客四名は、()()()()軽傷を負う程度で無事だった。


 事故現場は、ポロル渓谷につけられた、車も通ることもできない道で、アウィニ・トレイルと呼ぶ、山道のずっと奥だった。


 譽一(よいち)辰之助たちは、あくまで、日本大使館関係者として現地入りするため、軍ではなく、地元のエアサービスに頼んでヘリを飛ばすしかなかった。


 遊覧飛行を紹介するそのパンフレットには、「海岸沿いに吹く強い風があり、()()()()揺れることがあります」との注意書きがあったが、この日のヘリは頻繁に揺れていた。


 操縦していた若い男は「この場所はパイロット泣かせだ」と、なぜかテキサス訛りの英語で説明したので、譽一は顔をしかめた。


「それはパイロットの腕がへぼだからだ」


 一緒に随行していた赤毛のアフロヘアーの白人は、そのパイロットに「ノープロブレム」と返して、ひそかに肩をすくめた。その日本語が聞かれる恐れもないというのに小声で言った。


「大佐レベルのパイロットなんて、そう、いやしませんよ」


「なら聞くが、素人がこんな場所で軟着陸できるかね」


 彼はまた肩をすくめた。


 こうして本職のパイロットでも泣き言を言うような場所である。素人にしてみたら、飛ばすことさえ不可能だろう。


「セスナ機は誰でも飛ばせる機体ですよ。ただ訓練は必要だ」


 赤毛アフロの彼は、航空工学に知識が深く、機械製作においての手の器用さで、譽一のチームに迎え入れられた。


 皆からは「パンチ」と呼ばれていた。彼自身はネット上で好んでよく使う「punchline」というハンドルネームから取ったと言うが、譽一はその派手な髪型から来ているのだろうと思っていた。


「パンチパーマとちゃいます。こりゃあアフロでっせ」


 父親の仕事の関係で大阪いたことがあると語っていたが、正確には兵庫である。


 表向きは、譽一が彼の名前も素性も知らないことになっているが、もちろんすべては調査は済みだ。


 この男は高校生のとき、日本からアメリカ本国に戻ると、ろくに学校へも行かず、趣味の飛行機作りに没頭した。ついにはその趣味が高じて、国内に潜伏中だった中東のテロリストから、原子炉で使われる燃料棒を不正に入手した。


 深夜、近所の農場に忍び込み、核実験を行おうとしたところで、農場主に見つかりショットガンをぶっ放された。


 彼自身、無事ではあったが、そこに大事なブツを置き去りにして逃げたため、すぐに身元が割れ、地元州警察に拘束されることになった。連邦捜査官による事情聴取では、彼はこう証言していた。


「冷戦時代に実現し得なかった、原子力飛行機を作ってみたかった」


 その昔、原子炉から取り出した熱で、ジェットエンジンを駆動するという仕組みが真剣に研究されていたことがある。それは米ソが繰り広げられた軍拡競争の中で生まれた異形の一つだが、実際に一部、実験機に搭載されるなどしたものの、重量、冷却、放射能漏洩などの問題が山積し、そのほとんどが失敗に終わっていた。


 だが、この男が製作したという実験機を政府が押収して分析したところ、どの技術的問題もクリアしていた。政府付きの科学者たちは彼の技術力の高さに舌を巻いた。


 まだ高校生だったパンチは、刑罰が軽減され、すぐに数ヵ月間の社会奉仕を経て、社会復帰となるはずだった。


 ただ、そこには一つ問題があった。核爆弾製作を依頼して核燃料を提供した中東のテロリストたちが報復するため、パンチの釈放を心待ちにしていたからだ。


 そこで譽一はアメリカ政府に働きかけた。ちょうど創設しようとしていたチームに、技術力のあるメカニックマンが欲しかったのと、彼が日本語に堪能であることも大きな決め手になった。


 アメリカ側も、彼が社会復帰したところで身の安全が保証されないなら、いっそ日本側へ引き渡し、監視してもらった方が良いと考えた。テロリストたちに殺されたり、逆に拘束され、国を脅かすような兵器を開発されるよりマシだろう。


「風は飛行にとって大敵ですよ。予測不可能ですから」


 隣でパンチは呟くように言った。譽一は窓の外を見た。北東から常に吹き付けている湿った強い貿易風が、木々を揺らしている。


 事故当時も相当の風が吹いていたとの報告があった。一歩間違えば、断崖を抜け、海へ墜落する可能性もあった。あるいは、点在する森林の中に突っ込んだとしても、機体の大破は免れずして、これも無事では済まなかったろう。


 そのセスナ機はうまいこと林の中から開けた草原を見つけ、軟着陸した。


 パイロットが? いやちがう。そのときパイロットは絶命していたはずだ。居合わせた素人同然の乗客が、代わりに操縦桿を握ったのだ――


 ヘリは突然高度を下げた。ヘリのブレードから発生する強力な風は、現場周辺に自生する丈の短い草を地面へ撫でつけた。おそらく墜落時にはこれらが良い具合のクッションになったのかもしれない、と譽一は思った。


 現場には、まるでサバンナの猛獣に肉を食い尽くされ、骨だけが残ったように、セスナ機の残骸が散らばっていた。さらに、その残骸に群がるハイエナごとく、いくつかの黒い点が、その周りを忙しなく動いていた。事故現場を実況検分している者たちだろう。


