幻の休日 (愛知県豊根村と徳島県上勝町)編
3‐1 幻の休日となった豊根村
大学院での自分の担当の先生に、今後の研究論文の作成方法で相談をしてもらっている時だった。
「A野先生、広島での就職先がようやく決まりました。地元のバス会社です」
「JRか芸陽バス?」
「はい、芸陽バスです」
「大学院には来られるのかな…君が京都にいた時と同様に、今度も運転手で頑張るの?」
「はい、会社には内勤ではなく運転手として、毎週金曜日が休みで採用してもらえました」
「それはおめでたい半分、これからますます大変だね。でも、卒業目指して頑張って…」
久し振りに学業へ身を入れようと、まずは自分の博士論文の研究対象を考えてみた。
一口に公共交通と言っても、飛行機、船、鉄道、バス、タクシー…と切りがない。
ところが、今までやってきたタクシーでも、今働いているバスでもなく、これまでに聞いたことがない、公共交通手段が国から認定された。と、ある学会誌に載っている。
それは近年の過疎地域では、バスや、タクシー会社が採算を取れない地域から撤退して、思うように移動できない人が増え、これらの地域に限り、住民同士での自家用車の有償輸送(白タク)行為を認めるというものだった。
この制度は徳島県の上勝町、愛知県の豊根村、岐阜県の飛騨地方を皮切りに認定された。
早速、土曜、日曜と休みを会社からもらい、愛知県の豊根村へ調査に行った。
まずは村役場へ行き、運行制度や、住民データの基礎資料を頂き、役場やシルバー人材センターの方から制度と運用実態の説明を伺った。
気付いたら、周囲はあっという間に暗くなっていた。
予約もせずに入った宿では、川のせせらぎや、温泉もあり、部屋からの眺めは風光明媚で、ついつい贅沢な気持ちが湧いてきて、夕食は少しくらい贅沢してもいいかと思った。
「今日は何の料理ができますか」と女将さんに尋ねると、
「懐石にしますか、それ以外はカレーしかできません」意外とメニューが少ないな…
「それぞれいくらですか」
「懐石は四千円で、カレーは600円です」
600円のカレーでは味気なく、四千円の懐石料理を選択し、ビールも注文した。
ところが、目の前が清流で、鮎か虹鱒の塩焼きを最低限に期待したものの…
「サイコロステーキ、掛けそばに、ご飯はなく五平餅…」これは一体、どういうメニューの組み合わせか…全く訳が分からなかった。
おまけに、サイコロステーキだけど、造形肉の脂臭さと、肉の繊維が硬くて歯に挟まり…ビールで流し込むしかなかった。もう寝るしかないか…
翌朝
まだ布団に潜り、気分良く寝ていると、突然に自分の携帯電話が鳴った。
布団から右手だけを出し、携帯の電話を受けた。
「あんた、もう出勤時間やで」
今日は金曜日なので、毎週が休み…のはずである。
「何かの間違いでは…?」
「おどれ、今は何処におるんじゃ」
「はい…、愛知県です」
「はあ、何を寝ぼけたことをぬかしとるんじゃ」
「愛知県の豊根村です」
「何処じゃ、それは…とにかく、今日は出られないのなら、他の人に順番にコースをずれてもらい、誰かに出勤してもらう準備をするから。もう電話切るで」
「はい、お願いします」
何で自分が…?
まだ朝の5時だぞ…
そう言えば…、運行管理者が自分の「休み願い」を出した二、三日後に、今度の金曜日には出てくれと言っていた。
「
自分は、ええ…」と返事を濁した気がする。
仮に休日出勤としても、紙面での正式なやりとりはしていないので、自分には非がないと思うが、勝手に出勤にさせられてしまったようである。
それでも、丸く収めるには、月曜日にお土産を最低限でも持っていくべきやろな…
またいらん出費が…
月曜日には案の定にこの件で、またI木課長から呼ばれて事情聴取を受けたのだった。
3‐2 上勝町うどん
今更ながら、過疎地有償輸送制度は、研究対象地が全国に散らばり、愛知県や岐阜県なら自分の実家からまだ近いが、徳島はどうやって行こうかと悩んでいた。思い切って一番最初に済まそうと、西条駅から普通列車で岡山駅まで行くと、そこから宇野線、瀬戸大橋線で瀬戸大橋を渡り、坂出駅で乗り変えて予讃線、高徳線で徳島駅まで行く。
今度は休みの確認をきちんとしてあるので、3日間は絶対に休みである。
そうあって欲しい…
徳島駅に着いたのは22時だが、改札をすぐに出ると、まずは自分が今夜に泊まる宿探しをと、駅前をまだ歩いているだけで、暑い…蒸し暑すぎる。
「すいません、今日は満室で」と、何処もかしこも探せども、探せども、全く開いてない。
値段はこの際もう関係ないと、多少値は張る大きなホテルも回ってみたが、歩き疲れとこの蒸し暑さでくたばり始めて、23時を回ると宿で泊まるのをさすがに諦めた。
次は腹ごしらえをしないと、飲食店まで閉まっては洒落にならない。
偶然にも、駅前の徳島ラーメンに、何とかありつけたのは不幸中の幸いだった。
とりあえず、自分の腹は膨れたので、後は駅前のベンチで野宿をすることにした。
徳島駅まで歩いて戻り、また幸か不幸か……野宿仲間が他にも何人かいるようだ。
このような路上生活の本物さんや、自分のような偽者と、十人程が適度な間隔を空けて、駅前の花壇で座り寝の状態だ。
翌朝
自分は、まだ生きてたんや…
自分がこんな状態でも意外と眠れるもので、うっすらと朝日を感じ起きて気付いてみると、自分の腕時計では朝五時をさしていた。
冬なら凍死してたかもしれんな…季節が夏で良かった…
腕時計はあるけど、あ、財布は…?
