地下帝国が実在しています
【ここは……】
森を抜け、辺りを見渡せるようになると、お父様がやや愕然とした声で呻いた。
(知ってる場所ですか?)
しかも嬉しくない類の。
【馬鹿者。己の領地に知らぬ場所などあるか】
そ、そうかな。持ってる土地が広ければ広いだけ、管理が行き届かない場所ができそうだけど。わたしなんか、家の中だって滅多に使わない物とか、置き場所忘れてた気がするし……。
【気配しか覚えていないのではなかったか?】
(これも気配です)
【……まったく】
お父様には心底呆れた息をつかれた。あれ? 今のって普通のことじゃない? 違うの?
反応にちょっぴり戸惑うわたしに、再度お父様は溜め息。もう分かったから……!
【お前からは、どうにもズボラな気配がする。いいか、お前は我の一部なのだ。だらしない真似は一切させん。そのつもりでいろ】
(べ、別にそこまで言われるほどだらしなくは……多分……)
【どうだかな】
ぐぅ。
予感だけど、お父様の『だらしない真似』とわたしの感覚、結構離れてる気がする……。
嫌な予感に打ち震えると、後ろのヘルゼクスさんから心配そうに声をかけられた。
「寒いのですか? 申し訳ありません。すぐに着きますので、今しばらくご辛抱を」
「あ、だ、大丈夫です」
マント一枚だけど、本当に肌寒さは感じてない。気温が丁度いい所なのかな。それにしてはちょっと――景色がこう、寒々しいんだけど。
(北、なのかな?)
【そうだ】
わ! びっくりした! 慣れないなあ、もう。
【さっさと慣れろ】
はぁい……。自分の心臓のためにも、善処します。
まあ、それはそれとして。
(あまり嬉しくなさそうな感じですね?)
【我らの都ヴァルフオールは、このように辺鄙な土地に存在していたわけではない】
「……遷都したんですか?」
「元のヴァルフオールを覚えていらっしゃるのですか?」
つい口に出しちゃったわたしに、ヘルゼクスさんから少し驚いたように言葉が返ってくる。そうだよね、自分に向けられたって思うよね。
うう。下手にお父様と会話し続けると、うっかり独り言が多くなりそう。独り言じゃないんだけど。これも気をつけよう。
「いえ、お父様が都の位置を不思議がっていたので」
「我が主が……。そう、ですか……。いえ、当然ですね。この身の不甲斐なさに、お詫びの言葉もございません……」
――……ん?
続いて、お父様からの叱責を期待するかのような空気を覚悟して身構えたんだけど――ない、な?
「魔都ヴァルフオールは、数十年前に落とされました」
「数十年前……」
昔だなあ……。
「今はこの辺境に隠れ住んでいる有様です。――ご覧ください」
言ってヘルゼクスさんが指し示したのは、大きな湖だった。
透明度はかなり高い。底の地面まで見えるもの。
でも、何だろう。綺麗なんだけど……背中にこう、ピリピリ来る嫌な気配がする。
わたしの感覚は間違っていなかったようで、すぐにヘルゼクスさんが気遣った答えをくれた。
「申し訳ありません。表面を煌気で覆っていますので、少々、不快な思いに耐えていただくことになります。さあ、湖の中へ」
「は、はい」
促され、わたしはうなずく。
正直嫌な気配で足が竦むけど、ここに長々と留まってちゃいけないってのは分かる。ヘルゼクスさんも、辺りを警戒してる感じがする。
足を進め、水の中に入る。ちょっと冷たいけど、飛びあがるほどじゃない。
ヘルゼクスさんも入ってきて、わたしの手を引いた。
「少しの間、息を止めておいてください。――潜ります」
「え、あ。きゃっ」
急いた様子で腕を引かれ、水に突入。寸前で息を吸うのは間に合った。
だ、大丈夫かな。あんまり長く息を止めていられる自信ないんだけど。……って、あれ?
底に着かない?