 譽一たちは現場に降り立った。すぐにパリッとしたスーツに身を固めた初老の男が、近づいてきた。この暖かい気候の中で、ずいぶんと浮いて見えた。


 パンチは彼の言葉を取り次いだ。


国家運輸安全委員会(NTSB)の方だそうですよ」


「驚いたな。ずいぶんと早いお出ましではないか。ハワイで休暇中だったのか?」


 譽一はそう言ってから握手を交わした。パンチはまた「お会いできて嬉しい」といった、適当な通訳で彼に返した。


 彼らの組織がこれほどまで早く現地入りするとは到底思えない。ハワイ州にとって、いかに日本人環境客を大切にしているかという態度の表れか、あるいはこの男の肩書きが大嘘かのどちらかだろう。


 見たところ、実況見分を行っている人間たちの中で、明らかに地元警察でも、州関係者でもないような人間が混じっていた。知る人が見れば、軍関係者だとわかる、屈強さと、強い殺気を醸し出した人種だ。


 先方(アメリカ)もまた、譽一たちを観察していた。彼らには「大使館関係者」と通知していたはずが、譽一自身がまとう雰囲気も例外ではなかったようだ。しかも、赤毛でアフロヘアーの白人の通訳を連れて歩いている。不自然さはこの上ない。


「君を連れてくるべきではなかった」


「それはこっちの台詞ですぜ。大佐」


 譽一は、ニヤリとして墜落現場を見やった。


 柔らかい地面と膝丈くらいの草の上に、まるで茹でた身をほじくり出した後のロブスターのように、客室(キャビン)内部が丸見えで横たわっていた。不時着したときに機体が真っ二つに折れたのだろうか。


 遊覧飛行中、六十代のパイロットは不幸にも突然の心筋梗塞に見舞われた。おそらくはその瞬間に意識を失い、操縦する主を失った機体は、きりもみ状態に陥った。そして主翼は加重に耐え切れずもげたのだ。


「主翼は、どこに?」


 自称、NTSB所属で、英国紳士のような口ひげを蓄えた彼は、好々爺な雰囲気を装っていた。ニコリと感じの良い笑みを浮かべると、パンチに説明した。表情の奥から滲み出る、隠し切れない殺気臭が、譽一の鼻をついた。おそらくこの男に短銃を持たせたら、この笑みを浮かべながら軽やかに引き金を引くのではないかと想像した。


「ここから約一〇〇メートルほど離れたところに落下していたと言ってます。見ますか?」


「いや、けっこう」


 見なくとも充分だ。ここに墜落しているセスナ機には、主翼も、尾翼も、大破して無いが、客室内だけは無傷。その事実だけ分かれば良い。


 今日の譽一は、薄い色のサングラスをかけているためか、相手はその表情を伺えず、戸惑っているようだった。サングラスは、単純にここの日差しが強いためと、彼の左目に義眼が入っているのがその理由だが、その眼を晒せば、相手にちょっとした威圧感を与えかねない。


 義眼は抜いたままにしていると、眼窩が自然と閉塞していってしまう。それを防ぎ、顔面のバランスを保つためだけに入れているが、それでも左眼球の無い顔は、不自然な形に見える。そしてよくよく観察すれば、その黒い瞳は動かない。


 白髭の紳士は、譽一の薄い色のサングラス越しに、左眼が何らかの障害を負っていると見たのだろうか。


「もっと近くでご覧になりますか?」


「ええ、ぜひ」


 視力がないわけではない。


 相手の厚意をありがたく受け取ることにしただけだ。


 ここで墜落した機体を間近で見ることになった。


「パンチはどう思う?」


 赤毛の青年は首を振った。


「有り得ませんよ」


 だがすぐに流暢な日本語で返した。


「だけど、たいへん興味深い」


 彼の眼は輝きを増していた。メカニックとしての血が騒いだのか。


 彼はどちらかというと、クリエイターのような人間で、いわば発明家だ。あわよくば機体のメンテナンスだけでなく、世界に存在しない飛行機体を生み出したいと思っている。だからこそ譽一は、彼をスカウトしたわけだが。


 調査委員の男が、説明した。


「たまたま副操縦士(コ・パイ)席に乗っていた少年が、操縦桿を引いたら着陸できてしまった、と証言したそうですよ」


 パンチが通訳するよりも早く、譽一は英語で言った。


奇跡の(by a)生還(mracle)


 滑らかな英語の発音に動揺したのか、その男はすぐに口を開かなかった。が、やがて、いかにもその通りです、とでもいうように大きく頷いた。


 そうは言いながらも譽一は、奇跡など信じぬ口だった。奇跡というやつは、人生のすべてが偶然で成り立っているという、思い上がった運命論者の戯れ事だ。


 すべては必然――


 今回、ハワイという絶妙な場所で事故が起きたということが幸いした。日本に近く、アメリカ本土に遠い。実際、ワシントンの連中が動き出す前に、我々は行動することができた。しかも地元警察からの事情聴取を受けた後、事故に巻き込まれた少年の家族たちは、日本へ帰国の途についている。


 神は、引退間際のこの老いぼれに、わずかばかりの光明をお与え下さったか。


 いや――神の御恵みなどではない。


 これも必然だ。


 だが、それも時間の問題だろう。彼らにやがて嗅ぎつかれれば、国籍関係なく、その人物にアプローチをかけてくるにちがいない。その前にこちらが彼の身柄を押さえる必要があった。

続きます。

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