財布も後ろのポケットにあったし、現金、カードもちゃんと入っていた。
早速、コンビニへサンドイッチを買いに行こうと、朝一番に駅前のホテルを通ると、大きなバスが奥のほうに何台か止まっている。
よく見ると、「媚山」と一行名がフロントガラスに貼ってあり、屋根には放送機材がある。
自分はロケバスには「パッチギ!」という映画のエキストラで、何回か過去に乗せてもらったことがある。そのバスと形がよく似ており、どうやらロケバスらしい。
徳島駅前、ロケバス、徳島バスと上勝町営バス
こんな時に限って、映画のロケかよ……
だからホテルや旅館が埋まってしまったのか…全くついてない…
エキストラでもええから、自分も出してくれへんかいな…と思いつつも、残念ながら今の自分はそんなに暇ではない…
気持ちを切り替えて、早朝一番の徳島バスで、まずは横瀬西まで行くが、そこからまた徳島バスで黄檗へ行き、黄檗からは上勝町営バスの八重地行きに、乗り換えた。
上勝町の山道は川沿いに通っており、深い渓谷が何処までも続き眺めはとてもきれいだ。
訪問予定の10時少し前に「ひだまり」へようやく着いた。
「自家用車の有償輸送制度」の担当である所長さんに会うと、この輸送制度の説明を聞き、年会費の500円を支払い会員になり、早速にも試してみることにした。
まずは役場担当者から会員のボランティアドライバーへ、運行を電話で依頼してもらう。
「さっき頼んだ運転手さんは、なかなか来ないですね…」
「本来は前日までの予約ですから」と役場の担当者が少し申し訳なさそうに返事された。
「そうでしたね…こちらこそ、突然ですいません」
しばらくすると、「ピピッ」とクラクションが鳴り、建物の外に出ると、普通の軽自動車に『有償輸送制度』と張ってある車が止まっている。
上勝町営バス、棚田村、有償輸送制度
どんな人が運転しているのかと思ったら…
70歳くらいのお爺さんが、その車から一人降りてきた。
運転、大丈夫かな…
「すまんのう。ちょうど孫の世話の途中じゃったもんで」
しかし、助手席には孫らしきと、そのチャイルドシートも設置してある。
車は左右と、後ろ側にある荷物用のドアだけで3ドアだし、自分はこれでどうやって乗るのだろう…?