絶対おかしい。こんなに深さはなかったはず――……!?
「っえ、ええええっ!?」
ふと下を見てみたら、そこにはいつの間にか街並みが広がっていた。幸い、叫んだ瞬間に水は抜けてた。
そして――そして重要なことだけど、今わたし、落ちてる!
「ちょ、なんっ」
湖に潜って、なぜに街の上空に出る!?
思わず上を見上げると、上空に水の底が見えた。何の力が働いてるのか、支えもないのに水滴一つ落ちてこない。そして、そこから続く岩肌――
そうか、ここ地下なんだ!
分かったけど、これ、どうするの!? 地面が深すぎて落下したら危ないの、何も変わらないんですけど!
なす術なく血の気を失せさせているわたしの腰をヘルゼクスさんが抱き寄せてくる。彼は不思議そうにわたしを見ていた。どうして慌てているかが分からない、という様子で。
「創世記十六章七部。世界の理は主の命を受け入れ、星の引力を失わせた」
ヘルゼクスさんが本を片手に読み上げると、ふわり、と体が軽くなる。
これ、さっきの霧と同じだ。ヘルゼクスさんの言葉通りの効果が出る魔法……なのかな?
【そうだ。再現魔法という奴だな】
(へえ……)
【ヘルゼクスの依代は、世界の創生から現在までの歴史を余すことなく綴り続ける魔本。奴はこの世に一度でも具現化した現象を、自由に再現できる。我や、煌神の技もな】
(それって、最強?)
わたしが思わず率直にそう考えると、お父様は鼻で笑った。
【愚か者め。我とヘルゼクスでは力の桁が違う。生み出す者と、生み出された力を使う者だぞ】
(なるほどー……)
相似の大小、って考えればいいかな。
【うむ】
いいみたい。
「ヒルデガルド様? 大丈夫ですか?」
「!」
ついお父様との世界に没頭してしまった。声をかけられはっとして、反射的に出所を振り向く。と、わたしを支えるために腰を抱いたままのヘルゼクスさんと、間近で目が合った。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、謝っていただくようなことはございませんが……」
慌てて離れると、ヘルゼクスさんから疑問の眼差しを向けられる。
「先程、なぜ慌てていたのです? 我が主の肉から生まれしヒルデガルド様であれば、何も怖れるものなどないでしょうに」
いや、だって……うん?
普通、人間が高い所から支えを失くして落ちたら焦る――と答えようとして、気付く。そうだ。わたしは今人間じゃなくて魔神の娘で、ちょっと考えただけで解決策がポコポコ思い付いた。
「ええと……そうだったかも、です」
「ああ……そうですね。ヒルデガルド様はまだお目覚めになられたばかりだと失念しておりました」
気まずい愛想笑いを浮かべたわたしに、ヘルゼクスさんも合点が言ったようにうなずく。
そうなんだよね。考えれば分かるんだけど、とっさには出てこないの。知ってはいるけど、わたしが経験したことじゃないから、なんだろうな。
「それで――ここが、ヴァルフオール、ですか?」
「はい。かつての街並みを、そのまま再現しております」
落下する時に見たヴァルフオールの全景を思い出しながら、目の前の町並みを眺める。
もちろん、初めて見るわたしには感慨なんてものは浮かんでこない。
どうやら町は三層に分かれているようだ。落下地点であるここは町の最南端で、北に行くほど建物が高く、大きくなっていった感じ。富裕層が住む区画だよね、きっと。
その最上段に位置する場所に、他とは桁の違う大きさの建物があった。直接見たことはないけど知っている、西洋のお城そのままの雰囲気だったから、そういうことだと思う。
「お城に……行くんですよね?」
お父様は魔神で、魔族の中で一番偉い人だから、住んでいるのもきっとお城でしょう。
「はい」
やっぱり。
迷わずうなずいたヘルゼクスさんの言葉を受け、わたしは改めてお城の方へと視線を向ける。
――遠いなあ……。
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