反撃の時間です(なし崩し)
「――っ」
己に逆らったアルディスさんを睨む煌使の瞳に、屈辱と怒りが宿る。彼女は側らの神官から杖を奪い、容赦なく彼を殴りつけた。骨まで響くような嫌な音が届く。
「……俺は。神を裏切ってなど、いなかった。人を護り、導く煌神の僕として、人の騎士として、誠意を持って仕えてきたつもりだ」
そう。アルディスさんは裏切ったからこうなったわけじゃない。聖刻印を持っているのがわたしたちに知られて、煌神にとって不都合になったから殺されるだけ。
きっとわたしの情報を渡しても同じ。殺され方は変わるかもしれないけど。
「なにを言っているのやら。今、裏切っているでしょう? 汚らわしい」
アルディスさんの呟きを、煌使は鼻で笑う。先に彼を裏切ったのは自分たちの方なのに、そのことは認識さえせずに。
「時間を無駄にしました。殺しなさい」
「はッ。し、しかし、この者はこれから首都まで……」
「わたくしが殺しなさいと言っているのですよ。それとも貴方も反逆者ですか」
「と、とんでもございません!」
自分が次のアルディスさんになることを示唆され、神官は慌てて部下らしき数人に指示を出す。
なんて理不尽。でも、彼女はやるだろう。人間を――周囲を見下す冷ややかなまなざしが確信させる。
「……人間の味方、じゃあないんですね」
「人は中庸の種。どちらにも親性を持ちます。煌使にとっては……まあ、従うなら許容してやる、といったところですか」
「その関係性で人間はどうして従っているの?」
しかもアルディスさんの様子を見る限り、結構な忠誠心を持ってのようだった。
「そこが、煌神の狡猾な所なのです。我らを脅威に仕立て上げ、己を正義と錯覚させ、人を騙す」
あぁ、嫌だな。
どうして、自分が十を得なくては気が済まないんだろう。
煌使と人間の関係だって――もっと平等でいいはずなのに。それだったら、わたしだってこんな……どうしようもない腹立たしさを覚えなかったかもしれないのに。
「しかし、まずいですね」
「そう、ですよね」
アルディスさんの処刑は、主都についてから行われるはずだった。だからわたしも夜になってから行動するつもりだったのだ。アルディスさんの苦痛の時間は増えるけど、見つからずに済ませる必要があったから。
聖刻印を取った時点で煌神や煌使には筒抜けだろうけど、帰るまでに後を付けられなければオーケー。一番まずいのはヴァルフオールが見つかってしまうことだから。
でもこの場で、今すぐ処刑、ときてしまった。
聖刻印持ちだからって、そこまで焦るの? 絶対的優位にいるのは分かってるでしょうに。
……違うのかも。
人の命は、替えの効かないものだとわたしは思ってる。でも煌使たちにとってはそうじゃないのかも。人間を自分たちと同等の生き物だと思っていない。
バレてしまった隠し場所を移す――それ以上でも以下でもないから、こんなに簡単に命を奪えるのか。
「ヒルデガルド様、今回の聖刻印は諦めましょう。今煌使と直接向かい合うのは得策ではない」
「……勝てない?」
「見たところ、奴はせいぜい中位煌使。あれ自体は問題ありません。しかし、煌神に連絡を取られたら終わりです」
「連絡って、すぐにできるものなんですか?」
「する方法はあります」
なるほど。それなら煌使の前に出ること自体がすでに危ういってことか……。
……でも。
決断できないうちに、磔台の下に盛られた藁に火が点けられた。白い火が広がり、さらなる熱気が場を包む。
「喜びなさい。神の火です」
そう告げた煌使の瞳は、興奮に潤んでいた。
「惨い真似を。聖刻印に耐えられるほど煌気と親和性のある器です。……時間がかかりますよ」
「っ……」
無用に長く苦しめる手段を用いて、あの煌使はそれを楽しんでいる。
「ヒルデガルド様。顔を上げてください。笑うのです」
――何、言ってるの?
「周りを見てください。人間どもの表情を」
耳を疑ったわたしに返ってきたヘルゼクスさんの言葉に、ほとんど何も考えないまま従って、絶句する。
過ったのは前世の記憶。昔、近所で火事が起こったときの事。近くに住む人たちが大勢集まって来て――その人たちの多くが、にやけていた。そして嬉しそうに映像を撮る。そこにあったのは人に降りかかった厄災を喜ぶ、醜悪な顔。それとまったく同じものがここにある。
ヘルゼクスさんは正しい。わたしは群衆に埋没するために、今は笑うべきだ。彼らと同じ表情をしなくては。
でも、凍り付いたように表情筋を動かせない。
だって――だって。笑えるわけがないじゃない、こんなもの!