「運転席は椅子が倒せますので、私のいる方から乗ってください」
そういうことか…こうしてお世辞にも、広いとは言えない車内に乗り込むと、
「役場まで行けばいいのかな」と、オドメーターを「0」にリセットして走り出した。
そうか、これは乗用車だから、タクシーのメーターは付いてないもんな…
「ところで、あんたはこんな山奥まで何しに来たの」
「ちょっとした研究に来ました」
「ああ、『彩り事業』の見学で来られたんやね」
「いえ、この有償輸送制度の研究です」
「へぇ、珍しいね。普段は『彩り事業』を聞きに来る人ばかりなんじゃが」
「あ、そうなんですか」
「ところで彩りって?」
「落ち葉を集めて、料亭等に卸してるんじゃ」
「ここなら新鮮な落ち葉がたくさん手に入りそうですね。落ち葉って食べられるんですね」
「ハハハ…、わしらはいくら山奥に住んでいても、落ち葉なんかは食べてへん」
「落ち葉なんて捨ててしまえば、ただのゴミじゃが…、拾ってきれいにして、料理の敷物として料亭へ卸しとるんじゃ」
「へぇ、それはすごい発想ですね。しかもエコですよね」と、自分の研究にも全く関係なさそうな話をしながら、上勝町役場へ着いてしまった。
「ひだまりからここまでで、7kmだから1,500円じゃ」
「どうもごくろうさまでした。お気を付けて」と、有償輸送制度の話を聞こうと思ったが、
「ピピッ」と、クラクションを鳴らして、すぐに行ってしまった。
あちゃ~、何とも忙しい人だな…ま、後は役場で聞けば良いか…
役場では、担当のH場さんに会い、必要な資料を見させてもらい、送付を自宅へ頼んだ。
後はこの地域周辺の写真が必要だが、上勝町には町営バスが数本走っており、せっかくなので町内をバスで移動しようと、上勝町役場から八重地行きに乗った。
しかし、ここはそんなに甘くはなかった。
事前に地図で見て思い描いていたよりも、八重地まではかなり遠く、時間がすごくかかった。
曲がりくねった山道で、何処まで行っても山ばかりの同じ景色…段々と…酔ってきた…
今でこそ、バスの運転をしているが、昔からバスにはよく酔っていたが、次に来るバスでは帰りの列車へ間に合わず、今は死にもの狂いで我慢するしかない。
こんなに長い時間がかかるのは、もしかして、乗るバスを間違えてへんかな…?
…自分の周りは爺さんと,婆さんばかりだし、バスのみんなには自分が怪しまれてないかな…?と降りる口実を探し始めた。
「そこのお兄ちゃん、バナナでも食べるか」と一人のお婆さんから話しかけられた。
「バナナをですか。ありがとうございます。でも今はバスに酔ってて…、後で頂きます」
「こんな田舎まで、若い人が何しに来たん」と、やっぱり自分のことが気になってたか…
「はい、ちょっと、色々と調べに来ています。あと写真も撮りに来ました」
「ふ~ん……?」言い方がまずかったかな…
「何処まで行くんか」
「終点の八重地っていう場所です」
「私も一緒じゃ。あんた、お腹空いとりゃせんかね」
むしろ…空いているというより、今このバスの中で出したいくらいです…
「ここら辺には、食堂みたいな食べる所もありゃせんが…」
「どうぞ、おかまいなく…」
「あんた、時間があったら、私の家でうどんでも食べていきんさい」
そうか、これは自分にとっても地元の人と知り合える、願ってもないチャンスだった。
店は一軒もないし、お金のない自分には、うどんを食べさせてもらえれば大助かりだ。
「本当に良いんですか」
自分は終点のバス停で降り、お婆さんの家へ一緒に向かい、玄関で待つことにした。
15分位が過ぎて、まだ出てこない。まさか、粉から打ってくれとるのではないよね…
ここまで来て、うどんだけ食って広島へ帰る訳にもいかんしな…
「ま、まだ時間が掛かりますか…」と、遠慮しがちに聞いてみた。
「今、茹でてるからね」と、奥から先程のお婆さんの声が聞こえてきた。
良かった…
「はい、どうぞ」とうどんが出てきた。
肝心の味は、麺に腰があり、出汁もしっかりしていて、とても美味い。
おまけに「こんなに遠くまで来て、喉が渇いたやろう」と、コーヒーも煎れてもらえた。
「これは、すぐ近くの湧き水で淹れたから、どや…おいしいやろ」
「はい、どれも極上です」
「ここを上っていくと、伝統建造物もあるから見ていき」と、自分が食べ終わると、親切にもその場所まで連れて行ってくれた。
ここへ観光に来たんじゃないんだけどな…
周囲の風景をできる限りに写真へ収めて、13時8分のバスで徳島方面へ戻る。
上勝町ではたった数時間の滞在だったけど、空気が綺麗だし、湧き水も豊富であり、大自然真只中で生活していると、温かい心が養われるのかもしれない。だから、作ってもらったうどんも、淹れてもらったコーヒーも、ものすごく美味しかった。
ここは急峻な土地が殆どであり、人々が暮らすにはとても厳しい条件である。
こんなに優しい人たちがいる地域なら、不便さを少しでも解消できるように、自ら進んでお役に立ちたい。今後も一生懸命に研究していこう…
ところで、自分の博士論文のテーマもまだ決まってない。
「まずは経験だけでもしてみるとい良いよ」という指導教官の後押しもあり、上勝町の有償輸送制度について発表することになった。
発表当日の会場のスクリーンには、「芸陽バス 浅野 健」と自分の名前が出ると、少し恥ずかしいものが…
でも、博士論文を今後に完成させるためにも、自分の胸にしっかりと刻んでおきたい。
自分は一院生でありながら、一会社員として、社会での役割を果たしているんだ…
今後もしばらくは、二足のわらじで頑張っていこう…