合理性と情の正しさ
自分がどれだけ軽視されているかは分かってたはずだけど、やっぱりこうして、あっさりと意思を無視されるのは、辛い……のだと思う。多分。
頭で分かっていてもショックだったのか、そっと離れるつもりだったのに、立った瞬間に落ちていた枝を踏んでしまった。
パキン、と静かな空間にははっきり響く音が鳴る。
「誰だ」
ヘルゼクスさんの声には、不快さがあるけど焦りはない。誰が聞いていたとしても、自分の行いを信じているからだろう。
息を吐き、立ち上がる。
「ごめんなさい。わたしです」
「ヒルデガルド様……!?」
でもさすがに、欺こうとした本人に聞かれるのは別っぽい。ヘルゼクスさんの表情が固まった。
「聞いて、しまわれましたか」
「はい」
でも立ち直りは早かった。問いかけてくるヘルゼクスさんの声は平坦だ。
……わたしもだけど。
不思議に思ったらしい。僅かにヘルゼクスさんの眉が寄る。
「お怒りにならないのですか?」
「わたしが怒りを覚えるほど、貴方に期待する要素ってありましたか?」
始めから『わたし』の言うことには耳を貸してくれたことのない人だもの。
怒りは、期待から生まれるものだと思う。期待が裏切られるから、憤りが生まれる。
でもわたしが今抱いている気持ちは、諦めが一番強い。
「――」
「あ、でも誤解はしないでくださいね。ヘルゼクスさんは正しいと思ってます」
魔族として、正しい。
自分たちを虐げてきた一味である人間一人を助けて、懐に抱え込み危うさを増やすより、万が一もあってはならないお父様の安全を優先するのは当たり前。
アルディスのことは、きっと、ただのわたしの我がままだ。
そんなに悪い人じゃなかったアルディスを、見捨てる覚悟がわたしになかったってだけ。
結果として、嫌な決断と実行をヘルゼクスさんに押しつけたとさえ言えるだろう。
「分かっていただけているのならば、なぜ!」
「わたしが嫌だからです」
ヘルゼクスさんの問いに、わたしははっきりと、彼の目を見て答えを返すことができた。
アルディスを招いたのは、わたしに覚悟がなかったから。
ならそれを後悔しているか? と自問したら――ノーだと、はっきりと言える。
だってわたしは、嫌だったんだもの。
「ヘルゼクスさん。わたしの望みは世界平和です」
「は?」
「誰かの尊厳を誰かが侵すことのない、ただそれだけの世界です」
わたしの前世では、命の価値が高かった。そしてそれは平和だからこそ許される価値観。少なくともそれを学び、実感できるぐらいには平和に生きられた。
情報を得る手段が多彩だったおかげで、そうではないことの凄惨さも、知識としてだけなら得ることができてる。
「魔族も、人も、煌使も、関係なく」
「それは神話の時代にしか存在しない夢物語です、ヒルデガルド様」
あ、神話時代はそういう関係性だったんだ。いいこと聞いた。
「そうでしょうね。そもそも、現状がこれですし」
「その通りです」
「でも、わたしは諦めたくありません」
だって諦めたら、何も変わらないもの。
「合理のために非情になって出来上がるのは、すっごく冷たい社会ですよ」
国のために人を捨てる国になんか、誰が住みたいっていうの? いつ誰から切り捨てられてもおかしくないと知っている状況で、他人に優しくなんてできない。
民は国のために住んでいるんじゃない。民を護るために国という枠組みがあるのだ。
アルディスは人間だけど、迎えた存在を切り捨ててしまう、それができる精神性だということは伝わる。
捨てられることに怯えなきゃいけない国なんか、最低だ。わたしは魔族にそんな思いをさせたくない。そんな国に堕ちていく手助けなんかしたくない。
「わたしは信頼を裏切りたくない」
種族なんか言い訳にならないと、わたしの常識は言っている。
「だから、行きます」
手遅れになる前なら、魔力を発している何かを捨てればどうにかなるはず。手遅れだったら……それでも、行く。そうしなければ、この先誰もわたしの庇護に期待しなくなる。
「……そうですか」
低く呟いたヘルゼクスさんは腰に手を伸ばし、多節鞭を掴む。側で見る機会があったから知ってるけど、あれ、外側が透明素材でできてて間合い読みにくいんだよね……!
「ならば私は、最後まで貴女を裏切りましょう。魔族のために、貴女を危険に晒すわけにはいかない」
「……そうですよね」
ヘルゼクスさんなら、そうだろう。
「そんな貴方に、感謝します」
言いながらわたしは全身の魔力を活性化させ、薄く体全体を包み込む。柔軟で、しかし堅い、魔力の膜。
この間お父様から魔力の使い方レクチャー受けたからね。少しは自由に使えるようになったのだ。
わたしとヘルゼクスさんが臨戦態勢を取ったことに、一番うろたえたのはエスティアだった。
「え、え。ヘル、ヒルダ、どうして――」
「エスティア。貴女はどうする?」
魔族のためにヘルゼクスさんに付くのか、魔神の娘であるわたしに付くのか、それとも。
【――まったく。何をしているのか、お前たちは】
あら、お父様。
呼んでいないのにいらっしゃるとは、タイミングの悪い。
【馬鹿者。そう魔力を昂らせていては気にするなという方が無理だ】
まあ、そうかも。
【代わるか? 我が是といえば、ヘルゼクスは従おう】
(それは駄目です、お父様)
従ってくれるのは間違いない。でもそれをお父様にさせてしまったら――お父様に魔族の献身を裏切らせてしまう、ということになる。
【くだらん】
(心はそんなに物分かりよくないわ、お父様)
それにわたしも、魔族を愛しているお父様にそんなことはさせたくない。
【お前……】
(これはわたしの我がままのせいで起こってしまった事態です)
アルディスを――人間を厚遇で迎え入れるのは、早かった。ヘルゼクスさんの恐れをわたしは無視してしまった。そのせいで起こったこと。
(だから、わたしが向かい合わなきゃいけないの)
従ってもらうんじゃない。
理解を得るために。
だってわたしたちは――同じ未来を目指す同族なんだから。会話を、理解を、諦めてはいけない。
「ヒルダ。ボク――ボクは……」
わたしとヘルゼクスさんを交互に見るエスティアの耳は、弱り切ってぺったりと倒れている。そんな彼女に、わたしとヘルゼクスさんは、多分ほとんど同時に笑ってしまった。
「ごめんね、エスティア。いいの、決めなくて」
「下がっていろ」
「ねえ、やだよ。群れの中で争うのはよくないよ。なんで……」
「大丈夫よ。別に何も変わらないから」
どちらの主張が勝ったとしても、変わるのはアルディスの身だけだ。彼のことはエスティアは群れとは見なしていないだろうから、変わらないで間違ってないはず。
「変わらない……ですか?」
「そうでしょう?」
現状唯一の器である限り、ヘルゼクスさんはわたしを排することはできないし、いつお父様が降りてもいいように、雑に扱うことさえできない。
「……そう、ですか」
少し戸惑うように言ってから一度目を閉じ、彼は改めてわたしを見据えた。
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