迷い、逃げるようにアルディスさんからも視線を逸らしてしまったわたしの姿は、相当悪目立ちしてしまったらしい。突き刺さるような視線を感じておそるおそる顔を上げると、アルディスさんと目が合ってしまった。
瞬間、彼の顔が強張る。――気付かれた!
「――っ」
まずい。
煌神に不信を抱いたとしても、魔族もまた人の敵であるという刷り込みは変わらない。というか歴史上すでに事実になってしまっている。わたしの存在を滅ぼすのを優先して、煌使に伝えるだろうか?
ほんの一瞬互いを見合って硬直した後、彼はふいと顔を逸らして目を伏せた。
声を上げる気はないらしい。
ただそのやり取りは、上空から俯瞰している相手にはさらに筒抜けだった。
「あら。あらあらあら。まあ」
怖気が走るような喜悦の声が降ってくる。
「安い餌にかかったネズミが、こんな所に」
見つかった……。
「……ごめんなさい」
これは、忠告してもらいながらも周囲に合わせられなかった、演じられなかったわたしのせい。
自分だけなら、己の感情と行動に対して返ってきただけのこと。だけどここにはヘルゼクスさんとエスティアもいた。巻き込むのは自明だったのに……できなかった。
「構いません」
これまで後ろに控えていたヘルゼクスさんとエスティアが、わたしを庇うように――違う。庇うために前に出た。
「そーそー。胸クソ悪いのに笑うのも腹立つしね」
かなり我慢して笑みを作っていたらしいエスティアは、むしろせいせいしたとばかりに清々しい笑顔で振り返ってくる。
本音だとも思うけど、きっとわたしを気遣ってもくれている。
「まあ。我らの聖裁を理解できないとは、憐れなことですね」
状況が飲み込めないながら、自分たちが崇める煌使に敵視されているのがわたしたちだと気付いた人たちが、ザァッと波が引くように離れた。
こんなスペースを作れる余裕がこの広場にあったことに驚いてしまう。
「近頃、捕らえられる魔神の眷族が減って皆で残念に思っていたのですよ。だから、安心なさい。お前たちは丁寧に丁寧に……聖裁の素晴らしさを知ることができます。魔神の眷族として生まれたことを、深く後悔できるでしょう」
「あり得ないね、クソ野郎」
己の言葉に酔ったように喋る煌使へ向け、エスティアは跳んだ。ジャンプである。ただし助走もなしに軽く四、五メートル上空に到達する。
すでに臨戦態勢にあった爪の一薙ぎに、煌使は余裕の笑みを浮かべたまま微動だにせず――
「!?」
彼女の体を包む煌気の膜をエスティアがものともしなかったところで、顔色を変えた。
慌てて後ろに引いた煌使の腹部から、赤い飛沫が飛ぶ。
「いよっと」
そして重力に従い着地した先は、アルディスさんのすぐ側。下手な刃物より遥かに鋭利なその爪で、エスティアは彼を磔にしていた木を切り裂く。
「それは渡しません!」
叫んだ煌使の手に、光の槍が生まれる。投擲された先は、未だ自由を取り戻したとは言えない状態のアルディスさん。
「史記五章八幕。星の力を呼び起こし、奇跡を演出してみせた。脆き人々は地に膝をつき、己を引き摺る大地を怖れた」
ヘルゼクスさんが古書を手に唱えた瞬間、わたしたちと煌使を除く全員がその場に膝をつき、身動きを封じられる。
「ヒルデガルド様は、どうぞ退避を」
「えっ……」
そうわたしに言い終るかどうかの内に、ヘルゼクスさんはエスティアの元へと駆けていく。
この期に及んでどうすればいいかも分かっていないわたしは、力がどうあれ役立たずだ。だからヘルゼクスさんは正しい。
……でも、下がるのは後ろにじゃない。自分の中にだ。
(お父様)
心の中で、助けを請う。
【どうした、何か――……あったようだな】
(煌使が急に処刑場に来たんです。それで、アルディスさんの処刑を早めようと)
【ああ、もういい。お前に宿れば記憶は得られる】
いないときのこともお父様がその気になれば読み取れるのか……。
瞬間、何とも言えないもやもやが湧き上がったが、それどころじゃない。
(お父様、二人を助けないと)
【ほう。三人でなく?】
ぐっ……。
意識して伝えた誤魔化しも、お父様には意味をなさなかった。
(ええ、そうです! 出来れば三人助けてほしいです!)
だって彼は、死んでほしいと思うほど悪い人間じゃなかった。
確かに殺されかけたけど、それはわたしが魔族で彼が人間だったから。己のための殺しじゃない。彼の属するコミュニティにとって、それが正義で必要なことだからそうしたのだ。
彼自身は、無武装の裸の女に衣服をくれるぐらいには良心的な人。
そして今彼は、煌神から離反した。敵ではなくなっている可能性がある。
敵じゃない人に、死んでほしいとか思えない。




